スーダンの食卓にパンが欠かせない不思議
2018年の年末から翌年始にかけて、スーダンの台所を訪れていた。
家庭に泊まって毎日食事を共にする中で次第に気になってきたのが、毎食必ず食卓にパンがあることだ。昔から食べられている主食は、ソルガム粉で作った薄いクレープ「キスラ(Kisra)」や粘土状に練った「アスィダ(Asida)」だが、それらがあってもパンを出してきて、パンで包むようにして他の主食を食べたりする。お世話になっていた首都ハルツームの家族は、「主食は時によって色々だけどパンは常に必ずなくちゃいけない」と言う。
また、スーダンの人々のパン好きを象徴するような料理としてフェッタ(fatta)がある。大きな丸い深盆にパンをちぎって敷き詰め、その上にスープや煮込みをかけて食べるというものだ。かけるものは多様で、汁物だけでなく米料理などをのせることもある。米onパンというのは、お好み焼きをおかずに白いご飯を食べる様子を彷彿とさせる。
「他の主食があっても◯◯がないと食事をした気にならない!」という話はスーダンに限らず世界中(特に新興国や途上国)でよく聞くが、その場合の◯◯は昔から食べている主食で、大抵自給率も高い。一方スーダンは乾燥しているため小麦の栽培適地は狭く、大半を輸入に頼っている。また生産の失敗と需要拡大が相俟って、輸入依存の傾向は年々強まっている(参考)。世界的なソルガム生産国であるのに、自給できていない小麦の方が食卓で幅を利かせているのは、何とも不思議だ。
小麦の栽培に向かないスーダンでなぜパンが食べられるようになったのか、なぜ今日ソルガムを凌いでパンが食卓の必需品になっているのか、探ってみた。
パン食は都市部から広まった
まず気になるのが、パンは伝統的な主食なのか後から入ってきたものなのか、という点だ。発酵パンの発祥は隣国エジプトであるとも言われるので、スーダンでも昔から食べられたとしても、文化的にはおかしくない。
ただ、スーダンの年間降水量は小麦の生産に必要な500ミリを大きく下回る100~300ミリ程度で、小麦はナイル川沿いの一部地域でかろうじて育てられる程度である。小麦を古くからの自給的な作物と考えるにはあまりに不自然で、少ない降水量で育ち干魃にも強いソルガムを育てる方が断然合理的だ。
調べてみると、パン食は都市部の富裕層や政府関係者から浸透していったようである(参考)。
スーダンでは、いまも労働人口の80%が農業に従事する(参考)。地方に暮らす人は自給なり交換なりで容易にソルガムが手に入るので、ソルガムを主食とするのは自然だ。一方で都市在住者はお金を払って調達しなければいけない。どうせお金を払うならばパンでもソルガムでも同じで、であれば価格が安い方がいいし、働く都市民には手間がかからない方がありがたい。この両方の点においてパンが勝っている。
価格と手間のそれぞれについて、詳しく見てみたい。
国際援助と輸入スキームにより小麦の方が安く
まず価格について、スーダン政府は小麦に補助金を設けており、安価で提供できるようになっている。小麦粉とその加工品であるパンの価格は政府がコントロールしているが、その低価格を支えるのが、1974年に開始した返済期間の長いローンによる輸入スキーム(PL480)と国際食料援助であり、これにより「一食あたりの価格」は1975年以降ソルガムより小麦の方が安い状態になった。
制度が導入された1974年というのは、第一次南スーダン紛争が終結した2年後。PL480は国民の食事情を向上させることを目的に始まった制度だが、お金のないスーダンにとって、長期に渡って少しずつ返済することのできるこの制度は非常に魅力的だったはずだ。さらに輸入に加えて国際機関や各国団体からの援助も受け、小麦供給量は増えた。
しかし国内の生産量は相変わらず少なく、また灌漑設備がないため収穫は天候に大きく左右される。結果的に、小麦自給率は大幅に低下(1970~85年で24%→72%)し、重要な主食の供給を外部に依存する脆弱体質を生んだ。
伝統的な主食は「時間がかかる」
時間効率の面からも小麦(パン)は魅力的だ。
ソルガム粉の主食は、薄いクレープ「キスラ(Kisra)」や粘土状に練った「アスィダ(Asida)」だが、いずれもそれなりの手間と時間がかかる。
キスラ作りは、粉と水を混ぜてあたたかいところに数時間放置するところから始まる。生地が発酵して酸っぱい味になってくるが、この酸味なくしてキスラはありえない。
生地の用意ができたら、炭火をおこして鉄板を敷き、生地を薄く延ばして一枚一枚焼いていく。薄いので焼けるのは一瞬だが、一人一枚以上食べるので、大家族分を焼くのはちょっとした労働だ。焼き場は熱いし、煙で涙も出てくる。
アスィダは、粉と水を混ぜたものを鍋で練りあげて作っていく。生地は発酵不要で、一気に大人数分作れるので、キスラより工程は少ない。しかしとろ火でゆっくり加熱するので時間がかかるし、次第に重たくなっていく大鍋一杯の液体を練るのは結構な重労働だ。
時間の流れ方がゆっくりな田舎はまだしも、都市部の働く女性にこれらの主食作りは負担になる。それでも食べ慣れた主食を好む人はいるが、燃料の木炭の価格が高騰したことで価格面でもキスラやアスィダの魅力は下がった。買ってきてすぐ食べられて手がかからず、その上安い主食があるとしたら、そちらに移りたくなる。
それがパンだった。
パンが食卓の必需品になった
そうして供給と需要の双方が伸び、はじめは都市部の富裕層や政府関係者に限られていたパン食が、中間層や地方へも広がっていった。とはいえ食べ慣れた主食を完全にスパッと手放すことは容易でないわけで、「キスラやアスィダもありつつパンがある」という混在した食卓ができあがる。この非合理さが何とも人間らしいなぁと思う。
40年後の結末
ところで今、食卓の必需品となったパンを巡って政情が不安定化している。2018年12月に政府がパン(小麦)の補助金を撤廃することを発表し、これに伴いパン価格が高騰して各地でデモが起こっているのだ。デモは死傷者が出るほど激化し、首都ハルツームの学校は安全確保のために12月19日以降半月以上も休校が続いている。
パンを巡って、なぜいま火種が吹いているのか。
長くなったので[後編につづく]。