うたう、つながる、みつめる(1)

Chiharu Konoshita
綿毛の友
Published in
8 min readJul 25, 2016

−なぜ めぐり逢うのかを 私たちは何も知らない−

2月のとある昼下がり。外の寒さを忘れてしまうほどあたたかな店内で、私は仲間と共にうたをうたっていた。目の前には、先ほど出会ったばかりの名も知らぬ人々。ざっと15名くらいだろうか。入り口付近にひとりで座っている綺麗な白髪のおばさま、大きなレンズの付いたカメラで私たちを撮っている学生風の男性、ごはんを食べながらやんちゃな男の子たちをあやす若いお母さん2人組…。それぞれ様々な表情で、私たちのうたを聴いている。この店の店主である古谷さんと奥さんのさちこさんも、奥の厨房から出てきてこちらを見つめている。

−縦の糸はあなた 横の糸はわたし 逢うべき糸に出逢えることを 人は仕合わせと呼びます−

今、気持ち良さそうに目を瞑っているあの人は、普段どんな毎日を送っていて、どうしてここにいて、何を想っているのだろう。もっと知りたい、少しでも関わり合いをもちたい。その気持ちを、歌声にのせる。

これは、私が一年間という時間をかけて、「うたうこと」を通して出会った人々との間に生まれるささやかなエピソードと向き合い、その人々をとりまく社会を見つめていく取り組みである。

場をつくるしかけへの興味

これまで私は加藤文俊先生のもとで、コミュニケーションという観点から「居心地のいい場」について考えてきた(慶應義塾大学 加藤文俊研究室)。特に、全国各地を巡って人々の暮らしに接近する「キャンプ」という活動では、たくさんのまちを訪れ、様々な人と言葉を交わし、多くのことを学んだ。

「キャンプ」といっても、決して野営の活動を指しているわけではない。加藤文俊研究室の「キャンプ」では毎回、訪れたまちで暮らす人のポスターを作成する。その日に初めて出会った人のことを必死に考え、仲間と意見を交わしながら一晩かけてポスターをつくっていく。翌日、そうして出来上がったポスターをひろげ、まちの人々にお披露目する。ポスターとして並んだ自分たちを見て、まちの人同士が照れながら褒めあったり、想いが溢れて思わず涙する人がいたり。私はあの不思議な場が、とても好きだ。

私たちはポスターという「ちいさなメディア」をきっかけにまちで暮らす人と向き合い、その人と向き合うことを通して、訪れたまちに近づいてきた。「キャンプ」は、新たな眼差しで世界を縁取るためのしかけといえるだろう。
個人研究を始めるにあたり、私も(「キャンプ」にとってのポスターのような)「ちいさなメディア」をデザインしてみたいと思った。心地よいコミュニケーションを引き起こし、世界を新たに縁取っていくしかけを探した。

「ちいさなメディア」としてのアカペラ

私が「ちいさなメディア」に選んだのは、アカペラだ。
アカペラとは、人間の声だけでつくる音楽のことである。大学生になってアカペラに出会った私は、この魅力的な音楽にのめり込んでいった。

アカペラに魅力を感じたエピソードを挙げようとするときりがない。
例えば、アカペラ仲間とキャンプ場でバーベキューをしていた時のこと。たまたま近くのブースで肉を焼いていた女性が「たくさん釣れて食べきれないから」といってニジマスをおすそ分けしてくれた。そのご好意になにかお返しをしたくなった私たちは、彼女のいるブースに出向いて米米クラブの『浪漫飛行』をうたった。彼女とそのお仲間は、最初は驚いていたものの手拍子しながら楽しそうに聴いてくれた。その後、それがきっかけで少しの間ではあるが会話が弾み、心地よい時間を過ごした。最後には全員で、記念写真まで撮った。アカペラが、私たちのつながりを深めたのだ。

アカペラには、特別な道具がなにひとつ必要ない。仲間さえいれば、いつでも、どこでも、何度でも、できる。この音楽はひょっとすると素敵なメディアになり得るのではないか。そんな予感を、信じてみることにした。

