開豁な再開発の足元
[ 201902 特集:建築批評 東急設計コンサルタント 小嶋一浩+赤松佳珠子/CAt 《渋谷ストリーム》]/ Foot of Expantive Redevelopment
ターミナル駅としての渋谷駅とその周辺の都市開発史を振り返ったうえで《渋谷ストリーム》を論じる。渋谷ストリームは渋谷駅中心地区再開発のなかのプロジェクトのひとつである。もちろんその建築空間に限って論じることも可能であるが、(1)いま急激に姿を現わしつつある渋谷駅中心地区再開発の歴史的基盤を明らかにした上で、(2)《渋谷ストリーム》の小嶋一浩+赤松佳珠子/シーラカンスアンドアソシエイツ(CAt)が関わった空間について見ていきたい(東急建設コンサルタントが担った《渋谷ストリーム》の全体像を扱うものではない)(図1)。
渋谷駅中心地区再開発の歴史的基盤
2027年までつづく渋谷駅中心地区の再開発は、既存の駅とその上の商業空間を大きく拡大する巨大開発だが、戦災復興土地区画整理事業によってつくられた都市基盤と宅地を前提としたものであり、駅前広場の範囲は広がらない。戦災復興都市計画はモータリゼーション以前の都市計画であると言われ、現在までの自動車の増加、観光バスやタクシーの需要の増加から考えれば、必然的に対応できない規模の都市計画であった。今回の再開発は駅前広場の都市基盤を再整備しつつ、駅上と駅周辺の宅地を高度に開発するものである。
渋谷駅中心地区再開発では都市基盤を再整備するために、地権者と東京都による区画整理が行われたが、その地権者は東急電鉄、JR、東京メトロのたった3者である。渋谷は終戦までは、まだ新興の盛り場になりつつあるくらいで、東京全体から見れば場末であった。駅は駅前広場を持たず、商店や住宅、小学校に囲まれ、駅を中心に多くの地権者がいる状況であった。
それが変わっていくのは終戦直前から戦後、高度成長期にかけてである。1930年代、増える交通量に対して駅前広場計画が策定され、戦争突入により事業は途中で止まるが、終戦間際の交通疎開空地事業によって駅周辺の木造家屋が取り壊され駅前広場が概成した。これが戦後復興期にも引き継がれ、渋谷駅西側には駅前広場が広がり、終戦直後から急激に形成が進む闇市も大半がこの広場の外側に建っていくこととなった(図2)。
しかし、依然として山手線東側では駅や線路に迫って駅前にマーケットなどの建物が建っている状況であった。図2の❶は東急が開発した渋谷第一マーケット、❷はこの地にあった田中稲荷神社の境内地につくられた稲荷橋小路というマーケットである。これを今回の再開発直前の状況にしたのが、戦災復興土地区画整理事業であった。図3は渋谷駅東側の戦災復興土地区画整理事業による土地の動きを示している(右上と左が区画整理以前、右下が区画整理以後)。青は東急所有の土地、黄色は田中稲荷の土地の動きを示している。区画整理によって東急の土地は現在のヒカリエの土地と、東横百貨店の土地、そして地下化以前に東急東横線の地上ホームがあった土地に集約されている。こうして整備された246号線の南側とそこから南へ続く東急の鉄道用地に、《渋谷ストリーム》は建設されている。
一方で田中稲荷の土地は駅前から移動され、2箇所に分割された。この際、稲荷神社自体は西に飛ばされた換地に移動し、マーケットは国道246号線南に換地された。この場所に現在立つビル(OMIBLDG.)は権利関係の複雑さからか、渋谷ストリートと新設デッキに囲まれながら今回の再開発には取り込まれることなく、残っていくこととなるだろう。
こうした過程を経て、渋谷駅に隣接する土地は鉄道会社所有地と公有地のみに整理されていった。渋谷で行われている現在の再開発は、多くの地権者をまとめ上げて行なっていく再開発ではなく、東急を中心としてJRと東京都が関わる形で行われるものである。
数の計算によって同じような超高層ビルが立ち並ぶ景観が出来上がろうとしていたなか、デザインの立場から調整を行ない、渋谷の都市空間再編を担ったのが内藤廣氏と岸井隆幸氏である。両氏は渋谷デザイン会議の代表として、再開発のコンセプトをつくり、再開発のデザインを検証してきた。
閉じたビルをまちへ開く
