馬場正尊インタビュー 工作的都市へ

笠置秀紀
Feb 4, 2019 · 28 min read

連載 [ 都市論の潮流はどこへ “ローコスト・アーバニズム” ] 01/Series [ Where the urban theory goes? “Low-Cost Urbanism” ] 01/Masataka Baba Interview : Toward a Handicraft-like City

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工作的建築 衰退の先にある風景

笠置:馬場さんが90年代に雑誌『A』を立ち上げて、紙面から発信されていたDIY的な都市や空間の見方が、10年代以降ようやく社会に実装されてきているように感じます。このような流れを馬場さんはどのように見ているのでしょうか?

馬場:『計画的都市から工作的都市へ』というのを最近のレクチャーのタイトルにしています。この状況を、どうやって持ち運びやすい言葉にできるかっていうのをずっと思って考えた言葉です。それと少し前に、新建築で『工作的建築』★1っていう少し長めの論考を書いたんですよね。「工作的」っていう言葉と、今回のテーマの「ローコスト的、DIY的」というのはたぶん密接に繋がっているだろう思っていて。そういう論考を書いた背景から説明するといいかなと思いました。

2017年の12月に『CREATIVE LOCAL』★2という本を書くにあたり、今おっしゃったような事が世界で同時的に行われているなっていう感覚があったんですよね。色々取材に行った先で「工作的建築」という言葉を見つけるんです。そこには、象徴的な風景がいくつかありました。その根底にある共時性というか背景を考えてみると、「衰退の先のある風景」っていう言葉に象徴されるように、戦後、世界の先進国は成長し人口も増加してきた後、一斉に人口減に転じているんですよね。

ヨーロッパは成熟のスピードが早かったから、衰退の先にある風景は主にヨーロッパにある。ただ必ずしも衰退局面にあるのはヨーロッパだけではなく、アメリカにはデトロイトとか、南米やチリにも、スラム化のような風景はあって。いくつか象徴的な風景は、ドイツかな。ドイツのアーバンガーデンを取材に行ったんですよね。あとテンペルホーフ空港とか。これらは要するに、全部東ドイツです。東ドイツは、ベルリンの壁崩壊で一気に人口が西に流れこんだので、東西冷戦崩壊ということにより、人口減少を一歩早く経験したんだよね。東ベルリンも西ベルリンに人口が流れたし。

丁寧な合法化

例えば、ベルリンのプリンセスガーデンっていう「アーバンガーデン」が結構面白かったんですけど、アーティストがスクウォッティングしてるんですよね。そこではベルリンらしく、空き地をスクウォッティングしてて、70年代的な言葉で言うコミューンみたいなのを作ってるんですよ。コンテナが置いてあったり、クラフトビール作ったり、自転車の修理工場があったり、そこに住んでたり、ちょっと畑つくったり、という風景が広がっているんですよ。それがかっこいい。

他にも、工場をスクウォッティングしたのもあったりとか。クリエイターたちが、「ハウスプロジェクト」と言って、郊外のちょっとボロくなった古い建物を、を安く買って自分たちでDIYして建物を再生しているっていうのを見てきた。面白かったのが、「ハウスプロジェクト」はカウンターカルチャーじゃなかったことなんですよね。

例えばニューヨークとかのスクウォッティングのように、一個前の世代のスクウォッティングってカウンターカルチャーとして、ある種非合法にやるじゃないですか。その行為が社会に対する批評性や、アティチュード・イデオロギーのようなものを示すっていうことにも繋がっていた。でも、「アーバンガーデン」などは、スクウォッティングはするんだけど、しっかりとクリエイターたちがユニオンを作り、法人を作って、住人や行政と調整しながら丁寧に合法化している。しかも、「ハウスプロジェクト」においてはファイナンスまでくっつけて方法論化してるんだよね。

要するに、かつてはどちらかというとアンチの旗を翻しながら、社会に対してのテーゼを掲げていたと思うんですよね。だけど今回の衰退の先にあるスクウォッティングする彼らは、社会が衰退することは本能としてわかってやっている。だから体制に対してアンチで戦っても仕方がない、戦う相手はそこにない。人口減少とか大きな経済の変化みたいなものに切り込んで行かなければならない、と、クリエイターや建築家も思っている。だからこそ、真・社会的にと言うか、風景は少し似ているんだけど、辿ってる手段が全然違う。そこにすごく「現代」を感じたんですよね。

