作家から無数の個へ: 建築実践の解体と拡散

連載:前衛としての社会、後衛としての建築──現代アメリカに見る建築の解体の行方(その6)

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一年に渡ってアメリカ現代建築の現在地を考えてきた本連載も、いよいよ今回が最終回となる。この一年間で筆者自身も大学院を卒業し、先月からアメリカ国内の組織設計事務所に勤務している。その過程やこの連載を通して、当初の「解体」という仮説がよりリアリティを持ってきている事を再確認することができたように思う。

ここで改めて初回の序論を参照すると、この連載では、近代以降の建築の制度(図1)を、これと言った主題もなく自己批判的に攻撃する動きであった1970年代の「建築の解体」(図2)に対して、明確な主題を建築の概念の外に認めながらそこに向かって解体を進める「外向きの解体運動」(図3)がアメリカ現代建築では見られるのではないか?と仮説を立てた。そしてそれらの主題の一部を炭素、人新世、デジタルテクノロジー、ポストコロニアル、マイノリティ/ジェンダーとして取り上げながら、それぞれが相互に関わり合っている様子を描いてきた。

さて、これらの主題を取り上げる中で見えてくるのが、職業としての「建築家」も必然的に解体され、その働き方が多様に変化しているということだ。例えば建築を通して炭素について考えることは、林業や森の循環システムと資材の関係性を問う新たな知識体系を要求するデジファブは設計者と施工者の境界を曖昧にし、BIMや人工知能の発展は新しい分業と協働の在り方を示唆するインクルーシヴな社会を実現するには、環境のデザインだけでなく様々な制度の知見とその設計への介入も求められるだろう。すなわち、美しい建物や空間を設計する事を主題とした旧来の「作家的な建築家像」とその知識体系の在り方に根本的な揺らぎが生じてきているのだ。

このような現象と並行して、アメリカ国内では職業としての建築家そのものの在り方に関する議論や、建築業界が抱える無給インターンや長時間労働などの構造的欠陥に対する批判も近年特に活発である。そしてこれらの問題は、上述の旧態依然とした「作家的な建築家像」と徒弟的な労働の在り方とも深く関わっているのだ。

最終回はこれまでの連載の総括も兼ねて、建築家とその業界そのものがどのような解体を迫られ、変化しつつあるのかを、労働やビジネスモデルなどの観点に着目しながら見ていきたい。そして最後に一連の連載から見えてくる、日本の建築的状況との同時代性について、今後の展望も兼ねて考察してみたい。

Log48: Expanding Modes of Practice

まず初めに取り上げたいのが2020年春に出版されたLogの48号、Expanding Modes of Practice(実践の在り方を拡張する)特集とそこでの一連の議論である。Logは米国内の現代建築に関わる言説をまとめた季刊誌で、本連載でも何度か取り上げた。

Log48: Expanding Modes of Practice (実践の在り方を拡張する) 2020, Anyone Corporation, NY, USA

タイトルが示唆する通り、本特集は建築に関わる多様な実践を紹介しながら、既存の業界の在り方や問題点の構造的な分析や言説を集めた興味深いものとなっている。デザイン/リサーチ事務所を主宰しコロンビア大学大学院で教鞭をとるブリオニー・ロバーツ(Bryony Roberts)は序文で次のように述べる。

世界的な植民地主義、家父長制と資本制が建築の制度や規範を形作ってきた一方で、教え方、話し方、働き方、そして導き方などの微妙で非間接的なニュアンスが、様々な文化的バイアスやヒエラルキーを建築の知識体系と実践の在り方に刻み込んできた。[中略]このように継承されてきた文化的な歴史は衣服のように脱ぎ捨てることはできない-それらは私たち自身や集団、知識の考え方と絡み合っているのだ。(Log48: Expanding Modes of Practice 2020, Anyone Corporation, NY, pp.9)

