ボーダレスな時代を生き抜く仕事の見つけ方。〜学芸出版社〜
連載「素敵な本が生まれる時」Vol.3
ウェブマガジン『フレーズクレーズ』の連載「素敵な本が生まれる時」では、海外の建築・デザインを日本に伝えたり、日本の建築・デザインを海外に発信している出版社さんで素敵な本が生まれる瞬間のストーリーを、“建てたがらない建築士”いしまるあきこが伝えます。
国内外、場所を問わず活躍できる人たちがいます。そういう人たちはどのようにしてその仕事を手に入れ、そこに馴染み、今の居場所を築いたのでしょうか。海外で建築の仕事をする人たちの姿を伝える書籍や、その書籍の企画の裏側を通じて、ボーダレスに生きるヒントをお届けします。
文・写真:いしまるあきこ
いしまるあきこ(以後、いしまる):はじめまして。きょうは、よろしくお願い致します。
井口夏実さん(いのくち・なつみ 以後、井口):よろしくお願いします。
いしまる:『海外で建築を仕事にする2 都市・ランドスケープ編』の編著者の福岡孝則先生とは、日本建築学会の会報誌『建築雑誌』の編集委員でご一緒していて。それで、本を拝見していて、お話しを伺ってみたいと思って参りました。
井口:そうだったんですか。ありがとうございます。
いしまる:この本にでてくる小笠原伸樹さんとは学生の時に、ちょうど小笠原さんがアメリカに行く直前に出会っていて。日本に帰ってきていることをこの本で知りました(笑)。
Facebookで探したら小笠原さんがいたので連絡をとって。今度、学芸出版社さんに行くんですよってメッセージしたら、「本1冊つくるにも力をかけているのだなって感じました」ってお話しがあって。
井口:たしかに、こんな小さな本をつくるのに建物を建てるのと同じくらい時間がかかるなんて不思議だなと思うことはあります。商売として良く成り立つな、とも(笑)。原稿が出来上がってからでも3~4か月はかかるので、家が一軒建つくらいですよね。
いしまる:その考え方はおもしろいですね。かける時間での比較。
2013年8月にでた『海外で建築を仕事にする 世界はチャンスで満たされている』と、2015年10月にでた『海外で建築を仕事にする2 都市・ランドスケープ編』の2つの本は、海外で建築関係の仕事をする日本人たちの体験談ですが、企画はどうやって始まったんですか?
井口:建築は自分のデザイン(ポートフォリオ)さえ認められれば、現地の言葉が多少しゃべれなくてもどこでも仕事ができる、それってすごく羨ましいなとずっと思っていて。自分の実力だけでやっていくのは大変だろうけれど、すごくスリリングだろうなと思っていたんですね。
私自身、ロンドンに留学して建築史や美術史を学んでいたんですが、文章の仕事をしようと思ったので、そうなると日本語しかないなと日本に帰ってきました。チャンスさえあれば今でも海外で働いてみたいですが。
一冊目の建築編『海外で建築を仕事にする 世界はチャンスで満たされている』の企画のきっかけは、編著者の前田茂樹さんがフランスのドミニク・ペロー事務所から帰国された際、海外の有名建築家の事務所にはだいたい日本人スタッフが居て活躍しているという話を聞いたことでした。ヘルツォーク&ド・ムーロンとかジャン・ヌーベルの建築事務所で働いている日本人を前田さん自身がご存じでしたので、ぜひみなさんに書いてもらおうって話になりました。
いしまる:海外で働いている人は、独自の日本人ネットワークがあるんですか?
井口:ヨーロッパでは特にそのようですね。前田さんがパリに居る間に人脈を築かれていました。
でも相談するうちに、ヨーロッパだけではおもしろくないから、アジア、アフリカ、南米、インド等、他の地域で働いている方も見つけたいよねという話になって、知人の知人くらいまで辿って探しました。
それでもインドにいる方がどうしても見つからなくて。ネットでたしか「インド、建築、日本人」と検索したところ、インド在住の日本人設計者、後藤克史さんのブログが見つかったんです。だめもとで「書いて頂けませんか?」とメールで企画書を送りました。
いしまる:どういうウェブサイトだったんですか?
