家庭内空間(Domesticity)の再考と方法論としてのクィアリング

連載:改めて、ジェンダーから建築を考える(その6)

根来美和
建築討論
Dec 4, 2023

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これまでの連載を通して、建築や都市計画におけるジェンダーの議論を他方向から考えてきたが、ケアや相互扶助、協働、持続可能な生態系との結びつき、搾取的な労働環境への反省、教育の重要性などが浮かび上がってきた。男/女性といった古典的なレトリックではなく、社会正義との繋がりの中で身体、空間、ジェンダーの議論が展開されてきたことが分かる。下記の図は、今年出版されたドイツの建築雑誌『ARCH+』の特集号「現代のフェミニスト空間実践」の編集過程で、共同ゲストエディターのトルステン・ランゲ(Torsten Lange)らによってまとめられた、関連キーワードを概観したダイアグラムである。インターセクショナリティとケア、デコロニゼーション、エコロジーを前景化しながら、教育の変革、歴史の語り直し、そして都市空間と私的空間の再考が挙げられている。

Fig.1 フェミニスト空間実践のキーワード、2023年 [出典= 『ARCH+: Zeitschrift für Architektur und Urbanismus』 vol. 246扉] インターセクショナルな正義の前景化、ケアの重視、生態系の修復、公共空間の(再)要求、私的空間の再考、クィア・スペース/空間のクィアリング、空間の脱植民地化、サイバースペースの家父長制の解体、公平で搾取しない労働を求める働きかけ、教育の変革、歴史の(再)記述、制度的変化への主張という12のキーワードの周辺に、実践者、理論家、団体など関連項目が並ぶ。例えば、本連載で紹介した建築設計組合マトリックス、ヤスミン・ラリの他、ロンドンを拠点とする領域横断的な建築コレクティブAssemble、スウェーデンのクィアフェミニスト建築デザインコレクティブMYCKETの名が並ぶ。なお、西欧圏を超えた議論や活動を網羅しきれてはおらず、完成したダイアグラムではないと注記されている。

では、ジェンダーの観点から私的空間、特に居住空間をどのように再考できるだろうか。

家庭内空間(Domesticity)とジェンダーを考える際、キッチンは重要な意味を持つ。資本主義による女性の身体の統制を批判しフェミニズムの言説を牽引してきた論客シルヴィア・フェデリーチは、産業革命以降、家庭内労働は台所で経済的価値を失い、代わりに愛情を前提とした無償労働となったと述べている★1。1980年代以降、アメリカの都市史学者ドロレス・ハイデン★2を筆頭に、フェミニズムと住宅史、家政学の観点から指摘されてきたように、核家族を理想とする家族観への変容に伴い、かつて集団で共有されていた家事労働は、各世帯で個別に賄うべき労働として単独の主婦が背負うこととなり、キッチンは主婦を孤立化させたのだ。

キッチンのない街(Kichenless City):社会福祉のための建築的仕組み

バルセロナで設計事務所MAIOを主宰する建築家アンナ・プイジャネール(Anna Puigjaner)は、集合住宅における共同キッチンの経済効果や環境負荷、家事労働、それらが都市空間に与える影響の研究を通して、ジェンダーが作用する再生産労働の空間を再考察し、多様な住まいのあり方に応じて変容可能な、社会変革のための住宅建築モデルを試行錯誤している★3。

プイジャネールがまず着目したのは、19世紀後半のニューヨークで、工業化による人口増加に対応するために建設されたセントラルキッチン型またはワンキッチン住宅と呼ばれる集合住宅である。各住宅内に専用キッチンを持たない代わりに、料理人付きの共同キッチン、食堂、洗濯場、託児所、清掃サービスが設置された。プライベートの居住空間から再生産労働の空間を取り除き、共有空間に持ち出し、料理と掃除を仕事として委託することで、家事の個人負担を減らすための合理的な住宅システムとして提案されたこの住宅モデルは、都市部の人口高密化が進むなかで、各戸に台所を備え付ける床面積を抑え、集約化することで、その分の戸数を増やすことも目的だった。多くの場合、食堂は近隣住民にも開放されており、半公共的な性格を帯びた。19世紀から20世紀初頭にかけて、このような共同キッチンと食堂を備えた集合住宅は、工業化による住宅不足、栄養面や衛生面の向上による市民生活の改良や女性解放運動と共に欧米の諸都市で展開された。日本では、1930年に建設された同潤会大塚女子アパートに導入されている。よく知られるソ連の共同住宅コムナルカのように、料理人はいないが、共同キッチンや洗濯場は社会主義下の国家政策としても現れた。

