[c] 転用されるロードサイド
038|201912|特集:福島、風景と注釈
国道6号線は、東京から千葉・茨城・福島をへて宮城(仙台)に至る一般国道であり、水戸から相馬まではいわゆる「浜街道」がもとになっている。原子力被災12市町村のうち、浜通りの7市町村を貫く動脈だ。
第一原発は7市町村の中央、双葉町・大熊町の町境に立地する。両町域は今もほぼ全域が帰還困難区域、つまり立ち入りができない状態にあるのだが、2014年9月より国道6号だけは「自動車にかぎって」一般の通行が可能になっている。30Kmほどにおよぶその区間は、道路境界にフェンスが立ち、車から出ることはできない。沿道の風景はたしかに「見える」が、しかし「ないものとせよ」、という命令が働いているようなものである。
ふつう、街道筋の古い集落があるとき、国道はそこだけはバイパスするのだが、大熊町には一箇所、集落を貫く街道がそのまま国道へと拡幅・継承されている箇所がある(photo c_01)。
この集落を抜けるとき否応なく感じさせられるのは、国道6号はここではすなわちワープ航路のようなものだということである。
ところが、この2町の区間を出ると様相は一変する。南の富岡町や楢葉町、北の浪江町などでは、ロードサイド商業の空間がさまざまに「転用」されてきた。ゼネコン各社の詰め所(事務所)、スクリーニング場などがその主な用途である。おそらく、店舗空間が広くユニヴァーサルであるため簡単な内装で柔軟に使えるプランに変えられること、広大な駐車場を備えていること、国道6号線が無二の幹線であることなどがその理由だろう。
もっともロードサイドの店舗は氷山の一角。作業員の宿所や重機・資材置き場などまで含めると、原発事故にかかわる建設関係の事業を受けた企業・事業所は、それぞれに相当に大きな空間容積を確保しなければならなかったのである(編集部 A)