経験学習サイクル〜ダブルループ学習〜
つくづくこう痛感するところがある。
せっかくの経験が無駄になってしまうのは、
本人に学習回路ができていないから。
墓石のように動かないよりははるかにマシだけど、
かといって闇雲に動き回っても意味がない。
学習回路が開通していないと、
知識の応用が利かない。
日々の仕事やノルマ目標を
ただこなすだけにとどまる
シングルループ学習では
一組織・一地域のような
狭い世界でしか通用せず使い者にならない。
日本の学校や企業は、
そういう狭い分業の域を出ない専門バカや
狭量なマネージャーばかり生み出してやいないだろうか?
「考えない、感じない、やるだけ」人間の
行き着く究極のところは、
ロボットに他ならない。
だから、
どっかで聞いた理論の受け売り止まりで
そこにあなたの色が出て来ない。
体験を積み重ねても
気付きがなければ、
経験にならない。
だから、自らに、
「問いかけ→兆し→気付き」という
時限発火装置を自分の体内に仕掛ける必要がある。
ダブルループ学習は「目的」から始まる。
なんのために学ぶのかという自問に対し、はっきり自答できる原点が明確なのである。目的が起点であり、且つ、果てなき終点とした「経験学習サイクル」がフル回転で活く能動的な学習である。また、目的・目標を達成するために日々内省を欠かさない。
明治時代に天下のために人生を捧げた
天才外交家・小村寿太郎は、
智恵は、日々の内省から生まれると考えた。
このように世界を俯瞰し日本を救う外交戦略で数々の偉業を成し遂げた。ここに外と内の「ダブルループ(∞)」を発見できる。扇の要から拡がるが如く、己のコアを基点にあらゆる創造領域に応用できる汎用性の高い学習のあり方である。
また、
成功体験が、人を強くする。
成功体験が、人を弱くする。
成功体験というのは、
積み重なると自信になるが、
時として「過去という呪縛」になりかねない。
過去や私に囚われないためにも、
無自覚にやっているお決まりの反応を、
「メタ認知(俯瞰視・客観視)」することも
アンラーニングの一環だ。
冷静に認識できれば取捨選択できる。
尚、ここでいうところの、気付き・学びとは、
単にセミナールームや学校に限られた狭い話ではない。
出逢った人や本、自然など
全てを先生・メンターとして
学びを受け取る心構えである。
神羅万象すべてに対してオープンというか、
すべてにセンスオブワンダーを感じ、
学び取れる学ぶ力というか、
この深い気付きのアンテナを立て、
生きる全てから学ぶことができれば、
全てから学び、全てに活かすことができる。
そういう意味では終点的には、
学びとは、受け手で決まるものだと考えている。
だから、一学習者としては、
先生からひとつひとつコンテンツを与えられるのを待つのではなく、
自ら学ぶ自己学習の姿勢が問われる。
もし自分が、先生や研修講師ならば、
受け手へ分かち合ったインパクトとしての
行動変容とその成果が見られなければ、
その場の価値は無に等しい。
人は出逢い、気づき、学ぶことで、
行動の幅や未来への選択肢を拡大できる。
学習を繰り返すことで「この道しかない」という狭い枠内での生き方・ライフスタイルから解放され、自分らしく、持ち味を発揮できる豊かな人生を創り、歩むことができるようになる。
テクノロジーの進化や時代の変化に対し、過度な被害者意識や恐れを持つのではなく、追い風に変えるカタチで活かしていけばいい。既存の知識に、自らの見識や色を加えるなど行い、新しい流れを自分の分野で科学技術革新をいかに活用していくか。ここを学びながら実践し、実践しながら学ぶのが「ダブルループ(∞)学習」である。