場所と幸福感についての文化心理学的考察

057|202107|特集:感情都市

内田由紀子
建築討論
18 min readJul 1, 2021

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写真1:シュヴェービッシュ・ハル(筆者撮影)

場所がもたらす文化的アフォーダンス

「場所」とは単なる物理的空間ではない。場所は、歴史的に積み重ねられてきた人々の交流、経済活動、喜び・誇り・悲しみなどの感情的記憶と結びついている。かつてギブソンが「アフォーダンス」についての理論の中で、ある物理的な状況が、特定の行動を誘発することを述べている。たとえば表面が平たくて適切な位置(人間の膝ぐらいの高さ)に存在する物体は、その面に人が座ることを促進する。ギブソンの概念は認知心理学的なものであるが、「物理環境→身体運動」というアフォーダンスだけではなく、「文化」という複雑な現象にもこの理論をあてはめて考えることができる。文化心理学においては、文化が心の働きを誘発し、また、心の働きが新たに文化環境を構成するという「文化と心の相互構成プロセス」を想定するが、文化的環境が一定の思考や感情、あるいは他者との相互交流のありかたなどの「心の働き」を誘発するという、「文化的アフォーダンス」という概念が提示されている(北山, 1998)。場所に結び付いた文化的な意味が、単なる物理的環境を超えて、私たちの感情を動かすならば、場所は文化的アフォーダンスとしての機能を果たしているということになるだろう。

ヨーロッパを訪れた際には教会でまさに文化的意味を体感した。信仰がなくとも、荘厳で空高く突き抜けた天井、光がまばゆく差し込むステンドグラス、静かに靴音が響く床、描かれた壁画などを見ていると、自ずと「敬虔な気持ち」「畏怖・畏敬の念」というのが芽生えてくることを感じたのである。教会という空間にこうした感情を誘発する仕組みが綿密に施されており、感覚・感情に直接的に訴えかけることにより、教会が伝えたい宗教的な「意味」を直感的に理解させることが意図されている。ヨーロッパのシンボル的な建物や空間には、そこに住む人々に文化共同体としてのまとまりを生じさせる機能をもたせるような仕掛けがあちこちになされており、それを外からきた訪問者にも感じさせることができる普遍的な説得力を持っている。

また、こうした仕掛けは教会という建物に単独で発生するものではない。教会に至るまでの町の様子からすでに始まっている。たとえばドイツでは、教会を中心に古い街並みや広場の構造がつくられている。オレンジ色などに統一された屋根が波のように重なり、その波間から教会の突端が顔をのぞかせる。文書的な説明書きがなくとも、旧市街地に足を踏み入れたその瞬間から、どのようにしてこの町がつくられ、維持されてきたのかという人の思いや感情の記憶を辿っている感覚になる。それは家の出窓に飾られた花や、意匠をこらした店の看板など、住民個人が町の文化的アフォーダンスを共創し、コミットしていることが示されていることにもよる。そうした町に足を踏み入れることで私たちは感動を経験するし、その美しさを維持したいという向社会的な動機にも駆り立てられるのである。

教会で感じる「畏敬の念」、美しいドイツの街並みから感じる「悠久の時の流れ」「町のアイデンティティ」などのように、場所という空間がもたらす文化的アフォーダンスは様々な形で私たちの感情や思考に影響を与える。そして空間には当然ながらその作り手であるコミュニティの価値や志向性が歴史的な時間を通じて、反映されている。そのため、文化差が存在することになる。

写真2:コンスタンツ(筆者撮影)

文化と感情抑制

これまでの文化心理学研究から、文化によって感情の感じ方や表現のされ方が異なることが知られている。台湾とアメリカの絵本に出てくる登場人物の顔の表情を解析すると、アメリカでは口を大きく開いた状態で笑顔が表現されているのに対し、台湾では口の開き方はより小さく表現されていた(Tsai et al., 2007)。台湾と同様の結果は日本の絵本にも見られた。こうした表現の違いは、表出ルールの文化差として検討されることも多い(Matsumoto et al., 1988)。たとえば自分の感情を明確に相手に伝わるように表現することが求められる文化(北米文化)と、自分の感情表現をなるべく抑制し、互いが思いを読み取り合うことを求める文化(日本文化)においては、それぞれの表出ルールに応じた学習がなされている。実際、日本にいると大げさに感情を出すことは大人になるにつれて抑制されていき、芸術においても抑制的なところから何らかの感情がほのめかされることについての肯定的な評価が見られる。