彼女の指摘は、建築と社会の関係性を問い直すには、まず建築に関わる個人や集団の在り方を考え直す必要性がある事を示唆する。これに呼応して、建築家のデボラ・ガルシア(Deborah Garcia)は、建築家とそのスタイルの系譜を素描するチャールズ・ジェンクス(Charles Jencks)による「進化のツリー」ダイアグラムや、建築家の師弟関係を記述したロクサーヌ・ウィリアムソン(Roxanne Williamson)による研究などを紹介しながら、このような徒弟制に重きを置いた業界の在り方が無給インターンや長時間労働の文化の温床となり、むしろ建築家に求められる役割や技術が不定形に変化し拡散しつつある現代において、このモデルは雲散霧消していくだろうと指摘する★1。

チャールズ・ジェンクスによる建築家の系譜とそのスタイルの変遷を表した「進化のツリー」ダイアグラム(Charles Jencks, “In what style shall we build”, Architectural Review, March 12th, 2015)
ロクサーヌ・ウィリアムソンによる、建築家の師弟関係を詳細に記述したダイアグラム(Roxanne Williamson, “Career connections of major American architects”, American Architects and the Mechanics of Fame, 1991)

すなわち、ここでは「作家的な建築家」がその技術や知識をブラックボックス化することで権威を獲得し、若い建築家はその知識を経験として享受しながら無報酬や長時間労働を行うという、建築界に典型的なモデルが批判されている★2。このような建築家の権威性とそこに癒着した労働の在り方に対する批判的な視線は、特に若い世代の建築家や学生を中心として年々高まっているように感じる★3。

このように建築家という職業を一歩引いてキャリアや働き方の視点から捉えた研究や分析が活発なのは興味深いが、その根底にあるのは各々が社会とこの業界を構成する一人の労働者であるという強い自覚である。

その象徴の一つが学生や業界内の様々な関係者によって構成された米国発の国際的非営利団体、The Architecture Lobbyによる一連の活動だろう。2013年に建築家ペギー・ディーマー(Peggy Deamer)が創設した本団体は、建築に関わる労働者の職場環境の改善や権利啓発に取り組んでいる。中でも注目を集めているのが、小規模設計事務所の協同組合化を訴えるCooperative Networkというプロジェクトである。

COOP NETWORKは小規模設計事務所の協同組合化を通して、建築業界内での労働体系の構造的問題にアプローチする取り組みである(The Architecture Lobby, “Introduction to the COOP NETWORK”, 2020)

これは複数の小規模事務所が管理・経営上のタスクや知恵を共有資源化することで設計業務に集中し、さらに労働力をより流動化しながら事務所間で適切に分配することで、非搾取的な運営形態と質の高い価値提供の双方を全体として実現するというアイデアである。アメリカ国内の建築設計事務所のうち、76%が小規模(1–9人)であるのに対し、建築業界全体の収益の14%のみがこれらの事務所に割り当てられているという現在の状況★4を改善しうる取り組みとして、今後どのように導入が進められるか引き続き注目していきたい。

より大手の事務所では、社員の労働による企業の成長が直接個人の利益に反映されやすいように、ESOP(Employee Stock Ownership Plan)の導入を進める企業が増えている。これは全従業員が会社の株式を所有することで、企業の成長に比例した報酬を退職金などの形で受け取る仕組みだ。Zaha Hadid ArchitectsやGenslerの他に直近ではSHoP Architectsが、従業員による労働組合化の可能性を受け、そのオルタナティブとしてESOPへの移行を決定した。これらは従業員個々人の労働力を尊重し、会社に捧げられた労力に対してより目に見える形で報酬を与える仕組みであるが、その一方で長時間労働そのものや企業内の決定権などが変わるものではなく、業界内の労働形態に対する根本的な解決とはなっていない点なども指摘されている。

どのような形であれ、業界全体が無数の労働者個人の権利や利益に目を向け、働き方そのものの在り方を改善する方向へ動きつつあるという事実が重要であろう。そこから見えてくるのは、特定の個人に価値や利益が収斂する旧来のモデルではなく、無数の個人による協働に、より多くの価値を置く現代的なモデルへのシフトチェンジであろう。次章は事例をいくつか紹介しながら、これらの点についてもう少し掘り下げてみたい。

