御蔵島イルカ紀行

こころ
7 min readDec 23, 2016

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―swimming with dolphins

Photo by: http://oyadoyamajyu.sunnyday.jp/

海が好き、動物が好き、泳ぐことが好き。三拍子揃った私にとって、御蔵島は憧れの島。だって、野生のイルカと泳げる島だから。

御蔵島は、世界有数のイルカの生息地。200頭余りのイルカが島の回りに住みつき繁殖していて、船の上から観察したり、一緒に泳いだりすることができる。

イルカと泳ぐということ”で書いたように、これまでの私のドルフィンスイムの経験は、2度訪れた小笠原でのもの。御蔵に足を運ぶのはこれが初めてだ。

御蔵島。

橘丸から見る御蔵島遠景

ヘリも一応飛んでいるけれど、基本的には22時半に竹芝桟橋から出る船に乗れば、翌朝6時前には島に着く。―あくまで、運が良ければ、の話だけれど。

御蔵島は切り立った火山島だ。湾なんてない。島の北西に桟橋が突き出していて、申し訳程度の港がある。少しでも波が高ければ桟橋は波を被ってしまい船が着かない。風の影響もダイレクトに受ける。年間通しての着岸率は70%を少し超える程度。冬場は海が荒れ、20%台まで落ち込む月もある。

少し手前の三宅島に着く前に、朝便の欠航が決まった。宿の人に、「今回は来ない方がいい」と言われていたこともあり、この程度は想定済み。朝着岸できなくてもその日もう一度チャンスがある。船は八丈島で折り返し、昼過ぎにもう一度御蔵島に着岸を試みる。

八丈島の港にて。波が砕け散る。

折り返しの昼便は無理を押して着岸してくれた。激しく上下に揺れる船体。タラップがバウンドしている。横殴りの雨が降る桟橋に転がり出て、シュノーケリングのグッズが入った重いキャリーを引いて走る、走る。港の警備員のおじさんが何か叫びながら手を差し伸べてくれるけれど、言葉が耳に届かない。北西の風が波を煽り、桟橋の上まで寄せてくる。吹き飛ばされそうになりながら、なんとか迎えの車に飛び込んだ。

到着した日の午後、御蔵島の桟橋を見下ろす

1日目はそのまま風雨が止まず宿に缶詰。2日目も風が強くてドルフィンスイムの船は出なかったけれど、綺麗に晴れたので、本を持ち出して崖の上の展望台で一日を過ごした。波頭が煌めきながら崩れていく様子は、何時間眺めていても飽きない。

イルカの見える丘から。遠くに三宅島を望む。

3日目、ようやく海に出られる。ウエットスーツの圧迫感が苦手なので、チタン加工のラッシュガードを持ち込んだけれど、そんな必要もないくらい水温は高かった。11月、荒れた海ということもあり、午前中に出たドルフィンスイム船は一隻だけ。夏場は船が列をなすこともあるというのに、幸い御蔵の海を貸し切りで楽しめた。

港を出てすぐに背びれが見える。話には聞いていたけれど、拍子抜けするくらいあっさりした邂逅。小笠原ではこうはいかない。島の沿岸をぐるっと回ってもなかなかイルカたちが見つからないこともある。

船長の指示に従って、いよいよエントリー。

―浅い。小笠原では水底の見えないような深さのところにイルカたちがいることが多いのに比べて、御蔵でイルカたちのいる水域は圧倒的に浅い。ダイブコンピューターなどの音の出る機器は禁止なので目測だけれど、水底まで10m前後。イルカたちが潜っても、十分についていける深度だ。

イルカたちの影が見えたら息を吸い込んで、ジャックナイフ潜航をしながらシュノーケルを口から外す。「マウスピースを咥えるために歯を食いしばっていると、息が保たないよ。相手の目を見て、笑顔で泳ぐんだよ。」と教えてくれたのは、父島の大自然の中で生きる人。

Photo by: http://oyadoyamajyu.sunnyday.jp/

彼らは小笠原のイルカたちよりも人に慣れている。ドルフィンスイム船のスタッフの方々も適切な対応をしているのだろう。人の姿を見ても逃げたりしない。もっとも、遊んでくれるかどうかは気分次第だけれど。

私が好きなのは、イルカの下に潜り込んで仰向けで泳ぐこと。もしイルカの気分が乗れば、上になり下になり、お互いの動きを読みあい絡みあうようにして泳ぐことができる。

まだまだ「追いかけている」だけでコミュニケーションが取れていないな、一緒に泳いでいてもイルカたちは私に興味を持っていないな、と反省するシーンもある。

ラッシュガードを通して肌に絡む黒潮。容赦なく打ち寄せる、まだ荒れた海。のんびり泳いでいるイルカでも、人間が長い時間ついていくのは難しい。海面で波に翻弄されながら、彼らの尾びれが遠ざかるのを見送るしかない。

こんなに近くにいるのに、ただそこにいるだけだ。彼らは彼らのその日を生き、私に左右されたりしない。

でも、動物の行動を左右できないことは、言語でのコミュニケーションで分かり合えるはずの人間の行動を左右できないことよりも、遥かに失望が少ない。一方で、彼らと少しでも分かり合えたなと思う瞬間は、とても大きな喜びを伴うものだ。

何度目かのエントリー。若い雄イルカたちが、水深3mくらいのところでもつれあうようにして遊んでいた。その中に混ざって泳いでみると、彼らの水中での躍動を肌で感じることができる。

やがて息が続かなくなって浮上しようとしたけれど、上にも右にも左にもイルカたちがいて退路がない。彼らは遊びに夢中で大興奮。私の酸素効率が彼らとずいぶん違うことなんて気にも留めない。どうしようもなくなりかけたとき、右側を泳いでいたイルカの視線を感じた。藁をも掴むような思いで目を合わせると、つい、とスペースをあけてくれた。

海面で息を整えているうちに、彼らは時折水飛沫を上げながら遠ざかって行った。

怖かった。ううん、海にいるとき、私はいつも怖い。

だけど、私が心惹かれるのはいつも、「ああ、今、彼/彼女が本気出したら私負けるな」と思える相手なのだ。動物と接するとき、自然と接するとき、相手の許しの中でそういう緊張感を持ち続けられることが、私にとっての幸せだ。

水の中では彼らは圧倒的に自由で、私は圧倒的に不自由で、そんな中で彼らが私に目を留めて、気まぐれに遊んでくれる。

海に行くたびに、「ああ、もう死んでもいいな」と思う経験ができるからこそ、私は絶対勝てない相手に、それでもまた会いに行くのだろう。

御蔵島のドルフィンスイムの解禁日は3月15日。来年のカレンダーを眺めながら渡航計画を練る。次は、もっと、自由に。

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こころ

生きる資格がないなんて憧れてた生き方