建築家・ 光嶋裕介さんに聞く、初めて手がけた海外物件

Fraze Craze
フレーズクレーズ
8 min readMay 11, 2017

こんにちは。フレーズクレーズ編集部インターンの樋口です。建築家・デザイナーの方々に初めて手がけた海外物件についてうかがうシリーズ、今回は光嶋裕介さんです。

光嶋さんは、早稲田大学卒業後にドイツの建築事務所での建築修行を経て、帰国後に独立。建築設計だけでなく、ドローイングの個展や、ロックバンドのアジアン・カンフー・ジェネレーションのステージデザインなど、さまざまな取り組みをされています。光嶋さんのケースではドイツでの実務経験のあと日本で『凱風館』の設計を手がけているので、そちらを初めての「海外物件」としてお話をうかがいました。

―――日本とドイツで、設計の方法や考え方の違いはありましたか?

光嶋:僕の場合は、ドイツでは100人ほどの設計事務所のスタッフの一人として設計していましたが、日本では自分の看板を背負って仕事をするという違いが一番大きかったです。日本でもドイツでも、魅力ある建築を設計する仕事はやっぱり魅力的だからやりがいもありました。

具体的な進め方については、たとえばドイツでは、学生インターンでもスタッフでもアイデアを皆でフラットに出し合ってボスが決断するスタイルでやっています。共同的な作業を介して創造性がうまれるというのは、建築家としての理想かもしれませんね。そうやってドイツで学んだことは、いま自分の事務所でもやってるつもりです。

―――建築設計を行う際のコミュニケーションについてお聞きします。「言葉」っていうのはもちろん大事だと思うんですが、建築分野だと、図面やスケッチなどで説明をすることも多いかと。そういうコミュニケーションについてはいかがでしたか?

光嶋:言葉は、コミュニケーションの大事な部分であることは間違いありません。文章・読み物としての言葉であっても、話す言葉であっても、広い意味での言語っていう点では同じです。でも建築言語っていうのは、右脳も左脳も両方をつかさどっているっていうイメージですね。思考する・考える・理論……というのはすべて言葉に変換できるんだけど、それを飛び出すことができるのはドローイングや模型や図面。言葉にできない感情を建築言語で表現する。両方の行き来が必要ですね。この非言語的な建築言語によって、言葉というものを補っていく。あらかじめ用意された答えは無いから、すごく楽しい作業でもありますが、ずっとやり続けないと後退してしまう。だから今でも旅に出てスケッチをするし、どんどん新しい本を読むし、映画や芝居もなるべくたくさん観たい。この描く・作ると、読み・書きをどっちも離さないで常に両方やることで、インプットとアウトプットのバランスを自ら整えたいものです。

―――非言語的なコミュニケーションは国に関係ないんですね。

光嶋:そうですね、むしろ国を出た方が、「あ、こんな言語もあるんだ」とか「こんな捉え方もあるんだ」っていう多様性の発見があります。自分たちがいま持ってる模型一つ取っても、国が変われば素材やつくり方が違うものになります。たとえばレム・コールハースの主宰するOMAとかはやっぱり彼らなりの「模型言語」とでも呼べるものをもっていて、それによって表現できる建築のコンセプトっていうのは絶対にあると思っています。

photo by Takeshi Yamagishi
photo by Takeshi Yamagishi
photo by Takeshi Yamagishi

―――日本に帰国後に初めて手がけられた凱風館(通称「みんなの家」)は、それまで一度しか会ったことがない内田樹さんの住宅兼合気道の道場という点でも珍しい状況だったとおもいますが、最もやりがいを感じたのはどの瞬間でしたか。

光嶋:スタートはクライアントの内田先生と僕の二人だけだったけど、実際に建築をつくる職人さんたちや内田先生の合気道の門人などの方々もどんどんと、仲間が増えていくっていう感じがあったんです。そこで『みんな』と名付けました。

photo by Takeshi Yamagishi
photo by Takeshi Yamagishi

たとえば、子供の頃にしていた野球で例えると、ドイツで一スタッフとして仕事をしていた頃は、キャッチャーで5番、みたいな感じで、九人のチームのうちの一人だったんです。九人で守るときにキャッチャーっていうひとつのポジションを任されていて、打順では5番を打てっていう風に任せられていて。それが、日本で凱風館をつくってる時の喜びっていうのは、プレーヤーの一人というよりも、チームを率いてる監督になったっていう感じでしょうか。「みんなの家」で大事だったのは、ちゃんと顔が分かるメンバーが増えていくことでした。そうやって、「思い描いてた夢を皆と共有できるんだ」っていう喜びがあったんです。やんなきゃいけないことや、覚悟や決断が増えて、難しいけど、その分すっごい楽しい。

―――そうやって凱風館を手がけられてから、年月も経ち、他にもたくさんのお仕事をされています。初めての海外物件でもあった凱風館をいま振り返ってみると、いかがですか?

光嶋:今つくってる「最新作が最高傑作」っていうつもりで目の前の仕事に全身全霊でいつもやっていますし、あれから5年の経験で技術も上がってるものの、処女作というのはやはり特別な感情があるように感じます。

photo by Takeshi Yamagishi

―――最後の質問です。光嶋さんはドイツで建築を学ばれてから日本で設計をされていますが、ドイツでの経験は、日本での設計のお仕事にどんな風に役立っていますか?

光嶋:それはもう、すべてが役立っていると思いますね。たとえば、雪だるまがゴロゴロゴロゴロ転がっていくと、どんどんでっかくなるように、調子が悪い時はゆっくりしか動かないだろうし、溶けていったりもするだろうけれども、仕事が上手くいってる時って、そうやって仲間が増えたり、デカくなっていくんです。いろんな雪がくっついていきます。僕にとってはドイツのこともふくめ、失敗も成功も、そういうモザイク状の雪のすべてを自分の一部だと受け入れて、役立てていきたいと思っています。動くきっかけや方向は自分で決められても、打算的だと魅力的な雪は付かなくて、むしろ、自分ではコントロール不能な世の中の波があり、そうしたものからポンっていう、偶然のような必然がたくさんある。自分の目の前の課題に対して、広い好奇心と深い探究心をもって、心の声に忠実に一つ一つのアクションを起こすことが、大きな違いになっていくんだと考えています。

●書籍情報

建築という対話〜僕はこうして家をつくる』(2017年5月9日刊行)

光嶋さんからのメッセージ:建築家として働くことについて、2年半ほどかけて書き下ろしました。若い読者へと届けたい1冊です!

光嶋裕介

建築家・一級建築士。米国・ニュージャージー州生まれ。小学生時代は奈良、中学生時代は、カナダ、イギリスに在住。早稲田大学(石山修武研究室)卒業後、ドイツのザウアブルック・ハットン・アーキテクツ勤務。2008年、日本国内で光嶋裕介建築設計事務所設立。

代表作品に『凱風館』、『如風庵』、『旅人庵』など。著書に『建築武者修行』、『幻想都市風景』、『みんなの家』、『これからの建築』など多数。神戸大学にて、客員准教授。

建築・デザイン系専門の翻訳会社がお届けするウェブマガジン

ウェブマガジン『フレーズクレーズ』トップページの記事一覧へ

--

--