ねばねばした関係性の媒介者としての建築家

ここまでの一連の議論の中で見えてくるのが、「作家的な建築家」個人やグループを中心に価値が収斂していく旧来のモデルに対し、むしろ建築に関わる無数の個々人による膨大なネットワークや関係性への粒度の高い眼差しと価値転換が、労働者の権利や働き方の再考という形で現れているという点だ。上述のブリオニー・ロバーツはこれを「ねばねばした」「乱雑な」「スペシフィックな」などの、20世紀末の批評理論を中心に台頭した形容詞と絡めて、現代の実践の在り方のキーワードとして考察する。すなわち、建築に関わる個々人の間のねばねばした粒度の高い関係性への気づきは、そのまま社会における建築の実践の新たな地平を切り開くのである。

このように建築に関わる多様な因子とその関係性に着目し、時と場合により変幻自在にその役割を変えるような実践を行っているのが、ブルックリンに拠点を置くSITUという設計事務所だ。スタジオ、リサーチ、ファブリケーションの3つの部門を中心に活動するこのグループは、建築家として建物をデザインするだけでなく、時には施工者として建築家のデザインの実現を手助けする。独自のデジタルファブリケーション施設を抱えるSITUは、施工に関する知見を設計活動やリサーチと掛け合わせることで育みながら、そこで培った技術を今度は施工者として他の建築家に積極的に価値提供していく。代表的な作品として、設計事務所COOKFOXによるロビーデザインを施工した300 Lafayette Lobby、ヘザウィック・スタジオによるリトルアイランドの座席デザインの施工などが挙げられる。

SITUが施工を担当した、設計事務所COOKFOXによる300 Lafayette Streetのロビー空間(撮影者:Bruce Damonte)
スタジオと併設された自社工場での、デジタルファブリケーションを駆使した独自の木造・金属加工技術が複雑な形状の施工を可能にする(撮影者:SITU)
Heatherwick Studio設計によるニューヨークの人工公園「リトルアイランド(Little Island)」の円形劇場の座席部分もSITUによる施工である(撮影者:Timothy Schenck)

モノなどのハードウェアだけでなく、空間や都市環境の専門家として建築業界外の活動を手助けするソフトウェアの研究や開発に取り組んでいるのもSITUの特徴だろう。Codecは事件の捜査や検証、裁判などで重要な役割を果たす膨大な量の証拠映像を、その位置情報やタイムラインと並列して一つのインタフェース上で同時に表示することを可能にする、SITUが独自に開発したプログラムである。これまではそれぞれが独立して取り扱われていた事により、比較検証や一括管理が困難であった無数の証拠映像を一つのプラットフォームで統合する事で、より正確かつ効率の良い捜査や裁判を可能にする。

裁判や事件の捜査などで使われる膨大な数の証拠映像を、タイムラインや撮影場所の位置情報などと同時に参照できるインタフェース「Codec」(“Codec: Demo & Soft Launch”, SITU, 2022)

これらは警察による不当な抗議デモの鎮圧などの検証を行う人権団体や調査機関との協働から派生したプロジェクトであり、今後実地での利用が期待されている。ここでは建築家が得意とする、時間と空間に関する情報を統合しビジュアライズする技術が一つのソフトとして形になり、それが業界外のアクターを巻き込む価値提供となっている。

彼らの実践の興味深いところは、建築の作風やデザインの革新性などの旧来の価値基準(作家的な建築家像)からは距離をとり、むしろそれらを実現するプロセスやアクターを解像度高く観察することで、職能としての設計、職業としての建築家を越境した独自のネットワークを新たに構築している点だろう。そしてそれを可能にしているのが、ハンズオンなファブリケーションのための自社工場やエンジニア、プログラマー、研究者といった多彩なバックグラウンドを持つ事務所員による相互の関係性と粒度の高い協働の在り方なのである。

SITUが主に「ものづくり」を中心とした活動を展開するのに対し、ニュージャージー州ニューアークに拠点を置く建築ユニットHECTORは、主に「まちづくり」の側面からユニークな実践を展開する。「場所が持つ政治性(Place Politics)」に着目する彼らの設計活動の特徴は、まず対象となる敷地や地域に深い関わりを持つコミュニティや行政、ステークホルダーの関係性とそれぞれが持つ価値基準を様々な企画を通して明らかにし、より良いまちづくりを可能にする仕組みづくりから始める点にある。HECTORが2015年から約2年間その制作に携わった「ニューアーク土地利用法」がその良い例だろう。

