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2018年、僕はフィルムを常に持ち歩いていた。

僕は、昔からカメラが好きだった。
最も古い記憶は、両親の使わなくなった携帯電話(おそらく、CASIOだった)を使い写真を撮っていたのを憶えている。
何処にアップロードするわけでもなく、誰かに見せるためでもなかった。

小学生の高学年になると、祖父母からCASIOのデジカメをもらった。(また、CASIOだ!)
黒く小さい本体に銀色のレンズだった。シャッターボタンを押す、すると本体の小さなスクリーンに先ほどまで写ってい景色が留まる。
写真を撮る行為、そのものを当時は意識もしていなかった。
ただシャッターを切ることに夢中だった。

中学生になった頃は、父が持っていたCanonのEOS 7Dを借り、シャッターを切り始めた。なぜ背景がボケるのか、ISOやシャッタースピードの関係、カメラそのものに対する知識も徐々に理解し始めていた。反比例するかのように今度はカメラに強く惹かれる気持ちも薄れていった。

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Olympus OM-1

このカメラで再び僕は写真と関わることになった。
1972年、世界最小最軽量の35mm一眼レフとして脚光を浴びた。
米谷美久氏による独創的な発想により小型化に成功し、発売当初は、M-1として発売されたがLeica社による指摘があり、のちにOM-1と改名されている。名機、そんなカメラが僕の元に届いた。

フィルムカメラは初めてだ。ただインターネットを通してアナログに関する情報も容易く手に入るようになり、マニュアルを探すのに時間はかからなかった。
まず初めにその重厚感に驚いた。最新の一眼レフに比べるとかなり小さく、そして詰まりを感じた。数十年前のカメラとは到底思えない。巻き上げレバーを動かしてみる、すっかり手に収まっているその隅々で振動を感じる。

以前、投稿した通り僕は渋谷を拠点に活動していた。カメラを片手に再開発が進むその街に出た。日本カルチャーの中心を担いながらも目紛しく変化をするこの瞬間に数十年越しの光を通す。

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最初の1枚

ふと見上げた先にヒカリエがあった。渋谷再開発の象徴。中央のスプリットイメージを凝視しフォーカスリングを回す、シャッタースピードを露出計の針が水平になるように調整すると、巻き上げレバーを回した。
レリーズボタンをゆっくりと確実に押し込む。
ヒカリエが竣工したのは2012年、僕がフィルムに焼き付けたのは2018年。たった6年の差である。手元に見た現像されスキャンされた写真には、まるではるか昔からそこに佇んでいたかのように、曖昧の中に確実性を持って存在していた。

カメラの歴史は深い。
暗い部屋という意味を持つ「カメラオブスキュラ」は、壁に開けられた小さな穴を通して外景が反対側の壁に像として写るものだった。15世紀ごろには芸術家たちがこれを写生に使い始める。硝酸銀や塩化銀は錬金術の時代から知られており、17世紀ごろには、これらが光により黒く変色することがわかっていた。しかしこれが写真となるのはもう少し先のことである。

19世紀になると、Thomas WedgwoodやHumphry Davy、 Niépce兄弟、W. H. F. Talbot、F. S. Archerなど大勢の登場人物により写真術は完成に至る。
この辺りの話は、当時の科学者の利権争いなどが絡み合い非常に興味深い。中崎昌雄氏による「銀塩の感光性から現像写真術の発明まで」が分かりやすく面白いのでぜひ読んでみて欲しい。

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八坂神社から祇園を望む

話を元に戻そう。

なぜフィルムカメラを始めたのか、本来はそこから話をしなければいけないと思うが、実は書き下すほどの理由はない。強いて言えば何となく面白そうだと思ったからだ。
去年の数える程の旅行には、もちろんフィルムカメラを持っていった。

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なぜ、こんなにも懐かしく感じるのだろうか。

フィルムカメラでは、決して同じ写真を撮ることはできない。
いや、正確に言えればデジタルと比べる遥かに難しい。カメラ全般的にアナログなものを捉えている以上同じはないのだが、デジタルカメラにおいては撮影設定や周りの環境が整えば限りなく近い写真を撮ることができる。フィルムでは、ハロゲン化銀の分子が粒のように並ぶ。これらが感光するわけだが、その並びは全てのフィルムで異なる。同じように並べることは技術的に不可能だ。そのため、フィルムでは同じ写真を撮ることは、そもそも同じ状態のフィルムがないため不可能である。

僕はこれを、「記憶としての確かさ」と呼ぶ。
現実感とも言えるだろう。

記憶というのは、僕らが思う以上に曖昧なものである。網膜は常に光とそれに伴う色を感じ、認識し記憶する。そして、その事柄以上に色を記憶することは難しく、かなり脆い。ほとんどないに等しい。毎日見ている光景やはっきりと憶えている事柄に関しては、曲がりなりに色を付けられるが、自信を持てる程ではない。

