パンデミック下の感情都市— 生/死政治の時代に広場に現れる身体とデモクラシーの行方

057|202107|特集:感情都市

清水知子
建築討論
Jul 1, 2021

--

Black Lives Matter Mural San Francisco (Photo: Christopher Michel) CC BY 2.0

2019年12月、中国・武漢で原因不明の肺炎が広がっているとSNSで警鐘を鳴らした医師、李文亮の言葉を覚えているだろうか。彼は当局から訓戒処分を受け、2020年2月には自身もCovid-19に感染して命を落とした。李文亮が死の間際に語ったのは「健全な社会はただ一つの主張のみに依拠してはならない」という言葉だ。そこで希求されていたのは、批判的に検討する複数の声が共有される場である。

Covid-19は、またたくまに世界中に感染を拡大した。パンデミックによって浮き彫りになったのは、コロナ禍以前の社会の脆弱性である。「不安定性」はつねに不平等なかたちで再配分される。生きるに値する生とそうでない生が区分され、危機のシワ寄せはいつも弱者にやってくるというわけだ。

私たちはいま、生を組織する諸権力のみならず、死の管理を通じて価値や利益を生み出す、いわゆる「死政治」によって生が管理=制御されつつある時代に生きている。グローバルに広がるスラム、システム化されたレイシズム、移動の自由を奪われた国籍を持たない人々、女性やトランスの人々へ向けられる暴力。哀悼可能な生とそうではないと見なされた生。

じっさい、ロックダウン下の都市で、その静寂を打ち破るように出現したのは、怒りに満ち、街路に集う人々の「現れの政治」だった。

アメリカの哲学者ジュディス・バトラーは、街頭に集う諸身体は、たとえ黙って立っているだけでも「語っている」という。「集合することによってそれは既に人民意思の行為化なのである」、と(バトラー 124)。ただし、「協調して行動すること」はけっして「一致して行動すること」と同じではない。また「街頭の諸身体」は「本源的には良いものでも悪いものでもない」。なぜなら、それらの諸身体が何のために集まり、その集会(アセンブリ)がどのように機能するかによって異なる価値を持つからだ。

バトラーにとって、重要なのは、不安定性と可傷性を条件とした身体の複数性であり、その「間」で生じる偶然性に満ちた行為遂行的な関係性から生の諸条件を確立することである。これについてバトラーは次のように述べている。

この運動あるいは静止、私の身体を他者の行動の直中に置くことは、私の行為でもあなたの行為でもなく、私たちの間の関係に起因して生じる何かである。それは、この関係から生じ、私と私たちの間で多義的になり、その多義化、意図的に維持された能動的関係、幻覚的な融合や混乱と区別される協働、といったものの持つ生成的な価値を保持すると同時に散種しようとするのだ(バトラー 16)。

たとえば、2011年9月のオキュパイ・ウォール・ストリートがそうだ。拠点となったズコッティ公園は私有地であり、拡声器の使用は禁じられていた。そこで「ヒューマン・マイクロフォン」という手法が生み出された。「ヒューマン・マイクロフォン」は、たんに発言者の声を反復し増幅するだけではない。発言者の言葉はひとつひとつ吟味され、発言者とその言葉を聞く者との関係は、撹乱された。なぜなら、発言者の言葉は、そこに集う複数の人々からなる亀裂やズレ、摩擦を伴いながら、語り直され、それによって、集団的で混淆的な主体が出現することになったからだ。

とはいえ、コロナ禍においては、他者との接触を回避し、身体的な距離をとることが自己と社会の存続を意味する。では、このパラドクスのなかで、惑星/都市の広場に出現した感情と身体の政治は何を物語っているのだろうか。本稿では、いくつかの出来事からコロナ禍の街頭に出現した諸身体と「現れの政治」について考えてみたい。

