限界費用ゼロ電気の世界

実在する「限界費用ゼロ電気」の世界

前回の記事では、限界費用ゼロの電気とはどういうことか、ジェレミー・リフキンの著書「限界費用ゼロ社会」も参考にしながら整理しました。

今回は、電気が限界費用ゼロとなり、リフキンが言う「無料で潤沢なエネルギー」が入手できる世界に近い地域を現実世界の中から探し、その特徴を見ていきます。無料で潤沢なエネルギーが入手できる世界の姿のヒントになるのではないかと思いました。

実在する「限界費用ゼロ電気の地域」

今回見ていくのは北米の中で水力発電資源に恵まれている地域です。前回の記事で見たように、水力発電は膨大な設備投資がかかりますが、太陽光発電や風力発電と同様、燃料費がかからないために、その運用費は設備投資と比べ充分小さく、限界費用ゼロとみなせます。一般的に水力発電の電気の平準化費用(LCOE, Levelized Cost of Energy=ライフサイクルでの総費用をライフサイクルでの発電量で割ったもの)も低く(International Renewable Energy Agencyが発行した「Renewable Power Generation Costs in 2019」によると、2019年で4.7¢)、無料ではないものの、エネルギーコストが低い世界を考えるには充分と考えます。

こういった地域は世界中で他にもありますが、ライフスタイルの水準が日本と似ているという点、私自身がカナダに住んでおり馴染みがあるという点で北米を選びました。

カナダ・ケベック州の電力会社Hydro Quebecが公開したレポート「2020 Comparison of Electricity Prices in Major North American Cities」によると、北米の都市の中で最も家庭用の電気代が安い都市は以下のようになっています。(1位の地域の電力会社が作成したレポートなので何かバイアスがかかっているようにも感じましたが)

2020年 家庭用電気料金が安い北米の都市(出典:HydroQuebec社レポート)

日本の家庭用のkWhあたり料金は26円程度であるので、日本の電気料金の1/4~1/3となっています。次は大口需要家用の料金です。

2020年 大口需要家電気料金が安い北米の都市(出典:HydroQuebec社レポート)

日本の特別高圧の電気料金は10–15円程度(あまり確かではありません)とすると、日本の電気料金の1/2~1/3程度となっています。

このうち、ランキング上位に入っているカナダのケベック州・マニトバ州・ブリティッシュコロンビア州は電源のほとんどが水力発電(およびその他の再生可能エネルギー)であり、クリーンな再生可能エネルギーかつ限界費用ゼロに近い電気の供給を達成しています。何もしなくてもほぼRE100が達成できるというのは恵まれた環境と言えます。

出典:https://www.hydroquebec.com/about/our-energy.html, https://www.hydro.mb.ca/corporate/facilities/, https://www.bchydro.com/content/dam/BCHydro/customer-portal/documents/corporate/accountability-reports/financial-reports/annual-reports/BCHydro-Quick-Facts-20200831.pdf, ケベック州は風力とバイオマスも含む

潤沢という点ではどうでしょうか。北米の電力系統の信頼性を確保することを目的に設立された組織、北米電力信頼度協議会 (North American Electric Reliability Corporation, NERC)の「2020 Long-Term Reliability Assessment」によると、上記3州のうち、ケベック州とマニトバ州は電力を州外に輸出しています(2021年見込み)。

また、2025年時点の予測需要と供給予備力を基にした予備率(reserve margin)についても、3州とも充分(adequate)と評価されています。ブリティッシュコロンビア州では2025年までに新規の1,100MWの大型水力発電所が運転開始となり、2025年の予備率は24%となり、基準予備率(reference reserve margin)の14%を大幅に上回る見込みです。潤沢という点でも遜色なさそうです。

限界費用ゼロ電気の地域のライフスタイル

それでは無料でないにしても安価で潤沢、そしてクリーンな電気が入手できる地域では、人々のライフスタイルはどう変わるのでしょうか。まず、考えられる仮説としては、安価で潤沢な電気が入手できる地域では他のエネルギー源よりも電気をよく使う、すなわち経済性を追求して電化が進むと予測されます。

以下はオンタリオ州(電気料金は配電会社によりそれぞれ異なる)とケベック州(モントリオールのある州で、Hydro Quebecの調査では月1000kWh消費する家庭で北米一安い)の都市の暖房熱源ですが、オンタリオ州は68%がガス暖房となっているのに対し、ケベック州はほとんどが電気で、ガス暖房は5%にとどまっています。(冬の気温はモントリオールがトロントよりも低いです。)

オンタリオ州とケベック州の主要な暖房の熱源(出典:https://www.ivey.uwo.ca/energycentre/blog/2019/06/a-closer-look-at-hydro-quebecs-electricity-price-advantage-over-ontario/

ちなみに電気の暖房というのは日本のような壁掛けエアコンではなく、ベースボードヒータという器具が主流です。部屋の壁の床付近に設置された暖房器具で、ここから温風が出てきます(ファンは入ってないので、自然対流のみ、無音)。電気で金属性のフィンを温め、空気と熱交換するという単純な原理です。

ベースボードヒータの価格は安いですが、消費電力は大きく、例えば長さ1mのもので定格が1500W(ドライヤー強よりも大きい消費電力)となっています。これが各部屋にあるので家全体の消費電力は日本に比べかなり大きくなります。サーモスタット(またはNESTなどのスマートサーモスタット)により部屋の温度を制御します。

ベースボードヒーター(出典:https://www.bchydro.com/news/conservation/2015/baseboard-heaters.html

上記は暖房のみの話になりますが、安価で潤沢な電気がある地域は経済性の追求のために電化が進みやすいと考えてよさそうです。ただし寒冷地域では停電時のバックアップも重要です。バックアップなしのオール電化だと、停電時に暖をとれない、調理もできないなどリスクがあります。

