数十年の想いと蓄積が出版企画として形になる時。~彰国社~
連載「素敵な本が生まれる時」Vol.2
ウェブマガジン『フレーズクレーズ』の連載「素敵な本が生まれる時」では、海外の建築・デザインを日本に伝えたり、日本の建築・デザインを海外に発信している出版社さんで素敵な本が生まれる瞬間のストーリーを、“建てたがらない建築士”いしまるあきこが伝えます。
建築の書籍や雑誌で長い歴史のある彰国社(しょうこくしゃ)。2015年に発刊された書籍の中から、スケッチや写真などのビジュアルも魅力的な、海外の建築を紹介する2つの書籍について、お話しを伺いました。
文・写真:いしまるあきこ
いしまるあきこ(以後、いしまる):本日はよろしくお願い致します。
神中智子さん(以後、神中):いしまるさんには、『collaboration-アート/建築/デザインのコラボレーションの場』(川向正人+オカムラデザインスペースR 編著)でお世話になって。編集とデザインでご協力いただいたんですよね。
いしまる:はい。『collaboration』では、ありがとうございました。
きょうは、海外の建築を日本に紹介する本が生まれる瞬間について伺いたいと思って参りました。
後藤武さん(以後、後藤):古いものだと、『建築文化』誌上での海外の建築家や海外の出版物を紹介してきましたが、そのなかでも記憶に新しいのは、同誌上で連載した80年代から90年代初頭に活躍していた気鋭の建築家の紹介はたいへん好評で、後に単行本としてまとめられました(淵上正幸編著『世界の建築家-思想と作品』1997)。これは作品とともに創作理念や思想を紹介した画期的な企画でした。
神中:建築批評の分野では、たとえば『マニエリスムと近代建築-コーリン・ロウ建築論選集』は伊東豊雄さんと松永安光さんの翻訳で、1981年の刊行から今日まで版を重ねています。建築系の学生さんであれば、一度は触れたことのある名著のひとつだと思います。
また、コルビュジエやミース、ライトといった近代建築の巨匠たちの作品や思想に焦点を当てた本もあります。
最近では、『ルイス・バラガン 空間の読解』(大河内学+廣澤秀眞+明治大学大河内研究室編著)を刊行しました。明治大学大河内研究室が現地で行った実測調査をもとに、バラガン作品の空間構成を解き明かしています。
いしまる:ご紹介頂いた本は、どれも海外の建築を扱っていると思いますが、どのように企画が始まるのでしょうか?
後藤:11月に刊行した『木のヨーロッパ―建築とまち歩きの事典』は、木造建築研究の権威として知られている太田邦夫先生が中心となって、15年前から企画はスタートしたんです。
いしまる:15年もかけているのですね。50年以上の研究内容が詰まっているそうですが。
後藤:ええ。半世紀以上かけた35カ国の実地踏査です。国別などの地域別、建物種別などの分野別の本は出ているのですが、ヨーロッパ全域にわたる木造について調査研究してまとめた本は世界で初めてだと言っていいそうです。
最初に「木造建築研究フォラム」という全9回の海外ツアーを本にまとめられないかというお話しがあって。それが15年前です。
太田先生も今は80歳ですし、うちの担当者も当時60歳代でしたが、同じく今は80歳代です。リタイアしていたのに、この本のために時々出社していました。一緒にやっていただいたデザイナーの方が若い方でなかったら、この本はできなかったかもしれないと、いまは思っています。
編集協力の先生方と何回も繰り返し検討を重ねて、企画を練り直して、やっとこの本のように落ち着きました。
やはり写真だけだと建物の裏側や内部、構造的仕組みなどが分かりにくいということで、結局、透視図や絵にしないとダメだということになって、2、3年前から透視図も描かれた。
神中:旅のコースガイドとして12のルートが紹介されているのも、この本の特徴ですね。
後藤:木造建築は比較的田舎に多いので、ルートガイドを付けないとなかなかたどり着けないということで、親切心からも付けているのです。そしてこの本では、現地の人に「ここに行きたい」と指さして見せれば、キリル文字やラテン文字、その地域の文字やカタカナの表音、スペルも含めて通じるようにつくりました。
ヨーロッパも、英語が通じないところはたくさんありますからね。太田先生は「最初にイギリスに行きなさい。英語が通じて安心するから。」とおっしゃっていましたね。
フランス語、ドイツ語、オランダ語、ロシア語、クロアチア語、スウェーデン語、バスク語などいろいろあるし、表記もそれぞれの地方で違うので英語の翻訳だけでは通じない。
いしまる:私もヨーロッパに建築を何度か見に行っていますが、ガイド本で名称が英語表記になっていて、現地で全く通じないということが何度もありました。今は事前にインターネットで調べられるのでだいぶ変わったなあと思いますが。
後藤:インターネットの情報が間違っていることもあって。現地に行って修正を繰り返して、大使館に行って聞いたりして、15年間、何回も紆余曲折の繰り返しで、原稿も何回も書き直して、やっとここまでそぎ落としてまとめたということです。
なんといっても「旅の準備編」のヨーロッパ地図に表現された、気候・風土・植生、木造建築の分布、土地利用、民族・宗教などは、また「資料編」など盛り沢山の資料も、大変だったけど苦労しただけのことはあったかなと思っている。
もうこんなやり方での本づくりはできないんだろうし、したくもないね。
いしまる:長い時間をかけた労力の賜物ですね。
『ルイス・バラガン 空間の読解』はどのように企画が始まったのですか?