#Black Lives Matter・交差性・資本主義

まずは、米国ミネアポリス郊外で起きたジョージ・フロイド殺害事件から見ていこう。2020年5月25日、アフリカ系アメリカ人の黒人ジョージ・フロイドが白人警察官デレク・ショーバンによって頸部を膝で強く押さえられ殺害された。彼が最期に発した言葉は「息ができない」だった。その言葉は、いみじくもCovid-19によって亡くなる人々の言葉と符号する。

黒人に対する暴力と構造的な人種差別の撤廃を訴えるBlack Lives Matter 運動(以下、BLM運動)は、何よりもまず、生存の平等を求める闘いを象徴していた。

フロイドの一連の出来事は、一般の人々が携帯で撮影し、瞬く間に世界中に広まった。SNSをはじめとするニューメディアは、情報を流通=循環させるだけでなく、情動を触発し、情動が触発される「情動の政治」を駆動した [図1]。

図1 Common social media logo/profile/avatar for the formal Black Lives Matter organization

BLMの発端は、2012年2月にフロリダで起きた事件である。黒人の高校生トレイボン・マーティンがコンビニから帰る途中、自警団に射殺される。マーティンには何の罪もなかった。だが、殺害した男性は無罪になった。この報道を受け、激しい怒りと絶望を感じたアリシア・ガーザがSNSに投稿する。「私たちは黒人の命が大切にされていないことを思い知った。私たちの命には価値がある」と。これに賛同したオパール・トメティ、パトリス・カラーズらが「#BlackLivesMatter」というハッシュタグをつけて発信したのが始まりだ。

なぜ「オール・ライブズ・マター」ではなく「ブラック・ライブズ・マター」なのか。もちろん、すべての命は大切である。だが、もし私たちが一足飛びに「オール・ライブズ・マター」という定式に飛びついてしまえば、そこに掲げられている「すべての命」にいまだ黒人が含まれていないという事実が見落とされてしまうだろう。

加えて注意したいのは、BLMがハッシュタグによって拡散することで実現したと考えるのは、あまりにも安易であるということだ。たしかに、ハッシュタグ・アクティヴィズムは、チュニジアのジャスミン革命に始まるアラブの春、オキュパイ・ウォール・ストリート、台湾ひまわり学生運動、香港雨傘革命、そして#MeToo、#FreeHongKong など、2010年代に同時多発的に世界の都市空間で起きたボトムアップ型の政治運動において重要な役割を果たした。

また、ハッシュタグ・アクティヴィズムが個人による語りを通じて共有された政治的現実を創造する可能性として、「感情のアーキテクチャ」を形成する役割を担っているのも事実だ。「個人的なものは政治的なものである」という論理をソーシャルメディアのアフォーダンスに依拠しながら作り変えるというわけだ(ウォール=ヨルゲンセン 124)。

けれども、ハッシュタグ・アクティヴィズムは、ひとつのキーワードのもとに十把一絡げに意見が集約されることで、個人の見解が軽視されがちである。またリツイートや「いいね」ボタンをクリックするだけで、能動的な対話の場ではなく、相互受動的な空間を構成するにとどまってしまうこともある。

じっさいガーザが述べるように、BLMの背後には「何百万という人々が一定期間、時には何世代にもわたって継続的に関わり、献身的に打ち込んでいる」歴史がある(ガーザ 188)。

過去を媒介とする情動の連鎖は、フロイドの死から2か月後に脚本を手がけたトレイヴォン・フリー監督の短編映画『隔たる世界の二人』からもうかがえよう。ニューヨークに暮らす黒人青年が街角で白人の警察官と遭遇し、理不尽に殺され続ける。彼はこの恐怖の夢のタイムリープから抜け出せない。

映画に描かれた恐るべき夢は、現代にいたる人種問題になぞらえられている。とりわけ注目したいのは、その殺害が黒人青年の恐怖のみならず、白人警官の欲望として、幾度となく歴史のなかで繰り返されてきた(タイムリープしてきた)人種問題をめぐる悪夢そのものを映し出していることだ。夢のなかの殺害もまた日中に公衆の面前で堂々となされている。黒人は今もなお白人のこの「夢」に巻きこまれたまま抜け出せないというわけだ。