HECTORが制作に携わった「ニューアーク土地利用法(Newark Zoning & Landuse Regulations)」。ワークショップを通して地域住民やディベロッパーの価値基準を把握しつつそれらを反映する形で旧来の土地利用法がアップデートされた。また難解な専門用語などをわかりやすいグラフィックで表し、土地利用法の透明性を高めた(本リンクより公開PDFが閲覧可能)

1950年から一度も更新されてこなかった土地利用法を新たに策定するにあたり、HECTORは住民を巻き込んだワークショップや模型製作、展示会などを企画するオーガナイザーとしての役割を果たした。住民やディベロッパーの土地利用に対する理解を深めると同時に、彼らの価値基準と合意形成のプロセスを明確にすることで透明性の高いゾーニング法を実現した。ここではHECTORの建築家・都市計画家としての主体は消去され、むしろ彼らが設計しているのはまちに関わる多様なアクター同士が協働できるインタラクティブなツールやイベントである。

ニューアークのパサイック川(Passaic river)沿いの遊歩空間と公園を整備する事業では、ワークショップや地元の高校生と協働するユースプログラム、近隣住民を巻き込んだツアーの企画などを通して、地域の歴史や背景を共有すると同時に、望ましい川沿い空間の姿を議論していった。

パサイック川沿いの遊歩空間と公園。カラフルな遊歩道が川に沿って伸び、その内側にはポケット状の公共空間が点在する(筆者撮影)

遊歩道自体の整備に加えて最終的に設計されたのは、これらのイベントを通して共有された地域の歴史や背景を様々な方法で寓話として織り込んだフェンスや標識といったオブジェクトである。本来は場所の制約を表示する無味乾燥なモノであるこれらの政治性を逆に利用し、共有された地域の個性を豊かに発散する物体へと価値転換を行う。ここでは周辺住民を巻き込んだ学びと共有を設計の手段としながら、設計される場所も再び学びと共有の場となるという好循環が生まれている。

幹線道路との境界にはパサイック川の歴史や地域の背景を象った柵が巡っている(筆者撮影)
入り口の標識や遊歩道の手すりにはこの場所の歴史が寓話として描かれている。本来制約を表現する無味乾燥なこれらの”モノ”にも学びと共有のための工夫が施されている(筆者撮影)
公園で開催されたハウスパーティの様子。近隣住民や地元のDJなどが集まり、遊歩道が一変して賑わいの場へと変貌する。様々なアクターを巻き込むデザインプロセスを経て完成した空間は、無数の個人によるネットワークの基点となる(LGNDFILMWORKS, “Newark Riverfront Park House Party”, 2019)

HECTORの活動はSITU同様、建築や都市環境に関わる膨大なアクターの関係性に着目し、企画やイベントなどの「ソーシャルツール」をデザインする事で独自のネットワークと設計プロセスを構築している点が特徴的だろう。両事務所の活動から浮かび上がってくるのは、建築の地平には様々な人や組織による「ねばねばした関係性」が広がっている事実と、その関係性をスペシフィックに観察しながら介入していく事でSITUもHECTORも新たな実践の形を提示しているという点だ。このように建築そのものではなく、建築と関わることで見えてくる無数の個人やそのネットワークに着目した活動には、日本の建築的状況との同時代性を見ることもできるだろう。最後にここまでの議論を土台にこの点について考察しながら、連載全体の総括を試みたい。

作家から無数の個へ、その“わからなさ”

この連載は磯崎新による『建築の解体:1968年の建築情況』をその土台としてきた。「建築が解体されていく」という感覚に現代との同時代性を感じながらも、当時とは決定的に違う何かがあると思い、それを考察してみたかった。そしてその違う何かとは冒頭でも述べた通り、建築の外に明確な主題を持った「外向きの解体」であるという点だ。そしてその違いにこそ現代アメリカ建築を紐解く鍵があるのではないかと考えた。しかしながら、この連載を通してこの仮説には2つ間違いがあったように今は思う。それは明確な主題(6回ごとのテーマ)と「アメリカ」をトピックとして設定したこと、すなわち連載という形式を保つために対象を限定したという間違いだ。