当然、アカペラはひとりではできない。一緒にフィールドへ出向き、うたをうたってくれる仲間を集める必要があった。私のオファーに応え、アカペラを愛する4人の友人が協力してくれることになった。一緒にうたう仲間はコウシロウ、リト、ハガケン、テッチャン、そして私(なぜこの5人なのかということに関しては、またいつか語ろうと思う)。こうして集まった私たちは、自らに「ごはんつぶ。」というユニット名をつけ、うたの練習に励んだ。時間をかけて練習を重ねていくうちに、息があっていく。

私の「ちいさなメディア」はこのようにして育まれていった。

フィールドに出向く

さて、ここからが本番だ。私はこの取り組みの拠点(フィールド)を一箇所に定めた。私の通うキャンパスから徒歩15分ほどの場所にある「古民家食堂 ごんばち」だ。古谷昌寿さんとその奥さんのさちこさんが営む、手打ちほうとうのお店。その名の通り、古民家を改装してつくられた広い店内では、いつも多くのお客さんがのんびりと過ごしている。お母さんに連れられた小さな女の子から近所に住むおじいさんまで、老若男女を受け入れるあたたかい空間だ。

私たちは月に一回、ここでアカペラのライブをする。お店への負担も考え、事前に告知はしておくものの、ほとんどのお客さんは私たちがうたうことを知らずにお店へ来ている。偶然、その場に居あわせた人々に向けて私たちはうたを届けるのだ。趣旨の説明や曲に関する豆知識を織り交ぜながら、生声で4曲ほどうたう。うたう曲は、10曲ほどあるレパートリーの中から、その日の雰囲気に合わせて選ぶことにしている。

お客さんの反応は様々だ。身体ごとこちらを向いて、食い入るように聴く人。目をつぶって、味わうように聴く人。リズムにのって手拍子をする人。スマートフォンで動画を撮り始める人。そっぽを向いて、聴くそぶりがない人。思いがけず涙を流す人。

こうしてうたっていると、私たちのコミュニケーションは決して会話だけで成り立っているわけではないということがよくわかる。私たちの振る舞いによって、お客さんの反応は面白いほどに変化する。逆に、お客さんの反応によって、私たちのうたが影響されることもある。もちろん、お客さん同士も影響しあっている。言葉を交わさずとも、常にコミュニケーションは続いているのだ。

ライブ終了後、私は必ずお客さんに話しかける。ごんばちの場所性なのか、あるいはアカペラが自己紹介の代わりになっているのか、ほとんどのお客さんが好意的に話をしてくれる。この取り組みの中で、もっとも楽しい瞬間だ。この人はどんな人で、なぜここにいて、何を思いながらうたを聴いていたのか。情報がいっきに増える。話が盛り上がって、思いがけない話題が飛びだすこともある。ひとしきり会話を楽しんだら、「またいつか、ここで」と手を振って別れる。また会えるといいな、と思いながら店の外まで見送る。

そしてまた一ヶ月後、私は仲間と一緒にごんばちを訪れ、うたをうたうのだ。

うたう、つながる、みつめる

ライブを始めて7ヶ月。既に、忘れがたいエピソードがたくさん生まれている。

これから私はこのエピソードを、私自身の視点からではなく、私と出会った人たちの視点から綴っていくことに挑戦したいと思っている。それはつまり、(出会った人の目線で語れるほどに)丁寧にその人を観察し、その人を取りまく世界を豊かに想像することへの挑戦だ。フィールドワーカー”としての観察眼と想像力が試される。蓄積されてきた記録や、「ごはんつぶ。」のメンバーの視点も借りながら、挑んでいきたい。

うたという「ちいさなメディア」を通して、様々な人々とつながった。この人々と真摯に向き合っていくことで、その先にある「社会」を見つめることができるのではないかと期待している。

これは、慶應義塾大学 加藤文俊研究室学部4年生の「卒業プロジェクト」の成果報告です(2016年7月末の時点での中間報告)。

最終成果は、2017年2月に開かれる「フィールドワーク展XIII:たんぽぽ」に展示されます。

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