電気自動車の普及は進むか

安価な電気が入手できる地域では電気自動車の普及も進みそうです。しかも、クリーンな電気で電気自動車を走らせるというのは理にかなっています。下表は、内燃機関車(ICEV, Internal Combustion Engine Vehicle)および電気自動車(BEV, Battery Electric Vehicles)の年間の燃料費と維持費を示しています。最後の2つの列、「Saving」が電気自動車が内燃機関車に比べて節約できる額および割合となっています。

カナダ各州の内燃機関車と電気自動車の年間の燃料費と維持費(出典:https://www.2degreesinstitute.org/reports/comparing_fuel_and_maintenance_costs_of_electric_and_gas_powered_vehicles_in_canada.pdf, レポートの発行は2018年)

ここで電気自動車により大きく燃料費と維持費を節約できる州はやはり電気が安い州で、ケベック州が77%、マニトバ州とブリティッシュコロンビア州がともに74%となっています。(注:計算に使っている走行距離は各州により異なり、そのためコストの絶対値が異なります。)

カナダの州の電気自動車の売上台数のトップ5の州は以下となっています。オンタリオ州、ケベック州、ブリティッシュコロンビア州の3州でほとんどを占めています。台数ではオンタリオ州の売上が最も多いですが、オンタリオ州は人口が大きい(約1,500万人)ため、単位人口あたりの売上台数ではケベック州の方が大きくなります。また、上記で電気自動車の経済性に優れているマニトバ州は人口が小さく(約140万人であり、オンタリオ州の人口の1/10以下)、売上規模も小さいためトップ5には入っていないと推測します。

カナダの電気自動車の売上台数トップ5の州(出典:https://electriccarsreport.com/2012/09/plug-in-electric-vehicle-sales-geographic-forecasts/

結論としては、電気自動車の経済的優位性は主にガソリン価格と電気の単価の差額によりますが、安価な電気が入手できる地域では経済的優位性が働き、普及の促進要因となりそうです。電気は再生可能エネルギー由来であるため、環境的にも意味があり、これも普及の助けになるでしょう。

限界費用ゼロ電気の地域の産業

それでは、安価、潤沢、クリーンな電気が入手できる地域の産業構造はどうなるでしょうか。結論から書いてしまうと、アルミニウム精錬など電力集約的な産業が誘致される事例はありますが、すべての産業がこぞって寄ってくるという状況ではなさそうです。

水力発電を使ったカナダ・ブリティッシュコロンビア州KitimatにあるRio Tinto社のアルミ精錬工場 精錬コストは世界で最小のうちの1つ(出典:https://www.riotinto.com/operations/canada/bc-works

安価でクリーンな電気の入手に貪欲で先進的なのはIT業界で、たとえばGoogleは24時間365日再生可能エネルギーによる操業をするだけでなく、過去の操業にわたっても再生可能エネルギーを適用しようとしています。電気を大量に消費するデータセンターが安価でクリーンな電気が入手できる地域に移ってくるでしょうか。

Googleが2017年にモントリオールにカナダ初のクラウドコンピューティング施設を開設しました。しかし、データセンターの立地条件は電気代やクリーンな電気のみではなく、基幹通信線との接続、自然災害リスク、技術者の確保の容易さなどがあるため、ケベックやマニトバがデータセンターのメッカにはならないと理解しています。また、ラストワンマイルのためのデータセンターは、遅延防止のために都市部などにも置かれているため、すべてのデータセンターが限定された地域に移ることはないようです。(暗号通貨のマイニングファームについてはデータセンターより制約は少なそうで、辺鄙な場所でも操業できそうですが)

未来はどうでしょうか。各産業、各企業で続々とカーボンニュートラルの宣言をしており、ますます安価でクリーンな電気の需要は増えるでしょう。安価でクリーンな電気の調達が難しい地域で操業する産業がケベックやマニトバのような地域に移転する可能性はあります。しかし、一方で再生可能エネルギー調達方法も進化し続けており、ケベックやマニトバに移転しなくても現地で安価でクリーンな電気の調達が容易になれば、ケベックやマニトバなど利がある地域への移転の必要性は下がるでしょう。

現在、カナダの自動車産業はオンタリオ州の五大湖周辺に集積しています。(オシャワ、ロンドン、ウインザーなど)サプライチェーンに多くの企業を含む産業であれば、安価でクリーンな電気のために移転するよりも、立地制約を克服した新たな調達方法を開発する方が現実的かもしれません。ハードウェアの進化と低価格化、デジタル技術も使った革新的な契約方法などもあいまって調達方法のイノベーションを起こせるかもしれません。

人や産業が大規模に移転するというのは大変な作業でしょうから、調達方法のイノベーションの方が勝るのではないかと個人的には考えています。

まとめ

リフキンの「限界費用ゼロ社会」で記述されている、限界費用がゼロで、安価、潤沢でクリーンな電気が入手できる世界を想像するために、現時点でそれに近い地域として北米の水力発電が主電源となっている地域のライフスタイルや産業をみてきました。これにはカナダのケベック州・マニトバ州・ブリティッシュコロンビア州などが該当します。

そのような地域では、経済性の追求のため、電化が進みやすい環境にあると言えます。特に電気自動車の経済性は有利に働き、クリーンな電気で電気自動車を走らせることができ、理にかないます。

産業に関して言えば、いまのところ他の立地条件もあるため、電力を多く消費するデータセンターが集積するといった現象は起こっていません。今後安価でクリーンな電気の需要は増えるでしょうが、その土地への依存が小さい再生可能エネルギー調達方法も開発されるでしょうから、新規調達方法との比較考量になると考えています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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