ニンテンドークラシックミニ
小学生の自分に再会した話
先々月末、任天堂が突如「ニンテンドークラシックミニ」という端末の予約受付を開始した。
雑に言えばファミコン復刻版の30本ソフト梱包モデルである。1980年台前半生まれの自分は幼稚園・小学生時代をファミコンと過ごしたといっても過言ではなく、梱包されたタイトルの中には「スーパーマリオブラザーズ3」「ドクターマリオ」「スーパーマリオUSA」「星のカービィ」「ファイナルファンタジーIII」「ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会」など、やりつくした懐かしいタイトルが並んでいる。
当然予約開始の知らせを見るやいなや予約をしたわけだが、それが先日手元に届いた。発送の知らせを受け取ってからAmazonの配達状況を何度もリロードしていたくらい楽しみだったので、当日はそれこそ小学生のようにはしゃいで包装を開けた。
「星のカービィ」で遊んでいると、隠し扉がどこにある、どのタイミングでボタンを押せば1upが取れる、などを覚えている自分に驚いた。思い出してみれば休みの日に毎日全面クリアするほどやっていたので覚えていても当然といえば当然なんだけど、20年近くやっていないものを細かに覚えているというのは、「三つ子の魂百まで」なんだろうなという雑な感慨にふけっていた。
小学生のころの自分が、30もすぎてファミコンをやってるところなんて想像してなかったし、スーパーファミコンを見てファミコンからの進化に感動し、「自分が大人になったらもっとすごい画面のゲームをやってるんだろう」と思っても、現実はその小学生の自分を思い出しながら、ファミコンにはまっているんだからわからないものである。
最近はVR端末が乱立し「今年こそVR元年」などと言った見出しを付けた記事がいくつも書かれている。たしかにVRゲームなどは新しい体験だし、はじめてプレイすると感動すら覚えるのだけれど、それとはまた異なった、「ファミコン」という端末に紐付いた楽しい記憶がこの240pしか映せないROMも1MそこそこのゲームをVRに匹敵するほど彩っていると考えると、「体験を作る」ということの重要さを思い知らされる。
今の子供は一体なににこういう気持ちを持つようになるんだろうなあ。