渋谷デザイン会議が再開発のなかで重視したことは、「地上階プラスマイナス2〜3階は街のもの」ということである。再開発直前の渋谷駅とその周辺ビルは物理的に閉じていた。商業ビルでは一般に建物の内側に客の動線を計画し、建物の外皮側はバックヤードなどになることからまちに対して閉じている。それを解放し、建物がまちを向き、内部のアクティビティを外部から見ることを条件づけることは、商業を中心とした都市空間の再編において極めて重要な意味があるだろう。そして、再開発ビルの足元空間をまちに開きつつ、地下・地上・デッキレベルで駅に繋げることを目論んで考案されたのが縦軸の公共空間アーバン・コアである★1。「分かりやすい形態のイメージとしては東急の《SHIBUYA109》のシリンダーをスケルトンにしたもの」だと岸井氏は言う。こうした空間整備の方針が示しされたうえで、具体的なデザインは各プロジェクトのデザインアーキテクトに任された。渋谷ストリームでは、アーバン・コアはガラスで覆われた局面のヴォリュームとして建物本体から独立し、各レベルをつなぐエスカレーターがまちから見えている。
この方針は都市空間整備において、特に谷地の底に駅が存在する渋谷において有効である。しかし、こうした提案のイメージは今回初めて出されたものと言うよりは、渋谷の都市空間自体が持っていたものへの真っ当な回答であると筆者は考えている。どういうことか。
今回の再開発直前の渋谷の風景をつくっていったのは1950年代以降の坂倉準三による一連の電鉄系プロジェクト(東急・JR・京王が関係する)である。東急会館をはじめ、坂倉準三が渋谷駅周辺で設計した建物はまちに対して大きく開口をもち、文字通り開かれていた。坂倉の建築は外部から内部のアクティビティを見ることができ、まちとの関係を強く持ったものであった。特に東急文化会館は内部のアクティビティがファサードに現れるものであったし、東急会館(ハチ公側)も、JRの線路をまたいで東急の駅ビルをつなげた跨線橋でさえもまちに開いていた。
まちに対して閉じる建物が立ち並ぶようになったのは、むしろ坂倉による電鉄系プロジェクトと今回の再開発の間にできた建物たちであり、また改修による建物の改変であった。
坂倉の建築群でさえ、改修の中で外皮に覆われ、閉じる方向へ向かった。決定的だったのは、マークシティの開発であろう。《渋谷ストリーム》同様に線状の開発であり、道玄坂の下と上を建物でつなぐプロジェクトであり、まちとの密接な関係を取りうるものであったが、周辺との関係を切ったビルとなってしまった。
アーバン・コアと渋谷計画1966
駅から周辺商店街に向けて渋谷の谷地にデッキをめぐらせ、地下、地上、デッキレベルで縦につなぐ公共空間をつくるというアイデアは、かつて「渋谷再開発計画’66」として坂倉準三を中心に提案されている(実現していない)。渋谷駅から周辺商店街へ向けアルケードと呼ばれるデッキを伸ばし、各地に建てられた円柱状のシャフトが上下を繋ぐというものだ。東急の《SHIBUYA109》のシリンダーはこの計画の影響下でつくられたものである(図4)。
現在進みつつある再開発は駅ビルと駅前広場、そしてそれに隣接する土地の再開発であり、あくまで新設されるデッキとアーバン・コアはこれらの開発をつなぎ合わせるもので、開発の主語は東急である。地域の商店街が開発計画の主体となり、触手を伸ばすようにデッキがまちに張り巡らされ、多くのシリンダーが上下階をつないだ「渋谷再開発計画’66」とは、この意味で相反するが、モチーフは共通している(図5)。「渋谷再開発計画’66」で問われつつも実現しなかった、基盤整備と都市デザインを一体的に考えることは、今回初めて実現するといって良いだろう。
風が抜ける再開発の足元
渋谷デザイン会議が示した再開発のコンセプトに対して、《渋谷ストリーム》の足元は開豁に建築空間として応え、これまで見たことがないレベルで都市的文脈を全面に引き受けた再開発ビルの足元空間をつくりあげている。