Fig.2 Anna Puigjanerによる研究プロジェクト『Kitchenless City』、1871–1929年のニューヨークの集合住宅の間取り[出典= MAIO Architects]

続いて、プイジャネールは、ペルーやメキシコ、セネガル、シンガポール、タイ、中国など世界各地の現在利用されている共同キッチンの事例を調査した。これらの住宅形態にみる共通点は、共同キッチンを作るに至る動機が経済負担や福祉など様々であったとしても、「生産/再生産、公的/私的空間、都市/家庭空間の境界線を引き直す」★4ことで、近隣環境や共存する社会文化圏に影響を与えている点だと結論づける。プイジャネールは、集合住宅あるいは街に設置された共同キッチンに、経済性、効率性、エコロジー、ジェンダーの観点だけではなく、共同体の教育的側面を保持するインフラストラクチャーとしての利点を再認識し、そこに社会変容の可能性を見出す。

キッチンが固定観念を永続させる装置であるという考えを超えて、[経済的価値が与えられないがために家庭内労働は無償労働となり、自立しておらず政治的主体性のない女性を孤立化させるというような]家庭内空間の性質は構築されたものであることを意識することで、その可逆性や変化への可能性を理解することができる。家庭の価値観はつねに変化しつづけるものであり、今日、キッチンにまつわる価値観こそ、所定の性役割や家庭内労働の構造を根本的に変える可能性をもつのである。★5

Fig.3 セネガルの農村部でよく見られる、雨水だめ(​​Impluvium)を持つ住宅形態の間取り。数世帯で料理や食事をするための空間を共有する。中央の共有スペースの周りを複数の個室が囲み、各家族のニーズに合わせて部屋数や占有スペースが配分される。[出典= 『ARCH+: Zeitschrift für Architektur und Urbanismus』 vol. 246, p.72]

これらの住宅史研究とフィールド調査をまとめ、プイジャネールは、キッチンを中心に空間構成言語を組み立ていく都市住宅モデルを提案している。MAIO事務所によるバルセロナの集合住宅《110 Rooms》には、その名の通り110室の部屋があり、各居室は居住者の住まい方とその変化に合わせて柔軟に部屋を増やしたり減らしたりすることできる。この地区特有の19世紀に建てられた集合住宅は同じ大きさの部屋が並んで配置されているのが一般的で、そのタイポロジーを継承しつつ、各部屋の空間的階層や部屋の用途を事前に想定してデザインすることは一切排除された。廊下はなく、キッチンが中央に配置され、各部屋を繋いでいる。

Fig.4 《110 Rooms》間取りの選択例 [出典= MAIO Architects]

今日、核家族を想定した住居タイプは、規範的な拘束力を失いつつある。住まう形態はより多様であり、シェアリングエコノミーの普及と共にシェアハウスも増えている。このように性役割やジェンダーによる固定観念が結びつけられたキッチン空間の政治性を踏まえた住宅空間構成に着目しながら、公共住宅政策と家庭内空間について考えてみたい。

共同キッチンを中心とした集合住宅

専用キッチンを各戸から排除するアイデアには賛否両論あるだろうが、共同キッチンの試みは、仮住まいや安価な住宅提供としてではなく、環境問題、経済格差、ジェンダー不平等など世界的な社会正義を考える中で、共に暮らす方法を構築するための方法論の模索である。

