Zbrush ブログの育て方 絵を描く
Zbrushを自由自在に使えるようになることは,イラストレーターになるのだ,という将来の夢のひとつへ向けての大事な山です。
数年間放置していたZbrush練習を2月ごろ再開して,現在,少しずつこつがわかってきているところです。
人は意図しない方法で思考訓練を日々行っていることと思う。
Twitterで思いを書き連ねることもそうだろうし、読書ノートをとることもそうだろう。 昔は手紙をそのように使っていた人もいた。
0秒思考メモなんていうのはその最たるものだろう。
「徒然草」を読んでいると,彼もまた「書かざるを得ない人」であったという思いを強くします。
「徒然草」は,何か,決まったテーマで筋の通った著作ではなく,本当に日ごろから思い感じていることを,徒然に書き記したものです。
「だから何!」みたいな本の数行の段もあります。
これなどはTweetのようなものでしょう。
僕は日ごろからあまりにもいろんなことに取り組んでいて、1つだけを頑張っている人に比べたら一向に深まりません。
でもそれでもいいやと思っています。
僕は飽きっぽいとので、何か1つだけしかしてなかったらやるときの波とやらないときの波の高低差が大きくなります。
しかしたくさんいろんなことやってるが故にある1つのことが飽きても別のことをやってるわけです。
昨年も同じようなことになっていた。帰宅してからの気力が激減して、読書や勉強をする気力もなく、帰宅したらバタンと倒れてゴロゴロする。
毎年の恒例行事ではあるまいか。
原因は違う。昨年は喘息による体調不良。今年は仕事の不調による精神的な疲れ。
私は、定年後のことを40代から考えて行動してきましたが、間違いではなかったようです。
ものの本を読むと、よく目にするのが
「退職したらすることがない。日がな一日何もすることがなくぼーっとしているのがこわい」
という思い。
特に男性です。
12年くらい前,二つのメルマガを書いていた。
それぞれ100号まで書いてやめてしまった。
モチベーションが続かなかったからだ。
それは「続けた先に,いったい何を求めているのか」を明確にしていなかったからだ。
せっかく80~100名ほどの読者がいたのだが,それらの方を集めてどうするのかなど何も考えられなかったのだ。
私たちは、過去の人物が書いた「◯◯日記」を読みます。
私も先日、中世近世近代合わせて10冊くらい「◯◯日記」を書いました。
日記はリアルな記録ですから、その時の生活の生の息遣いやら、悩みやら喜びやら、ふとした心の動きなどが迫って来て、淡々とした記録の中に、フィクションでは味わえない物語を味わうことができます。
成毛眞氏の「本棚にもルールがある」の中で提唱されている「特別展示」。
知的生活のための本棚づくりの1つとして、この「特別展示」はぜひ取り入れたいと思いました。
そこでは、私なりの知の編集が行えるからです。
目次
#2017–04–23 スロージョギング
20分だけと思いながら外に繰り出す。