井口:インドの建物について書かれたものでした。ブログのプロフィールにインドの建築事務所で働いていると書いてあるし、文章も読みやすいものだったので連絡してみました。
その後も後藤さんとはいまだに、お会いしていないんです。メールだけのやりとりでした。
いしまる:海外にいる方とメールだけで出版できるっていうのも、新しい仕事のやり方ですよね。
井口:そう思いますね。今はゲラのやりとりもpdfでできるし。2000年に入社した頃は郵送しないといけなかったし、往復に時間もかかるし、海外の方とのやりとりは大変でした。
いしまる:『海外で建築を仕事にする 世界はチャンスで満たされている』にでてくるベトナムの佐貫大輔さんは、東京理科大学の小嶋研究室の先輩で。私も小嶋一浩先生のスペースブロック・ハノイモデルの実験住宅の調査・設計でベトナムに何度か行きました。
小嶋先生からは「建築家としてやりたいんだったら、海外に行った方がいい」と、ずっと言われていました。先輩、後輩では海外に行った人が多かったですね。中東とか、ヨーロッパとか。
井口:私も建築を勉強していたら、絶対、海外の事務所にアタックしていただろうなと思いますね。ただ英語ができれば働けるわけではなく、自分の実力、しぶとさみたいなものが厳しく問われそうなんだけど、きっとそこで認められる喜びも大きいだろうな、と思うんです。
いしまる:この2つの本は、多くの方が執筆しているので、それぞれ文の雰囲気って変わるじゃないですか。書いて頂く時に何かフォーマットとか決まり事をお伝えしたんですか?
井口:触れていただきたい内容は事前にお伝えしていました。建築論ではなく体験談として、海外へ出かけた動機、仕事の見つけ方、担当した物件、仕事の仕方、人との接し方、暮らし方、心がけ、目標、日本へ戻るきっかけや理由等々、です。特に海外にお住まいの方にはお会いしないまま書いていただくわけですから、一か八かみたいなところも正直ありますしね(笑)。
もう一つは、書き出しを揃えてもらいました。場所は違うけれども、現代という時間を共有していることが感じられるかなと思い、その日一日を振り返る描写で揃えてもらいました。
最終的に送られてきた原稿の中には、かなりリライトさせていただいたものもあれば、殆ど手を入れないものもありましたが、どなたも素直に、率直に書いてくださっていました。
いしまる:どういう方に読んでもらいたいと思って出した本ですか?
井口:学生さんと30代、40代前半くらいまでの方でしょうか。今、仕事をしながらどうしようかな、他にも何かできないかなと思っている人たちに読んでもらえたらと思います。
いしまる:この本は、いろんな人に会うことで自分の進路を開拓している人たちの話だなと思うのですが、そういうことは意識されて人を選んだのですか?
井口:海外に限らないけど、人に直接会うことで情報や知見だけでなく別の人との出会いが必ずあるので、進路を開拓しようと思ったら自然とそうなるんじゃないでしょうか。
いしまる:建築に限らず、新天地というか、まったくコネがない場所で活躍するための術が実はこの本に載っているというか。
井口:そうだと思います。1つ、1つの出会いや仕事を大事にして成果を出すことができれば、次の声がかかるのでしょうね。それは場所や職種に限らずそうではないですか?特にフリーでお仕事をされているとそう感じません?
いしまる:そうですね。全部、つながっていますよね。
「“ボーダーライン”を越える仕事のつくり方」という著者の方のトークイベントをされていたりしますけれど、どうしてされているのですか?
井口:イベント情報をSNSやメルマガで発信することで、この本の存在をより多くの方に伝えることができます。たとえイベントに参加されなくても、「こんな本が出たのか」「こんな人が居たのか」と知ってもらう機会が増えますよね。イベント自体も直接、読者に会える貴重な機会になります。
あのイベント(2015年11月17日@建築会館)にいらっしゃったのは、学生と実務の方が半々で。海外に行きたいと思っている人や、ものすごく迷いながら「今の会社を辞めて行ってみたいんだけれども、いいのかな」と踏み切れずにいる人も、みなさん熱心に聴いて質問もしてくださいました。
いしまる:人生相談みたいですね。
井口:「私も!」って思ってもらえたら嬉しいですけれど。
いしまる:この本の編集で一番苦労したことは何ですか?
