協働作業としての建築史の記述と共有知

連載:改めて、ジェンダーから建築を考える(その3)

根来美和
建築討論
16 min readMay 9, 2023

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前回は、1980年代にロンドンで活動したMatrix Feminist Design Co-operativeの実践を通して、コレクティブで運営される組織内での協働のあり方とその可能性に触れた。本稿では、近年取り組まれている協働作業としての建築史の記述や学びへの試みを紹介したい。

ジェンダーの視点から編纂される建築史

英雄化された男性建築家像と作品を中心に語り継いできた近代建築史において、そうではない建築家や空間の作り手が見過ごされてきたことは、これまでにも多く指摘されてきた。とりわけ1970年代頃より隆盛した建築史学におけるフェミニズムの動きの大きな潮流は、建築高等教育を享受した草創期の女性建築家の活動に光を当てることであった。例えば、近代運動勃興の最中で、性役割やジェンダーの固定観念と闘ったパイオニアとして、同時に巨匠の影の立て役者として、リリー・ライヒやシャルロット・ペリアン、シビル・モホリ=ナギ、マルガレーテ・シュッテ・リホツキーなどの研究が数多くなされてきた。日本では、浜口ミホや奥村まこと、土浦信子などの再評価が挙げられるだろう。これらの研究は非常に重要である一方で、彼女らは抑圧社会の被害者か著名建築家の配偶者として紹介されることが多く、異性愛規範的家父長制がいかに機能しているかを実証しているという批判もなされてきた★1。

このような潮流に対し、ジェンダー二元論を疑問視し、人種やセクシュアリティ、階級などの交差性から建築を考える動きの高まりから、非西欧圏の文脈でモダニズムを翻案した建築家の評価が進む。例えば、職人集団による工芸技術や土着的な建築素材を取り入れ、のちに批判的地域主義建築と呼ばれる住宅様式を残したスリランカの建築家ミネット・デ・シルヴァ(Minnette De Silva、1918–1998)がいる。ムンバイとロンドンで建築を学んだのちスリランカ中部キャンディに事務所を構え、CIAMの代表メンバーも務めたデ・シルヴァのような国際的建築家の存在──同時に近代建築史におけるその不在──は、越境性とジェンダーから紡ぐ近代建築史の可能性、つまり様々な地政治的条件で展開した複数形のモダニズムを複層的に思考するための道筋を示唆している。このようにグローバルな歴史記述を探る広がりは、日本の建築教育においても、日本・西洋・世界建築史という区分で記述されることが主流のなか、一つの国家や地域性を超えたグローバルヒストリーの視座から建築を語る必要性が重視されてきていることからも伺える。

Fig.1 ミネット・デ・シルヴァ「Karunaratne House」キャンディ、1951年[出典:Architectuul]。2000年代以降、廃墟状態が続き、近年取り壊しが予定されている。

方法論としての移住/移動(Migration)

しかし、インターセクショナリティの視点だけでは、トランスナショナルな建築史を描くことは難しい。建築史家アノーラーダ・アイヤー・シディキ(Anooradha Iyer Siddiqi)★2とラヘル・リー(Rachel Lee)★3は、一箇所に留まらざるを得ない状況を強いた新型コロナウィルスのパンデミックによって、境界を越えた共同作業としての建築史記述の緊急性が浮き彫りになったと指摘する。ウェブジャーナルでの共編著「Feminist Architectural Histories of Migration」★4において、シディキらは「移住/移動」(Migration)を概念的手法として建築史の語り直しを試みている。

特定の建築物が時間的に持久し、それを支える認識論が構築されてきたためか、長い間、「固定性」という概念は建築史学の拠り所となってきた。私たちはこの幻想に抗い、時間や地理的な広がりを超えて空間を作り、作り変える流動性を重視する。移住/移動は、固定性を揺るがし、そして再定住化させる。それは、異なる場所において、国境を越えて、馴染みのない文化的文脈の中で、生活や家庭を空間的に再構築することを意味する。権力の不均衡や社会的・空間的不公正を露わにし、境界領域あるいは余白部分の輪郭を描き出す。★5