白昼に公衆の面前で起きる殺害。それが意味するのは、都市の公共空間とは、必ずしもすべてのひとに開かれた場ではなく、そこに存在する権利を奪われ、暴力に曝される者たちが不可視化された場でもあるという現実である。

このことは、2020年11月25日にチリのサンティアゴで「女性に対する暴力撤廃の国際デー」にあわせて抗議活動を行ったフェミニスト・アクティヴィスト集団、ラステシスのパフォーマンスにも見てとれよう [図2]。

図2 「女性に対する暴力撤廃の国際デー」にあわせて抗議活動を行ったラステシス© AFP

この日、多くの女性が広場に集まり、女性への暴力撤廃を訴える歌「あなたの行く道にレイプ犯がいる」を唱うパフォーマンスを演じた。このパフォーマンスは複数の言語に翻訳され、チリのサンティアゴからラテンアメリカ、インドなど世界各地で演じられた。この歌は女性を襲う男性を非難するものだ。歌の最後に出てくる「お前を愛するお巡りさんが君を護ってあげる」を含む歌詞はチリ警察のテーマソングから、パフォーマンスとしてスクワットのポーズが出てくるのは警察署に着くと全裸でこのポーズをさせられるからだという。一連のパフォーマンスは警察への皮肉に満ちているのだ。

かつてハンナ・アーレントは、古代ギリシアの都市国家をモデルにした公的領域における政治に対し、私的領域を奴隷や子ども、公民権のない外国人が生の再生産に携わる暗い領域として論じた。

アーレントにとって、私的領域は政治的なものではなく、公的領域における政治は、言語に基づき、自立した異性愛、男性的な主体を軸として展開されるものであり、その領域は「公民権のない人や無給労働者やほとんど不可視の人たち、あるいはまったく不可視の人たちの領域を、措定しつつ排除するもの」だった。アーレントの公私の区分は、バトラーも指摘するように、人々の相互依存を否認するものだ。

この意味で、BLMが3人の女性から始まったことは21世紀の運動を象徴している。これまでの黒人解放運動の多くは、カリスマ性のある男性リーダーを中心に展開されてきたからだ。また「インターセクショナル」な視点が打ち出されていたことも重要なポイントだろう。

ただし、サラ・アーメッドが指摘するように、怒り、喜び、悲しみといった感情が表現されるさいに、その感情が優劣を生みだし、女性性や人種化された他者と結び付けられて嫌悪されてきた現実にも目を向けなければならない。「怒れるフェミニスト」という言葉に象徴されるように、ある感情は理性の外部にあるものとして否定的に位置づけられ、そうした表象をめぐる議論そのものが成り立たないようにされてしまうからだ(Ahmed 2004)。

じっさいパンデミックによって私たちが目の当たりにしているのは、「不安定性」がジェンダー規範と深く結びついていることだろう。

1970年代にイタリアで「家事労働に賃金を」運動が生じたとき、その目的はたんに家事労働に対する賃金を求めることではなかった。家事労働をはじめ、主に女性が担っている低賃金のケア労働一般は、資本主義にとって欠かせない再生産労働であるにもかかわらず、愛や母性といった「神話」によってその事実が隠されてきた。「家事労働に賃金を」という言葉は、この資本のロジックを曝き、可視化するためのスローガンだった。

同じように、今日、ケア労働者、看護師、看護助手、介護ヘルパー、あるいはアマゾンの配達員やウーバーイーツのドライバーらの仕事は、私たちの生を営むうえでなくてはならないものである。にもかかわらず、ウイルス感染の危険が高く、低賃金で、何の補償もなく解雇されるリスクを背負わされている。そして、その担い手の多くが女性あるいは移民労働者なのである。

自宅でリモートワークを勤しむことと、料理や荷物の配達に走り回ること。コロナ禍の典型となったこの光景は、人種的、ジェンダー的に差別化されたかたちでリスクが分配され、階級間の分断が爆発的に広がっている現実を示している。

