南方熊楠(金粟王如来)が行き着いた
「金胎而二不二」という全体の卓越性。
あらゆる書籍や先行研究に独自の考察を加え、
その重要な一角である「事の学」をめぐる思想を取り上げる。
この概念が発展して、
後の「萃点の思想」「エコロギー運動」などの
最も重要な部分を形成することになる。
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┃1┃熊楠の「事の学」
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熊楠がロンドンにいるとき、
土宜法龍にあてて書いた書簡でこう述べている。
「小生の事の学というは、心界と物界とが相接して、
心界が物界と雑(まじわ)りて初めて生ずるはたらきなり。」「小生の事の学というは、心界と物界が相接して、日常あらわるる事という事」
「心界が物界とまじわりて生ずる事という事」
土宜法龍宛て、往復書簡より(1893年)
熊楠は、心と物が交わり、事が生じるという図を描いている。
心とは、熊楠自身や、広く人間の精神世界を指す。
ものごとを認識し、思考し、想像する。感情を持っている。意志もある。無意識など、不可知な領域も含め、我々の精神世界である。
物については、現実世界で形を成して存在するもの、現象として生じる出来事など、外界の物事を指すと言える。自然科学や物理学の分野は、この物を客観的な研究対象としている。
事とは、外界のものごとに接したとき、心のなかに生じるさまざまな想念を指す。それらは、脳裏に思い浮かぶだけで終わってしまう場合もある。それにとどまらず、表情や行動として、また言葉や絵画といったかたちで表現されることもある。熊楠は、夢であるとか美の観念、想像や思考といったものを、その具体例として掲げている。
今の学問に欠けているのは、
この「事」の本質についての洞察だと
熊楠は考え、こう述べた。
今の学者(科学者および欧州の哲学者の一大部分)、ただ箇々のこの心この物について論究するばかりなり。小生は何とぞ心と物とがまじわりて生ずる事(人界の現象と見て可なり)によりて究め、心界と物界とはいかにして相違に、いかにして相同じきところあるかを知りたきなり。
熊楠の「事の学」思考は、
物理学と心理学という風に切り分けず、
「統体」と「その間」から生まれてくる「事」に着目している。
例えば、建築をひとつの「事」として捉えた場合、
建築家は自分の頭に生まれた非物質的なプランを、
土や木、セメントや鉄を使って現実化しようとする。
建築物そのものは「物」であるが、
それは「心界」でおこる想像や夢のような出来事を
設計図に描き現実化されていく。
建築のみならずあらゆる行為は、
物と心が出会い、幾重にも重なる
「事の連鎖」から成り立っている。
要は、
「事」とは、異質な物の出会いのうちに、生成される。
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┃2┃「量子」と「念子」の「萃点」
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20世紀の量子論の誕生をまって、
はじめて直面する事となった「観測問題」
その矛盾を紐解く要点が、
すでに熊楠独自の言い回しによって、
はっきりと先取りされていることに驚かされる。
「心界」から独立した、
純粋な「物界」など存在できない。
量子の観測には、
必ず人間の意識・精神の働き
即ち「念子」の働きが関与・影響しているのである。
「事」から作り出される世界の実相を捉えるための
ひとつの原則を見出せるはずだと熊楠は直観し、
そのヒントは真言密教の曼荼羅の思想の中に
潜んでいることを知っていた。
ここから10年後の「南方曼荼羅」
その中核なる「萃点の思想」に結晶化する。
従って「事の学」とは、
現実世界や我々の内なる精神世界など、
森羅万象を網羅する知識を得ようとする
綜合藝術的な実践哲学である。
”「事」とは、物と心の
「萃点(出逢いの交差点)」から生じる。”
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┃3┃「事物心一切至極のところ」
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さて、ここまでが基礎的な概念で、
これがどのように発展していくのかというと、
熊楠はこう述べている。
「事物心一切至極のところを見んには、
その至極のところへ直入するの外なし。
さてそれを悟って如何せんとするか。」
この「事物心一切至極のところ」とは、
要は、「心」「事」「物」の全てが
残らず一つになる最上の境地に達する事と考えられる。
すなわち、全てがひとつになること、一致することである。
「事物心一切至極のところ」へ到達し「悟る」ということは、
「而二不二とは、一と悟るということなり。」
という、熊楠の言葉にも通じている。
熊楠の記述を読み進めていくと、
その「心」は、なんらかの「物」とがひとつになり、
この上ない境地を獲得した事が解る。
この一体感を我が物とし、悟りを得たと実感したに相違ない。
一方で、この境地を妨げる物の見方として、
熊楠は自然科学者をこう評している。
「科学者はこれを人間に分からぬといふのみ」
主観を排し客観的に認識する世界と、
自らの主観を活用して認識する世界との間に、
明確な境界線・壁があると言っている。
2領域がお互いに
「蚊帳の外」「水と油」の平行線のままでは、
生命の実体や躍動感に肉薄できない。
これでは、熊楠の記すような「悟り」には
とうてい到達し得ない。
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┃4┃「最上の境地」へ「直入」せよ!
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先の引用で、熊楠は「至極の世界」へ至るには、
直にそこへ入る以外に方法はないと明言している。
これこそ「直入」
熊楠は、悟りというものを、
お釈迦様が頭で考えた世界ではなく、
直接体験の世界であると捉えている。
色即是空がどうとか而二不二がどうだとか、
五感・第六感をこねくり回す日常体験や脳の解釈に囚われず、
この域は脳の外に出なければ解らない。
自然や世界をどう解釈するかではなく、
世界そのものを、真理そのものを直接体験する世界。
「六大は、無碍にして常に瑜伽なり」
空海 自作の詩より
「六大(地水火風空・識)」が、
これらを妨げるものが何ひとつなく
「瑜伽(常に融け合っている)」である
と、精神と現実の一致を記しているところにも
領域の境目がなくなっているという点において
符合してくる。
熊楠は、ここに直接入り込み、
明らかに大日如来の光との一体感を得ている。
だから、自らを熊楠金粟王如来と称している。
那智山の生物と「瑜伽」を遂げ、
自他の区別のない境地に安住することができたのだ。
熊楠の「心」と、自然という「物」が融和し、
共鳴した部分には「事(ここでは感動)」が生じ、
それが原動力となって社会活動に乗り出した。
従って、熊楠がロンドンで描いた「物」「事」「心」の図は、
いきつくところ、物事心をひとつの円に入れた究極の図として描かれる。
もはや、「心」や「物」という区別がなく、
ひとつの円の中で融和・共生している【大円鏡智】
【即身成仏】した熊楠が、
この後に「ecology」を掲げ
「神社合祀反対運動」へと邁進したのは、
仏の智慧と一体一如として市井の人々や三千世界へ遍く
役立てたいという慈悲の念い(向下門)のみならず、
愛する自然、自分そのものである生物が損なわれるのは、
我が身を切られるほどの痛みさえ感じ、
更には日本人の真情そのものが未来永劫に壊滅してしまうという
強い危機感から生じた使命感があったからに他ならない。
熊楠が約100年前に記した
「事の学」の今日的意味を汲み上げ、
思索と実践に日々励もう。