出稼ぎ労働と”飼い慣らされる”都市|カサブランカ、モロッコ

連載:「Afro-Urban-Futurism / 来るべきアフリカ諸都市のアーバニズムを読みとく」(その6)

路上を自分の”生活世界”に作り替える

モロッコ・カサブランカに滞在していた頃、路上でよく、”サブサハラン”と呼ばれるサハラ砂漠以南のアフリカ — — — 主に西アフリカ出身の移民たちによる商売をよく見かけた。

スペインと目と鼻の距離にあるモロッコに、ヨーロッパへの亡命を狙ってやってくる移民も多いらしいが、実際は出稼ぎ労働を目的とする移民が大半だ。

市内の市場には、「アフリカン・マーケット」と呼ばれるエリアもあり、サブサハランの移民たちによって運営されている。我々からするとモロッコもアフリカじゃないかと言いたいところだが、サハラ以北と以南で、民族も文化も社会構造もかなり違う。

日常生活で特に目をひくのは、プラスチックの椅子と机で即興的にあしらった、西アフリカの女性による路上のビューティーサロンだ。旧中心市街地であるメディナなど、観光客が多いエリアで商売しているのをよく見かける。歩いていると、”Ma Cheri!”(フランス語で、マイダーリン、みたいな意味)と声をかけられ、年季の入ったヘアスタイルカタログを無理矢理手に押し付けられる。アフリカ流の髪の編み込みスタイルや、ネイル、ヘナなど多様なサービスがあり、声も態度も背後で流れる音楽も大きい。アラブ系のモロッコ人とはまた違う様相で、愉快な気持ちになる。

都市化が急ピッチで進むアフリカ大陸だが、その要因として、農村から都市への出稼ぎ労働者の存在が大きいと言われている。もちろん、都市への流入は、モロッコにいるサハラ以南の移民のように、国境を跨いで行われることもある。このような出稼ぎ労働者の日常生活の総体が、現在のアフリカ都市を形作っていると言ってもいい。

文化人類学者の松田素二は、1996年に刊行された著書『都市を飼い慣らす アフリカの都市人類学』において、アフリカの都市化は「出稼ぎ民都市化」であると指摘した。そのうえで松田は、ケニア・ナイロビのラゴリ人出稼ぎ民を参考に、このような出稼ぎ労働者による、過酷な都市環境を生きのびる戦略を記述した。自分たちにとって本来異質で外来のものである都市世界を、日常生活における 不断な努力によって自分たちの 「生活世界」へといかに変換するか。例えばそれは、故郷の民族共生環境を模倣した<村>的な関係性作りであったり、異人である他者を「身内」へと変換し扶助ネットワークを拡張する工夫であったりする。開かれた世界で伝統を更新しつつ疑似的に故郷の環境を再現するこのプロセスを、松田は「都市を飼い慣らす」という言葉で表現している。

カサブランカの路上で活動するサブサハラン移民を見た時に私の頭に浮かんだのは、まさにこの「都市を飼い慣らす」実践であった。白い目で彼女たちを見つめるアラブ系のモロッコ人たちに一切動じず、プラスチックの椅子に座って髪の毛を編む西アフリカの女性たち。故郷でよく聞いていたのであろう音楽をラジオから流しながら、遠く離れた家族とWhatsAppで通話をしながら、文化を同じくする同郷の仲間たちと自分たちらしい生活世界を生み出している彼女たち。、。インフォーマルなビジネスを通じて、彼女ら故郷のサービスや文化環境を再現しようという彼女らの生活実践の産物がこのビューティーサロンであり、カサブランカという街を彼女たちなりに理解し、自分達らしくアレンジ・更新し、使いこなす = 飼い慣らす手法の一つだ。

西洋が形成した近代都市を、”飼い慣らす”

アフリカの文脈において”都市”とは、ヨーロッパ人による植民地支配のために人為的に形成された空間である、という歴史的側面は否めない。「ヨーロッパ近代が強制した枠」であり、資本主義経済と新自由主義を軸に機能しているのが、現代の都市だとしよう。

その枠組みにいったん飲み込まれながら、松田が観察したケニアの出稼ぎ労働者や、筆者がカサブランカの路上で見たサブサハランの移民たちは、危険とストレスにさらされる都市の生活のなかで、自らの便宜に合わせて秩序を再構築する。例えば、路上にプラスチックの椅子を並べただけのインフォーマルなビジネスを、警察の目を潜り抜けながら、同郷の仲間たち何人かで役割分担しながら行う実践。それは都市の厳しい現実を「需要し屈服するなかで、内部からその仕組みを組み替え、ついには喰い破っていく実践だ。このプロセスに、松田はアフリカの都市のダイナミズムの正体をみた。

都市という巨大な怪物を相手に格闘した松田がこの本を出版したのは、しかし1996年のこと。そこから、アフリカの人口は2倍以上に膨らんでいる。2024年の現在、都市に新た流入する労働者たちは、どのように都市を我がものにし、日常的実践を築きあげているのだろうか。