ただし、ここでのマイグレーションは、たんに「移住」を意味するのではなく、さまざまなかたちでひとや事象が異なる文化社会政治領域へと移動する現象を指す。ゆえに本誌の分析も、移民のための建築や、移住のバックグランドを持つ建築家による作品ばかりを対象とするものではない。彼女たちは、移動を「構築された環境と空間・物質的実践に関する一連のフェミニストによる語りの根底にある中心概念と歴史的出来事」として、さらには「反父長制、反人種差別、反カースト制、反形態主義の建築史を書く方法」として捉えることで、建築史に新たな方法論と視座を取り入れることを提案する。

Fig.2「On Collaborations: Feminist Architectural Histories of Migration」(Aggregate 10)誌面 [出典:Aggregate]

重要なのは、シディキやリーが、移動とジェンダーは互いに不可分な文化的変化を建築空間にもたらしてきたと捉えている点である。誰が移動でき、あるいはできないのか、また、どのような状況や環境で、どのような制度や権力によって、誰が移動し、あるいはさせられるのかを考えてみると、移動という着眼点から近代建築史を編む試みは、もの・人・概念の往来とジェンダー構造がいかに建築や都市空間の生産過程や使用条件に作用し、同様に構造化してきたかという批判的な視点を生み出す。例えば、ユーニス・セン(Eunice Seng・成美芬)は、第二次世界大戦後の香港において建築業に従事したものの記録されてこなかった女性たちの歴史を、女性移民労働者の大量流入、英国と中国双方の家父長的社会背景との関連から記録していくことで、香港の戦後建築史の読み解きを図っている★6。現在進行中のリサーチであり結論を導き出せてはいないものの、匿名的な女性移民労働者たちのメディア表象から香港の建築アーカイブを構築することで建築史を紡ぐ意欲的なプロジェクトだ。

水平的に広がる共有知の模索

さらにシディキらは、移動とジェンダーからみる建築史記述の方法論を相互依存性や協働に結びつけている。つまり、建築や建物に付随する単独のオーサーシップを重視してきた近代建築史学の系譜や方法論から離れ、周縁や境界域で生まれる集団的な複数のオーサーシップを逆照射するような多声的な建築史は如何にあり得るだろうか、と問うているのである。それは、複数系のモダニズムを思索的に語り直すという挑戦とも言えるだろう。

このような複数性の実践を試みる建築史記述の方法論は、どのように建築の知識体系が構築、形成、共有されるべきかを考える教育学と不可分ではない。建築家、歴史家のアナ・マリア・レオン(Ana María León)は、デコロニアル思考を基礎に、アメリカ両大陸の建築空間に現れるモダニティ/コロニアリティ★7の問題を研究の中心に据えながら、インターセクショナルなフェミニスト的建築教育の方法論を探る一人だ。

レオンは個人での執筆や教育活動のほか、簡易サイトから大きな団体に至るまで様々なプラットフォームや組織、コレクティブを設立している。それらの多くはオープンソースで、インターネット環境が整備されてさえいれば、誰でもアクセスすることができる。例えば、アメリカの大学で教鞭をとる建築家や建築史家、美術系キュレーターと共に共同設立された「The Feminist Art and Architecture Collaborative (FAAC) 」★8は、美術と建築の新しい教育手法を作るために活動する研究団体である。Googleドキュメントなどのツールを用いたコレクティブ・ライティング・ワークショップや、MIT主導のプロジェクト「Global Architectural History Teaching Collaborative」と共に、各教育機関のシラバスを考えるワークショップ「FAAC Your Syllabus!」を開催し、その成果をマニフェストとして発表している。

Fig.3 ハーバードデザインマガジンに掲載されたFAACによるマニフェスト [出典:FAAC、ハーバードマガジン46号]