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ベルリンのプリンセスガーデン(Photo: Open A)

若い人たちが作り出すザラザラとした風景

その後、リヴァプールに行きました。目的は、ターナー賞をとったアッセンブル(Assemble、イギリスの建築家グループ)がどういう集団で、どんな風景を作っているのかを確かめるためです。主にターナー賞の対象となったGranby Four Streetsというエリアに行ってみようと思って。そこのまちづくり会社の人と会い、アッセンブルのメンバーにも会えました。建築家と大工とアーティストの集団で20数人。「正確な人数がよくわからない」ということを言っていました。

リヴァプールという街は、産業革命で一度膨張し、戦後のイギリスの不況により、一気に衰退して、廃墟になってしまったエリアです。映画『トレインスポッティング』に出てくる、ドラッグの横行してそうな、郊外の廃墟になってしまった。

彼らはそういうエリアに入って活動をしている。まずそのまちづくり会社が、リヴァプールにある廃墟で、維持が大変で安くなりすぎた物件を、1ユーロくらいで買う。そして、アッセンブルが住み込みながらリノベーション物件を作り、バリューを上げたうえで売却したりしている。アッセンブルの建築は、特別すごいデザインではない。言ってしまえば、普通のリノベーションです。もっとすごい、凶暴なデザインとかをするのかなと思ったら、案外、普通に売れるものを作っている。

ただ、面白かったのは、そこで行われていたワークショップの主催者の出自です。まず、若い。20代〜30代くらいの、ケンブリッジ大学出身の、いかにも中流エリートっていう感じ。昔のイギリスとかだったら、労働者階級から出てきたアーキグラムみたいなやつかフォスターみたいに貴族っぽいところから、という感じだと思うんだけど。要するに、彼らは育ちの良い、超・中流エリートなんです。社会のミドルを形成してるような人たちが、普通の企業に就職せずにその社会表現活動に従事してて、そのエリアに住み、ワークショップなどを行いながら建築を作ったりしている。

そこで再び、アッセンブル的な活動は、社会に対するカウンターとして行われているわけではないということに気が付きました。社会の課題に真正面から付き合った結果、あのような表現になっていき、自分たちは街に住みながら表現活動して、結果、それがターナー賞になった。

そこに、日本にも近い状況がある、という不思議な感覚を得ました。僕らよりちょっと若い、ハンディハウスとか、アラキ+ササキアーキテクツとか、彼らと似ている。エリート出身という出自、そして工作的です。彼らも、最初の設定も成功もなく、地域の住み手と一緒に空間を作るみたいなプログラムを走らせていますよね。

あと、風景の質感がやっぱり似ています。

僕らのような40代はどうしても、所謂モダニズムとかポストモダニズムのような、経済絶好調な状況の中の建築を学んできた。「きっちりコントロールされた建築こそ格好いい」ということを学んできたし、染み付いている感じがあるじゃないですか。そこからはなかなか抜けられない。だから(安藤)忠雄さんだったり、妹島和世さんだったりの作る、コントロールされた美学みたいなものを、美しさの極として建築や都市に見がちです。

ただ、アッセンブルや、先程あげた日本の若い人たちが作る風景は、モダニズム・ポストモダニズムの言説から立ち現れる風景とは対極的で、ザラザラしてると言うか、アウト・オブ・コントロールを楽しんでいるような風景を作り上げる。そしてそのような風景は当然ローコストです。

作り手側と、計画する側と、使う側がほぼ一体化している。イギリスのアッセンブルにしろ、ドイツの「ハウスプロジェクト」の面々にしろ、元々は建築家だったりアーティストだったりしたんだろうけど、中には大工も混ざってる。その人員の構成のあり方がまずフラット。近代が作り上げてきた、職業の垣根のようななものが、もはや雲散霧消している。そういう風景を見ました。しかも、アッセンブルに至っては人数も何人かよくわからないって言ってる。強烈な個の表現意識みたいなものがちょっと希薄だった。

