青木彬
青木彬
Feb 24 · 13 min read

連載 [ 都市論の潮流はどこへ “ローコスト・アーバニズム” ] 03/Series [ Where the urban theory goes? “Low-Cost Urbanism” ] 03/Akira Aoki: In order to discuss the future of the city and the art

「ローコスト・アーバニズム」の特集にあたり、「アートによる都市の再編」というテーマをいただいた。都市とアートは常套句のように並んで語られることも多いが、その両者の間には単一の視点では描き出せない複雑な議論を含んでいる。文化庁や自治体らが取り組んできた文化政策の変転、都市経営の切り口から論じるもの、1950年代の野外美術展を源流とする日本型アートプロジェクト★1における解釈など。特に近年では各地で増加する芸術祭やアートプロジェクトへの批判として「地域アート」の議論も挙げられる★2。それは問題提起を孕み社会への批評性を内在させているはずの芸術作品が、美術館を飛び出しまちの中で生き残るために公共性を隠れ蓑にしたことによって、いつしか公共事業の目的に擦り寄ってしまったことへの批判でもあった。

しかしながら、こうした議論が巻き起こるほどの現状については肯定的に捉えることもできると筆者は考えている。むしろ議論を作品やアーティスト、キュレーターなど少なからずアートの文脈を共有している場を超えて人々へ語りかける言葉にすることができるか、それが今問われるべきだろう。本特集で示される「ローコスト・アーバニズム」はその一端を担うものになるのだろうか。

あらかじめ述べておくと、アーバニズムとしての「アートによる都市の再編」については「できない」と応える。それは後述することではあるが、都市や都市を行き交う人々に対してアートが働きかける非計画的な側面について触れるためである。

総合政策としての文化

制作のプロセスを重視し積極的に他分野との協働も行われるアートプロジェクトは、国内では2000年代以降に増加してきた。その背景にはニコラ・ブリオーによる「関係性の美学」に見られるような多様化するアートの潮流もあるが、ここではそれらを支えた制度を振り返ることも必要だろう。そこでまず地域における文化政策の歴史を参照したい。

例えば文化・芸術の振興による創造性豊かな地域づくりを目的として1994年に設立された一般財団法人地域創造、2001年に制定された文化芸術振興基本法★3などは前述したアートプロジェクトの動向を取り巻く出来事のひとつと言える。一方、1980年代の多目的ホール建設ラッシュ、その反動として90年代からの専用文化施設の増加はこれまでも指摘されてきたように、文化・芸術を享受する空間はハコモノといった批判にも晒されてきた。1995年に発足した公益財団法人全国公立文化施設協会は、芸術文化を主目的とした「劇場」としての役割と「公の施設」としての役割を兼ね備えることが公共文化施設の条件であると述べている★4。この「公の施設」とは地方自治法による根拠であり、1949年に制定された社会教育法によって社会教育施設とされたのは公民館、図書館、博物館だった。それ以外の文化施設については言及されてこなかった。こうした状況を踏まえ1952年に創立した全国美術館会議が、2017年に「美術館の原則と美術館関係者の行動指針」を定めたことは記憶に新しい★5。そもそもこれらの施設が社会教育法の元にあるのは、第二次世界大戦を前後して文化行政が置かれた状況の変化にある。1930年代後半から国家総動員体制に向けて思想に関わる様々な分野が再編され、ナチスドイツの影響も受けた複数の行政機構をまたぐ総合政策としての文化政策が目指されたが、戦後はこうした状況に対する占領軍側の危惧もあり文化行政は社会教育行政の中で展開されることになった★6。

その後、高度成長期を迎え徐々に心の豊かさを重視する人々が増えるなか、1970年代には美術、音楽、演劇などの狭義の文化だけでなく、「行政の文化化」と呼ばれるように文化を総合政策的に志向するようになった。そして本特集でもキーワードとなるであろう「まちづくり」も、同じく1970年代における前述の自治体の動向の中で実施されていくことになる。しかし、地域アートがアートプロジェクトと語義をほぼ同じとしながらも批判的なワードとして焼き直される一方で、まちづくりもその使用範囲の広さに違和感が生じているようだ。内田奈芳美は近年のまちづくりは資本主義とオルタナティヴ双方の動きがあるなどの両義性を指摘しながら、現在では価値を「つくる」というよりも価値を「表現」するための多様な選択を可能にするのがまちづくりであると可能性を示す★7。