まずは大地との関係。渋谷川が削った谷底にある渋谷駅。高度成長期に閉じられ、また裏側へと追いやられた渋谷川を再開発の表の空間として捉え直し、1階の店舗を全て渋谷川側へ面するようにしている。《渋谷ストリーム》に隣接する渋谷川の北端と南端には橋詰広場として稲荷橋広場と金王橋広場がつくられ、祭礼やイベント時にはステージとなる。稲荷橋広場には大階段が接続し、イベント時には観客席へと変わる。1階を全て渋谷川側へ開くことを可能にしたのは、建物内部を商業空間としてつくらず、全て駐車場、駐輪場、搬入口等の建物を支える空間として割り切っているためである。これによって、地上階は渋谷川周辺に表の空間が集約されている。官民が連携をして公共空間として渋谷川を再生した意義は大きい
駅とデッキで繋がり、今後メインストリートとなる2階のストリーム・ラインはかつての軌道の曲線を踏襲し緩やかにカーブしながら渋谷駅側へ向かって開く、大らかな飲食店街となっている。この軌道の形態を踏襲しつつ空間をつくっていることが、空間の質につながっている。狭まった南側では、密な街路空間を感じる一方、渋谷駅側に向かうにつれて密度は薄れ、同時に動線として性質が強まっていく。滞留の都市空間から流動の都市空間へと変化するように、空間のスピード感が変わっていく。かつて東急線に乗って終着駅の渋谷駅へ到着するとき、電車がスピードを弱め、平行に並ぶホームに止まり、電車の中に座ったり立っていた人が、大屋根の下へ流れ出していった情景が思い起こされた。
こうした流れと淀みは、都市の空間体験の魅力を上げるものである。ストリーム・ラインには淀みの空間が、そこにつくられている。緩やかにカーブするストリーム・ラインは横方向ではチューブ状の空隙でビルの外側と繋げられ、風が通り抜ける。ストリーム・ラインは街路のように凹凸を持っている。各店舗が必ずテラス席を持っている。テラス席はストリーム・ラインに対して、アルコーブのようにつくられたり、先の横方向の空隙としてつくられている。これにより、ストリーム・ラインには多くの淀みができ、店舗との関係が緩やかにつくられ、さながら開放的な店が並ぶ街路のようだ。これには隅切りも聞いているだろう。こうした空間は、まさにこれまでCAtが取り組んできた、あるいは小嶋一浩氏が思考してきたアクティビティ・デザインの結晶であろう。
またこの空間は、デザインだけではなく、一般的な店舗のリースラインとは異なる、内外空間を横断した境界の設定に取り組んだ東急電鉄のディベロッパーのノウハウによっても下支えされている。建築家によるアイデアだけでなく、ディベロッパーとの協同も評価すべきであろう。再開発ビルの足元空間として、これ以上魅力的なものを私は知らない。
他方で、《渋谷ストリーム》全体で見ればタワーは企業経営的に利益率が最大化されるヴォリュームとし、それをいかに細分化するかということだけがデザイン状のポイントになっていることも確認しておきたい。これが再開発の実情である。
開発のポテンシャルがある老朽化が進んだ市街地において、再開発を行うことが有力な選択肢の一つであることは、地主やディベロッパーの立場から考えれば否定しようが無いことだ。それを受け入れた上で、都市にとっては何ができるのかと考えた時、重要となるのはその足元をどうするかということだろう。《渋谷ストリーム》は再開発ビルの足元として、文字通りの都市的な空間を提供する画期的なプロジェクトである。今後、否応なく進む日本全国でのタワー型再開発の足元空間の設計に、《渋谷ストリーム》が参照されることを願う。
注
★1:アーバン・コアの整備が公共貢献として容積率緩和に繋がっている。その公共貢献がどれほどの価値があり、付与されたボーナスがそれに見合うものなのか、実際には検証が必要と思われる。参照:田村誠邦「民間投資と公共性の論理── 総合設計制度の評価」(『建築討論』https://medium.com/kenchikutouron/%E6%B0%91%E9%96%93%E6%8A%95%E8%B3%87%E3%81%A8%E5%85%AC%E5%85%B1%E6%80%A7%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86-%E7%B7%8F%E5%90%88%E8%A8%AD%E8%A8%88%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%AE%E8%A9%95%E4%BE%A1-1210b37f95e0)