アフリカの都市における移民、都市化、発展といったトピックに焦点を当て、これらが地域や都市の発展に与える影響について議論された「Migration, Urbanization, and Development: New Directions and Issues」(Tanvi Bhatkal, Sharmila Kantha, Priyanka Nair 著)、アフリカの都市化が雇用と貧困に与える影響に焦点を当て、都市における経済的な機会や課題について議論された「Urbanization, Employment, and Poverty in Sub-Saharan Africa」(John Page, Abebe Shimeles 著)などさまざまな論考が後年出ているが、日本におけるアフリカの都市化とその文化様式に関する近年の研究は、まだまだ数が少ないのが現実だ。

アフリカ主要都市の人口増加 国連人口予測2022年版からジェトロ作成 出典:ジェトロ

また、松田のアプローチのように、フィールドに入り込み、そこの人間の「当たり前の日常生活」を共有すること、そして、”彼らがいかなる「生活の論理を」をもち、その論理に基づいていかなる「生活実践」を繰り広げ、その生活実践がどんな「生活世界」を作り出し★”、それがどう”都市”の日常を形作っているのかを、アフリカ都市において経験主義的に観察し、記述する実践はまだ少ない。

連載振り返り / 日常生活から都市を観察する

本稿ではこれまで、そんな急激な都市化、人口増加といった変化が現在進行形で行われている現場であるアフリカの諸都市にフォーカスし、筆者自身が約9ヶ月の滞在のなかで目にしたさまざまな事例をベースに「来るべき新しい都市論」の可能性を議論した。

2025年にはほとんどのメガシティがアジアに集中するのに対し、2100年には大都市のほとんどはアフリカに位置する、という予測がなされている。過去15年で、エチオピアの都市人口は3倍、ナイジェリアは2倍となった。しかし、アフリカを含む途上国を対象とした研究のプレゼンスは、未だに低い。そんなアフリカで、アフリカから始まる新しい都市のパラダイムの可能性、そしてそれを読み解くための理論的枠組みを探求する作業には価値があるはずだ。

第1回(Mud over concrete)では、近年中産階級の”近代的な家のステータスシンボル”として、好んで使われるコンクリートという素材に対し、22年度のプリツカー賞を受賞したフランシス・ケレをはじめとする伝統的な土の建築物への回帰について議論した。

第2回(Post apartheid landscape)では、かつて「世界一高層のスラム」と呼ばれた南アフリカ・ヨハネスブルクのポンテ・タワーの変遷になぞらえて、経済発展と近代化の進むポスト・アパルトヘイト時代の都市を思考した。

第3回(ブラック・クィア・ペース)では、ケニア・ナイロビのLGBTQ+コミュニティが形成するクィア・スペースとセクシャルマイノリティによる都市空間における経験を考察した。

第4回(エジプト、首都移転計画)では、人口増加の進むエジプト・カイロの首都機能飽和状態を解消するために始まった新首都の建設計画から、急激な都市化とプラネタリーアーバニゼーションを論じた。

第5回(プラスチック・マウンテンとエディブル・シティ)では、トーゴ共和国でセナメ・コフィが取り組むオ・ヴァナキュラー・シティとエディブルシティ構想についてのケーススタディを紹介した。

そして本稿(第6回、出稼ぎ労働と”飼い慣らされる”都市)では、モロッコのストリートにおけるサブサハラン移民のインフォーマルな実践と、出稼ぎ移民によるアフリカの都市化を論じた。

以上、計6カ国6都市を1年間かけて巡ったことになる。人種、民族、社会による制限を打破し、個人が自分らしくあるために力を与え、自由を得るための思想「アフロ・フューチャリズム」にかけて、本稿のタイトルは「アフロ・アーバン・フューチャリズム(Afro-Urban-Futurism)」とした。近代西欧中心社会を軸として生み出された現代都市とはまた違う軸で、アフリカなどの途上国から始まる新しい都市のパラダイムの可能性、そしてそれを読み解くための理論的枠組みを発見したかったという意図がある。また、実際に現場に飛び込み、現地の有識者・実践者とのしっかり顔を突き合わせて対話・観察することで開けてくる地平を大切にしたいと思い、エッセイ風のテイストを各回意識した。

アフリカのアーバニズムを多角的に読み解く一助として、ケープタウン大学内の研究機関・African Centre for Cities (ACC) により発行された『Rogue Urbanism: Emergent African Cities』のサマリー記事も執筆したので、ぜひ参考にしてほしい。本書は、既存の理論的枠組みやポストコロニアルな状況を意識した読解に加え、アフリカ諸都市における日常的実践と寄り添いながら、新しく適切な理論研究を生み出すことを目的としている。貧困や開発支援、植民地といった大きな物語に飲み込まれがちなアフリカという土地では、理論から出発するのではなく、日常的実践の読解(本書では“Everyday Urbanism”という言葉で説明されている)から都市を理解する必要があると、私は信じている。

ジェニファー・ロビンソンの提唱する、「普遍化ではない、よりコスモポリタンで、より多岐にわたる事例を射程にいれた都市研究(=ありふれた都市 ”Ordinary Cities” 論)」が今後発展し、アフリカの都市や、私たちの暮らすアジアの都市を対象とした都市研究や実践や今後発展することを願って、本連載を閉じたい。■

★参考:書評 松田素二著『都市を飼い慣らす アフリカの都市人類学』鈴木祐之

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杉田真理子/Mariko Stephenson Sugita
建築討論

An urbanist and city enthusiast based in Kyoto, Japan. Freelance Urbanism / Architecture editor, writer, researcher. https://linktr.ee/MarikoSugita