笠置:まさに「建築学会」のようなアカデミズムの外にあるものですね。

馬場:そうですね。面白いのは、ヨーロッパのアート・アカデミズムもすごい戦略的だということです。アッセンブルの一連の行動にターナー賞をあたえた。アート・アカデミズムがアッセンブルの一連の行動を「アートだ」と言うことによって、エスタブリッシュされてる。アート・アカデミズムなんてデュシャンに象徴されるように、歴史を意外な方向で、ひっくり返すのが仕事だろうから、戦略的にアッセンブルを選んだんだとは思うんだけど。ただ、そのアートとされた人たち―アッセンブルや、プリツカー賞をとった南米のエレメンタル―に似ている。デトロイトもそんな感じだったし。その風景に、ある種のアーバニズムみたいなものをビビッドに感じたっていうのがあって。

笠置:ちょっと前の前橋とかも空き地が点在していてデトロイトに近い風景がありました。前橋というのは、まちづくり界隈ではシャッター商店街として有名だったんですけど、今はアーティストがいっぱい居て、ギャラリーを作ったりしている。その「アート的なこと」は、行政もやってるし、民間もやる、という状況です。そして、その両方で盛り上がっています。

馬場:そうなんですね。前橋で主導的にやっているのは誰なんでしょう。

笠置:まず、市の政策としてアーツ前橋という美術館みたいなものを作るっていうのと、「いやオレたちは」って言ってる市民、という構図がありました。市民から「前橋◯◯部」という、市民の部活みたいなのを作ったり。お互いが競い合ってるような感じなんですけど、その間にすごい濃いアート系の作家が中間に存在しています。彼らが行政と市民を行き来しながらやっていて、それでうまいこと行っている、という風景がありますね。★3

馬場:それは面白いですね。今までにない、「アーティストが調節する」っていうパターンですね。

笠置:あと、前橋はメガネ会社のJINSや産業廃棄物リサイクルを手がけるナカダイの本拠地で、企業も色々仕掛けてるんですよね。そういう、行政・企業・市民のバランスができてる感じがします。

馬場:そうですね。彼らはバランスしようとしますよね。大きな衰退に対しての防衛本能が働いている気がする。衰退を受け入れざるを得ない状況の中で、逆に衰退を楽しんでいると言うか。そういうモードの中で、「アンチの旗を掲げてる場合じゃねえ」みたいな感じになってるんだと思う。批評的ではなく、いかにポジティブに、楽しそうにやれてるか?っていうか。だから風景に悲壮感がなく、過激すぎない。昼間からクラフトビール飲んでますしね。ヒッピー・コミューン的なものと、社会に対して開こうとする意識が合わさった風景に、現代性みたいなものを感じます。

溶解するビルディングタイプ、システム、

馬場:雑誌の住宅特集を見てもそういう質感のやつばかり並んでる。最近の住宅特集って「全部工事中!?」みたいな建築が並んでいて。表紙の建築の写真にも人が載っていて、びっくりする。商店街の、若い建築家さんのアトリエ兼住宅みたいな。

笠置:昔だとヴァナキュラーで、こんなデザインは無いよって建築学科では怒られていたようなものですよね。

馬場:いまは、余白をデザインしなきゃ、っていう感じですもんね。すべてをコントロールしない。使い手の余白をどう作るかっていうことを考えなければ行けない。

笠置:既存のビルを、自然の状態・ネイチャーとしてリスペクトし、読み解く★4。その上で、コンテクストとして見る、ということが重要視されている気もします。住宅特集の例もそうだし、馬場さんがやられてることもそういう視点でやってるのかなと思っています。

馬場:彼らは、コミットメントしようとしている。「コミットメント」っていう単語が注目されたのは、95年のオウムの事件の前後くらい、社会に取り残されたような人がいろんな事件とか起こしたあたりです。

『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』という本の中で、河合隼雄が「コミットメント」という単語を使って、村上春樹もそれに反応したっていう。

表現・クリエイトする人、つまり、表現者としてのコミットメントの手法みたいなものをたぶん模索している。それは、さっき言った言葉をもらうと、「社会への実装性」っていうことと繋がっていると思うんだけど。ただ単に経済活動としてコミットメントするというわけではなく、社会活動などの、ある種の関係性の構築を、表現者ならではの立場でする。そういう方法でコミットメントするというのを世界中で模索している感じがあります。

この風景(図3)だって、この縁側がコミットメントの象徴ですよね。パブリックスペースに対して。この場所を選ぶこと自体が戦略的な意思表示だと思うけど、そういう風景がたくさん並んでるんだよね。