フィルムには、何処か懐かしいという感覚を刺激されると共に、現実感がその時の記憶色と共に波となって押し寄せる。それは確かにそこにあった光だという確信に満ちた気持ちになる。粒子性によるものかもしれない。それは解像度が低い、もしくはノイズが酷いとは全く別の性質だ。

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ほとんどの写真はSuperia X-TRA 400で撮っている。
価格、写り共に気に入っていたが、程なくして生産を終了してしまった。
そのため、最近では多くをPortra 400で撮っている。フィルムを変えるだけで写真は一気に風情を変える。これもまたフィルムのいいところだ。
1年以上がたった今、次なるフィルムカメラに手を出そうとしている。このことについては、また近々書きたい。

僕はこれからもフィルムで記憶し続ける。


これは2017年(高専5年)から2018年(社会人1年目)にかけての出来事を2018年末に執筆したものである。
記憶と記録を頼りに、書きとめた。

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Designed by Fumiko Yamamoto

Censor、プロジェクト名である。
このプロジェクトは、僕が100BANCHというコワーキングスペース(という一言では決して言い表せない)で活動をする中でたどり着いたものだ。
到る経緯は後にし、まずは概要について語ろう。

2018年にパナソニックが創業100周年を迎えることを機に構想がスタートした100BANCHは、次の100年につながる新しい価値の創造に取り組むための施設である。未来の実験場である100BANCHではそういった思想もとに作られた。渋谷という場所や構造、床の素材や照明に至るまで全てが意味を持っている。

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100BANCHの外見

この意思は、名前とロゴにも巧妙に組み込まれている。

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100BANCHという名前は、「まだここにはない、未知の場所」という意味だ。また、エネルギー溢れる人間が集結する「束」を意味する「BUNCH」という英単語に由来している。ロゴを構成する120度に傾いた線は、交差したり束になったりしながら、100BANCHにまつわるさまざまなシーンでサインや装飾として使われている。これからの100年をつくる個性が交差し、渋谷から世界を動かす特異点をつくり出してゆく場所に相応しい名前とロゴになっている。

100BANCHは、そうした意思が束となり交差し新しい価値を想像する。そういったクリエイティブ・コミュニティが活動する実験場なのだ。

コミュニティをリデザインし、クリエイティビティを演出する

もし、意図的にクリエイティビティを創り出すことができたらどうだろうか。100BANCHでは、ジャンル問わず40近いプロジェクトが活動してる。終了したプロジェクトも含めるとその数は200に及ぶ。この束が、交差するにはどうすればいいか、交差する場所には何があるだろうか。
僕は、そこにコミュニケーションがあると考えている。創造的なプロジェクトはそれ自体に価値があり魅力的であるが、もしそれら2つのプロジェクトが交差したらどうなるか。それらは全く異なるジャンルかもしれない。そのとき、誰もが想像しなかった新しい価値が生まれるに違いないだろう。コミュニティとそれらの間に生まれるコミュニケーション、そこにクリエイティブの鍵がある。

15世紀、ヨハネス・グーテンベルグが活版印刷術を発明して以降、コミュニケーションの形は大きく変わり始めた。人は、その多くを視覚に頼るようになっていき、コンピュータやインターネットの発明とともに加速していった。全てのものがインターネットに繋がり、瞬時に大量のデータを送受信する、ポストインターネットといわれる現代ではおそらく当時のコミュニケーションとは大きく異なるはずだ。聴覚から視覚に重点が移りゆく中で失われたものはないのか?同じ場所や空間、時間を共有するコミュニケーションについて改めて考えても良い頃合いであるはずだ。
100BANCHという場所を共有するコミュニケーションでは、温度や湿度、周りの音やその場の匂い、椅子の硬さや机の肌触りまでその全てがコミュニケーションの一部なのではないだろうか。これら全てがコミュニケーションの一部であるならば、そこに介入の、デザインの余地がある。そのためにはコミュニティとそれらの間に生まれるコミュニケーションについて、現状を知らなければならない。

コミュニケーションにおけるそれらの要素がどのように作用し、影響し合い、一部となっているのかを知る必要がある。CENSORの役割はそこにある。その上で、意図して束が交差するように、結果としてクリエイティビティが、新しい価値が生まれるようにリデザインする。僕は、そうして多種多様な束となり交差し合う場所を、100BANCHという一つの束にしたい。

経緯に戻ろう。
100BANCHで活動するきっかけは、2017年、僕が高専5年の時に加わったプロジェクトだ。当初は、友人が「教授が在室しているかをインターネットに接続された端末を通してわかるようにする」ということをやっていた。その友人に誘われてプロジェクトに参加した。
僕が参加した2017年初頭、すでにそのプロジェクトは1年ほど経っていた。システムの大枠はできていたが、不在/在室の切り替えが手動だったり、スマートフォンアプリケーションがないなど利便性にいくつか課題を抱えていた。そこからの1年は、それらの課題に注力することになる。高専では、授業は決してモダンと言える内容ではなかったが、多くの人が常に最新技術を追っていた。故に、技術面で苦労することは少なかった。
そんなある日、100BANCHの募集を見つけた。