神中:本の企画は、建築家や大学の先生方との会話の中から生まれてくることがほとんどです。
『ルイス・バラガン 空間の読解』も同様で、大河内(学)先生が、研究室のOBでメキシコの設計事務所に勤めていた廣澤秀眞さんとともに、バラガンの研究を進めていることを耳にしたことが発端です。
いしまる:ルイス・バラガンの作品は、写真で見てもここは一体どうなっているんだろうとわかりにくい空間ですが、『ルイス・バラガン 空間の読解』を見て、まるで中を案内されているかのような、行った気持ちになって、とてもわかりやすいと感じました。寸法も入っていておもしろいですね。
神中:大河内先生による撮り下ろしの写真、そして実測に基づいた図面やダイアグラムを用いながら、バラガン作品の空間構成を分析しています。素材が集まったころには、研究室の学生さんやデザイナーのみなみゆみこさんも打ち合わせに参加して、ダイアグラムの調整、写真の上に寸法や素材を書きこむなど、わかりやすい見せ方を検討していきました。
バラガンの作品は、鮮やかな色彩ばかりが注目されがちです。そのためバラガンは「色の魔術師」とも称されて、20世紀の建築家の中でもどこか謎めいた存在ですよね。でも、現地でバラガンの建築空間を体験した大河内先生や廣澤さんは、こうした評価に疑問を抱いたそうなんです。
たとえば、ルイス・カーンの作品については、アクソメを用いながらその空間構成を分析する本があります(原口秀昭著『ルイス・カーンの空間構成―アクソメで読む20世紀の建築家たち』1998)。でもバラガンについては、こうした客観的な視点で読み解く本がない。それなら、バラガンの作品を自らきちんと研究して本にしようと。『ルイス・バラガン 空間の読解』は、こうした問題意識からつくられているんです。
いしまる:『ルイス・バラガン 空間の読解』は、企画から刊行までどれくらいの時間がかかっているのですか?
神中: 企画立案が2012年ですから、3年弱ですね。当初は別の編集者が進めていたのですが、彼の異動にともない、2年前から私が担当することになりました。
いしまる:書籍を1冊担当される時は、他にも同時に担当されるのですか?
神中:もちろんそうです。少なくとも10冊程度は並行して動かしています。
いしまる:10冊同時というのは、大変なのではないかなと感じます。
今後はどういう方向性でお考えですか?
後藤:デジタル出版がどこまでいくかということもあるけれど、やっぱりうちは本道を行かざるを得ないんじゃないの。
神中:そうですね。彰国社にしかできないことがあると思います。
紙の本はもちろん、デジタルにも対応しながら、建築の実務、研究、教育など、様々な場面で存在感のあるものをつくっていきたいですね。戦前から積み重ねてきた膨大な資料は他社にはない財産ですし、幅広いネットワークもあります。
後藤:それを大事にしていきたいよね。
いしまる:今後の発刊も楽しみにしています。きょうは、ありがとうございました。
2015年10月30日、彰国社にて。
株式会社彰国社
取材にご協力頂いた、代表取締役 会長 後藤武さん、出版局 編集部 神中智子さん、ありがとうございました。