Covid-19によって私たちが意識するようになったのは、こうした資本の暴力性と不可視化されていた労働からなる社会の関係性である。マルクスは『資本論』のなかで、商品形態のなかに人間の労働の痕跡が消えていくと論じた。けれども今日、私たちは、人々が接触したモノの表面にその労働の痕跡が否応なく残っているということを感じざるをえない。その労働の痕跡は、覚悟をともなうリスクを意識させると同時に、私たちの生きる世界が表面を通じて否応なく接触し結びついていることを改めて想起させるものだ。

したがって、感染のリスクを冒しながら公共の場に現れ、路上を占拠して問われていたのは、たんに生き延びることでも、排除された人々を包摂するリベラル・デモクラシーを希求することでもない。何よりも、自由で平等な市民として尊厳をもって扱われることであり、身体を民主主義の問題として再提起することだった。それは、生/死政治が浸透するパンデミック禍において、私たちが複数性をどう政治的に思考し、既存の政治領域の境界画定に挑戦していくのかという問いそのものなのである。

「感情のアーカイブ」と向き合い、未来へ接続すること

ところで、都市には、歴史を物語る無数の記憶が刻印されている。それを端的に象徴するのが、歴史上、偉大な人物として評されてきた公共の記念碑としての銅像であり、その多くは男性だ。

アメリカでは、これまで南北戦争時の南軍の将軍ロバート・エドワード・リー像の撤去をはじめ、この数年のあいだに公共空間における記念碑をめぐって存在の見直しが迫られてきた。つい先日もアメリカ自然史博物館がセオドア・ルーズベルト騎馬像を撤去したところだ。

同じことは大西洋を越えたイギリスにもあてはまる。18世紀奴隷貿易によって栄えた港町ブリストルには、エドワード・コルストン像があった。彼は17世紀奴隷貿易で財をなした商人兼政治家である。この像をめぐって、1990年以降、不名誉なものとして撤去を求めるキャンペーンが相次ぎ物議を醸していた。そして2020年6月、コルストン像はブラック・ライヴズ・マターのデモ隊によって引き倒され、ブリストル港に投げ込まれた。

とはいえ、負の記憶を公共空間から撤去し、抹消することについてはいくつかの疑問も残る。もちろん、撤去が求められ、引き倒される理由は理解できる。だが、それらの記念碑は過去の歴史の価値観を表しており、たとえそれが負の遺産であったとしても、まるごと削除してしまうことは、そうした価値観があったという負の歴史そのものと向き合い、それに対する応答責任の機会すら奪い去ってしまうことになりかねない。

小田原のどかが指摘するように、「彫像は公共を立ち上げる装置」として利用されてきた。「だからこそ移り変わる政体とともに「われわれ」なる共同体の移ろいやすさをも映す鏡ともなる」のだ。「公共彫刻は意見の相違を誘発し、可視化し、議論を喚起する。しかしそれこそが民主的な社会のありようであるだろう」(小田原 2021)。言いかえれば、彫刻は、ある意味で公共における「感情のアーカイブ」として捉えることができよう。

図3 2020年6月6日 Banksy/Instagram

ここで注目したいのは、ブリストル出身の匿名アーティスト、バンクシーの応答である。ジョージ・フロイド殺害事件によってBLMが再燃した当初、バンクシーはこう言っていた。「最初はこの問題については黙って黒人たちの声に耳を傾けるべきだと思った」。しかし彼はこう続けた。「だけどなぜそうするのか。これは彼らの問題ではない。自分の問題だ。有色人種の人々は白人のシステムのために失敗している。アパートの壊れた水道管が下の階に住んでいる人々を水浸しにしているようなものだ。この欠陥のあるシステムが彼らの生活を惨めなものにしている。けれども、これを直すのは彼らの仕事ではない。彼らは誰も上の階に入れてもらえないのだから」。

このときバンクシーのインスタグラムに掲載された作品を見てみよう[図3]。地面には遺影のような黒いシルエットで彩られた顔写真が置かれ、何本かの蝋燭、そして花が添えられている。背後にはアメリカ星条旗が掲げられ、蝋燭の炎がその旗の片隅に燃え移っている。燃えて朽ち果てるであろうこの星条旗は、これを機に始まるアメリカ社会の行方を暗示しているともいえる。

