01「アルベルティ・パラダイム」──デザインの固定化と可変性:パラダイム・シフトをめぐって

[201907 特集:これからの建築と社会の関係性を考えるためのキーワード11 |Key Terms and Further Readings for Reexamining the Architects’ Identities Today]

岡北一孝
建築討論
12 min readJun 30, 2019

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アルベルティ・パラダイムとは、建築をひとつの代著的芸術として定義し、建物を、表記法を媒介されることによって、ある原作者による単独のデザイン行為の同一的なコピーとして定義するものである。(『アルファベット そして アルゴリズム:表記法による建築―ルネサンスからデジタル革命へ』, 147頁)

マリオ・カルポ『アルファベット そして アルゴリズム:表記法による建築―ルネサンスからデジタル革命へ』(美濃部幸郎訳, 鹿島出版会, 2014, 原著は2011)が出版されて以来、アルベルティ・パラダイムという言葉 は、現在の建築事象を説明する上でたびたび言及され、センセーショナルに取り上げられたようにみえるが、その議論の基盤となったルネサンスの文化現象や建築の展開についてはあまり興味を持たれていない節がある。一方でカルポの議論へのルネサンス建築史研究者たちによる言及は目立たない。アルベルティを建築史的な転換点としてカルポがとらえたことの意義は、肯定するにせよ否定するにせよ、一度ていねいに検討されねばならないだろう。そこで、ここではアルベルティ・パラダイムおよびカルポの議論について整理しておきたい。

マリオ・カルポ『アルファベット そして アルゴリズム:表記法による建築―ルネサンスからデジタル革命へ』美濃部幸郎訳, 鹿島出版会, 2014

カルポは、イタリアで学んだのち、スイス、フランス、カナダ、アメリカと大学や研究機関を渡り歩き、現在はロンドンのUCLバートレット校建築学科の建築史講座教授をつとめている。ルネサンス期における建築オーダーの展開、図面や建築書といった建築のメディウムの問題に関して、90年代、00年代に多くの著作と論考を残した。代表的な著作としては、『初期近代の建築論における創作手法とオーダー』Metodo ed ordini nella teoria architettonica del primi moderni (Droz, 1993)、『マスクとモデル』(La maschera e il modello, Jaca Book, 1993)『印刷技術時代の建築』Architecture in the Age of Printing (MIT Press, 2001) が挙げられる。これらはとりわけセルリオ(Sebastiano Serlio, 1475-c.1554)の建築書★1に着目し、ヨーロッパの建築創作に与えた影響やその伝播について詳しく論じた論考群である。セルリオの著作は、その重要性が指摘されつつも、豊富な図版とともに五つのオーダーを定義した実務家向けのマニュアルブックとして軽視されがちであった。同じく16世紀の建築家であり、オーダー理論を含む建築書を残したパッラーディオ(Andrea Palladio, 1508–80)やヴィニョーラ(Jacopo Barozzi da Vignola, 1507–73)と違い、セルリオが実作をほとんど残していないことも影響しただろう★2。

そこでカルポは、西洋建築の伝統にまるで執念のように根付く建築と言語のアナロジーの文脈に、セルリオを見事に位置づけた。さらにその建築書によって設計のシステムが大きく変わリ、それが現在にまで連綿と引き継がれてきたことを指摘した。連続する時間の中で、そして歴史化された過去を現在の状況の中で、セルリオを再読することが、現代の建築論でも大きな意味を持つと述べた。こうした知見が『アルファベット…』の中にも表れていて、それを端的に示すのが、ルネサンスの建築オーダーによる創作手法を、建築史における初めての国際様式(インターナショナル・スタイル)と指摘したところだ。

