台風19号から一夜明けて

10月9日水曜日17時13分、おばちゃんから一通のメールが来た。

台風を考慮し、柿まつりの中止が決定されたらしい。僕は一人オフィスで文字通り肩を落とした。

ファミリーカメラへ

台風19号から一夜明けた10月13日、僕は柿生のまちを散策した。関東から東北にかけて甚大な被害を出した台風であったが、柿生のまちはそれほど被害が出ていないようだ。確かにバス停が倒れたり、ゴミ箱が散乱したりしているものの、いつもの台風明けと変わらない風景だった。
台風一過で10月にも関わらず、気温は30度くらいまで上がっている。歩き回ると汗が少し滲む。中心部、麻生川沿いをぐるりと一周して、ファミリーカメラに向かう。日曜日の午後なので、ファミリーカメラは開いてないかもしれない。とはいえ、外観を確認しておきたい。何か被害に遭われていないだろうか。
駅前に着くとファミリーカメラが開いていることに気づいた。「お、日曜日の午後なのに開いてる」素直にそう思った。外観を見る限り被害はなさそうだ。一安心。「こんにちは〜」おばちゃんと菜穂子さんがいた。「お、やっぱり」どうやらおばちゃんと菜穂子さんで僕が「お店にくるんじゃないか」と話していたらしい。先日安否確認がてらメールを送っていたので、それで来る話をしていたようだ。「大丈夫でしたか?」と僕が聞くと、「うんうん、大丈夫だったよ」無事でよかった。特に菜穂子さんは町田市民なので、町田の停電が心配だったが大丈夫なようだった。「土嚢が重かった笑」と早速おばちゃんらしく安堵。
先日台風気をつけてくださいという内容のメールを送ったら以下のような返信が来た。

これだけの雨が降ると お店が水浸しになるので さっきまで商品を上に避難させたり 土嚢を積んだり 床にタオルをいっぱいひいたりで大変でした。高齢者頑張っています。(笑) 明日はわからないけど 明後日は営業します。木村君も気をつけて下さい。

その土嚢がどうやら重かったらしい。「言ってくれればいくらでも手伝ったのに〜」と僕が言うと、「お店で言ったんだけど、風が強くて届かなかったかな笑」とおばちゃん、「大崎くんの方に行ったかもね笑」と菜穂子さん、「大崎くん、あんまり力持ちじゃなさそうだから笑」とおばちゃん。一同で盛り上がった。調子は良さそうだ。
話は柿まつりに。「そいえば、柿まつり、」「ありがとうね」「ホントに延期じゃなくて中止なんですか?」「そう、中止」とおばちゃん。「最近は何でも延期しないのよね」と菜穂子さん。「でも判断早くて助かったよ。準備するのも大変だしね」おばちゃん、ポジティブ。というか、まちの人はこれくらいが普通の反応なのか。
そのあと予定があったので、あまり話せなかったが、別れを告げた。別れ際、今回の台風で壁の一部が飛んだことを教えてくれた。「飛んじゃったの」「あ、本当だ」僕は言われるまで気づかなかった。確かにハゲてしまっている。「木村くん塗って笑」「いいですよ笑」こういう時でも冗談を言えるのがおばちゃんらしい。

ぽっかり壁の一部がなくなっている。

柿まつりを振り返る

柿生には柿まつりという年に一度のまちをあげてのお祭りがある。この卒業プロジェクトを始めた去年の今頃から、柿まつりを重要視し、フィールドワークの最後にしようと計画していた。フィールドからの離脱をする最後のイベントに設定していた。

今年のポスター

そこまで重要視していたのはなぜか。今年で23回目と、このまちの歴史と比べれば、歴史があるとは確かに言えはしない。とは言え、商店会のお店が一同に開き、まちの人も集う、柿生があれだけ賑わう行事はそれ以外ない。その中で、ファミリーカメラも一役を担い、おばちゃんもまちの人々と外で常に交流する。柿生にとっても、ファミリーカメラにとっても特別な日であり、それゆえそこで卒プロをしている僕にとっても特別な日なのだ。昨年、柿まつりでおばちゃんと時間を過ごしたが、「おばちゃんってこんなにも柿生の有名人なんだ」と初めて思ったのも、柿まつりである。如何におばちゃんが柿生の有名人であるかを再確認するイベントでもあるのだ。
そしてもう1つ、今年の柿まつりにかけていた想いがある。今年はファミリーカメラの人として柿まつりに参加することが決まっていた。ガラガラ係であったり、品出し係を務める予定だった。これまでのフィールドワークとは異なり、ファミリーカメラの人としてまちに飛び込むことができる予定だったのだ。ファミリーカメラの一員として僕自身もなれば、まちに対するアクセシビリティが大きく変わる。まちの人々は、「柿まつりに遊びにきた一般人」ではなく「ファミリーカメラの一員」として僕を認識し、言動を変えるだろう。そうした状態の方がいつものフィールドワークより、おばちゃんとまちの人々の付き合い方だったり、おばちゃんが果たしている役割や、ファミリーカメラの機能などもより一層わかるのではないかと目論んでいた。
そういった想いは残念ながら台風によって消し飛んでしまった。しかし、それによって卒業プロジェクトのこれまでが全て台無しになるといったことはない。また、先生に言われて気づいたが、柿まつりというイベントがある種ペースメーカーになってくれたことは今となっては喜ばしい事実である。

以下は昨年の様子である。

来年、僕は柿まつりのために柿生に帰ろうと思う。

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