「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
この一文は、1998年から2000年にかけて文藝春秋にて連載され、2000年に単行本化した村上龍の小説「希望の国のエクソダス」内の一文である。
2002年、アフガニスタンに現れた謎の日本人少年「ナマムギ」に感化され、日本中の中学生が不登校になり、そのリーダーとして国会の予算委員会に召喚された中学3年生の「ポンちゃん」は、世界中に放映されている映像の中で、国会議員たち、ひいては日本の、世界中の大人たちに向けたスピーチをこの言葉で始めている。この小説が書かれた頃、筆者は小学生であった。「ポンちゃん」からは5歳ほど下の世代となる。若者のリーダーが国会でスピーチをする、という場面は、今日の我々にとって聞き覚えのあるもののようにも思う。
筆者は1991年3月、北海道の遠軽町という、この小さな島国における果ての地で生まれ育った。地元に目立った産業はなく、世帯年収が300万円以下の家庭が半数を超えている(総務省/2013)。うつ病と浮気癖を抱え、家に帰らないことも多かった父と、やや精神不安定な母、そして無条件に愛を注いでくれ、世界の広さと勉強の重要さを教えてくれた母方の祖父母の元に育てられた。お陰で多少勉強ができた筆者は、高校を卒業後、大阪の大学の工学部、機械工学科目に進学した。
そこは日本の工学部、特に機械工学においては最高峰の研究水準と言われる学府であったが、日常の講義においては、そこで学ぶことがどのように世の中の役に立っているのかを飲み込むことができなかった。そのため就職を志すも、日本のメーカーの多くは未来のビジョンもなく、新卒で入社するような若手になんの期待もしていないようであった。しかしものづくりには興味があったため、メーカーに外側から関われる就職先を探し、運良く大手広告会社に就職することとなった。
広告会社では大手飲料メーカー担当の営業として、テレビやラジオ等のマスメディアの広告枠を、得意先と媒体社の間でやり取りする仕事を行っていた。上司や同期、得意先や関係会社の方々にも恵まれ、給料も良く、仕事も日々学びばかりで充実していたが、消費社会をドライブする存在である広告会社、そしてマスメディアにおける広告出稿の仕事はどこか空虚であった。行きたくもない飲み会で消えていく時間とお金と体力、本当に届いているのか分からない広告、そうでもして売ろうとするコモディティ商品と差別化のための記号、いずれも空虚であった。そしてその現場にいる人たちは、決して一般に言われるような邪悪な存在ではなく、いま自分たちが置かれた状況でできることを、ただ熱意を持って、ただ必死にやっているだけであった。そのことが、空虚さに拍車をかけていた。
なんとか、消費されることのない価値をつくりたいと思った。それが本当の意味での「ものづくり」であるだろうと思った。しかし工学部の学部卒レベルでは、できることなど何もない。ましてや元々、際立って得意なことがなく、何年にも渡って没入し続けられる特定のこともなかった。就職活動中、そして就職してからも、自分が何者でもない感覚に苛まれることが多くあった。筆者は、何者かになりたい、と考え、2年働いた会社を退職し、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)に入学した。
日本でバブルが崩壊した、と言われている1990年頃からの経済停滞期は、日本では「失われた20年」と呼ばれている。しかし2010年代も後半になり、「経済成長」という幻想を捨て始めた日本において、もはや「失われた20年」という言葉も耳にすることは少なくなった。日本には都市にも地方にもただ絶望的な状況だけが広がるばかりであるが、一方で「経済成長」の名残さえ知らない、失われた20年で生まれ育ってきた我々1990年前後の生まれの世代にとっては、世の中の風潮の方に違和感がある。何故だろうか、我々の多くはこの絶望的な時代で、仲間たちと幸せに暮らしているのである。
本研究では、リチャード・フロリダの提唱する「クリエイティブ・クラス」という階層の考え方、またクリエイティブ・クラスはクリエイティブ・クラスが多いところに集合する、といった傾向をベースに議論を進める。