感情表現の文化差は、実際のところ他者に向けてなされる表現の違いにとどまらない。そもそも感情が本当に抑制されるのかどうかにも違いがあるのだ。ある実験では日米での研究参加者に、ネガティブな感情(嫌悪感や恐怖など)を喚起する写真と、特に感情を喚起しないニュートラルな写真の両方をいくつか見てもらい、その際の脳波を検討している(Murata, Moser, & Kitayama, 2013)。その際、写真を見るときに、見たときの感情に向き合うことを指示される条件と、感情を抑えるように指示される条件下で実験を行う。脳波(LPP)を計測すると、アメリカでも日本でも、自分の感情に注意を向けているときの状態は似ている(ネガティブ感情を喚起する写真を見ているときの方が、ニュートラルな写真を見ているときよりもLPPの振幅が大きくなる)のだが、抑制を指示された条件の場合、日本でのみLPPが低下した。つまり、日本でのみ実際にネガティブな感情を抑制できていたということになる。さらにアメリカ人の中でも個人差があり、より相互協調性(=他者との関係性に注意を向ける傾向)が高いアメリカ人の方が、感情抑制傾向を示していた(Kraus & Kitayama, 2019)。

抑制的な感情と、大きく表現される感情のどちらが「理想」とされるかという感情の価値(Affect Valuation)の文化差もよく知られている。アメリカでは興奮度の高い感情が理想的とされており、「うきうき」「どきどき」「わくわく」が重要視される。これに対して日本や台湾などの東アジア文化圏では興奮度の低い感情が理想的とされており、「おちつき」「リラックス」「おだやか」が重視される(Tsai et al., 2006)。

これらをまとめると、どのような感情が理想とされるかという文化的な規範・価値が存在し、それに応じた形で表出の方法が学習され、さらには脳内で生じるより非意図的なメカニズムにも違いが生じていると考えることができる。この視点から考えると、場所が誘発する感情や、どのような場所が構築されてきたのかということについても、文化差が見られるかもしれない。ディズニーランドはアメリカ型の感情が満ち溢れた場所だと考えることもできる。東京ディズニーランドは日本の中では稀有なほど「うきうき」「わくわく」やポップで明るい感情を喚起する場所であるし、それゆえの非日常性を楽しむ人も多いだろう。しかしながらこの「わくわく」感はもしかすると日本人よりアメリカ人でより高く経験されているかもしれない。また、京都の町の神社仏閣の周りの景色は、「落ち着き」が誘発される空間となっており、こうした心境を好む人にとっては町の雰囲気から得られるメリットが大きい。都心においてはネオンの色などの派手さが感じられるが、それは居住地域と区別をつけ、消費という覚醒水準の高い活動に駆動することを意図して行われているようでもある。

日本における協調的幸福と地域という居場所

日本で「落ち着き」が求められる傾向は、幸福感や健康にも結びついている。アメリカでは「わくわく」にみられるような覚醒度の高い感情をもたらす行動(例:活動性の激しい運動をする、パーティーへ行く、新しいことをする)を行うことが健康に結びついているが、日本ではこうした行動よりも、覚醒度の低い感情をもたらす行動(自然を眺める、本を読む、入浴する)を行うことが健康に結びついているという (Clobert et al., 2019)。

また、日米で「幸福」についての意味を分析すると、アメリカでは個人的な達成にまつわるテーマを主としたポジティブさが見られるが、日本では自分だけが突出して幸福であることを抑制し、むしろ他者と協調した「ほどほど感」を得ようとする傾向や、幸せすぎる瞬間に耽溺することに対する恐れともいえるような感情が同時に感じられてしまう傾向が見られた(Uchida & Kitayama, 2009)。

