A Judgement Day

突然ですが、あなたの生きがいは何ですか?

Yayoi Tate
Independence Day
8 min readDec 26, 2019

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私の生きがいは、ライブ。やる方ではなく、観る方。

これまで私は、約10年以上に渡り、1年に平均25回以上の国内ライブに足を運び、10ヵ国・20都市以上に(ライブを観るために)海外遠征してきた。

モットーは「一期一会」。
そのときの会場、メンバー、オーディエンス、セットリスト、アレンジ…etc.
同じ瞬間は、絶対に、2度と訪れないから、出来るだけ沢山の瞬間を体験しておきたい。
その想いだけで、まだよく知らないアーティストのライブに足を運ぶことも多い。
ライブ良ければ全て良し、なのだ。
最近は、CDもグッズも、ほとんど買わなくなってしまったが、それらを合わせると、もはや趣味の領域を超えるほどの膨大な(時間とお金の)投資である。

当然、これまで何度となく、これを仕事にする方法を考え、何かしら試みては挫折を繰り返してきたわけだが、いつしか「音楽は趣味、仕事は別」と割り切っている自分がいた。

そして私は40歳になった。
不惑の歳?とんでもない、日々惑ってばかりだ。
人生100年時代、まだ折り返し地点にも達していない。
ただ、「自分が死ぬとき後悔することは何か?」を考えるようになったのは、この歳になったからかもしれない。
年齢は単なる記号だと言う人もいるが、これまで私は、その記号がもたらす世間のイメージに縛られ、振り回され、もがいていたような気がする。

「xx歳なら、こうあるべき」「女性なら、こうすべき」…etc.
この歳になって、ようやくそうしたイメージを吹っ切れるようになったことを考えると、ある意味、それが「不惑」の始まりということなのかもしれない。

そんな人生の節目を迎えている今だからこそ、社会人になってからの人生を5歳ごとに、できるだけ手短に振り返ってみることで、なぜ今、私がまた自分の夢を志すことになったのかを明らかにしてみたいと思う。
(ちょっと前の自分だったら、こんな内容を公にすることすら抵抗があった。人にどう思われるかが、怖かったのだと思う。)

ちなみに、いわゆる「表」の人生については、↓の記事に書かれている通りなので、ここで振り返るのは、「裏」の人生の方である。

25歳:中学時代からの夢だった、憧れの海外ライブを遂に体験し、人生が変わる

アメリカはシカゴ郊外のアリーナ最前列で、耳をつんざくような大音量のパイロ、顔が熱くなるほどの炎、そして目の前で歌うMetallicaのジェイムズの姿に、大号泣した日のことは今でも鮮明に記憶に残っている。(写真は、そのライブ直後に撮影したもの。)

メタルAO入試で大学に入った私も、社会人になってからは趣味どころではなくなり、いわゆる「音楽ファン」から引退しつつあったのだが、この旅で知り合ったメタル仲間の影響もあり、帰国後はメタルシーン最前線へ復帰。月に数回は必ずライブに足を運ぶ生活が始まった。
この3年後には、単独での海外渡航(フィンランド)を果たし、やはりMetallicaを観ることに。

海外一人旅というのは、文字通り「冒険」で、非日常感と緊張感と、アドレナリンが出続ける刺激体験の連続である。これが病みつきとなり、以降7年間に渡り、毎年必ずライブのために海外渡航を続けることになる。

30歳:生きがいは愛するバンドとライブ、生活の全てを捧げるほどに

1年に3回も海外遠征したり、あのMetallicaとも(2度目のフィンランドで)遂に対面を果たして自分もYouTubeデビューしてしまったり、フィンランド人やスウェーデン人の現地友達もでき、中学時代からの夢が続々と叶い始めたこの時期。

とあるスウェーデンのバンドに惚れ込んでしまい、スウェーデン語も習い始めたあたりから、再び人生転換期を迎えることとなる。
そのバンドを支援するために自分のスキルを活かしたいと思った私は、本職の仕事以上に、バンドのWebサイト構築・記事執筆、ソーシャルメディア運用に力を注いだ。(もちろんボランティアで。)
今にして思うと、本職の仕事が面白くないというストレスや承認欲求を、そのバンドのリーダーに評価されることで満たしていたのだが、実際、アルバムのサンクスリストに私の名前がクレジットされたり、舞台袖からライブを観たり、それはもう、数え切れないほど沢山の、自分にとっては夢のような出来事を次々と叶えてくれたので、ますます、そのバンドにのめり込んでいくことになるのだった。
(最終的には、ヨーロッパへの移住まで考えるほどになり、結局、仕事を辞めて、ロンドンに短期留学したり、北欧を旅して回ったりしていた。)