笠置:これ住宅じゃないですよね、住んでるんでしょうけどね。

馬場:上で住みながら下が商店街みたいな感じですかね。所謂「物販、飲食」じゃなくて、アトリエ事務所みたいな。そういう意味では、職業の境界も溶けているし、ビルディングタイプの境界も溶けていますよね。

昔は「住居は住居、オフィスはオフィス、商業は商業」っていうところに対応して、『住宅特集』、『商店建築』のように、ビルディングタイプ毎にメディアもあったんだろうけど。現在の建築は、もはや「これどっちの雑誌に載せる!?」という感じになってしまっているんですよね。ここのオフィス(Open Aの運営するシェアオフィス「Un.C. -Under Construction -」)とかも新建築じゃなくて商店建築に載るんだよね。商店じゃないけど、オフィスでもいいです、みたいな。ビルディングタイプがカフェみたいだからだ商店建築に載っているんだと思うんだけど。だから、職の役割が溶解しているのと同じように、ビルディングタイプも溶解していて、それらはやっぱり無関係ではないんでしょうね。

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図4:Open Aの運営するシェアオフィス「Un.C. -Under Construction -」(Photo: Open A)

ネットワーク型の社会構造

馬場:そういう意味では、物事が、構築的・計画的に進まなくなっている。よく書くダイアグラム(図5)があって、計画的な時代は計画があって、ある種ピラミッド型という形があった。上意下達で進んでいて、僕らの計画自体は底辺にいたわけで、上は行政が作る。行政が作る上位概念に沿って、僕らはゲリラ戦でやっていた。その、ピラミッド型に甘んじてた感じがあって。

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図5:ピラミッド型とネットワーク型のダイアグラム

このヒエラルキー構造っていうかピラミッド型の構造というのは、まさに近代ですよね。合理性を追求するために最も強い軍隊システムがあって、それから細分化。近代性というのは細分化の歴史だったと思うんだけど。職能も、ビルディングタイプもどんどん細分化されていったっていうのが、今までの社会構造です。今、僕らはこういう局地戦も戦っていると思うんですよね。

ただ、この局地戦同士では仲良くなれると思うんだけど、一方のネットワーク型の方が繋がりやすくなって、いつしかそれが世界観を構成するような気がしています。要するに、ネットワーク型・アメーバ型に社会構造がなってきて、僕らはヒエラルキーの末端ではなくて、並列に走る現象の一つになっている。それらが繋がって、いつしか風景を作っていくというか。

ピラミッドだと降りた瞬間、先が終わるじゃないですか。壊死してしまうから。だから描かれた計画が計画通りに進むことが、もはやもうない。計画された瞬間に無理になる。

よって現代は、計画の不可能性を前提に計画が立てられるという、矛盾した状況に陥っている。それが近代の限界だと思います。僕らはそれを避けるために局地局地でやって、一個の線が仮に駄目になってもこっちに伸びて行けるから、というように引き返しやすいし、修正しやすい。

だから、戦う相手がはっきりしていた時代は軍隊式のピラミッドは圧倒的に効率的だけど、僕らが次の時代、戦う相手がよくわからない時代に本能的に生き残るには、ネットワーク式の社会モデルでやっていかなければいけない。これを俯瞰しながら、局地同士をどう繋げていくかというところを意識的に考えているような気がして、R不動産とかtoolboxみたいなメディアは、一個の線に当たるんでしょうね。リノベーションの一個一個の作品とかアクティビティは一個の点に当たるんですよね。なんかねそういうイメージで、世の中の社会の構造みたいなのを捉えていく感じはあるんですよね。

笠置:今の話を聞いていて、「粘菌コンピュータ」を思い出しました。要するに、餌を何個か置いて、粘菌同士の経路を作る。日本地図上の東京、横浜、前橋、といったように、餌を県庁所在地に置いていくと、ちょうど国道のルートと近くなる、という話です。コンピュータではないのだけど、コンピュータのようにちゃんと考えてるよね、という。

馬場:それは面白いですね。日本地図が大局的に見られなかった時代は粘菌コンピュータが作る道路のようになってたはずなんですよね。それが一回、近代になって計画経済時代に入り、俯瞰できるようになる。でも今、その状況が本当に正しいのか、というフェーズに入っている。だから、今は全ての思考のパラダイムを変えた方がどうも良さそう、みたいなことをみんな思ってるんだと思います。