アメリカのように居住地や人間関係、働く場所などの流動性が高く、自らの意思と様々な資本(文化資本や経済資本)に従って自分の「居場所」を変えていくこと(社会的ステータスに合わせた居住地域を選ぶなど)がより頻繁に起こりやすい社会においては、自らの選択肢と機会が拡大している、あるいは十分に大きいと認識できるときに幸福感が感じられる。これを筆者は「獲得志向的幸福観」と呼んでいる(内田, 2020)。しかし日本における幸福は、自分の持つ資本を元手にした投資とそこから得られるリターンとして解釈されるというよりは、場からの分け前としてまわってくるものとして捉えられてきた。もちろんこうした概念は近年のグローバル競争により徐々に薄れつつあるともいわれているが、それでも過度な幸せを手に入れた瞬間に感じる居心地の悪さとして感情的には引き続き経験されている。つまり日本においては幸せは「巡ってくる」ものとして存在し、それゆえに自分の「居場所」とより強く結びついているように思われる。そしてその居場所は、アメリカに比べると流動性が低く、長らく同じ地域に住み、友人知人との付き合いも長く、また、同じ職場で長く働きコミットすることが多い。そうして自分がコミットを示す場に対して協調的にふるまうことによって、その返礼のような幸福を受け取るというイメージに近い。これを筆者は「協調的幸福観」と呼んでいる。

では「居場所」にコミットして返礼を受け取るとはどのようなことだろうか。筆者らは西日本の農業地域・漁業地域を含む400ほどの集落(1集落には100世帯ぐらいが含まれる小さな単位である)を対象にした質問紙調査を実施し、個人が感じている「幸福」や他者に対する認識のような主観的な状態と、地域が持つ特性(農業地域であるかどうかなど)などの関連を調べ、地域コミュニティにおける幸福や相互協調性のあり方を検討した(Uchida et al., 2019)。結果としては農業地域ではほかの地域に比べて非農業者も含めて、地域の集合活動(お祭りや同世代活動、用水路整備、防災訓練など)への参加率が高かった。そして農業地域のように、地域内の様々な人を巻き込んだ集合活動が実施されている地域であればあるほど、他者からどのように思われるのかを気にする程度の平均が高いという「相互協調性の高さ」が見られた。集合活動への参加は自分の楽しみにもなる一方で、防災活動や整備活動にも見られる通り、地域に対する参加型貢献でもある。場所に対してコミットし、向社会的にふるまうことが、他者との一体感や信頼関係を生み出し、「住まうことでの幸福」にもつながっていることも示されているといえよう。

もちろんこうした場所は「縛り」として働くこともある。「○○せねばならない」という規範として意識されるとそこからの幸福はむしろ感じられにくくなってしまうだろう。個人としての自由や、共同体の組織的な「内輪」に縛られずに、外からの他者も出入り自由な「開放性」が担保されるならば、場所は閉塞的で義務感に縛られるものではなく、人々が集いたくなる場所として機能するようになるだろう。筆者らの研究グループがプロジェクト拠点として訪問していた京丹後市大宮町里力再生協議会の活動では、お祭りやイベントは町の人たちのものであることはもちろん明確でありながらも、遠くからの訪問者がイベントに参加して楽しむことが許容されている開放性が伝わるように努力されていた。多様な人のアイディアを受け入れることや移住者に対して開放的であることは、町への向社会性を高め、伝統を守りながら新しいアイディアで町を盛り立て、持続可能なものとしていこうとする意欲とも結びついているのである(内田, 2020)。

場所から得られる幸福

場所から得られる幸福は居住地域に限らない。旅に出たときに美しい風景に感動したり、伝統的な街並みを眺めたときに得る、歴史性に自分の存在が包まれるような幸福を感じることもあるだろう。

美しく、かつ壮大な景色から得られる感情として近年「AWE」に注目が集まっている。日本語でいえば畏怖・畏敬の念、あるいは単純に「感動」としてラベル化されることもある。AWEは特にアメリカでポジティブな感情として概念化されており、何らかの「壮大な」ものを目の前にして、自分の世界観を揺るがすような体験として定義される(Keltner & Heidt, 2003)。日本では自然は畏怖の対象でもあり、ポジティブとネガティブ両方が入り混じった感情として認識されることが多い(Nakayama et al., 2020)。AWEを感じたときには他者に対してより愛他的な振る舞いが増えることなども知られており、分断してしまいがちな人々を結び付けるような効果もあるとされている (Piff, et al., 2015 )。非日常性が私たちにもたらしてくれる意識は、自分の日常的な行動を見直し、あまりにも当たり前になっていたことの価値を再認識したり、少し異なる視点から物事をとらえなおしたりするような「解放」でもある。場所は私たちに身体性をもってはたらきかけて、感情を揺さぶり、解放する機能を持ちうるということである。

