なぜ、わたしたちは読む力を失ったのか?

Erika Ito
13 min readMay 10, 2015

本はデジタルの悪影響から私たちの脳を救えるのか?

昨年、私は4冊しか本を読まなかった。

こんなに少なかった理由は、あなたが昨年あまり読書できなかった理由と同じではないかと思う。近頃の私は、単語、文、段落に集中できなくなってきている。章なんてとんでもない。章は何ページにも渡る段落がいくつも集まって出来ている。何にも邪魔されずに集中して読むには単語が多すぎるのだ。やっと一つの章を読み終わっても、次の章にとりかからないといけない。一冊の本を「読み終わった」といえるまでにはさらにたくさんの章があり、なかなか次には進めない。次の本。次の未来。次の可能性。そしてその次。

私はポジティブだ

それでも、私はポジティブだ。昨年はほぼ毎晩、本を持ってベッドに入った。単語をひとつ読む。文をひとつ読む。文をふたつ読む。

みっつめの文まで読んだかな。

そのあたりで…私は別のなにかが必要になった。これを乗り切るための何かが。心の裏側のちょっとかゆいところを掻いてくれるなにか 。iPhoneでメールをチェックし、書く、消す。ウイリアム・ギブソンの面白いツイートにレスする、探す、フォローする。面白そうなリンクを開く。The New Yorker記事へのリンクを開く。The New Yorkerのブックレビューへのリンクを開く(いいレビューだったら内容までしっかり読むかもしれない)。それから念のためメールをもう一度チェックする。

それからもうひとつ文章を読む。これで4つの文章を読んだことになる。

「誘惑に勝つことは簡単だ」と考えている禁煙者は4ヶ月後に再び喫煙を始める可能性が1番高く、ポジティブなダイエット挑戦者が1番体重を減らしにくい(ケリー・マクゴニガル:The Willpower Instinct

1日に4つの文章しか読まないと、一冊読み終わるまでには長い時間が必要だ。

それにとても疲れる。私は五つ目の文章に入るころには、たいてい眠りに落ちていた。

このような習慣は長いこと続いていたが、昨年の読書数は今までの中で最も少なかった。これには、我ながらがっかりした。特に私の仕事は本と深く結びついているのだから。私はLibriVox(オーディオブック)とPressbooks(オンラインで紙の書籍や電子書籍を作るプラットフォーム)の2つを立ち上げ、本の将来についての本の執筆にも参加した。

私は何かと生活の大半を本に捧げ、本の可能性を信じていながら本を読めないでいた。

そんな状況にいるのは、私は一人ではないはずだ。

The New Yorkerの中の人が一曲聞き終えるだけの時間集中できないのに、本はどうやったら生き残ることができるのだろうか?

私は最近、The New Yorkerポッドキャストのインタビューを聞く機会があった。ホストは、ライターで写真家のテユ・コールにインタビューしていた。

ホスト:

「近頃の生活には雑念が多すぎて、一曲を聞き終えることさえも難しくなっているとは思いませんか。そんな中でも物事を注意深く観察できていますか?また、今の社会ともそのように向き合えていますか?」

テユ・コール:

「はい、できていると思います。」

これを聞いたとき、私はホストにハグしたい気持ちになった。一曲聞き終えることすらできない彼に、本の山がどんな影響を与えるか想像してみてほしい。

私はテユ・コールにもハグしたくなった。コールさんのような人は、子供たちに読書方法を伝えるために残された希望かもしれない。

雑念に踊らされる

私が本を読むときに障害となる問題 — 逃げられないサイレンの音のように流れ込んでくる新しい情報 — は、読書以外の生活にも同じように影響を及ぼしていた。

2歳の娘のダンス発表会。ピンクのチュチュを着て、頭には猫の耳。ほかに5人の幼児と一緒に、75人ほどの両親と祖父母の前でダンスを発表した。あとはみなさんの想像する通り。あなたもYoutubeでお遊戯会のビデオを目にしたことがあると思う。もしかすると私のビデオも見たことがあるかもしれない。かわいさは最高で、親でよかったと思う瞬間だった。娘はダンスなんかせずにステージ上でふらふら歩き回り観客席にいる無数の人を見つめただけだったが、ダンスが上手いかどうかは抜きで私はとても満足だった。携帯で写真とビデオを撮った。

そして、念のためメールをチェックした。 Twitterも。なにも起こっていないとは限らないから。

私はメールやTwitter・Facebookをチェックし、その場で対処できない仕事の連絡を目にしてストレスを感じることがよくある。

そんなとき、私は頑張っている娘の横でこっそりタバコを吸っているような、なんとなく申し訳ないような気持ちになる。

いや、タバコどころではなくコカインを吸っているくらいひどい心持ちかもしれない。

ある日携帯で読み物をしていたとき、4歳になる上の娘が話しかけてきたことがあった。なにを言っていたかしっかり聞いていなかったが、私は北朝鮮に関する記事を読んでいたと思う。彼女は両手で私の顔をつかみ、彼女の方に向かわせた。「わたしはあなたに話しているの。私の顔を見て聞いて。」と、彼女は言った。