図4 2020年6月9日 Banksy/Instagram

コルストンが引き倒され、港に投棄された2020年6月、バンクシーは再びインスタグラムに投稿した。彼はそこに「銅像がなくなって欲しくなかった人も、そうでない人も満足する案」として以下のように記している [図4]。

空になっちゃった台座、どうしようか。ブリストルの街の真ん中にあるんだよね。こんなアイデアはどうだろう。コルストン像がなくなったのを寂しがる人にも、そうじゃない人にもいいんじゃないか。まずは海から銅像を引き上げて、もう一度、台座に戻す。それから、その首に縄を巻きつけて、それを引っ張って銅像を倒そうとしている抗議者たちの実寸のブロンズ像を作ってもらうんだ。これでみんな納得してハッピーだし、大事な記念日にもなる。

つまり、銅像を都市空間からまるごと削除するのではなく、歴史が変革する瞬間の街の人々の行動を記録し記憶するための装置として奪用し、刷新するというわけだ。そうすることで、今の時代を生きる「われわれ」が挑んだ記録を刻印し、来るべき未来との対話に向けてその歴史を残していくことができる。

とはいえ、改めて確認しておきたいのは、ここにみた「現れの政治」がどれも人種化され、ジェンダー化された社会への対抗運動であり、レイシズム、女性差別がそれぞれの国家体制と不可分の関係を結んだ資本主義を土台としているということである。

そしてまた、コロナ禍において、リーダーシップの違いが際立っていたことも忘れてはならない。先行きが見えない世界のなかで、透明性、信頼性のあるデータをもとに政策を打ち出すリーダーによる政治と、強権的な統治により、不都合な事実を隠蔽し、情報を統制し、メディアを萎縮させる政治との差異は歴然としていた。つぎに、舞台をアジアに移してこの問題を見ていこう。

軍事政権とポピュラー・アナキズム

香港では、2019年「逃亡犯条例改正案」への反対を契機にエリック・シウとジョエル・クォンらによるデジタルコミュニティ「Be Water(水になれ)」が立ち上がった。「Be Water(水になれ)」は、2020年、オーストリアのリンツで開催された芸術とテクノロジーの祭典「アルスエレクトロニカ」でゴールデン・ニカ賞を受賞した。個人ではなく、集合的な知から形成された都市のムーブメントそのものが評価されたのは創設以来初めてのことだ。(注1)。

「水になれ」は、ブルース・リーの言葉だ。「水は流れ、動き、ときに分散しても、また新たなかたちをつくることができる」。いかなる状況であっても、つねに解決策を考え、異なる方法でアプローチしていくことを意味する。彼らは、2014 年の香港の雨傘運動、台湾のひまわり学生運動から学び、デジタルメディアを駆使して、創造的で革新的で浸透力のある対抗運動のあり方を模索した。その結果、このプロジェクトは、中心となるリーダーを作らず、アイデアを共有し、水平に開かれたまま、つねに変容していくものとなった。

アルスエレクトロニカの展示では、2020 年に香港で起きていた危機的状況を追体験できるしくみを作った。壁にはインターネットに登場した数々のニュースを貼りめぐらした。またクリックすると、グーグルと百度(バイドゥ)との検索結果の違いが一目瞭然でわかるQRコードが設置された。会場を訪れた観客は、検閲されるとはどういうことなのかを身をもって知ることができる。こうして、危機にある香港をまるごと移動し、会場のなかに変わりつつある香港の日々の経験を体験することで、その出来事を分有するしくみをつくった。

他方、香港の街中では、親中派の資本に抗し、民主派の飲食店を支援する「イエロー・エコノミー・サークル」(デモクラシーを支持する飲食店は黄色を掲げ、そこで経済活動を行う)が盛り上がりをみせた。さらに香港国家安全維持法が施行され、路上でプラカードを掲げることが禁止されると、白紙を掲げるという身振りが対抗のパフォーマンスとして創出された。そうすることで、法の網の目をすり抜け、デモクラシーを希求する人々の声を可視化しようとしたのだ。