場所は自分がその場に「今、ここで」立っていることを感覚として与えてくれる。ドイツの街並みに佇めば、自分がただの旅人であっても、古い時代から受け継がれてきた歴史性の一時点に自分が存在していることを感覚的に感じることができる。日本の里山を訪問すれば、草や山のにおいと風や水の揺らぎを感じ、安心感を得ることもできる。場所には来歴があり、生きた人々の記憶が集積されている。そうした人の営みの積み重ねを感じられることで安心感を得ることができる。

都市を経済活動の場所と考えるならば、覚醒度の高い派手な看板、きらびやかなネオンなどにより消費行動が促進されるというメリットもあるだろう。しかしながら今後、都市は消費、町は居住、という棲み分けの継続性は見られなくなる可能性がある。消費がオンライン化し、リモートワークが進んで働くことも場所に限定されなくなっていくのだとすれば、都市の機能は消費と生産活動から、より豊かで心地よさを感じられるようなデザインや仕掛けが必要とされるようになるのかもしれない。そうした時に「場所のアイデンティティ」をいかに示し、暮らす人や訪れる人たちに幸福を与えることができるのか、場所の価値が真に問われるようになるだろう。

文献

Clobert, M., Sims, T. L., Yoo, J., Miyamoto, Y., Markus, H. R., Karasawa, M., & Levine, C. S. (2019). Feeling excited or taking a bath: Do distinct pathways underlie the positive affect–health link in the US and Japan?. Emotion doi: 10.1037/emo0000531

J. J. ギブソン (古崎敬 他訳) 「生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る」 サイエンス社, 1986

Keltner, D., & Haidt, J. (2003). Approaching awe, a moral, spiritual, and aesthetic emotion. Cognition and emotion, 17(2), 297–314.

北山 忍 (1998).『自己と感情―文化心理学による問いかけ』. 東京: 共立出版

Kraus, B., & Kitayama, S. (2019). Interdependent self-construal predicts emotion suppression in Asian Americans: An electro-cortical investigation. Biological Psychology, 146, 107733.

Matsumoto, D., Takeuchi, S., Andayani, S., Kouznetsova, N., & Krupp, D. (1998). The contribution of individualism vs. collectivism to cross‐national differences in display rules. Asian journal of social psychology, 1(2), 147–165.

Murata, A., Moser, J. S., & Kitayama, S. (2013). Culture shapes electrocortical responses during emotion suppression. Social Cognitive and Affective Neuroscience, 8(5), 595–601.

Nakayama, M., Nozaki, Y., Taylor, P. M., Keltner, D., Uchida. Y. (2020)

Individual and Cultural Differences in Predispositions to Feel Positive and Negative Aspects of Awe. Journal of Cross-Cultural Psychology, 51(10), 771–793

Piff, P. K., Dietze, P., Feinberg, M., Stancato, D. M., & Keltner, D. (2015). Awe, the small self, and prosocial behavior. Journal of personality and social psychology, 108(6), 883–899.

Tsai, J. L., Louie, J Y., Chen, E. E., Uchida, Y. (2007). Learning what feelings to desire: Socialization of ideal affect through children’s storybooks. Personality and Social Psychology Bulletin, 33, 17–30.

Tsai, J. L., Knutson, B., & Fung, H. H. (2006). Cultural variation in affect valuation. Journal of personality and social psychology, 90(2), 288.-307

内田由紀子(2020). 「これからの幸福について:文化的幸福観のすすめ」 新曜社

Uchida, Y., Takemura, K., Fukushima, S., Saizen, I., Kawamura, Y.,Hitokoto, H., Koizumi, N., & Yoshikawa, S. (2019). Farming cultivates a community-level shared culture through collective activities: Examining contextual effects with multilevel analyses. Journal of Personality and Social Psychology, 116(1), 1–14.

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内田由紀子
建築討論

京都大学こころの未来研究センター教授。1998年京都大学教育学部教育心理学科卒業、2003年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。ミシガン大学、スタンフォード大学客員研究員などを経て、2008年より京都大学こころの未来研究センター助教、2011年より准教授、2019年より現職。専門は社会心理学・文化心理学。