笠置:先程から「本能」という言葉をおっしゃっていて、今の話だと「粘菌の本能」だと思うんですけど、それが先程のゲリラ戦、局地同士をつなげる、という話における「本能」なのかもしれませんね。

馬場:そうですね。AIも、ディープラーニングのシステムにした瞬間に一気にブレイクスルーがありましたよね。あらゆる可能性を検証しながら予め組み立てていくコンピュータの設計システムから、「間違えたら修正、間違えたら修正」という、ディープ・ラーニングの思想になった瞬間に隆盛を始めて行ったっていう。そのあたりの同時性は偶然ではない感じはするよね。

リサーチ、ジャーナリズム、メディア

笠置:馬場さんはよくサッカーも喩えにされていますよね。「野球型からサッカー型」といって。それは、先の話で言うところの、アメーバ的でもあるし、同時にジャーナリストやリサーチャー目線みたいなものもすごく感じています。

馬場:流動的に、刻々と変わる状況から判断をしていた方がいいし、どこか、自分の中に冷めた目線があるんですよね。自分がやってることに夢中になれないんです。建築も、いつもメタから見てるっていう感じがありますけどね。今和次郎さんなどのやっていた、考現学が好きなんですよ。そういう意味では東京R不動産も藤森照信さんが「経済的エンジンを装着した考現学」と仰っててくれて。

R不動産も、最初は路上観察記に近いブログだったんです。空き物件観察記ですね。そこに、不動産仲介っていう、経済的なエンジンをインストールしたら自走し始めるっていうことはありました。僕から見るとR不動産はメディアなんですけど、社会から見るとあれは不動産仲介サイトだと思うんですね。

笠置:世の中から見た分かりやすさと、自分の考えていることの接点がメディアになったりとかするんですか。

馬場:そうだね、その接点のようなものを探してるのかもしれないですね。

笠置:今面白い企業って自前で何でもやっていますよね。メディアも作るしモノも作るし。ウェブサイトなどによってメディアの立ち上げコストが低くなっていることも関係していますが。

馬場:そうなんだよね。でもそれは自然なことなんだと思う。結果Open Aも建築の設計リノベーションをやっている。R不動産は母体です、メディアと言っていいのか、不動産仲介業者と言っていいのかわからないけど。例えばこの空間(「Un.C. -Under Construction -」)とかは空間の運営をしているんですよね。まあ向こうはシェアオフィスになっていて。空間を設計した後、その空間を使いこなす方法を探すには、自分で運営するしかないんじゃないかと思って。

運営まで関わって現れる「生きられた空間」

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図7:INN THE PARK(Photo: Open A)

馬場:結果、沼津にINN THE PARKという宿を作って、それも運営してるんですよね。「知らない間に宿泊施設のオーナーになってるじゃん俺!」みたいな感じなんですけど。ただ、運営まで覚悟しないとあれは作れないんだよね。誰もあんな酔狂なもの運営してくんないから。

そういう意味ではOpen Aもアーキテクチャーの枠組みをどんどん開いていくことになっていくことになっている。「オープンアーキテクチャ」が事務所の名前だからそれは必然なんだけど、結果として、設計も運営もメディアもやる、っていうことになっている。最初はそこに躊躇はあったけどもういいやってなったって思ってる今日この頃なんですよね。

笠置:確かに、設計だけやってると運営に対して、「そんなの使えないよ」と言われる、というケースがあったりします。全部丸ごとやんないといけないけれど、設計から最後までやる方が、ビジョンを最後までやれるっていう状況はありますよね。

馬場:その以前の状況に独特の無責任感みたいなものがあり、それが後ろめたかったんだと思うんですよね。作って、「はい、あとはおまかせ!」みたいな無責任感です。細分化の歴史の中では、「俺は作る側だから使うのは任せた」っていう美学があったと思うし、社会はそれを望んでたと思うんだけどね。だけど今は、使う側の立場はどんどん強くなっているんですよね。

かつて社会学者のアンリ・ルフェーブルが「抽象空間」という言葉によって、官僚などの、計画する側の理論によって作られた街や空間のことを激しく批評していました。それに対して、使う側の理論で自律的に立ち上がった空間を「生きられた空間」と呼んでいる。つまり、空間の生産というのは「生きられた空間」でなくてはならない、ということを社会学では言っているんです。