一連のデジタル・デモクラシーの実践は、情報と情動を生産し拡散させるだけでなく、情報を所有せず解放し共有する手法を試みた。マスメディアの限界を見据え、自らメディアになることで自律したコミュニケーションの回路をデザインしたのである。

とはいえ、インターネット上の情報は管理されやすく、つねに不安定さと背中合わせである。そのため、どの国のどのドメインをいかに活用するのかを慎重に選択していった。一連のプロジェクトは、創造的で集合的な知を駆動する装置として彼ら自身の手にテクノロジーの力を取り戻すために、過去のさまざまな運動の戦術の蓄積と応用のうえに創出されたものだ。

一方、タイでもまたかつてない規模で社会運動が炸裂した。映画『ハンガーゲーム』にヒントを得た「3本指サイン」が圧政と独裁への抵抗を示すシンボルとなった。3本指は3つの要求を指す。1)軍政である現政権の退陣、2)民主主義に則った新憲法制定、3)王室制度の改革だ。

2020年に起きたタイの民主化運動の特徴は、ウィットに富んだ軽妙洒脱な抗議の手法にあった。中高生たちは、日本のアニメのキャラクター「ハム太郎」を政府への抗議デモのシンボルとして掲げた。ハム太郎のオープニング曲にある「大好きなのはヒマワリのタネ」という歌詞を「大好きなのは納税者の血税」と替え歌にして路上に繰り出したのだ。

図5 ラバーダック革命 © AFP

一方、デモ隊は警察の放水砲や催涙ガスに対する盾にアヒルのゴムボートを使った。彼らが使った黄色いアヒルは民主化運動の象徴と化し、「ラバーダック革命」と称された。さらにこのアヒルの絵が描かれた、独自の10 バーツ「紙幣」が発行され、デモに賛同する屋台や露店で使うこともできた。バンコクのこうした自律した対抗活動は、デモというよりむしろモブであり、フェスと言える[図5]。

路上では市民がいきなり歌い踊りだす「フラッシュモブ」が展開され、その神出鬼没さゆえに、警察の手を軽快にすり抜けていく。不敬罪が行使される社会ではあるが、毎晩8 時に流れる王族ニュースのロイヤルマーチソングをミクシングしたダンスパーティが行われ、RAP AGAINST DICTATORSHIP(独裁反対ラップ)が鳴り響いた。若者たちはスマホを片手にTelegram で情報を交わし、王が口を開くと、たちまちそれはインターネット・ミームとなって王政反対派によって冗句へと読み替えられた。まさに「水のように」状況に応じて臨機応変にかたちを変え、体制への抗議運動が繰り広げられていったのだ。

なぜ彼らは政治の不正や社会の矛盾を糾弾するのではなく、ポップカルチャーのアイコンをアプロプリエイトするという、ある意味、迂回したかたちをとったのだろうか。

タイのデジタル・アクティヴィスト、アーティット・スリヤウォンクンによれば、軍との差異化を明確にし、警察との衝突を避け、参加者の不安を取り除くことで、誰もが恐怖を感じることなく参加できる場として活動を開くためだという。

もし彼らが軍や警察の攻撃を誘発する暴力によって対抗すれば、その活動は暴力として取り上げられ、彼らの活動は恐怖の象徴につくりかえられてしまうだろう。だからこそ、かつてのようにヒーローを打ち立てるのではなく、あえて政治とは一見無縁に思えるポップなシンボルを選択し、それを自らのアイコンへと読み替えるという創造的な作法を戦略として編み出したというのだ。

じっさい、彼らの非暴力的実践は、軍事的、法的な暴力によって市民を強制的に統制しようとする体制側とは対照的だった。国家が見せる暴力を拒絶し、国家の権力に真っ向から対峙するのではなく、それを批判しつつも、国家とは別の論理で別の政治のあり方を模索しようとしていた。