彼女は正しかったと思う。そうするべきだったのだ。

友達や家族と一緒にいるときにも私は、ポケットの中でステンレスとガラスとレアメタルで完璧に作られた聖なるパンが震えながら私を呼ぶるのを感じる。「触って。わたしを見て。なにか素晴らしいものが見つかるかもしれないから。」

この病気は本を読んでいるときや娘の晴れ舞台を見ているときに限られたことではない。

仕事でも私の集中力はよく切れる。実際、この記事を書いているときにもクライアントの要望に答えたり、新しく上がってきたデザインを確認して戻しを出したり、「About」ページの文章を書き直したりした。誰々と連絡をとったり。税金処理をしたり。

このようなタスクは暮らしの上で不可欠だが、Twitter(仕事)やFacebook(これも仕事)・マンデルブロットに関する記事(今読み終わったところ)をチェックすることで、必要以上に時間をとられてしまっていることも事実だ。

メールが1番たちが悪い。なぜならメールは仕事の発生源で、新しくできた仕事が今やるべき仕事よりも取り掛かりやすかったとき、新しい仕事のほうに手をつけてしまいがちだからだ。その新しい仕事が終わってから、やっとその間進めるだったやるべき仕事にとりかかるのだ。

ドーパミンとデジタル

最近の神経科学の研究で、電子機器とソフトウェアは私たちが何をしていようとも注意を向けてしまうように出来ていることが明らかになった。そのメカニズムはこうだ:

  • 新しい情報は脳に気分を高揚させる神経伝達物質のドーパミンを放出させる。
  • 脳はドーパミンが作り出すその快感を求めて新しい情報を欲するようになる。

fMRIを利用すると、メールを受信したときに脳の快楽センターが活動して反応するところを見ることができる。

ということは、毎回メールを受信する度にあなたの脳ではドーパミンが少し放出されているのだ。脳はメールをチェックすればドーパミンが放出される、ということを学習する。私たちの脳はドーパミンを放出させる物を求めるように出来ていて、特定の行動がドーパミンを放出させることが分かれば、脳は神経回路を作り出してそれを習慣化させる。それで無意識に次のような習慣が生まれるのだ:大事な仕事にとりかかる。脳がうずく。メールをチェックする。ドーパミンが放出される。メールボックスを更新する。ドーパミンが放出される。Twitterを見る。ドーパミンが放出される。やっと仕事に戻る。何度も何度も繰り返され、その度にこの習慣は脳の神経回路によって根深くなる。

本はどうしたら勝てるのだろう?

死ぬほどの幸福感を味わう

ネズミの脳に電気コードにつないだ有名な実験がある。ネズミがレバーを引くと、電流が流れ、脳の中でドーパミンが放出された状態を作り出す仕掛けだ。幸福のレバーだ。

ネズミに餌かドーパミンかの選択肢を与えると、疲れ切り飢餓状態に陥るまでドーパミンを選ぶ。セックスよりもドーパミンを選ぶ。ある実験では、ラットが1時間に700回もドーパミンレバーを引いたと記録されている。

私たちはメールでこれと同じことを行っているのだ。メールボックスの更新。また更新。

Choices: Part 1 (xkcd)

メールの更新ボタンの向こうにはすばらしい宇宙など広がってはいない。それなのに、メールは私たちを仕事や読みたい本から遠ざけるのだ。

なぜ本は大切なのか?

今までの人生を振り返ると、知識面、感情面、精神面のそれぞれで私を形作った本がいくつも思い浮かぶ 。本はいつも逃げ場であり、学びの場であり、救世主だった。でも私にとってはそれ以上に、本は世界を理解するために物事をつなぐ糊のような役割を果たしてくれた。私は本を知識と感情で私を編み上げる結び目のようなものだと思っている。色んな意味で、本が私を作り上げたのだ。

本はアートや音楽、ラジオや恋愛とは違った形で、何時間・何日もかけて他者の考えを一つ一つの言葉を通して体験させてくれる。自分自身の考えを書き手と共有する時間。文章による表現はゆっくりで、時間をかけて考えることが必要とされる。本は他者の考えを自分の中で再現させる。誰かの言葉を、外の世界を介さずに自分の中で生成させることが本の力なのかもしれない。本は嫌でも他者の考えを私たちの中に存在させてしまうのだ。

本はただ知識や感情を届けるだけのツールではなく、洋服を試着するように未知のアイディアや感情を体験するツールなのだ。

このように自分を超えることは瞑想することと似ていて、読書は私にとってとても大切だった。「もう一度読書を身につけること」の必要性を感じ始めたことは、電子機器に依存したドーパミンまみれの生活を捨てるいい機会かもしれないと思うようになった。それは、読書のある生活に戻ることと私自身を取り戻すこと2つのメリットがあると思った。