建築の世界における有名な言説の中で言えば、「生きられた空間」という言葉は、例えばジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』で書かれたようなことと共振します。だけどそのどちらも、社会学者やジャーナリストから発信されてる。

だから計画する側だったはずの僕らも、意識的に設計やデザインプロセスと、コミットしなければ、と思い始めている気がします。それは空間的な表象学的な感じになってるんだろうなっていう気はしているんですよね。前述のダイアグラムがそんな感じっていうイメージがあるんだよね。

ずっと実験し続ける建築

笠置:計画側もタクティカル・アーバニズムのように、ローコストにまず実験してみるという考え方も多くなってきました。馬場さんのOpen Aでもそのようなプロジェクトを手がけられていますね。

馬場:まずOpen Aでやっていることがローコストだと言えるかというと注意が必要なんだけど、次に掘り下げてみたいなと思っているのは、実験する空間やプロセス自体の社会実験なんですね。例えば、暫定利用のあり方についてです。INN THE PARKも、沼津市から10年間土地を借りている。あとは、仙台でやっているLIVE + RALLY PARK.っていうのも、公園を暫定利用して、一年間、ポップアップのカフェを作って、実験して、うまくいったら本格的な形を作りましょう、という形で動いている。南池袋公園のマルシェも、1日とか2日だけ理想の風景を作って、みんなで「僕たちが欲しかった都市の風景ってこれだ」ということを集団で経験して、それを日常にセットするためにハード・インフラを構築していく、というように。

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図8:LIVE + RALLY PARK.(Photo: Open A)

今までは、ハードのインフラを計画者が創造し、その後に使い手がやってきて使うっていう、計画的に動いていたんだけど。やっぱり、今やってることは、とりあえずまず実験をしてみて、その有効性を検証しながら、方向性を変え、適正解を探していこう、というデザインの仕方がすごい多くなった、と思っていて。

一番冒頭に話したハウスプロジェクトやアーバンガーデンとか、アッセンブルのプログラムとかも、「日本の行政用語でいうところの、社会実験だな」と思って。今まで建築はしっかり固定されていること・永遠にあることが是だったけど、実験をずっと続ける建築っていうのもあって良くないか、という捉え直しをしてみたいなと思っています。まだどのように、それを表現していくかは分からないんだけど。

プロセスと風景を確かめ合う実験

笠置:社会実験のような実装を続けていくうちに、気づいたらピラミッドの構図に飲み込まれてしまいはしないのか、という危惧はいつも感じています。つまり、ピラミッドの外側でゲリラ戦をやってた時は、ピラミッドとは完全に別の世界で楽しくやってたんだけど、いざ実装になると、ピラミッドとも折り合いになってしまう、という状況です。僕らとしては、90年代に僕らの描いていた世界がやっと実現した、という感覚がありあます。確かに、描いていたその世界は実現したんだけど、どこか違うものになってしまわないかっていう感覚があるのですが、その点についてどうお考えですか。

馬場:それはありますね。僕もゲリラ戦をずっと戦っていたつもりだったんですけど、最近は内閣府の補助金の審査員とかしてる。これって自己矛盾だよなぁ、といったようなことは思います。ただ、そこの線引きは間違えないようにしなきゃと思ったりもします。だからそこはしっかりと意識的に、キャリア官僚たちに必死に我々の思想を説いていこう、という感じでやっています。

依然やっぱり日本の構造ってピラミッドなんですよね。ピラミッドから本当に逃れられない。日本の本当の骨格である官僚システムって、そう簡単には壊れないんですよね。ピラミッドの中のゲリラ戦って本当に戦いにくいんですよね。ピラミッドの中にヴァナキュラーな建築作るみたいなもんです。それはやっぱり難しい、という話ですよね。この骨格は、最も内部崩壊起こしにくいシステムだから。

僕らは当初は外圧だったはずなんだけど、いつのまにかにこっちピラミッドの中にも行ったり来たりしないといけない。かといって永遠に近づかないでいると、いつまでたっても社会は変わらない。やはり意識的でなければいけない。革命を起こすわけではないから。

笠置:例えば、これからは絶対アメーバ型の社会だとして、でも依然、社会実験とかの相手というのはピラミッド型の社会だったりするじゃないですか。その隙間で苦労することはありますか。

