書家・ 川尾朋子さんインタビュー
書の可能性を追求し、自身の作品や、さらにはミュージシャンやファッションブランドなどとのコラボレーションでも注目を集める書家、川尾朋子さん。彼女に、書の魅力や作品制作に対する姿勢についてうかがった。(学芸カフェ2013年1月号 より再構成/掲載)
— — — -まずは、多く手掛けておられるロゴなどの話からうかがいます。たとえば、「嵐山」の駅の題字を揮毫されていますが、この作品では何を意識して書かれましたか?
川尾: 2010年くらいになりますが、阪急電鉄の100周年にあわせて嵐山駅のリニューアルがありました。題字の依頼をいただいたのは、ちょうど展覧会でベルリンにいたときです。納期が迫っているという事情もあり、ベルリンで書いたものをスタジオで撮影して送り、後で現物の作品を渡すということになりました。そのような流れだったので、じつは上の2つの文字『史跡および名勝』と『嵐山』はベルリンで、下の『ARASHIYAMA』はデンマークで書いたんです(笑)。現地のアーティストにスタジオを借りたり、阪急電鉄の担当の方と携帯電話の時間帯設定を合わせたり、といったことがいくつもありました。日本で作業するとき以上に、たくさんのひとに協力してもらって、この題字ができたんです。
作品の制作にあたっては、遠くから嵐山のことを思いました。たとえば家族なんかでも同じですが、ちょっと離れてみるとよくわかることがありますよね。ベルリンは、歴史深いけれど現代的でもあり、そういった点では京都と似ています。でもやっぱり、京都に独特なことも多いんです。百人一首でも詠われている嵐山の景色を、ちょっと遠くから改めて眺めてみる、というイメージでこの題字を書きました。それと、わたしは女なので、しなやかな強さを意識しました。
— — — 音楽に関係するロゴもありますが、たとえば『Rock Beats Cancer FES 2013 vol.1』のロゴでは、アルファベットを書かれています。日本語を書くときとずいぶんと違うのかな、という気がしますが、どうでしょうか?
川尾: 漢字は表意文字で、アルファベットやひらがなは表音文字ですよね。アルファベットは、ひらがなと同じように、いくつかの集まりで一つの言葉ができています。また、ひらがなは、丸みを帯びていて、昔は「女文字」とも言われていました。そういうことを思いながら書きました。
それと、力強さや筆からしたたる墨の痕跡を残したかったので、筆先が30センチくらいある、大きな筆で書きました。墨のしずくで空中での筆の動きがわかります。そうやって、一字一字がつながっていくことが伝わればいいな、と。このイベントはAYA世代(15~29歳)と呼ばれる世代に向けた、がん疾患啓発・がん研究推進のためのチャリティフェスですが、これを通じていろんなひとがつながっていけばいいなあという思いがあります。
書道は、二度書きができない、一回かぎりのものです。一度書き出したら、後戻りはできなくて、最後まで書かないといけない。一回かぎりで後戻りができないというのはわたしたちの人生と似ています。これは、わたしが書道で一番好きなところです。
— — — まさに書道の一回かぎりという特徴につながりますが、百貨店をはじめ、記念イベントなど華やかな場でパフォーマンスをされることも多いですね。面白さと怖さの両方があると思いますが、いかがですか。
川尾: 書道には欠かせないのですが、古典臨書、つまり模写の訓練を毎日続けています。また、祥洲先生に師事していますが、先生がいつも「紙の命は一回」と言っておられ、一枚一枚を大事に、「二枚目はない」と常に意識して書くことを心がけています。パフォーマンスに臨むときには、そういう日頃の行為を自分自身に言い聞かせています。そして現場では、正座をして墨をするなどの準備の段階を経て、呼吸を整えていきます。
とは言うものの、墨のバケツをひっくり返してしまった失敗なんかも、昔はありました(笑)。足場が滑りにくかったり、書くために用意していただいた場所が高すぎたり、といった普段との違いがどうしてもあります。
— — — 作品『呼応』シリーズについて教えてください。