35歳:ようやく仕事にやりがいを感じられるようになった頃、母が病に倒れる

諸事情により、上記バンドのサポートを続けることを断念した時期と、本職の仕事が面白くなってきた時期が一致しているのは、必然だったのかもしれない。
私は不器用なので、全力投球するモノを同時にいくつも抱えることができないのだ。何かを捨てないと、新しいモノは入ってこない。

時を同じくして、母が病に倒れ、それ以降、たびたび入退院を繰り返すようになり、すっかり彼女の人格が変わってしまったことも、私にとっては物凄いショックで、人生観に大きな変化をもたらす出来事だった。
(口八丁手八丁というか、とにかく気丈だった母が、病気になってからというもの、まるで別人のように、か細く気弱になってしまったのだ。)

約10年も趣味に明け暮れる生活を送ってきて、さすがに現実を見なくては、という気持ちもどこかにあったのか、これまでの社会人生活の中で、おそらく初めて、心から本気で本職の仕事と向き合い、それまでの私を知る人達が驚くほど、「仕事にコミット」する状態が訪れた。

もちろん、いわゆる「普通」の人に比べたら、めちゃくちゃライブに行っている、いかにも「音楽マニア」のように見られていたとは思うのだが、その5~10年前の自分と比べたら、遥かにエネルギーをかけなくなったし、だいぶ落ち着いてしまったなぁ、という感じになってきたのが、この頃だ。

40歳:「表」人生と「裏」人生の融合を図りたい

こうして振り返ってみると、何度か人生の転換期を迎えながらも、本職の仕事という「表」人生と、趣味という「裏」人生を、何とか天秤にかけながら生きてきたのがこの約15年だったのかなという気がする。

私の父は美容師、母は絵描きという家庭で育ったため、高校時代の恩師からも「自営の娘は自営だよ」と言われ、新卒で入った会社の一番理解ある上司からも「お前とは将来、場末のスナックで再会する気がする」と予言されたりしていた。
そういう意味では、よくこの歳まで、何とか会社勤めをすることができたものだなと思ったりしている。
大学時代からの親友にも、つい最近になって初めて、「この人、社会に出た後、どうやって生きていくんだろう、と心配していたよ」と明かされたし、自分でも、社会不適合者だという自覚がある。(朝起きれないし、時間や場所に縛られて働きたくないし、集団生活が苦手だし、サラリーマンに本当に向いていない。)

そんなわけで、これからの5年間は、「表」と「裏」の統合、つまり、これまでの総決算をするための準備に入りたいと考えている。
ITという自分の得意分野を活かしながら、自分の生きがいであるライブに関わる仕事をする。
最終目標は、自分の理想とするハコを作り、そこで自分が観たいと思うライブイベントを実現させること。そのために必要なアレコレの修行を(とりあえず、思いつくまま手当たり次第に)やってみようと思っている。

私は自分で実際に壁にぶつかったり、つまずいて転んでみたりしないと学習しないし、そうして回り道をした結果、なぜか必ず手を差し伸べてくれる人が現れる、という体験をしてきたので、今回もきっとそうなるだろうと、どこかで楽観視している自分もいる。そして、その壁を超えたときの景色はどうなっているのか、気になって仕方がない。

まだちょっと、ぶつかったり転んだりするときの痛みに対する怖さもあるけど、自分が死ぬときに後悔するかもしれないことを考えたら、それこそ「今やらずにいつやるの?」という感じで、人生経験をまぁまぁ積んだ今だからこそ、夢に再チャレンジしてみるというのもアリなんじゃないの?と思ったわけだ。

このブログ、およびこの記事のタイトルは、そんな「会社という組織には頼らずに、自分自身で道を見つけ、切り開いていこう」というスタンスで生きている人達に向けたエール、そして、私もそうすると決めた、という想いを込めて付けてみた。

これからは、私自身の試行錯誤の記録だけでなく、そうしたスタンスで生きている人達に私が話を聴きに行く、インタビュー形式の記事も載せていきたいと思っているので、お楽しみに。(…と、自分自身にプレッシャーをかけてみるw)

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Yayoi Tate
Independence Day

Growth Marketer & Event Organizer, loves Prog, Metal, Cinema and Travel to Europe 🤘