現在、ウィーンには市営住宅が約22万戸、協同組合住宅が約20万戸あり、ヨーロッパの中で最も多くの公営住宅を所有している街だ。社会主義政権下の赤いウィーン時代の住宅政策として、1920年代中頃から1934年まで数多く建設された公営集合住宅に端を発し、現在も市民の約60%が質の高い住環境の整った公営住宅に住んでいる。しかし、土地の私有化、住宅市場競争の加速、急激な家賃高騰を批判的に分析する建築家ガブ・ハインドル(Gabu Heindl)は、1930年当時も現在も、公営住宅の厳しい入居条件や審査を含む住宅制度には、中央集権的なパターナリズムや人種差別が反映されていると指摘する。例えば、移民に対する規制やレトリックだ。

そこで、人種やジェンダー、セクシュアリティ、階級や能力主義に基づく不当な扱いや構造的差別に取り組む活動家が集まったウィーンの自営団体「美術、日常生活、思考の中の障壁をなくすための協会(Association of the Removal of Barriers in Art, in Everyday Live)」は、土地の私有化と不動産所有への投資を進める住宅供給モデルではなく、住宅を中心としたコミュニティを作ることを目的に、ハインドルと共に《インターセクショナル・シティハウス》という共同キッチンを中心とした3階建ての集合住宅を計画した。基礎工事や配管など大掛かりな工事のみ建設会社に任せ、協会会員と住人によって、各々が必要な空間機能(寝室の数、アトリエ、車椅子が通れるデザイン、子供たちの遊び場など)をワークショップを通して話し合った上で、私的空間と共有空間の計画が進められた。それぞれ異なるインターセクショナルな障壁と差異がある中で、経済的に手が届き、かつ「家」に対する思想や倫理観を共有できる人たちと共に、これまでの家族観とは異なる共同生活のための家庭内空間を試行錯誤する一例だ。住民同士が複数の再生産活動をシェアできるキッチンは、レスリー・カーンが提案した相互扶助と連帯のためのネットワーク、家族や血縁関係を超えた親類関係を構築し、多様な差異を受け入れながら、連帯し、空間の使用者の主体性を促すのである。

Fig.5 《インターセクショナル・シティハウス》2015–2016年 [出典= GABU Heindl Architecture]

公共住宅政策は、単身者や外国人、滞在許可証保有者に入居資格を与えないことも多く、ジェンダー、人種、階級、身体能力、国籍などが交差し作用するが故に、居住空間へのアクセシビリティは限られている。建築と家庭内空間におけるジェンダー表象やアフェクト(情動)、親密性に着目してきたリリアン・チー(Lilian Chee)★6によれば、シンガポールでは住民の80%が公営住宅に住んでいるが、その入居条件や間取りに、異性愛核家族と前提とする家族観が色濃く反映されていると指摘する。35歳以下の単身者は入居資格がないため、女性が自律性を持つ妨げになっているというのだ。山本理顕や上野千鶴子らが批判してきたように、国家を運営するために「一住宅一家族」システムが採用され、ジェンダーが特定の家庭内空間とnLDKという定型を構築を促してきたのであれば、どのように設計論を揺るがすことができるだろうか。

バイナリーを解体する方法論としてのクィアリング

二項対立的なジェンダー構造への批判的応答は、冒頭の『ARCH+』でも挙げられているキーワード「クィア・スペース/空間のクィア(リング)」と呼応する。オリバー・ヴァレラン(Olivier Vallerand)によれば、クィア・スタディーズ★7の展開を受け、近年、建築においても分析対象や設計の方法論、言説に転換が見られるという。空間利用者や設計者のアイデンティティの現れとして、コミュニティの抵抗と存続のために「クィアの」空間を作ることに留まらず、「クィアに」空間を作る模索へ、つまり、クィアリングするという動詞の形を方法論、手法、過程として捉える流れへの拡張である。クィアなデザインという美学的特徴を形式化するのではなく、シスジェンダーを基準としたヘテロノーマティブな家父長制が空間自体の文脈、構成要素、関係性に大きな影響を与える要因であることを認識した上で、犯罪化と抹消の空間史と建造環境に抗い、規範に挑戦し逸脱する、多様な性のあり方と生き方を考える空間へのアプローチとして理解する立場だ。