馬場:ありますよ。こちらの言語っていうのはピラミッド型の世界で生きている人には本当に通じないからね。その言語の不通状態というのは一気には変わらないと思う。ただ、具体的なモノを作ることによって、お互いにゆっくり気付きなり、ムーブメントみたいなものを作ったり、という感覚はあります。

南池袋公園とかLIVE + RALLY PARK.のような社会実験をやっていく中で、その相互不通の状況に変化を促すことには、担当者とも空気を共有することが有効だという実感があります。今までは計画、管理する側だった行政の人も、運営する人も設計する僕らもプロセスと風景を確かめ合い、共有することで、感覚的に状況を共有できるようになる。

その共有の後は話が早いです。そういったことを一つずつやっていく。建築というのは結局リアルなものなので、実例を構築しながら、一方では本を書いたりメディアを作ったりしている。建築をつくるのがゲリラ戦だとすると、メディアを作ったり本を書いたりすることは空中戦みたいな。そのふたつの戦いをサンドイッチしようとしてる感じはありますね。

作品・表現に美学を追求するのもいいんだけど、僕はダサくても経済や政策とか政治とかにもちゃんと建築は再び影響を及ぼすべきだと思います。デザインとかクリエイティブっていうところから、刻々と変わり続ける社会の状況に対して、提案ができる立場や発想のようなものを僕たち建築家は持っていると思うから。だからこそ、最近は建築の本だけではなくて、『民間主導・行政支援の公民連携の教科書』★5みたいなノウハウ本を書いたりしているんです。政治と建築を横断せざるを得ないという感じは持ってますよね。

笠置:上位下達の下にいる建築家たちが建築作品を作っていた状況から変化し、建築家をはじめとしたさまざまな人々の行動が結果的に啓蒙になっている状況ですね。今回は、ローコスト・アーバニズムという特集だったんですけど、お話を伺っているうちに、「カルチュラル・アーバニズム」なのではないか、というように思い始めました。つまり、起こっていることはたまたまローコストなだけであって、当事者たちは文化的なグルーヴのようなものをピラミッドの上に上げていっているのではないのか、と。

馬場:僕たちは、政治運動ではない方法で上げていこうとしてるんだと思うんですよね。政治運動に持っていたら対立構図になってしまうじゃないですか。だけど、カルチュラル・アーバニズムのような形だと、shouldじゃなくてlet’sになる。要するに、批判ではなく、「楽しくやろうぜ」という感じになるので、対立構図にならない。共鳴・共感による変化の誘導をやろうとしている、という気はしています。それがどう行くのかはまだまだわかりませんが。

[2018年12月4日、Un.C. -Under Construction -にて]

馬場正尊(ばば・まさたか)

建築家。Open A ltd.代表取締役。東京R不動産ディレクター。東北芸術工科大学教授。

★1 馬場正尊『工作的建築 実践から考える建築のあり方』新建築 2018年5月号

★2 馬場正尊 他『CREATIVE LOCAL:エリアリノベーション海外編』(学芸出版社、2017)

★3 友岡邦之『地域振興団体における領域横断性と「中庸のネットワーク」 : 群馬県の事例にみる新しい組織論的特性の分析』(地域政策研究 高崎経済大学地域政策学会、2015)

★4 馬場正尊『都市をリノベーション』(NTT出版、2011), p.60

★5 清水義次、岡崎正信、泉英明、馬場正尊『民間主導・行政支援の公民連携の教科書』(日経BP社、2019)

連載 [ 都市論の潮流はどこへ “ローコスト・アーバニズム” ]

>イントロダクション 笠置秀紀
「ローコスト・アーバニズム その文脈と展望を巡って」

> 02 矢部恒彦
「都市のロマンス化を乗り越えて ポートランドのDIYアーバニズム」

>03 青木彬
「これからのアートと都市を語るために」

>04寺井元一 インタビュー
「ストリートから学ぶ都市の作り方」前編

>04寺井元一 インタビュー
「ストリートから学ぶ都市の作り方」後編

建築討論

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笠置秀紀

Written by

1975年東京生まれ。建築家。日本大学藝術学部修了。2000年より宮口明子とmi-ri meterとして活動。近作に「URBANING_U」「清澄白河現在資料館」などがある。2014年に設立した株式会社小さな都市計画では「SHINJUKU STREET SEATS」など公共空間に関わるプロジェクトを多く手がける。

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