実は私、人間関係以外では挫折を味わったことがない。
学生時代の悩みのすべては人間関係絡みで、勉強絡みで悩んだ記憶は皆無だ。数少ない友人同士が対立したときは(自分は当事者ではなかったというのに)まるで我が事のように盛大に悩んだものだったが、高校3年の夏の模試で明らかよろしくない判定を叩き出した(数学が壊滅的に酷かった)時は別に何とも思わなかった。
今日体験した石の話。
私昔からいわゆる自意識過剰なところがあって、誰かの誰かに対する非難に過剰反応することが多くて(今はさすがにそれを「自分に向けられている」と感じることはほぼなくなりましたが)。どうやら、そういうネガティブエネルギーの煽りを受けやすいようなのです。
こちらも久しぶりの更新。
前回何を書いていたのかと思ったら、タロットの話だったんですね。もうタロットは飽きました(早い)。今度は西洋占星術の勉強をしています。自分を知るツールとしてはこちらの方が向いていそうです。覚えることは山ほどあるけれど、勉強も楽しい。
ご無沙汰してます。
数ヵ月ほどブログから遠ざかっているわけですが、その間何をしていたかといえば、スピリチュアルから心理学からオカルトからぐるーっとひと回り勉強していたわけです。ネットで調べてひたすら読む、って感じだけど。
少し、昔語りをする。
5歳か6歳の頃だったか、あるいはもっと前だったか。祖父に連れられて遊園地に行った私は、祖父から小銭(たぶん100円玉)を受け取り、ポップコーン自動販売機でポップコーンを購入した。
お金を入れ、ポップコーンが仕上がり、私は取り出し口の扉を開けてポップコーンを取り出す。
今年のブログの書けてなさっぷりが酷いわけですが、まあ色々あったんで……(主にプライベートが)。
でもおかげで分かってきたことはあって、どんなに書かなきゃと思っても書ける精神状態じゃない時は絶対に書けない。無理やり書こうとしても書けない。必ずすぐに筆が止まる。
久々の投稿。世間はクリスマスだがクリスマスとは無縁の話をする。
「夢」の話である。
夢と言っても「将来の夢」という文脈の「夢」ではない。ごく普通に文字通りの、寝ている間に見る「夢」のことである。
私の頭の中だけの「世界」。それを、形あるモノとしてこの世に送り出す。存在しないモノに形を。私という「箱庭」の中から広い世界へ。大海原へ漕ぎ出そう。たった一人の小さな空間に閉じ込めておくだけでは、あまりにも勿体ない。
誰かに読まれるためではなく、誰かに見つけてもらうためでもなく。すべてはまず、自分が姿を目にするところから始まる。それがないと、何も始まらない。自分にも見えないものが、他人に見えるはずもない。
上記の記事。完全にその通りだと思う。
大学受験時、毎週のように模試を受けに行っている人たちがいた。センター試験の模試、二次試験の模試、第一志望校ピンポイントの模試。
「そんなに受けて何になるの?」