そこに厳密な定義や定型はないが、例えば、スウェーデンでコレクティブMICKETを主宰するカタリーナ・ボネヴィア(Katarina Bonnevier)は、アイリーン・グレイによる設計《E-1027》にクィアネスを読み解き★8、近年出版された『QUEER SPACES : An Atlas of LGBTQIA+ Places & Stories』(RIBA Publishing、2022)では、歴史上、資産のある人々に限られてきたという背景を認識しつつも、多様なクィアな生き方と関係性を包む居住空間の事例を記録化している。生産/再生産、公的/私的空間といったバイナリーの境界線を撹乱させ、模範とされる家庭観を超えた家、家族、親類関係を抱擁する居住空間を作る実践に、家庭内空間のクィアリングの過程を見出すことができるのではないか。

さまざまな形で現れる根深い家父長制、差別と抑圧の構造、制度、規範、知識が解体されない限り、私的な住宅空間から都市空間に至るまで、建築はジェンダーの構築性から逃れられないだろう。社会正義との絡れを認識しながらジェンダーをツールとして空間を考えることで、ジェンダー規範を反映する装置としての建築設計行為を批判的に見つめ直し、権力構造を内在化している建築学自体の内省、再生、そして変容が求められる。■

Fig.6 ロサンジェルスのルドルフ・シンドラー自邸(1922年設計)。シンドラー夫妻とチェイス夫妻が4人で共同生活するために設計された自邸は各家族専用のエリアを持たず、共同キッチン、洗濯室、作業場を中心に4人それぞれのアトリエが配された。寝室はなく、スリーピング・ネストと呼ばれる半屋外スペースが屋上に設置された。従来の家庭観と家族観を超えた親類関係やクィアな関係性を想定した住宅の例として、住宅設計課題で取り上げられることもあるようだ。現在、オーストリア応用芸術美術館(MAK)の芸術建築センターとして使用されている。[出典= MAK Center for Art and Architecture]

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★1:Silvia Federici, “Wages Against Housework,” the Power of Women Collective and the Falling Wall Pres, 1975. 邦訳された代表作に、シルヴィア・フェデリーチ『キャリバンと魔女──資本主義に抗する女性の身体 』(小田原琳、後藤 あゆみ訳、以文社、2017年)
★2:ドロレス・ハイデン『家事大革命――アメリカの住宅、近隣、都市におけるフェミニスト・デザインの歴史』(野口美智子他訳、勁草書房、1985年)
★3:アナ・プイジャネによる研究プロジェクト「Kitchenless City: Architectural Systems for Social Welfare」
★4:『ARCH+: Zeitschrift für Architektur und Urbanismus』 vol. 246, p.72
★5:Anna Puigjaner, “Bringing the Kitchen Out of the House,” e-flux Architecture, 2019.
★6:シンガポール国立大学建築学科准教授。Research by Design Cluster共同主宰。建築の表象問題を身体化された経験、アフェクト理論、フェミニスト的政治性との結びつきを専門とする。映像作家と共同企画した、シンガポールの公営住宅に住む単身女性の生活を捉えたドキュメンタリー映像《03-FLATS》が世界16都市で上映されている。
★7:クィアという言葉とクィア・スタディーズの成り立ち、日本での受容と現状については、森山至貴著『LGBTを読みとく──クィア・スタディーズ入門』(筑摩書房、2017)を参照されたい。
★8:Katarina Bonnevier, Behind Straight Curtains Towards a Queer Feminist Theory of Architecture, Axl Books, 2007

根来美和「改めて、ジェンダーから建築を考える」連載一覧(全6回)
その1|建築、空間、ジェンダーを巡る言説をふりかえる──1970年代から現在まで
その2|フェミニストの空間実践の可能性
その3|協働作業としての建築史の記述と共有知
その4|ともにケアする建築:環境正義とジェンダーの交差で
その5|なぜ、建築にも「デコロニアル」思考が必要なのか
その6:家庭内空間(Domesticity)の再考と方法論としてのクィアリング

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根来美和
建築討論

ねごろ・みわ/キュレーター、研究者。建築学(建築史専攻)修了後、空間デザインに従事したのち、現在ベルリン/ウィーンを拠点に活動。トランスカルチュラルな表象やパフォーマティヴィティ、デコロニアル理論と近代の再編成への関心を軸に、主に現代美術や舞台芸術に携わる。