特集趣旨

電車のドアが開くと、床のやけに大きい注意書きが目に入る。

Mind the Gap −段差注意−

「知ってるよ、わざわざ書かなくても」と私は呟き、溝を通りすぎる。

ジェンダーギャップの数字がニュースで流れる度に起きることも同じだ。我々は何度も「知ってるよ」と心の中で呟き、その数字を何度も通りすぎる。社会人であれば尚のこと。社会に出る女性が少なくて、当たり前。

しかし、実際、我々はそのギャップを本当に知っているのだろうか、そして、知ろうとしているのだろうか。

女性建築家の過去の資料を抽出し讃えることで、ヒロイックな建築家像は見えてくるだろうが、目に見えない瓦礫や地雷だらけの平原の上でそれらを爪先立ちで避けながら優雅にダンスを踊る/もしくは知らぬ間に舞台から消えていく現代の女性建築家について、我々は何か知っているだろうか。

本特集は、建築の世界、特に建築設計におけるジェンダーギャップについて取り扱う。特集は、現代の女性建築家3人に対するインタビューとメールインタビュー、本テーマに関するヒッチハイクガイドから構成した。建築設計にジャンルを絞った理由は、筆者の専門に近いことと、研究者と比較して建築家のジェンダーギャップが大きいためである。

長谷川逸子氏(1941年生まれ)は、日本における公開コンペによる女性初の公共建築設計者である。(単独の筆頭者として)1950年代から1990年代を中心として、学生時代の進路選択から始まり菊竹事務所・篠原研究室・自身の設計事務所での仕事の状況や、今後の女性設計者の可能性について伺った(インタビュアー:今泉絵里花(建築家/幹花建築社主宰)・成定由香沙(東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻)・福屋粧子(建築家/AL建築設計事務所・東北工業大学))。

乾久美子氏(1969年生まれ)は、そこから一世代下った女性建築家である。2000年代から公共建築作品を発表し、個人事務所での建築設計と並行して東京藝術大学・Y-GSAで建築教育を継続している。少し話題を変え、留学時代を含めた学生時代の状況や、フェミニズム関連の書籍への関心、また長谷川氏へと同様、質問によって、今後の女性設計者の可能性について伺った(インタビュアー:成定由香沙(前出)・福屋粧子(前出))。

貝島桃代氏(1969年生まれ)は、乾氏と同世代の女性建築家である。乾氏より早く1990年代から建築作品を発表し、設立パートナーの塚本由晴と共同での建築設計と並行して筑波大学・スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)など国内外で建築教育を継続している。また、2022年には国内/海外向け建築専門誌『A+U』特集「住居学と日本の女性建築家」のゲストエディターを務めている。今回はメールインタビューでの回答を依頼した。質問内容は上記2人へのインタビュー項目と同じである(質問:福屋粧子(前出))。

ジェンダーギャップについて女性が主体的に語ることは、そもそもかなり困難である。社会学者の高橋幸の言葉を借りれば、「『フェミニズムやジェンダーを口にすると、自分が意図しなかったような面倒ごとに巻き込まれるかもしれないから、とりあえずやめておこう』というような感覚は、バックラッシュの時期を知っている女性に広く共有されている」、ポストフェミニズム的態度が常態化しているとも言える。

そのため、まずは話しやすい状況を作ることも大事であるし、話していただくことでバックラッシュが起きることを避ける方法はないかと模索しながらインタビューを行った。その過程で思い起こしたのは、東日本大震災後の聞き取りの経験である。肉親が被災するなど、深刻な状況の渦中にある人が、状況のど真ん中にいればいるほど10年後でも「今は話すことができない」ケースを知った。ジェンダーギャップの問題でも、さまざまな理由で「今は話すことができない」人が一定数いると感じている。語り方を広げるために、今回はインタビュー(個人と個人の対話)とメールインタビューの形式で依頼した。

ヒッチハイクガイドは、このテーマに関心がある読者が、拾い読み(ヒッチハイク)するためのガイド資料として、1850年代から現在のフェミニズム運動の変化や女性建築家団体を図化し、ジェンダーギャップに関する資料をまとめた。

今から35年前、1988年のインタビューで、長谷川逸子氏は女性建築家が少ないことについて、ストレートに疑問を投げかけている(念の為補足すると、男女雇用機会均等法公布3年後である)。

長谷川:ずいぶん前から大学を出た女性が多いわけですけれども、どうしてたくさん建築家がでてこないかというと……。

芦原:女流建築家は相当出てきているじゃないの。

長谷川:いや、建築科に女性がいる比率に比べれば……。社会に出ると大変だからか、結婚しちゃうからか、逃げ道の方にいってしまう。

芦原:結婚の問題は確かに大変なことだと思う。ぼくのところにもずいぶん女の建築家の方が来たけれども、残っている人はほとんどいない。子どもを生むから半年だけ休むといって引っ込むわけよ。そして一年ぐらいたってやろうとすると……。

長谷川:それは難しいでしょうね。

(1988年7月号『建築雑誌 』特集「女の建築・男の建築」p.19 対談 芦原義信・長谷川逸子)

「どうしてたくさん建築家がでてこないかというと……」。35年後の2023年に、筆者が抱いている疑問とほとんど同じである。建築学科の女子学生率は29.1%(2003年-2011年平均)AIJ作品選集で建築作品を発表する女性設計者率は12.3%(2021年)。そして2015年以後、絶対スコアでも国際順位でも日本のジェンダー・ギャップ指数は下落。ジェンダーギャップは拡大している。

しかしその状況を作っているのは、冒頭の電車の段差の前で、知ってると嘯いている我々自身なのだ。物事は急には変わらない。だからこそ、ジェンダーギャップ状況を徐々に改善していくことを、ジェンダーギャップ・オフセットとして呼びかけようと考えた。今回の特集担当は日本人の女性(2010年代以後に一般的な言い方ではシスジェンダー女性)だが、自分にもジェンダーバイアスが強くあることをあらためて意識し、自分のバイアスを見つめ直す機会となった。

「なぜ女性建築家は少ないのか」

35年後に、我々はまた同じ問いを繰り返しているのだろうか。状況を変えられるかは、我々や同業者の日々の選択にかかっている。■

AIJ「作品選集」の32年間(1990–2021年)の発表作品中の女性設計者の割合/ジェンダーと建築を語るためのヒッチハイクガイド(トップ画像用)

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建築討論

建築討論委員会(けんちくとうろん・いいんかい)/『建築討論』誌の編者・著者として時々登場します。また本サイトにインポートされた過去記事(no.007〜014, 2016-2017)は便宜上本委員会が投稿した形をとり、実際の著者名は各記事のサブタイトル欄等に明記しました。