世界をつくる

イワサキハナエ
afterwecameback
Published in
Jun 26, 2023

このプロジェクトが「世界をつくりなおす方法だ」と書いたのは、11月のことだ。半年がたった今、『フェミニスト・シティ』を読んでいてある一説を見つけた。

クィア理論で<世界をつくる>という言い方は、既存の秩序づけられたやり方を越えて、クィア的な、支配的な秩序を転覆するような「他なる」世界をつくり出す試みのことを意味している。失敗に終わる試みも含めて、異性愛規範や同性愛規範、公と私といった構造に挑戦するような、創造的だったり、破壊的だったり、あるいはユートピア的だったりする行為や実践、関係を結ぶこと、あるいは想像することがそこには含まれる。(p,84)

「ユートピア的だったりする行為や実践」とは、まさに女子校での経験だ。女子校の中と外で自然とふるまいを変えること、女子校では許されるが、外の世界では許されない行為を知っているということ。しかし、ユートピアはそれをユートピアと呼ばない限り現れてこない。映像においては、この「ユートピア的な行為や実践」を表出させることを目的に編集を重ねる。

「関係を結ぶこと、あるいは想像すること」。2回目のポッドキャストでは、さえちゃんとりのちゃんを招いた。さえちゃんは映像に出てくれた女子校出身者、一方りのちゃんは共学出身で、一年生の頃から3人で仲良くしている。なかなか計画通りにはいかない会話の中で、本来ならば私から質問しようとしていたことをりのちゃん自ら話しはじめた。「今自分にとっての女子校に近い経験について考えてたんだけど….」という言葉を聞いたとき、今この瞬間<世界をつくる>ことができていると思った。私たちは共学と女子校という別の環境で育っているが、それでも同じ格差のある社会で生きているという関係の中で女子校について語り、女子校を別の言葉で想像する。それは女子校を脱構築した瞬間だった。

女子校について考えているのは、何よりも今の社会が息苦しいからだ。女子校時代にいい思い出があるからでも、母校が好きだったからでもない。人生の中で男社会から唯一逃れられていた場所が女子校だったからだ。だからこそ、私は女子校という言葉を使って世界をつくる。現在の支配的な秩序、つまり男社会を転覆させる方法として。もちろん、女子校の中には一言では片付けられないさまざまな要因が混在している。りのちゃんとさえちゃんは共に地方出身で、そこには東京出身の私が知らない実情が存在するし、世代が違えば社会も異なるだろう。しかし、私が女子校という言葉を使い、それを私たちの関係を結ぶ言葉とした時に、共感や差異を持って語られたものこそが社会を転覆させる方法になる。女子校について語りながら、女子校という教育システムの枠組みを超えたところにある望ましい行為や実践について話せることができたなら、このプロジェクトを終わらせることができるだろう。

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