コンピューター・サイエンスに関わっていると、毎年のように登場する新しいプログラミング言語や、様々な関連テクノロジーの習得が必要不可欠だ。
最初にプログラミングに触れたのは小学生の頃で、当時は単純なポケコン(それでも当時は十分に『複雑』だった)でBASICを打ち込み始めたことだった。Windows 95の爆発的なブームが巻き起こる数年も前である。あれから20年以上プログラミングを続けているが、BASICを覚えたときから数えて10以上のプログラミング言語を習得し、現場で使っている。
私にとって、新しいことを学ぶことは楽しい。常に童心を忘れず、好奇心を持ち続けている。
学ぶことは、情報技術だけではない。私は小さいながらも、アメリカに拠点を置くベンチャー企業を経営している。ベンチャー企業を海外で経営し、成功を目指すため、ビジネスに関するあらゆる知識に対してアンテナを張っている。シリコンバレーで戦うのだから当然、英語の習得も必須だ。
国境を超え、様々な人種や文化の中で生きることは、とても楽しい。学ぶこと以上の快感は、私にとってはこれくらいだろう。私自身の生き甲斐とは、まさにこれだ。
子どもたちにもこの楽しさを知ってほしい。だが、10歳にも満たない子供に対し、海外で活躍しろというのは、親のエゴの割合がいささか高すぎる自覚もある。そのため、まずは学ぶことの楽しさを理解して欲しいという一点に終始している。
学ぶ楽しさとは何か
我が家の教育のゴールは、前回の投稿にもあった通り、学ぶ楽しさを知ることだ。学ぶ楽しさとはなんだろうか。これは人それぞれの答えがあると思う。だが私にとって、これは『本質を理解すること』だ。
プログラミング言語でも、数学の公式でも、漢字にしても、それが存在する必要があり、合理的な考えのもと作られ、今も存在している。必要が無い、あるいは無くなったものは、そもそも存在せず、あるいは失われる。合理的でないものは、より合理性の高いものに取って代わられる。全ての知識、技術、道具、建築物といった人類が生み出したものは、必要であり、それが合理的であるから今も存在し、使われている。
ヒトが思う疑問や、感じる課題感は、この必要性と合理性の無理解から生じる。すなわち好奇心とは、なぜそれがあるのか、どうしてそれはこうなっているのか、それらが分からない時初めて生まれる感覚なのだ。
また、好奇心が満たされた時に感じる快感は、この必要性と合理性の2つが頭の中でつながった時に初めて得られる。学校で習ったときの事を思い出して欲しい。公式そのものを丸暗記しても何も面白くなかったはずだ。だが、なぜ植物には日光が必要なのか、といった好奇心が湧くような単元に対しては、学習し終えた時楽しさを感じていたのではないだろうか。これは、植物の光合成という活動が、生存する上で必要だから行われ、日光と水分により葉緑体が生存に必要なエネルギーを作り出しているという仕組みを知ることにより、初めてなぜ日光が必要なのかが分かった事によるのだと思う。
すなわち、学ぶことによる快感は、ただ覚え、反復練習するだけでは得られず、なぜ必要なのか、なぜそうなっているのかを理解すること、すなわち本質の理解により得られる。
本質の理解のために必要な労力
学校や学習塾では当然、この本質の理解のために多くの時間が使われている。子供時代の授業を思い返して欲しい。先生が自作の教材や図表を駆使し、様々な工夫を凝らして単元ごとの説明をしていたはずだ。
だが残念な事に、少なくない数の子供たちが、学校の授業だけで本質の理解にたどり着けない。理由は明白だ。先生たちには、全ての子供たちに対して、全ての疑問に答え、理解へと導くための対話を行うだけの時間は無いからだ。
そのため、形だけでもできるように、授業で一通り設問に対する『解法』を習い、宿題などで覚え込むまで反復練習を行う。習うより慣れろ、という金科玉条も世の中にはある。
私が最も忌諱しているのが、この習った事柄に対しての本質理解も無いまま慣れてしまい、『分かった気になっている』状態でいることだ。
分かった気になること、即ち本質を理解せずに言葉や理屈だけを覚えることは、好奇心に対する正しい向き合い方ではない。繰り返しになるが、学ぶ快感を知り、この快感の虜になるためには、物事の本質を理解する経験を積んでいくことが肝要だ。
子供は本能的に、なぜ、どうして、という疑問を次々と生み出す。これはなぜ、どうして、という疑問に対して答えが見つかった時の快感を知っているからだ。
この子供が持つ疑問に対して丁寧に答え、本質の理解にまで導くことが、親だからこそできる教育だと私は考えている。
現実的に考えて、学校の先生や塾の講師にこの責務を押し付けるのは些か荷が重い。彼らには彼らでやるべきことがある。慣れることも重要だからだ。
だからこそ、親が家庭学習でやるべきことは、子供をよく観察して理解度の不足を察知し、分かっていない部分や疑問に感じている部分を丁寧に説明し、時間をかけて本質の理解に到達させる。これに尽きるだろ。
我が家の教育原則
長くなったが、表題の我が家の教育原則について。
これまで述べてきた通り、学ぶ楽しさへとどっぷりハマるために、物事の本質を理解させることが我が家の教育方針である。
これを具体的なアクションに落とし込むため、以下の原則がある。
- リビングで勉強
- 活字の本を読む。読む速さは気にせず、内容が映像的に頭に浮かぶまでしっかり読む。読書は好奇心を作るための種まき
- 家庭学習は休憩含め90分。前半は宿題、後半は親との対話形式の講義。対話を通じて理解度の把握、理解度不足の単元についての解説、ディスカッションを行う。ディスカッションを重視し、なぜ、どうして、を発掘する
- 年長2月からY塾へ通塾。慣れるための取り組みはアウトソーシングする
- 先行学習は英語・四則演算のみで、あとは一切行わない。先行学習は分かった気になるだけで、理解度にむらができる
- テストは偏差値を重視しない。正答率を重視。テスト結果は理解度の定量的な指標になるため、大まかな単元ごと過去分を計測し、モニタリングする
- 家庭学習のカリキュラムやスケジュールは組まない。日々理解度を確認し、本質を理解するまでやる。その日の状態を見てやることを決め、疲れている日は軽めに終わらせる
- 勉強時間は極力増やさない。友達と遊ぶのが最優先。自分と違う考え方の人と交わり、尊重しあう訓練を行うことは勉強よりも大事
- 低学年の間は中学受験を意識させすぎない。したくないならしないで良いし、行きたいところがあればそこを目指せば良い。行きたくなった時に行けるだけの基礎はしっかり作っておく
- 勉強に関する自立を急がない。分かった気になる、好奇心を放置する、といった弊害を懸念。親がいないと勉強しない子供でも構わない。自立させるのは、自分の理解度が分かるようになってからでよい
また、勉強について以下の子供との約束もある。
- 分かった気にならない。適当にやらない
- 疑問が残るなら、しつこく聞く
- 集中する
- 競争に夢中にならない。ただし、無関心も良くない
- テストは、正確さが一番大事。時間がかかってもよいから解ける問題は必ず正解する
- テストで時間切れしても気にしない。スピードは徐々に身につけば十分
私としても、はじめての子供なので、上記の原則がよいものかどうか判断はつかない。従って原則についてはこだわりすぎないようにしており、臨機応変に増えたり減ったり変わったりしている。
次回は日々の学習で実践している教え方について。