川尾: 古典臨書の話をしましたが、中国でも日本でも、1,000年以上前からの書道のスーパースターみたいな人たちがいるわけです。そのひとたちの「書」、つまり二次元のものを見て臨書するのですが、形だけじゃないな、と考えるようになりました。つまり、見た形だけではなくて、空中でどうやって筆が動いているか、さらには時代背景、そのひとの人となりやその時の状況、などを想像しながら書かないと、本当の臨書にはならない、と。それで、空中でどうやって筆が動いているかを想像して、三次元でとらえてみようと思うようになりました。それが『呼応』シリーズの原点です。
二点のつながりを考えるということは、日常生活でも、意外としていません。自分の過去から現在をつなげて考えることや、家族と自分の間、だとか。そうやって見えないものを想像するきっかけになればいいな、という思いがあります。
— — — 2013年4月に開催された『和紙で、包む展 in ミラノ』など、和紙をはじめとする伝統工芸士やデザイナーとのコラボレーションも展開されています。
川尾: 2012年の秋にIPECで発表した作品では、ひとつの作品を八等分して、色にもバリエーションをつけ、好きなようにシャッフルできる、という形にしました。他のひとがかかわってくださることで、自分の枠を超えたところまで作品が持っていかれるというときに、一緒につくることの可能性を感じます。日本の伝統である書道や和紙はもちろん、こういったデザインを綺麗に仕上げていく日本の技術は本物だと思いますし、本物を海外に持っていくことは大事だとおもいます。ちゃんとした技術、素材でつくったものを見ていただければうれしいですね。
— — — 書家を志すようになったきっかけを教えてください。
川尾: 書道をはじめたきっかけは、小さいときにすごいお転婆だったので、習ったらどうか、とすすめられたんです。いい先生とのご縁があって、また、書道が自分に合っていたんだと思いますが、すごく好きになって、ずっと書道を続けていました。でも、書道で生きていくとは思っていなかったんです。大学卒業のときには就職の内定も決まっていて、内定先でアルバイトもしました。このときに、どっちかを選ばないといけない、と考えるようになって、内定を辞退して書道を選びました。
最初は書道だけで食べていけなくて、「9時5時」の仕事をかけもちしていた時期もあります。京都大学の医学部で実験手伝いなんかもしていました。遺伝子工学関連で、細胞を育てたり、顕微鏡をみたり、実験したり。こういう経験も、いまやっている墨の調合などで役に立っていたりして、無駄はなかったですね。体のなかのほうを見せてもらったのも、生命の捉え方という点で、特別な経験になりました。
— — — 今後のビジョンを教えてください。
川尾: いまはフォントばかりの世界になってきていて、自分で文字を書くことが少なくなってきています。生きた文字というか、生きた人間が書いた文字をもっと世の中に残していきたいです。
あとは、私にしかできないことを、もっと広い世界でやりたい、という漠然とした思いがあります。海外もそうですし、たとえばビルの一面全部が書になっているとか、公園みたいな広い場所を飛行機から見てみると綺麗な書があるとか。スケールの大きなことに挑戦したいですね。
(学芸カフェ2013年1月号 より再構成/掲載)
(聞き手/牧尾晴喜)
川尾朋子
兵庫県出まれ。京都在住。書家。
6歳より書を学び、国内外で多数受賞。2004年より祥洲氏に師事し、書の奥深さに更に取り憑かれ、”書に生かされている”ことを強く感じる。古典に向きあう日々の中で、代表作である「呼応」シリーズが生まれる。この作品は、点と点のあいだにある、空中での見えない筆の軌跡に着目したもので、見えないものを想像することをテーマとしている。ライブパフォーマンスやワークショップもこの「呼応」を根底にして行っている。
また、”生活の中にある書”として、阪急嵐山駅の「嵐山」をはじめ、新聞、テレビ、ラジオ等の各メディアや寺社、ファッション、インテリアなど、あらゆる媒体に登場する文字や墨表現も、好評を得ている。
(*プロフィールはインタビュー当時のものです。)