もうひとつ重要なのは、法を暴力装置として行使する国家に対抗するために、彼らがデジタルメディアを駆使し、ヴァーチャルな空間と連動させながら、非暴力的な活動によって議論の場を公に拓き、人々の複数性を可視化するしくみを形成したことだろう。それは、都市という公共空間を重層化しながら、政治的指針を議論する場を人々のもとに取り返すプロジェクトとして機能した。

パンデミックのさなか、情報空間における活動は加速度的に進展した。2011年のオキュパイ・ウォールストリートから雨傘革命にいたる活動では、時間と場所を共有し、出来事をともに経験する創発的なアセンブリの思想が指摘された。けれども、ここにみたコロナ禍における一連の「現れの政治」では、かつての戦術に加えて、デジタル空間を通した情報の蓄積を共有し、それを都市空間と同期することによって集う、新たなインターフェイスの可能性と活動のあり方が勃興しつつあることを示唆している。そこには、これまで当たり前だと思われていたデモクラシーや資本主義の限界を問い直し、オルタナティブなプラットフォームを再設計するヒントが秘められているのではないか。

最後に、アリシア・ガーザの言葉に立ち返っておきたい。彼女は次のように述べている。

運動には正式な始めと終わりの瞬間はなく、決して一人の人間が始めるものでもない。運動とは、電気のスイッチよりむしろ波に近い。波は干満を繰り返し終わることができない。どこで始まるか、そして終わるかは定かではなく、どこへ向かうかは、周囲の状況や障壁に左右される。私たちは上の世代から運動を受け継ぎ、心が折れることがあっても、繰り返し関わる意志を新たにする。運動は私たちが生きていくために不可欠なものだからだ(ガーザ 15)。

BLMをはじめ、21世紀のパンデミックとともに現れた広場の諸身体は、こうした「感情のアーカイブ」に裏打ちされた過去の歴史の継承とそれとの対話のなかから波のひとつとして方向づけられたものだ。その舞台となる都市は、無数の人々の欲望を刻みながら、諸身体が複数のまま出会い直し、相互に亀裂をはらみながら変容していく想像/創造的な場として、たえず動態的に生産され、更新されていくのではないだろうか。

注1

以下、香港とタイの一連の活動については、2021年3月6日にアーツ・カウンシル東京「アート&メディア・フォーラム」で開催された「アジア型カルチュラル・レジスタンス」において、当日コメンテーターとして参加し、事業内容レポートとしてまとめた拙論をもとにしている。

主要参考文献

小田原のどか「女性裸体像はいつまで裸であらねばならないのか?」東京ビエンナーレウェブジャーナルRelations, 2021年6月号

https://relations-tokyo.com/2021/06/06/nodoka-odawara/

清水知子「分断の時代、デモクラシーは『あいだ』において創出される」アーツ・カウンシル東京「アート&メディア・フォーラム」2021年3月6–7日事業内容レポート

ウォール=ヨルゲンセン、カリン『メディアと感情の政治学』三谷文栄、山腰修三訳、勁草書房、2020年

ガーザ、アリシア『世界を動かす変革の力 — — ブラック・ライブズ・マター共同代表からのメッセージ』人権学習コレクティブ監訳、明石書店、2021年

バトラー、ジュディス『アセンブリ―行為遂行性・複数性・政治』佐藤嘉幸、清水知子訳、青土社、2018年

Ahmed, Sara, Cultural Politics of Emotion, Edinburgh: Edinburgh university Press, 2004.

--

--

清水知子
建築討論
0 Followers
Writer for

愛知県生まれ。筑波大学人文社会系准教授。博士(文学)。専門は文化理論、メディア文化論。著書に『文化と暴力ー揺曳するユニオンジャック』(月曜社)、『ディズニーと動物ー王国の魔法をとく』(筑摩書房)、『コミュニケーション資本主義と〈コモン〉の探求』(共著、東京大学出版)。訳書に、ジュディス・バトラー『アセンブリー行為遂行性