批判に対する心の安寧の保ち方
ブログでも書籍でも、何かしらの作品を世に出すと、ポジティブもネガテイブも両方の感想を目にすることになる。慣れないうちは、それによって心が千々に乱れたりもする。
しかし、あまり気にしすぎてると身が保たない。どうすれば、一喜一憂せずに、心を静かに保っていられるのか。
最近では、もう割と平気になった私の、心の安寧の保ち方について。
先日に書いた記事が沢山の方に読んで頂けた。普段の記事の10倍ほどだ。
ありがたいことに好意的な意見も多かったが、一方で批判めいた意見もあった。読者数が一定以上になると、ネガテイブな意見が増える印象だ。
分析としては、私のことをまったく知らない人や、この記事で初めて知った人など、遠くになればなるほど、批判は言いやすくなるようだ。一生会うこともないと思えば批判も言いやすいのは、わからなくもない。
そして、確かにFacebookなどでは悪い言葉はみかけない。繋がってる人をあえて悪く言う人はいないだろう。(たまにいてショックは受けるが)
インターネットの恐ろしくも、素晴らしいところは、誰の声もフラットに、誰にでも届くということだ。批判めいた言葉も、人を傷つける言葉も、気軽に書いたことでも、届くと思ってなくても、届いてしまう。
見えないところで悪口を書かれても気にはしないし、聞こえないところでひどいことを言われても根に持つことはない。しかし、誰にでも見えるネットのどこかに書いたら、いやでも見えてしまうこともある。
良い言葉や感想、共感したとか役に立ったとか、嬉しい反応は欲しい。そうしたポジティブなフィードバックが嬉しいから、自分の作品に対する意見を探して読むのだ。それが出来るのもインターネットの良さだ。
心の安寧に保つためには、なるべく批判に触れないようにすることだ。ただし、そのためには、賞賛からも離れてしまうことにもなる。
私の場合、自分の記事の「はてなブックマーク」は見ないようにしている。あの仕組み自体は好きだし、他の人の記事ならコメントも読んだりしてるし、話題の記事を探したりもしてる。
しかし、自分の記事の場合は見ない。自分の経験では、良いことよりも辛くなるコメントの方が多かった。なにより、一方的なので反論したり意見したり出来ない。言われっぱなしになる。
とはいえ、つい気になって見ちゃって、それでだいたい後悔する。批判からは距離をおけばいい。自分から近づかないようにすれば良いのに。
だけど、Twitterではエゴサーチをして、意見を見るようにしている。Twitterでも、賛否両論あるが、まだ半々くらいな感じがする。
Twitterを見る理由は、リツイートしたりファボしたりすることで、さらに多くの人に見てもらえるチャンスになるというのもある。できれば、嬉しい意見だけフィルターしてもらいたいものだが、そうもいかない。
世にあるものなのだから、批判するのは自由だ。それをやめさせる必要はない。だが、何も馬鹿正直に全てを受け止める必要もない。ただ心ない批判を受け止めても、それだけで成長できるとは思えないからだ。
「わかりにくい」というコメントも頂くが、そこも書き手の力不足ということもあって、大いに反省しつつ精進したいところではあるが、一方で対象読者ではなかったということもある。
わかりにくい、と言われたからといって、子供でもわかるように書くと、冗長になりすぎたり、端折りすぎてしまったりすることになる。それで、本当に届けたかった読者に届かないのでは意味がない。
だから、的外れな意見があっても、それは対象となる読者とは違ったのかもしれない。そう思っていた方が、心の安寧は保てる。
創作物に対する批判について、最近読んだ本にとても勇気付けられた。
古代ローマの話で、天才(ジーニアス)の語源は「ゲニウス」と言って、創作物のインスピレーションは、ゲニウスが与えてくれる。だから、才能はその人自身ではなく、ゲニウスがとりついているだけなのだ、と。
創作のインスピレーションを、外在するゲニウスによってもたらされるものとすることで、作品と作者の結びつきを弱くできる。作品への賞賛や批判を丸ごとひとりで受け止めることから解放されるのだ、と。
他にも、何かしらクリエイティブなことをしている人にとっては、勇気が湧いてくるような話が書かれていた。私にとってタイミングよく読めた。
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賛否両論、賞賛も批判も読んでもらえるからこそ出てくるものなのだから、何もないよりは良いじゃないか、とも思う。
作品を否定されても、自分が生きていることを否定される訳ではないし、否定してくる人が、自分の人生を代わってくれる訳ではない。
それでも批判が気になったときは、私の友人が言ってくれた言葉を思い出すようにしている。
「批判することは簡単だけど、批判されることは難しい。 」
そんな難しいことをやってるだけでもすごいことなんだと言ってくれたんだ。
本当に良いと思うものがあれば、手放しで賞賛するくらいでも丁度いいのではないだろうか。良いフィードバックがもっと世の中に溢れるようになれば良いね。(と書きながら、この記事の反応を恐れつつも公開しよう)