クリエイティブ・クラスの提唱から15年が経ち、この考え方の中心となる人々や、そのコミュニケーション環境・手段は急速に変化している。これを受けて筆者は、これまでクリエイティブ・クラスの中心を担ってきた「デジタルネイティブ」と、現在そして今後その中心を担っていくと考えられる、幼少期〜青年期の特定の時期にインターネットの影響を受けてきた1990年前後生まれのある集団を中心とした人々である「デジタルレジデント」という集団の捉え方を提示する。
そしてデジタルレジデントが持つ特性を踏まえ、主にインターネット上を中心とした活動によって、クリエイティブな人々によるコミュニティ(本研究においてこれを「クリエイティブ・コミュニティ」と呼ぶ)を形成する。それにより、特定の地域に関して何らかの良い影響を与えうる、ゆくゆくは企業や行政にも劣らない影響力を持つ存在となる、そうした可能性を見出すことを目指す。
特に今回は、筆者の出身地でもある北海道オホーツク海側地域に関するウェブメディア「オホーツク島」を制作し、この地域に関係がある人々によるクリエイティブ・コミュニティの形成を試みた。
その結果、半年程度の準備期間、そして2017年1月現在まで4ヶ月程度の運営ではあるが、故郷に対する思いについて共感を生み、オンラインで相互に影響を与え合い、どこにいても地元に貢献することができる場の形成の兆しや、そうした場と人々を通じて既存の地域コミュニティの人々にも影響を与える兆し、そしてそれらを通じて北海道オホーツク海側地域に影響力を形成する兆しが見られた。
さらに、活動を継続していくことでこの取り組みが広がっていく見込みもある。そしてこのメディア、および活動はある程度他地域でも適用可能なモデルであるとも考えられる。
こうしたごく小さな活動が多数発生していくことにより、地域の問題解決につながり、そのモデルが他地域でも活用されうるものとなり、ひいては世の中全体に良い影響を及ぼすものにつながっていくと考えられる。
これを踏まえて、本論文の構成を簡潔に述べる。
まず第一章では、本研究の背景にある2017年現在の世界、そして日本が置かれている状況と、識者らによるその対抗策、それらを踏まえた本研究の活動とその目的について説明する。
第二章においては、そうした背景と目的を踏まえて、これまでクリエイティブ・クラスの中心を担ってきたデジタルネイティブと、現在そして今後クリエイティブ・クラスの中心を担っていくと筆者が考える従来の「デジタルネイティブ」という世代観では説明しきれない集団について詳説し、「デジタルレジデント」という捉え方を提示する。その上で、従来の地域におけるメディアとコミュニティ、デジタルレジデントがインターネット上で活動しているメディアとコミュニティの先行事例を探り、本研究で探求する研究課題を立てる。
第三章においては、今回制作したウェブメディア「オホーツク島」制作に関する事前調査、要件定義、協力者募集、制作、リリース後の活動について述べる。
第四章においては、一連の活動を経て関係した人々に対するインタビュー調査、そしてリリース後の観察から得られた反響をもとに、一連の活動が研究課題に対してどの程度有効であったのかなどを検証し、このメディア、および活動によって生じる可能性を示す。
最後に第五章では、そうした活動などで得た知見や、同時に変化し続ける社会情勢などを踏まえ、今後社会的にどのような活動がなされていくべきなのかについて筆者の考えを述べる。
アメリカのハーバード大学名誉教授であったネルソン・グッドマンは、著書「世界制作の方法」において、この世界は唯一の「世界(the world)」と呼ばれるようなものは存在せず、世界を記述する無数の方法≪ヴァージョン≫、無数の「世界(worlds)」によって形作られ、その≪ヴァージョン≫は「頑なに固められた信念やその指針をなにひとつ損うことがない場合に、真であるとみなされる」と述べている。
ひとつでも多くの「世界」が制作されるために、自分には何ができるのか。この研究を通して、少しでも多くの指針を掴み、信念を固めていきたいと強く思う。