井口:一番苦労したこと……最初の本〈建築編〉と続編〈都市・ランドスケープ編〉との違いを出すことでしょうか。推敲をお願いする時やリライトの時も、どんな方針が良いのか悩みました。建築編の原稿は、建築家の特徴なのか文章にも執筆者個人のスタイルがはっきりあらわれている場合が多かったんです。だからそれを活かすように努めてました。
逆に今回の都市・ランドスケープ編の原稿は、個人のスタイルよりむしろ仕事の中身の多様さが際立っていたので、そちらを出そうと思いました。実際、巨大な人造湖やオリンピック公園のデザイン、バスの路線計画、NYの屋上菜園での研究からコミュニティデザインまで、本当に多種多様で広がりもあったので。
でも、この2冊の編集はどちらも楽しかったです。いろんな時間にいろんな国から原稿やプロジェクトの写真が送られてきて、現在進行形の体験をかいま見ることができました。
写真の大きさも見開き2ページサイズと、欄外に小さく載せるのとで見え方が全く変わるので、どれを大きく、どれを小さくとあれこれ考えるのも楽しかったです。
建築写真家イワン・バーンさん撮影のハイラインの写真をカバーに使えたことも良かったです。
いしまる:海外に行く予定はない、日本で仕事をしている人にこの本で何を一番感じてほしいですか?
井口:海外に行くかどうかは本当はあまり大事ではなくて「どこに居ても決まり切った進路の選び方なんて無いんじゃないの?」っていうことを感じてもらえたら嬉しいです。自分次第というか。
特に建築やデザインをやっている人は言葉の壁はそれほど重要ではない分、よりいっそう自由に、どこででも活躍できるし。世の中はこうだから……とか一切気にしなくていいなと、感じてもらえたら嬉しいです。
いしまる:言葉が通じない頃に「模型をひたすらつくる」とか、「プレゼンシートをとにかくつくった」とか書いてあって。
建築とかランドスケープだと、これをやっていますというビジュアルを出しやすいから、写真や画像があればどこの国の人にも伝わるというか。言葉が多少通じなくてもいろいろなところにいけますね。
井口:自分で壁をつくらなければ、どこにでも行けるし、いくらでも活躍できる。建築って本当に魅力的な職業だなと、私自身が設計できないだけに、羨ましいですね。日本にいたって、海外にいたってどちらでもいいんだけれど、そのくらい自由な仕事なんだって思ってもらえたら嬉しいです。現実が厳しいだけにね(笑)。
いしまる: 本の企画はどうやって生まれるんですか?
井口:気になる人に会いに行くのが一番早いと思います。
日々の実務に追われがちなので、毎週一度はブレストをして、そこで編集スタッフが各自アイデア最低10本ずつはリストに用意して、今週の更新内容や新しいアイデアを報告しあい情報交換や相談をします。
今週はこの人に会いに行ったとか、この人に連絡してみたらこういう返事だったとか、小さなことで良いのでいつも何かが進んでいて、考え続ける習慣をつけたいと思っています。原稿を取ってくる前に、企画がないと始まらないので……。
いざ企画書を書くときは、「どうしよう、めちゃくちゃ売れたら……」とか妄想しながら書いたりしちゃいます(笑)。
いしまる:それは楽しい瞬間ですね。同時に何冊くらい担当されるのですか?
井口:企画段階から草稿、原稿、制作中のものまで複数を同時にもっておきます。年8冊が目標ですが、本当は冊数ではなく部数を多く出したいんですけどね。初版部数は企画時に見当を付けます。「いけそうだからたくさん作ろう!」というのも「渋そうなので少なめに……」というのもありますが、いずれも大事なのはオリジナリティです。
『海外で建築を仕事にする 世界はチャンスで満たされている』は3刷、『海外で建築を仕事にする2 都市・ランドスケープ編』も先日、増版になりました。
いしまる:今後はどういう本を出す予定ですか?
井口:このシリーズの3つ目は『地元で建築を仕事にする』を考えています。
自分の力を自由に試せる環境としては「海外」って分かりやすいですが、本当はどこに居ても同じはずなので。決まり切った道なんてなくて、自分でいくらでも切り拓ける、というメッセージは同じなんです。
なので、地元で建築を仕事にしている若手の建築家を探しているところです。一番難しいのは、一度上京した後、地元に戻って独立した人、しかも家業ではない人を見つけることです。どなたかご存知でしたら紹介してください。
いしまる:はい、ぜひ。
今回、お話しを伺って、海外もただの1都市、地方でしかないというか。ボーダレスになると国とか県とか関係なくなると思います。〈地元編〉もでるのが楽しみです。
きょうは、楽しいお話しをありがとうございました。
2015年12月10日、学芸出版社にて。
株式会社学芸出版社
ご取材ご協力頂いた、取締役 編集長 井口夏実さん、ありがとうございました。