ただカルポは『アルファベット…』の中で、建築史的な転換点をセルリオではなくアルベルティ (Leon Battista Alberti, 1404–72)に与えた。本書でアルベルティは特権的な位置にいる。 それは、設計図面の原作者がその建築の原作者となるシステムを、セルリオ より前にアルベルティが提唱したからだとされる。「建物とそのデザインが表記法の上で同一であると考えられる限り、建築作品を建物のデザインと同一であると見ることができるし、建物そのものとも同定することができる」(『アルファベット…』, 42頁)。つまり、アルベルティこそが「建物のデザインがオリジナルであり、建物はそのコピーである」(同, 46頁)という考えを確立したとカルポはみなしているのである。そして、ここが建築設計の近現代と近代の境界であり、この建築家と建築の関係性がつい30年前まで続いていたと主張し、そしていま、新たなパラダイム・シフトである「デジタル・ターン」が起こっていると断言する。いまの建築創作はデジタル技術による「ビッグ・データ・スタイル」とも呼ぶことができ、これまでのデザインと建築家をつないでいた建築の原作者性が消失し、 アルベルティ以前の前近代的な建築の様態へと「ターン」したのである。いまや五世紀に渡って有効だった建築定義が成立しない時代なのだとカルポはいう。

Marvin Trachtenberg, Building in Time: From Giotto to Alberti and Modern Oblivion, Yale University Press, 2010

カルポが『アルファベット…』の中で自らの議論との共振を示唆した、マーヴィン・トラクテンバーグ『時間の中の建築』Building-in-Time(Yale University Press, 2010)では、設計と施工の分離を成し遂げた人物としてアルベルティが取り上げられ、まさにそこが前近代と近代の分水嶺であると指摘されている。 西洋建築史の教科書などでも、近代的な建築家の誕生とアルベルティを結びつける。このようにアルベルティを革命的人物とすることは珍しくない。昨今大きな話題となった加藤耕一『時がつくる建築』(東京大学出版会、2017)では、「再利用的建築観」、「再開発的建築観」、「文化財的建築観」の大きく分けて三つの視点から西洋建築史が再考され、建築時間論が展開された。そこではカルポ『アルファベット…』とトラクテンバーグ『時間の中の建築』が例示され、アルベルティ以前と以降に分けて建築史を考察することに一定の意義を見出されている。しかし一方で、アルベルティ・パラダイムの見方には留保をつけているように思える。そもそもどこかの「時点」でパラダイム・シフトが起こるという歴史観に抵抗を覚える人も少なくないだろう。もちろん、カルポにしてもアルベルティの登場とともに、世界が一変し、建築の世界システムが劇的な転生を迎えたと述べているわけではない。実際、私が冒頭で引用したフレーズの後には「それは実際には20世紀においてさえ、完全に実行されたことはなかった」と続く。

ネルソン・グッドマン『芸術の言語』戸澤義夫・松永伸司訳、慶應義塾大学出版会、2017

アルベルティ・パラダイムは『アルファベット…』の第二章はで詳述される。これはカルポのこれまでのルネサンス建築論をコンパクトにまとめたもので、アルベルティの革新性に触れていくその記述は実に明快だ。アルベルティの『建築論』(De re aedificatoria, 1485初版)のみならず『都市ローマ記』(Descriptio Urbis Romae, c.1450)、ルチェッラーイ礼拝堂の聖墳墓にも触れ、まるで推理小説のようにデザインと建物の同一性を指摘する。ただ、カルポの議論の中で気になる点にも、いくつか触れておきたい。ひとつは透視図法の軽視である。それは「1.2 代著と表記法」で展開されるが、画家=建築家が建築デザインを担う流れを決定づけたアルベルティにとって、透視図法による空間表現は欠かせないものであったはずだ★3。もう一点は、本論でわずかに言及がみられる「建築エクフラシス」についてである。これは簡単に言えば、言葉でいかに建築を表現し伝達するかという修辞技術に関するものである。カルポの指摘するようにアルベルティの『建築論』には図版、挿絵が一切ない。また人文主義的な注文主とのコミュニケーションでは言葉が重要視されていたこともあり、建築空間や都市を生き生きと語ったテクストが多く残されている。表記法や代著を考えるならば、このトピックはより詳しく検討されるべきだろう。このあたりは、たびたびカルポが言及し、建築とその表記システムの問題にも切り込まれている、ネルソン・グッドマン『芸術の言語』(戸澤義夫・松永伸司訳、慶應義塾大学出版会、2017、原著は1968)も参照してほしい。最後に、アルベルティは常々、自らの作品に誤りがあった場合、それを訂正、修正してほしいと述べていた。1485年の『建築論』初版に付されたロレンツォ・デ・メディチへの献呈文で、アンジェロ・ポリツィアーノは「アルベルティは死ぬまで、ほぼ全てにおいて見直しと修正を施した」記している。確かに初版の本文には多数の空白がみられる。これは「1.3 原作者性」で展開される、アルベルティにとっての「最終バージョン」は何かという議論に結びつく。アルベルティは計画案の固定化を望んでいたのかどうか。ここで詳細な議論を省き、結論めいたことだけを述べるのはためらわれるのだが、おそらくデザインは可変的なものであるべきだと考えていただろう。それは、先に挙げた『時がつくる建築』で、アルベルティが「再利用的建築観」の中で解釈されたことにも結びつくはずだ。