100BANCHの募集を見つけたのは、偶然だった。Facebookで何気なくタイムラインを眺めていたら1期の募集開始を目にした。僕はすぐにチームに知らせ応募しようと言った。

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当時の応募資料より

次の100年につながる新しい価値の創造に取り組むための施設、には相応しくないプロジェクトだろう。この時は特に外への向かう力が強かった。僕たちは、採択された。若さもあったかもしれない。運もあったかもしれない。

7月、100BANCHでの活動が始まった。
その場所は刺激そのものだった。フロアには、ふんどしを穿く人や着物を着る人、昆虫を食べる人など様々なプロジェクトが活動していた。混沌としていた、それが刺激だった。
チームは、方向性を模索しながらも「教授と生徒」という対象は変えずに開発を進めた。ここではプロジェクト活動期間が3ヶ月と決まっている。8月になるとU22 プログラミングコンテストに申し込んだ。

100BANCHで活動をしていると、時としてそれが社会的に必要とされているものかと考えることが多々あった。ここでは、そのようなことを求めらることがないからだ。
あまりにも限られた、そして具体的な対象を持った僕たちのプロジェクトにとって、それは不安にもつながった。今一度、外の人々の見解を欲していた。

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生放送の様子
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100BANCHでの最終報告会は、U22プログラミングコンテストの審査会と同日だったため、生放送を見てもらうことにした。
結果としては、サイボウズ賞、フォーラムエイト賞の受賞。当時の僕たちにとって、それは大きな意味を持った。

もちろん、問題や改善点に関するフィードバックもあった。多かったのは、セキュリティについてだ。部屋にいる/いないは、ただの1と0にすぎない。しかしそれは、あくまで個人情報、プライバシーに関わるものでるということ。BLEビーコン(当時使用していた技術)は特性上、受信すれば簡単に在室状況を操作することができてしまう。
審査会があったのは、2017年の10月。そこからの2018年3月までは主にセキュリティの強化に努めた。

そうした活動を通して、僕の中で徐々に現れてきた考えがあった。

高専を3月に卒業し、すでに8月になっていた。
まず、頭の中にある瞭然としない考えをどうにか言語化することにした。概要を書くのには苦労した。これだけで伝わるとは思っていない、文章力も含め僕には力不足だった。ただ、それは方向性を迷っても常に原点に戻る役割を担っている。
プロジェクト名は、大切だ。その単語には、多大ない意味を込めることができる。音の響き、文字の形、長さ、その全てが意味を持つ。そして何より、名前を得て初めて他に類のないただ一つのものとして成り得る。

Censor

僕たちは、これを”ケンソル”と呼ぶ。まずは、英和辞書で引いてみよう。

Censor
cen・sor / sénsɚ
名詞: (出版物・映画・信書などの)検閲官.
動詞:出版物や映画などを、検閲する.

現代では、主に出版物に対する検閲として使われる。
統計学の起源の一つにローマ時代という説がある。当時、ローマではCēnsor(ケンソル)と呼ばれる監察官が政務官の職の一つで存在した。彼らは、Cēnsus(ケンスス)という調査を実施し、市民の財産や人口、男女の数などを把握した。これはいわゆる国勢調査のことであり、Census(センサス)として現代でも言葉の由来となっている。今から何千年も前にすでに現実を平面で捉えていたのだ。
この役職の名前がプロジェクト名となっている。そこには確かに監視社会の匂いがあるかもしれない……。

次にデザインを考え始めた。アイデンティティをより視覚的にするためだ。ロゴデザインは、知っている中で僕がもっとも適していると考えたデザイナーの山本文子に依頼した。
Messengerで何度かやり取りをして、僕がやろうとしていこと、ヴィジョンやミッションを伝え、いくつかのプロトタイプを経た。

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プロトタイプの例

プロトタイプの一例だ。3番は僕のお気に入りだった。
(僕も含め、多くの人は池田亮司を想起せずにはいられないだろう)

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最終的なデザイン

自然を量子化する。
波形を模したシンプルな形で表現したロゴだ。これには、100BANCHにおける活動以外にも、様々な事象を離散的な値に近似し、捉え、そしてまた連続的な値として還元していくことの全てが含まれている。

僕がやろうとしていることは、監視社会なのだろうか。
そこには手続きの存在しない、介入がある。
個々の物理的な現象に注目すれば、運命論に近いのかもしれない。

これからも、考え続ける。

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Shion Fukushima

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