それから多くの場合、表紙の向こう側にはすばらしい宇宙がある。

デジタルがもたらす問題

最近の神経科学の研究結果では、私たちが陥るデジタル依存の問題は、先天的だということが分かってきた。効果的なマルチタスクというのはデタラメだ。マルチタスクは私たちを退化させる。心理学者のグレン・ウイルソンによれば、マルチタスクによる認知力の低下は大麻を吸うのとほぼ同等らしい。(追記:リザ・ダリーさんの指摘によると、この実験はある企業のPRの一環でメディアによって婉曲されたようです。参照:http://www.drglennwilson.com/Infomania_experiment_for_HP.doc

これは色んな意味で私たちにとって2つのデメリットだ:仕事の成果が下がるか仕事以外のことに費やす時間が少なくなるのだ。最悪の場合、同時にどちらも起こりうる。

なにかに集中して作業しているとき受信箱に未読メールがあると、あなたのIQは10ポイントも下がる。(ダニエル・J・レヴィティンの著書:The Organized Mindより)

やることをコロコロ変えることはとても疲れるので、実際はこれ以上に悪いかもしれない。

生産性が最も低かった時期を振り返ると、私は作業・メール・Twitterやその他のなにかの間を常に行き来していて、とても疲れていた。私はこの疲労感は集中力の低さからくると思っていたが、その原因は正反対だったようだ。

人が1番エネルギーを使うのは、一つのタスクから別のタスクに注意を移すときだ。集中することのほうが使うエネルギーは少ない為、集中する時間を作るのが上手い人たちは、生産性が高いだけではなく、比較的疲れにくく神経の浪費も少ない。(ダニエル・J・レヴィティンのThe Organized Mindより。)

問題定義

問題はだいたい次のように定義できるだろう:

  1. 私の脳が定期的にデジタルの情報を閲覧することによって放出されるドーパミンを欲しがるので、読書ができない。
  2. 私はこのデジタルドーパミン中毒のせいで本・仕事・家族や友達との時間に集中しにくくなっている。

全ての問題は到底網羅できていないが、これで一応問題定義ができた。

あと、テレビのことも忘れてはいけない

私たちは今、テレビの黄金時代に生きている。最近はとてもいい作品が、本当にたくさん作られている。

ここ2年ほど私の夕方ルーティーンは次のような感じだった:仕事から疲れて帰って来る。娘たちが夕食を食べたことを見届ける。私も忘れずに食べる。娘たちを寝かしつける。疲れを感じる。パソコンで(新黄金時代の)テレビを見る。テレビに57%注意を向けながら、無駄に仕事のメールを確認する。テレビもメールも中途半端にこなす。寝室へ行く。読書にとりかかる。メールを確認する。読書しようとする。眠りに落ちる。

本を読む人は世界を手に入れ、テレビを見る人は世界を失う。(ヴェルナー・ヘルツォーク)

ヴェルナー・ヘルツォークが正しいかどうか私にははわからないが、テレビにどれだけ素晴らしいコンテンツがあっても本と同列だとは思えない。本のように私の世界観を形作ったテレビ番組はないのだから。私とテレビの関係は、私と本との関係とは決して同じとは言えない。

だから、変えた

ということで、1月から私は習慣を変えることにした。主な変化は次の通り:

  1. 仕事のある日にTwitter、Facebook、ブログは読まない(難易度:高)
  2. どうでもいいニュースの記事は読まない(難易度:高)
  3. パソコンやスマホは寝室に持ち込まない(難易度:低)
  4. 夕食のあとにテレビは見ない(思ったよりも簡単)
  5. 代わりにそのまま寝室へ行って本を読む — たいていは電子書籍(思ったよりも簡単)

驚いたのは、再び読書に慣れるのに時間がかからなかったことだ。集中力を取り戻すのに苦心するだろうと思っていたが、全くそんなことはなかった。デジタルのインプットが少なくなり(特に就寝前のテレビ禁止)、余分な時間を手に入れ、誘惑だらけのデジタル端末を手元に置かないことで、私は本に集中できるようになった。

素晴らしい気持ちだった。

今私は、ここ数年で読んだ本の数よりも多くの本を読んでる。長い間失っていたエネルギーと集中力を取り戻した。まだデジタルドーパミン中毒を完全に乗り切ったわけではないが、先は見えてきた。読書が集中力を鍛え直してくれていると思う。

それから、やっぱり本は以前と変わらず素晴らしいものだということがわかった。また読書ができる。

それでも仕事のメールはまだ問題として残っているから、もしいいアドバイスがあれば教えて欲しい。

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Erika Ito

Product Designer at VMware Tanzu Labs (former Pivotal Labs) in Tokyo. Ex Medium Japan translator. | デザインに関すること、祖父の戦争体験記、個人的なことなど幅広く書いています😊