トスカーナ州ペッチョリ、現代アートで革新を起こす中世の村
なだらかな丘が続く豊かな自然と、石造りの建物が並ぶ中世の村。そんなトスカーナ州の典型的な風景に、鋭角に切れ込む片持ち梁のテラスやカラフルな渦巻きが連続する歩道橋を建設し、注目を浴びているのがペッチョリ市です。小さな村に住み、様々な地域プロモーションを見てきた私にとっても、ペッチョリのプロジェクトは規模も内容も他の自治体とは一線を画しています。それはいったい、どのようなものなのでしょうか?
斜塔で有名なピサから南東へ約50km。ゆるやかな高台にあるペッチョリは人口5,000人にも満たない小さな市です。ピサ近郊の中都市ポンテデーラからローカルバスでしか行けないこの村へは、10年ほど前に家族で恐竜公園に行ったことがあるだけ。当時は際立った印象のなかったペッチョリの旧市街ですが、現代アートのプロジェクトはすでに1990年代から始まっていました。
始まりは1992年、村の将来を見据えたプロモーションツールとして市が選んだのは現代アートでした。過去の資産をただ再評価するだけでなく、現代アートや最先端の革新的な取り組みで未来への展望を切り拓いていくことは、他の小さな村との差別化にもなります。1997年には市のイニシアチブで、このエリアの環境に配慮したごみ回収・処理を行うベルヴェデーレ社が生まれました。また、2004年には市とベルヴェデーレ社によって地域社会と文化の保全や評価回復を目的とした財団が誕生。これらのベルヴェデーレ社、財団、市が三位一体となってペッチョリ・システムを構築し、このプロジェクトをさらに推進していきました。開始からほぼ30年の間に場所はペッチョリ旧市街から分離集落までに拡大し、作品も小さなものから大規模なものまで多岐にわたります。ペッチョリをよく知るキュレーターによって選ばれたアーティストは、周辺の町並みやプロジェクトの意に沿いながらも各々の個性や想いを作品に存分に注ぎ込み、それらの作品総数は現在70近くにまで到達しました。
そして今年3月、これらの現代アートを1つのディレクションに集約する屋外の現代アートミュージアムMACCA(Museo d’Arte Contemporanea a Cielo Aperto)が誕生しました。村の中心、ポポロ広場の柱廊のアーチにその頭文字が掲げられていますが、ここに作品や事務所があるわけではなく、ペッチョリ旧市街の屋内外、そして7つの分離集落に分散しています。つまりアート鑑賞のために村の内外すみずみまで足を延ばすことになり、意図せずとも、村とそのテリトリーを知ってもらうことができるというわけ。
10年以上ぶりに訪れたペッチョリでは、まず観光案内所で全作品の紹介とマップが掲載されているパンフレットをもらい、実際に作品を見て歩きました。大きさだけでなく、素材、表現方法も多種多様。マップを見ながら場所を探すのは宝探しのようにワクワクする楽しさで、通常のアート鑑賞とは異なる感動も味わうことができます。観光客の増加に大きく貢献しているようで、パンフレットを片手に作品を巡る外国人観光客と何人もすれ違いました。
当初は村の目立たない場所でのインスタレーションや壁画が主でしたが、2011年からはペッチョリやその周辺の風景を一変させるような大きな作品も手掛けていきます。
30年以上にわたるこのプロジェクトは特別なものでも期間限定のものでもなく、ペッチョリのアイデンティティの根幹をなす大事な要素として蓄積され、これから長く村に残り続けるもの。実際、現代アートは村そのものに、そして市民生活にすっかり溶け込んでいる印象です。ポポロ広場の柱廊の下ではお年寄りが談笑し、インスタレーションの並ぶ道にベビーカーを押す若い夫婦や、犬の散歩をする婦人が行きかう。観光客にとってはペッチョリ訪問の目的である現代アートも、住民にとっては単なる村の1パーツに過ぎないというほどに馴染んでいました。
2021年には、イタリア・ツーリングクラブ(旅行ガイドや地図の出版社であり一定の基準を満たした小さな自治体の認証を行う)と共同で初めてヴェネツィアのビエンナーレに参加し、長年に渡るサステナビリティや芸術、レジリエンスやイノベーションを「ペッチョリ・ヴィジョン」として紹介しました。そして今年はサンマリノ共和国とニューヨーク工科大学とのコラボレーションで出展しており、その活動の広がりはイタリア国内や現代アートにとどまることはありません。これからも変容してゆくペッチョリには、繰り返し訪問する価値がありそうです。