彼女のより草の根的な活動としては、Googleドキュメントで共有される「SPACE/GENDER READING LIST」や「SPACE/RACE READING LIST」がある。空間と人種、ジェンダーにまつわる関連文献リストだ。リストにあるのは主に英語文献であるが、建築理論に関するものに留まらず、ブラックフェミニストによる人種とジェンダーの交差を指摘する著作、クィア理論、インディジネスの知識とセトラーコロニアリズム研究に関する書籍なども紹介されている。様々な政治的要素の交差する場所として建築、都市、空間、場所性を捉えるための資料が蓄積・共有されているわけだ。

レオン自身、植民地主義や帝国主義による抑圧的構造が続く現在の状況を鑑みた際に、自分がかつて大学で教わった西欧中心で白人至上主義的な建築理論を無批判に生徒にそのまま教えるべきではないと考えたことを率直に語っており★9、講義では、本連載その1で触れたベルフックスや後述するサラ・アーメッド(Sara Ahmed)による空間論を度々引用しているという。建築学科において、ジェンダーやセクシュアリティ、人種の交差を学ぶ機会を得ることは、自らが積極的に探さない限り多くはないからだ。建築・ジェンダーを巡るインデックス、またはツールボックスとして機能しうる草の根的でオープンな形でなされる知識の共有方法は、学生主体でも実践されている。例えば、スウェーデン王立工科大学建築学科の学生は、「Calling all architectural feminist killjoys! Ahmed for architecture students」(2019)★10と題したジンを制作・公開し、建築学生が空間を考える際に必要な理論を積極的に共有していく重要性を訴えている。

Fig.4 ジン「Calling all architectural feminist killjoys! Ahmed for architecture students」 [出典:Arcam]

サラ・アーメッドは、著書『クィア現象学(Queer Phenomenology: Orientations, Objects, Others)』(2006)において、あらゆる身体は時間と空間を通して、一定の中心に向かって、ストレートとして直線的に「方向づけられる(orientated)」★11と指摘する。ここで言われる中心とは、白人男性優位、異性愛主義など優劣の価値観が生む規範や行動様式にほかならない。そして中心への方向づけから逸脱する身体は周縁として他者化される。さらにアーメッドは、公園などに現れる「欲望される道」(けもの道のことで、英語ではDesired linesと呼ばれる)を、マジョリティの行動様式に従うよう施設された道から外れる手助けをしてくれる道だと喩えている。スウェーデンの建築学生によるジンでは、このような「方向づけ」や「欲望される道」などアーメッドによる問題提起を建築的に解釈し、空間と身体における不均衡な力学を構造的に理解した上で新たな空間のあり方を思考するために、建築学生に次のように再考を促す。「私たちの建築的「直線」は、どこから、誰から受け継いだものだろうか。設計課題のデザイン過程において、直線に沿わない者たちが歩むことのできる欲望の道を想像し、探求することはできるだろうか」と。

引用の政治学

規範的な歴史から取りこぼされてきた声や身体の物語を可視化し前景化させることは、アーメッドの言うフェミニスト精神と「引用の政治学(politics of citation)」★12に繋がる。抑圧者の言葉を引用し続けるのでは、抑圧を生み出してきた知識の再生産装置になるだけだ。一方で、過去に闘ってきた数多くのフェミニスト──歴史の中で認識されてこなかった者たちも含めて──の声を引用し、共鳴させることは、時代、世代、場所を超えた集団的な抵抗とエンパワーメントの場を生み出すことになり得るだろう。

引用はフェミニストの記憶だ。引用は先立つ人々──進めと言われた道筋から外れてしまったために道があやふやになってしまったとき、道を探すのを助けてくれた人々──に対して、私たちが負っている借りを認識する方法なのだ。(中略)引用がフェミニストのレンガになることもある。引用とは、そこから、またそれを用いて、自分の住居を組み立てるための材料だ。★13

フェミニスト精神の建築実践では、協働的なコレクティブの形が想像されてきた。それは、建築意匠や組織体系だけでなく、権力構造を生むような中心と階層を再生産する知識体系を見直し、現在進行形の歴史記述や教育の方法論において、建築の知が水平方向に形成、共有されることを目指すもの、つまり権力のメカニズムへの抵抗と連帯の形なのである。■