対話を創造する

広義であったとは言えアートとまちづくりが交差していく時期として1970年代はターニングポイントなのかもしれない。この時代にアートがどのような場で人々の目に触れていたのか行政とは異なる例も取り上げてみたい。それはデパート催事場で行われていた展覧会である。そもそも日本では1909年、三越の日本橋本店が育児商品を集めた「児童博覧会」が契機となり、デパート内での展覧会が開催されるようになる。その後、新聞社主催のメディア・イベントや、社寺の所蔵品等の古美術の展示によって盛り上がりを見せる。その背景には1950年の文化財保護法によって宗教法人による出品が認められるようになったこともあり、50年代はデパートで古美術の展示が本格化した。しかし展示環境としては設備が不十分であるといった懸念点が指摘されており、1974年には文化庁がデパート等臨時公開施設での国宝・重要文化財の展示を禁止したのである。これ以降デパートでの展覧会は近現代美術の企画が増えていったとされる。★8「ヨーゼフ・ボイス展」をはじめ数々の現代アート展を開催していた西武美術館(1989年にセゾン美術館に改称)は、こうした状況のなか常設の展示会場として1975年に開館したものだった。「時代精神の根拠地」を理念としてセゾン文化を築いたのは堤清二だが、西武グループの創業者である堤康次郎の取り組みにも注目したい。1922年頃に華族の土地が解放されたことや小売住宅の増設が推奨されたことがきっけとなり、堤康次郎は現在の新宿区落合付近で目白文化村と名付けた分譲住宅を販売していく。落合だけでなく同時期に私鉄の経営者たちはこのような住宅政策に携わり、住宅や貸しアトリエがまとまった地域が近隣のエリアに誕生する。多くの美術家が集まった池袋モンパルナスはその代表的なものだろう。現代と比較するとその背景は異なる点もあるが、これらは企業の取り組みが都市と芸術を結びつけてきたひとつの重要な事例かもしれない。

ここまで、まちづくりや狭義の文化振興は文化行政という大きな政策の中で語られてきたことを振り返った。そして一方で、当然の事ながらこうした政策とは異なる文脈の中で享受されるアートがあったことも確かである。そもそも狭義の文化振興を総合的な政策の中で解釈した背景には、芸術に固有の価値を見出さず、常に議論の余地を認めていたからに他ならない。そこには功罪はあったとしても、明確な目的が付随しないまま公共政策としての資金が投入されることで、同じく可変的な意味を持ったまちづくりという語を隠れ蓑に生き残っていったとも考えられる。特に制作のプロセスを重視するアートプロジェクトは、関わる人々が必ずしもひとつの合意を目指す作業ではない。そこでは日常生活においてはネガティヴに作用しかねない不合意も、自分の想像を超える他者との重要な対話として創造されるのだ。

近年ではビジネスマンを対象としたイベントでアートシンキングという言葉を使ったものをよく見かける。ビジネスにおける統計的な思考の限界や既成概念を超えていく方法をアートの創造性に求めているのだろう。確かに作品の鑑賞を通してアートが歩んできたダイナミックな歴史を学ぶことから様々な気づきがあるだろう。しかしそれが資本主義的な価値観の中ですぐに実を結ぶものになるだろうか。作品の鑑賞やアートプロジェクトへの参加によって自分自身が変わっていくような体験は、もしかすると10年後にふと思い出す事かもしれず、即効性を持つとは限らない。近年では社員教育費が増加している中で、企業の取り組みもCSRだけでなく社員教育にアートが関わることもきっと増えてくるのではないか★9。そして既に2020年の東京オリンピックに向けて東京の街も変わっていくなかで、自治体による文化政策としてだけでなく、企業が主導するエリアマネジメントとしてアートが用いられていくことは考えられる。そこには一見すると創造力を刺激するようなコピーが並ぶかもしれないが、結局は資本主義的な思考しか及ばないのであれば、そこには不合意の創出の余地すら認められないのではないだろうか★10。

アートは都市を記述する

さて、アートは都市を再編できるのかという問いに話を戻す。これまで見てきたように、アートは少なくとも地域の中では広義の文化概念の中で語られるものだった。それはパターナリスティックな日本の都市政策と相性がよく、そのまちらしさを語るブランディングのひとつとして展開されていた★11。それは計画的に都市を形作るというよりも、その土地に暮らす人々や外部からの訪問者が作品鑑賞を通じて、その街のイメージを印象付けることだと言える。つまり作品を享受する側への考慮であった。

ここで前述した池袋モンパルナスを思い出したい。第二次世界大戦の空襲によってアトリエを失った美術家もいたが、彼らは占領下の東京を描き続けた。そして新しい美術家たちも移り住み世代交代をする中で、池袋で1950年代を象徴するルポルタージュ絵画運動が発展していく。彼らはリアルな東京の姿を描き続けてきたのだ。加えて1936年に池袋モンパルナスに自宅兼アトリエを構えた画家の松本竣介の言葉を引いてみたい。