これはオリジナルの『建築の解体』とこの連載の書かれ方を一歩引いて比較することで見えてくるように思う。それは『建築の解体』が特定の作家に焦点を当てながら、筆者本人の作家論や姿勢も同時に補強するという「作家への収斂」という裏テーマがあったのに対し、本連載では特定の作家像というのは浮かび上がってこず、むしろ多様に建築と関わり合う「拡散する個」を6つの主題とアメリカを用意することで、かろうじて連載としてまとめた、という違いである。すなわち、序論と冒頭で提示した解体の3つ目のダイアグラムは「特定の主題に向けて無数の個が収斂する」ように見えるという点でミスリードであり、本連載、特に今回の第6回を通して考えたかったのは、むしろ「無数の個が多様に拡散する中でぼんやりと様々な主題が見えてくる」解体の運動であり、それらが従来の建築の領域を押し広げていくような図式である。その方が私自身の論じたかった「建築の解体」のイメージに近いように感じる。

そしてそのような現象を、今回取り上げた作家としての建築家像の解体とSITUやHECTORの例に顕著な、従来の建築の枠組みを越えた多様なアクター間の「ねばねばした関係性」への眼差しの中に見るのである。そしてこのような傾向は必ずしもアメリカに限った話ではなく、ユニットやグループでの建築活動がますます活発になる日本での協働の在り方や、コミュニティや地域に密着した設計活動の台頭ともパラレルに見ることのできる現象だと感じる。そしてその背後に浮かび上がるのは、従来の建築の考え方や実践、作家の在り方には限界があるという危機感と同時に、建築の地平にはこれまで見えてこなかった無数の個による様々な「世界」が広がっているという“わからなさ”に対するぼんやりとした期待感★5ではないだろうか。そして本連載ではその危機感と期待感が入り混じった「わからない世界を、環境破壊やデジタル技術、ポストコロニアルや多様性社会などの主題として仮に設定し、現代アメリカの建築論としてまとめた。

「現代アメリカに見る建築の解体の行方」ロードマップ、筆者作成

私は正直に言うと、建物自体やそれを設計するという職業に格別の魅力を感じて建築の世界に入ったわけではない。むしろ建築のことを考えることや建築に関わることを通して、本来その全貌はわかりえないものであるはずの私たちの「世界」のその一端が少しだけわかるような気がする、そんな感覚にこの上ない魅力を感じて建築の世界に入り、4年前にその世界を少しでも広げてみようとアメリカで建築を学ぶことを決意した。そしてこの4年間を通して感じたのが、世界はますますわからないものへと変貌して(あるいはわからないものであるという事実を突きつけられて)いる事であり、それゆえに建築について考える事はこれまで以上に重要で魅力的な行為であるという事だ。この連載は、実は私自身が建築に対して持っている極めて個人的な感覚と建築について考えることの楽しさを、「解体」という現象で表現しながら、「アメリカ」という体験を通して共有したかっただけのように、今は思う。今後はアメリカでの建築実践に活動の場を移しながら、引き続き建築と関わる中で見えてくる様々な世界について発信していきたいと考えている。

最後に連載の公募を企画してくださった建築討論委員会の市川紘司委員長と委員の皆様、一年間連載を通読してくださった読者の皆様、そして各回の校正と編集を担当され、最初の読者として一年間フィードバックをくださった福屋粧子先生に、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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★1 Log48: Expanding Modes of Practice 2020, Deborah Garcia, “Call Me Daddy”, Anyone Corporation, NY, pp.15–20

★2 本連載第5回に引き続き、ここで批判されているのは松村淳氏が『建築家の解体(2022)』で詳細に論じる「標準化しえない技術」とそのブラックボックス化によって建築家が権威性を獲得する仕組みである。

★3 アメリカの建築学生界隈で支持を集めるのがDank Lloyd Wrightと呼ばれるインスタグラマーである。このアカウントは権威的な建築家や搾取的な労働の在り方などの業界内の構造的問題点を、過激なミームを利用して告発していく。

★4 この統計はアメリカ建築家協会(AIA)が2018年に実施した「企業サーヴェイ」の報告書を基にしている

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鮫島卓臣/ Takuomi Samejima
建築討論

イェール大学建築大学院修士3年生(Yale School of Architecture, M.Arch1,23')2019年度フルブライト奨学生(Fulbright Scholar 2019)