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★1:Torsten Lange, Lucía C. Pérez-Moreno, “Architectural Historiography and Fourth Wave Feminism,” Architectural Histories, 8(1): 26, 2020, pp. 1–10.
★2:コロンビア大学建築学部助教授。建築と近代、移動の歴史を専門とし、アフリカや東南アジアの歴史性やアーカイブにおける問題、遺産の政治学、フェミニストの実践と植民地建築の研究を行う。近刊に、アフリカやイスラム圏における空間政治を分析する「Architecture of Migration: The Dadaab Refugee Camps and Humanitarian Settlement」(Duke University Press、2024年予定)や「Minnette de Silva and a Modern Architecture of the Past」がある。
★3:デルフト工科大学建築学部助教授(建築史、都市計画)。モビリティとジェンダーなどの関心を中心に植民地建築やアーバニズム研究を専門とする。
★4:研究対象や文脈、形式の異なる3つのウェブジャーナルArchitecture Beyond Europe(2019)、カナダ建築センター(CCA)のウェブサイト、Aggregate(2022)において段階的に公開された。CCAではドキュメンタリー映像やイメージギャラリー、著者による論稿の朗読が収録され、Aggregateではゲストが収録論稿を引用し音読する映像が公開されるなど、大部分を文字に依拠する歴史記述に対して、口頭性(オラリティ)を探っている。
★5:Anooradha Iyer Siddiqi and Rachel Lee, “On Collaborations: Feminist Architectural Histories of Migration,” Aggregate 10, 2022.
★6:Eunice Seng, “Working Women and Architectural Work: Hong Kong 1945–1985,” Aggregate 10, 2022.
★7:近代性/植民地性とも訳される。植民地性は近代性が生み出した負の側面であると認識し、西欧文化を普遍的なものとして受容することで他世界の文化、社会、言語を抑圧し続ける構造を指す。デコロニアル思考とは、ラテンアメリカの思想家アニバル・キハーノやウォルター・ミニョーロ、マリア・ルゴネスなどによって展開され、植民地性から断絶し、異なる知識体系のあり方を考える必要性が唱えられている。
★8:マルティナ・タンガ(Martina Tanga)、テッサ・パネス・ポラック(Tessa Paneth-Pollak)、アナ・マリア・レオン、オルガ・トゥルーミ(Olga Touloumi)によって共同創設された。https://faacweb.wordpress.com/ [accessed 29.4.2023]
★9:Lecture series “Horizontal pedagogies: in classrooms, Anna María León & Pelin Tan,” Moderated by Paniz Moayeri, 2022.
★10:大手学術出版社ラウトレッジによるシリーズ「建築家のための思想家」(2007年〜)に取り上げられている思想家が、ピエール・ブルデュー、ミシェル・フーコー、メルロ=ポンティなどすでに広く認知された男性思想家に限られていることを受け、サラ・アーメッドをシリーズに提案する形でジンが発表された。スウェーデンのデジタルアーカイブ(DiVA)よりPDFをダウンロードできる。
★11:Sara Ahmed, Queer Phenomenology: Orientations, Objects, Others, Durham and London: Duke University Press, 2006.
★12:Sara Ahmed, “Making Feminist Points,” Feministkilljoys. https://feministkilljoys.com/2013/09/11/making-feminist-points/ [accessed 29.4.2023]
★13:サラ・アーメッド著、飯田 麻結訳『フェミニスト・キルジョイ: フェミニズムを生きるということ』(人文書院、2022年)

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根来美和
建築討論

ねごろ・みわ/キュレーター、研究者。建築学(建築史専攻)修了後、空間デザインに従事したのち、現在ベルリン/ウィーンを拠点に活動。トランスカルチュラルな表象やパフォーマティヴィティ、デコロニアル理論と近代の再編成への関心を軸に、主に現代美術や舞台芸術に携わる。