「街」を描いた。だが街というものに、価値を感じたのでもなければ、街そのものが美しいと、思つたのでもない。今の、僕のメチエーが、建物が必ず持つているその線と形体に共感を得たに過ぎないのである。云ふ迄もなくこの中に生活の必然はあるのだ★12。

松本竣介《街》(1938) , 大川美術館蔵

松本竣介は東京や横浜で街の風景のスケッチを重ね、作品にも多くの建物や橋、そこを行き交う都会的な人々を描き続けてきた。病によって聴覚を失った松本竣介だが、そこにはありありと都会の喧騒が描かれている。風景画とはまさにその時代の景色を描くことではないか。画家は風景画によって都市を描き、写真家は都市を往来する人々の息遣いや建造物の多様なディテールを捉えた。現代の都市で目にするグラフィティは企業広告の暴力性を告発し、都市の隠れたコードを暴いている。一見和やかに見える地域密着型のアートプロジェクトでも、アーティストの介入によって横断的な協働を生み出す過程は、その土地の人々にこれまで見えなかった街の歴史や人間関係に気づかせてくれる対話の場を生み出している。

都市計画や建築は確かに文字通り私たちが住むこの街を作ってきたかもしれない。しかし、計画は都市の姿をアート以上に語ることはできなかったのではないか。アートは都市を“再編”するのではなく、都市を“記述”するひとつの行為だ。都市を見つめた人々の一挙一動によって創造された作品は、計画では描くことができない生きた都市の姿を見せてくれるはずである。

本特集でローコスト・アーバニズムの可能性が示されるとすれば、それはアートが内包していた批評性により、都市の中で直接多くの人の目に触れる回路が、半ば強制的に開かれた状況を生み出されたこと自体だと考えられる。つまり全国のまちづくりや地域おこしに利用されてしまっているように見える現状は、それらを隠れ蓑にしてでも、アートにしかできない対話の場を生み出す可能性があることを教えてくれる。それはアートの批評性、つまり創造的な不合意や想像を超える他者との対話を固有の価値として考察することで、政策に偏ってしまいがちだったアートプロジェクトの評価を、政策としての必要性を説きつつも作品としての批評性を語ることに繋がるのではないだろうか。もちろんそのためには携わる自治体や企業が十分な対話に向き合えるかが試されている。

青木彬(あおき・あきら)
インディペンデント・キュレーター/1989年東京生まれ。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。2016年から墨田区にてオルタナティブ・スペースspiidを主宰。「黄金町バザール2017」アシスタントキュレーター。「ファンタジア!ファンタジア! — 生き方がかたちになったまち — 」ディレクター。


★1 熊倉純子監修『アートプロジェクト―芸術と共創する社会』(水曜社、2014)

★2 藤田直哉編・著『地域アート―美学/制度/日本』(堀之内出版、2016)

★3 2017年の法改正で「文化芸術基本法」と改められた。振興にとどまらず観光や福祉、産業との連携が明文化される。

★4 全国公立文化施設協会「公立文化施設の活性化についての提言~指定管理者制度の導入を契機として」(2006)

★5 美術館の原則と美術館関係者の行動指針(http://www.zenbi.jp/data_list.php?g=4&d=3

★6 新藤浩伸「社会教育」、小林真里編『文化制作の現在 1』(東京大学出版会、2018),p.189

★7 内田奈芳美「まちづくりの国際的潮流と『価値』」、佐藤滋、饗庭伸、内田奈芳美編『まちづくり教書』(鹿島出版会、2017)

★8 太田智己著『社会とつながる美術史学』(吉川弘文館、2015), p.188

★9 産業総合研究所「2018年度 教育研修費用の実態調査」

★10 東急電鉄が株式会社ビームスと共同で行った「Shibuya Street Museum」のコンセプトには、「落書きに悩まされる渋谷の裏路地の壁面などを活用して街ジャックという新しい情報発信を可能にしつつ、街の活性化につなげていくことを目的」として、街中のグラフィティを消していった。

★11 内田、前掲。

★12 松本竣介「生命の藝術」第4巻第6号、1936年(松本竣介『人間風景』中央公論美術出版、1990 , p.106より)

連載 [ 都市論の潮流はどこへ “ローコスト・アーバニズム” ]

>イントロダクション 笠置秀紀
「ローコスト・アーバニズム その文脈と展望を巡って」

> 01 馬場正尊 インタビュー
「工作的都市へ」

> 02 矢部恒彦
「都市のロマンス化を乗り越えて ポートランドのDIYアーバニズム」

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青木彬

インディペンデント・キュレーター/1989年東京生まれ。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。2016年から墨田区にてオルタナティブ・スペースspiidを主宰。「黄金町バザール2017」アシスタントキュレーター。「ファンタジア!ファンタジア! — 生き方がかたちになったまち — 」ディレクター。

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