座禅の師匠へ。「ただ坐る」とはこういうことではないでしょうか。

座禅は次の通り四段階に分類できないでしょうか。

  • 努力せず平穏でない (低レベルの「ただ座っている」。もしくは座禅をしていない状態)
  • 努力するが平穏でない (コントロールによる座禅。失敗例)
  • 努力して平穏である (コントロールによる座禅。成功例)
  • 努力せずして平穏である (高レベルの「ただ坐る」)

「ただ坐る」という言葉はとても優れていますが誤解も招きやすいとは思います。「仏とともに坐る」と表現した方が良いかもしれません。

何もコントロールしようとせず、なおかつ心が平穏であれば、「ただ坐る」は多少なりとも成功しているように僕には思えます。

師匠: 藤田一照さんを勝手に想定

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