前言

建築(設計)において、模型はこれまで特権的な地位を占めてきた。図面や透視図とは異なり三次元のまま検討でき、また容易に移動させることができない建築を説明することができる模型は、常に建築にとって欠かせない存在だったと言える。しかし、昨今のコロナ禍において身体的な接触や移動が制限されたことで、設計作業やプレゼンテーションのオンライン化が加速度的に進行しており、フィジカル模型に変わるデジタルモデルの存在感が高まっている。デジタルモデルは3DCADでの設計が台頭し始めた1980年頃から一般化し始め、デジタル環境がより普及した2000年代には、モデリングツールを用いた方法と建築形態の相関性が指摘されるようになった。さらに、近年ではパラメトリックモデリングやBIMのように、ジオメトリのみならず、それを生成するためのアルゴリズムや、付随する建築設計情報を付加していくといった手法、VRやゲームエンジンを活用した手法の導入も進んできている。設計に援用された技術の目新しさのみが先行されがちだった状況は落ち着き、デジタルモデルを用いた本質的な建築のつくりかたに目が向けられはじめているといえよう。コロナ禍の今、フィジカル模型の利用頻度が下がっているからといって、デジタル優勢の時代が到来したと考えるのは拙速に過ぎる。フィジカルかデジタルのどちらかではなく、それぞれの利点と特性を冷静に踏まえつつ、目的に応じて使い分けるというのが現実ではないだろうか。本特集では、フィジカルとデジタルが融解しつつある現在のModel(ing)が、建築の制作方法や作家性にどのような影響を与えているのか探ってみたい。

そもそも模型は、道具、表象、物体、彫刻の間に位置する、「現実を観念化し、観念を現実化する、中間的な存在」(※1)である。また、その意味合いにおいても矛盾をはらんでおり、日本語の模型にもっとも素直に考えればそれは何かを「模した」ものということになり、すでに存在する建築に似せて事後的に作られた代用品を意味する。加えて「雛形」や「原型」という意味もあり、ゆえに現実の建築に先行する。さらに建築家の今村創平氏は、「模型は建築になろうとする」と同時に「建築は何かの模型(またはモデル)であろうと」するとも指摘しているように(※2)、模型と建築の関係は、事前/事後という異なる時間軸上にありつつも、その位置はたやすく入れ替わってしまう。

そこでまず、デジタルモデルの可能性やフィジカルモデルとの比較の前に、歴史研究、構造や環境分野の研究、設計、教育等に携わる多様なメンバーから構成される「建築と模型特別研究委員会」から、建築模型の歴史性と多義性について研究成果の一端をご報告いただき、建築模型が歴史的に、また各専門分野内でどのように機能・存在してきたかを概観した。

また、建築写真がメディアを通して建築のイメージを流通させてきたのと同様に、模型もまた建築の代理表象としての機能を担ってきた。とくに展覧会において模型は欠かすことができない存在であり、人々は作品として展示された模型を通して、現実の建築物に思いを馳せる。しかし、ときに模型は建築物の代理であることに飽き足らず、自律した価値を持つものとしてもふるまう。1976年に開催された展覧会「IDEA AS MODEL」のカタログで、企画者だったピーター・アイゼンマンは「建築模型はプロジェクトや建物の物語的な記録ではなく、何か他のものになり得るのではないか」(※3)と述べている。事実、F・キースラーのエンドレス・ハウス、OMAのフランス国立図書館コンペ案、ジュシー図書館案などのアンビルド建築の模型は、実際に存在しないにもかかわらずそれ自体がメディアを通して流通し、大きな影響力を有してきた。こうした模型の表象性と作品としての自律性について、国内外でいくつもの建築展を企画されてきたキュレーターの保坂健二朗氏に話を伺った。建築のオリジナリティと作者性の問題、展覧会における1/1模型を用いることのジレンマ、建築アーカイブと制度の関係など、建築と美術というジャンルを横断することによって浮かび上がる建築模型の特異性があらためて示された。

このように、そもそも「建築模型とはいかなるものか」という議論を踏まえ、座談会と論考では現在のフィジカルとデジタルが併用される状況におけるModel(ing)の新たな可能性、その先にある建築のあり方について考察を試みた。建築家の山代悟氏と大野友資氏をゲストに招いた座談会では、フィジカル模型が持っていた客観的な視点、つまりアイゼンマンが「IDEA AS MODEL」のカタログで強調しているように「想像を絶するものを可視化し、予期せぬものに空間を提供する模型の能力」(※4)がデジタルモデルではどのように獲得されうるのか、また素材や道具の違いがアウトプットに作用するように、デジタルモデルならではの物性と操作性について議論を試みた。

さらに、デジタルファブリケーションの普及は模型の制作環境を変えるのみならず、デジタルモデルから直接出力されるような1/1の模型を生み出し、建築そのものと捉えられるようなデジタルモデルが登場し「模した」ものとしてあった模型という概念を揺るがしている。クマタイチ氏は自身の経験や実践から、デジタルファブリケーションによる模型制作の状況や課題、デジタルモデルをベースとしたコラボレーションなど、今後のデジタルをベースとした建築設計に不可欠な話題を提供してくれている。加えて、その上で改めてフィジカルな模型の重要性を感じ、フィジカルとデジタルの境界を融解するような独自の設計手法の試みは、今後のModel(ing)のあり方において示唆的である。

髙木氏の論考では、Model(ing)の技法をツールとして選択するのではなく、プロジェクト毎にその目的に応じてカスタマイズしていくことの重要性が指摘される。単なるツールではない「考えるしくみ」としてのModel(ing)にこそ「人間の脳を拡張する」スタディの可能性があることを実践の中から見出している。デジタルはフィジカルと比較してスケールがなく身体性から離れた存在、道具と言われることがあるが、デジタルツールは考えるための道具であり人間の脳を拡張しうるもので、むしろダイレクトに身体感覚を会得することが可能であることが、髙木氏の論考によって理解される。フィジカル模型であれデジタルモデルであれ、座談会において焦点となった「見えないものをみる力」を養うことが必要であり、そこに意識的であることがModel(ing)のゆくえを捉える足掛かりとなるだろう。

(担当:川勝真一、水谷晃啓/建築作品小委員会)

※1 多木浩二,「思考としての模型 メディア2」,『視線とテクスト』,青土社,2013

※2 今村創平,「日本建築模型小史」, 『JA91』,新建築社, 2013

※3 Peter Eisenman, “Preface”, Idea as Model, Rizzoli, 1981.

※4 “Models The Idea, the Representation and the Visionary”, OASE #84, Nai010 Publishers, 2011

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建築作品小委員会
建築討論

建築作品小委員会では、1980年生まれ以降の建築家・研究者によって、具体的な建築物を対象にして、現在における問題意識から多角的に建築「作品」の意義を問うことを試みる。