アン・フリードバーグ『ヴァーチャル・ウィンドウ―アルベルティからマイクロソフトまで』井原慶一郎・宗洋訳、産業図書、2012

アルベルティから議論を立ち上げて、ある概念や現象を長い時間軸の中で論じたものは少なくない。例えば、アン・フリードバーグ『ヴァーチャル・ウィンドウ―アルベルティからマイクロソフトまで』(井原慶一郎・宗洋訳、産業図書、2012、原著は2006)は、アルベルティ『絵画論』における著名なフレーズ「私は自分が描きたいと思うだけの大きさの四角のわく(方形)を引く。これを、私は描こうとするものを、通して見るための開いた窓であるとみなそう」★4から解き起こし、仮想あるいは比喩も含んだ「窓」を詳細に追いかけた。それによって近代以来の視覚システムと世界認識の変遷を鮮やかに描きだした。フランスの建築史・建築論研究者であるフランソワーズ・ショエは、『文化財のアレゴリー』L’Allégorie du patrimoine(Seuil, 1992)で、文化財保存の徹底を唱えた、20世紀以来の建築保存・修復の概念形成の源流にアルベルティを位置づけた。『建築論』の中で、現前の過去の建築への配慮を訴え、できるだけそれらを壊さないように計画すべきだと熱心に主張していることが、彼の創作態度の重要な一側面を示しているのは確かだ。「汲めども尽きぬ」がこれほどふさわしい人物も珍しいかもしれない。近代あるいは現代の建築、芸術や視覚文化を検討する上で、これまでもこれからもアルベルティがキーパーソンとして扱われていくだろう。

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[注]
★1:一般に『建築七書』として知られていて、出版順に第四書「建築の五つの様式について」(1537年)、第三書「古代建築について」(1540年)、第一書「幾何学について」、第二書「透視図について」(ともに1545年)、第五書「神殿について」(1547年)、「別冊」(1551年)、第七書「計画対象敷地の状況について」(1575年)、第六書「各種住宅について」(未出版、1966年に刊行)
★2:これら二つの著作は邦訳がある。『パラーディオ『建築四書』注解』桐敷真次郎注解、中央公論美術出版、1986;ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ『建築の五つのオーダー』長尾重武編・訳注、中央公論美術出版、1984
★3:その点については、三木勲氏の一連の論考も参照されたい。三木勲、中川理「アルベルティの建築理論におけるpicturaの建築設計上の表現媒体としての側面について:lineamentumについての解釈をもとに」、『日本建築学会計画系論文集』、第81巻、第721号、759–69 頁、2016年など。
★4:L・B・アルベルティ『絵画論 改訂新版』三輪福松訳、中央公論美術出版、2011、25–6頁。

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岡北一孝
建築討論

おかきた いっこう/京都美術工芸大学工芸学部建築学科助教。京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科修了、博士(学術)。イタリア建築史・都市史とヨーロッパの建築の保存・修復の歴史を研究テーマにしている。共著書に『ブラマンテ盛期ルネサンス建築の構築者』(NTT出版、2014年)など