政治的暴力への抵抗としての建築実践(サマリー №14)

Eyal Weizman, “Forensic Architecture — VIOLENCE AT THE THRESHOLD OF DETECTABILITY”, New York, Zone Books, 2017

川勝 真一
建築討論
20 min readMar 8, 2023

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ウクライナとロシアの間で戦争が始まって一年。この間、私たちは数えきれないほどの悲惨な状況を目にしてきた。いまも各地では戦争犯罪を明らかにするための証拠集めが進められている。建築に携わるものとして破壊される都市や建築物を目にし、深い悲しみと共に無力感を覚える。だがこうした状況下だからこそ「建築」の持つ潜在的な可能性が現実化することがあると教えてくれるのが、2017年にニューヨークの独立系非営利出版社であるZONE BOOKSから出版された「フォレンジック・アーキテクチャー:検出可能性の閾値における暴力(Forensic Architecture VIOLENCE AT THE THRESHOLD OF DETECTABILITY)」だ。

Fig. 1 エヤル・ワイツマン『フォレンジック・アーキテクチャー:検出可能性の閾値における暴力』表紙(出典:https://www.zonebooks.org/books/50-forensic-architecture-violence-at-the-threshold-of-detectability)

著者のエヤル・ワイツマン(Eyal Weizman、1970~)はイスラエル出身の建築家。1988年にAAスクールを卒業後、イスラエルとパレスチナで最大の人権団体B’Tselemによって実施された調査に参加する。それはヨルダン川西岸の入植地における国際法違反の人権侵害を伴う建設行為への建築家やプランナーたちの加担を告発するというものだった。その際に「建築によって引き起こされる暴力とそれに立ち向かうために用いられる建築的調査や建築的証拠の可能性」(p.143)に気がついた彼は、その後もパレスチナを中心に、国家による人権侵害の現場に向き合ってきた。現在、ロンドン大学ゴールドスミス校の教授を務める。

本書のタイトルになっている「フォレンジック・アーキテクチャー(以下FA)」とは、エヤルがディレクターを務める組織の名前であり、また彼らが提唱する建築の実践形態でもある。フォレンジック(Forensic)という言葉は、後でもその意味するところについて述べているが、直訳すると「法廷の」であり、現実には犯罪操作において証拠の分析を行う「科学捜査」または「法医学」を意味する。組織としてのFAは、2010年にロンドン大学ゴールドスミス校を拠点に結成された。建築家のみならずアーティスト、映像作家、ジャーナリスト、科学者や弁護士によって構成され、国連やNGO、民間の活動家からの依頼を受け、国家、警察、軍隊、企業による暴力、人権侵害の現場を対象とした調査を行っている。2018年にはイギリスの著名な芸術アワードであるターナー賞にノミネートされたことで、注目を浴びた。

本書は導入を含む全四部からなり、各部には複数の章と具体的な調査事例が収められている。本稿ではFAの活動の条件を描き出す導入部、FAの理論的側面や手法が述べられている第一部を中心に紹介し、パレスチナでの具体的な実践にフォーカスを当てた第二部と第三部については概略のみに止めた。また本書については、建築討論にて中村健太郎氏が優れた書評を残してくれている。合わせて一読いただきたい。本論はあくまで書籍のサマリーという立ち位置での紹介を行う。

検証可能性の閾値──導入部

導入部「検出可能性の閾値(At The Threshold of Detectability)」は、6つの章からなる。最初の2つの章「否定的実証主義(Negative Positivism)」「フォレンジック・アーキテクチャーに向かって(Toward Forensic Architecture)」では、2000年にイギリスの法廷で繰り広げられたデイヴィッド・アーヴィング裁判が取り上げられている。ホロコースト否定論者だったイギリス人作家アーヴィングが名誉毀損でアメリカ人歴史学者デボラ・E・リップシュタットと出版社を訴えた注目されたこの裁判は、アウシュヴィッツ・ビルケナウのクレマトリウムIIの屋根に開けられた穴 — — これは加害者、被害者双方の生存者が証言していた青酸カリの入ったチクロンBを投げ込むために使われた — — の存在の有無が争われた。ナチスによる破壊と長年の風化によって穴は確認できない状態にあったため、屋根の穴の(非)存在という物質的証拠を用いることが、ホロコースト否定派の常套的な戦略になっていたのだ。

そんな中、被告側 — — やや奇妙に思えるが訴えられているのはデボラであり、彼女がホロコーストの実在を示す必要があった — — の証人の一人オランダ人建築史家のロバート=ヤン・ヴァン・ペルト(Robert Jan van Pelt, 1955~)は、当時撮影された航空写真に写ったガス室上のぼやけた黒い点の奇妙な干渉模様に注目する。その模様が「記録された物体と、ネガの最小粒子の大きさがほぼ同じ場合に引き起こされるもの」(p.20)であることを突き止めたことで、高度1万5千フィートから撮影されたネガのハロゲン化銀結晶一粒の解像度0.5㎡と同サイズの物体 — — つまり穴、正確にはその上につけられたベンド — — がそこに存在していたことを証明することができた。この0.5㎡はいわば「検出可能性の閾値」そのものである。このような犯人の証言や心理によらない、科学的な手法に基づく証拠作成のアプローチは、フォレンジック、つまり科学捜査の具体例でもある。さらにこの閾値が「ネガが現実を表現するイメージであると同時に、それ自体が物質的なもの、表象と存在の両方である」(p.23)ことに起因するという記述からは、FAが昨今の「マテリアル・ターン」と呼ばれる物質文化を重視するパラダイム変化の流れと無関係でないことが伺える。

続く3つの章「ドローン・ヴィジョン(Drone Vision)」「視覚的脱領土化(Visual Extraterritorialization)」「解像度のヴェールの下で(Under the Veil of Resolution)」は、同じく屋根に空いた穴の「検出可能性の閾値」をめぐり行われた、パキスタン北西部の自治地域(FATA)での調査が紹介されている。これは2014年に国連からの依頼で実施され、アメリカ軍のドローン攻撃による民間被害を調査するというものだった。このとき使用されたのが、着弾から起爆までの時間を調整可能で、建物を破壊することなく屋上に穴を開けて侵入し、内部の標的を攻撃できる「対建築技術を搭載したミサイル」だった。

Fig. 2 「対建築技術を搭載したミサイル」の仕組みを示すダイアグラム(出典:Waizman 2017, 23)

このことは当該地域での作戦を認めていないアメリカ軍にとって極めて都合がよいのだとエヤルは指摘する。なぜなら地域内の衛星写真の解像度は、地上面で0.5㎡へと意図的に下げられており、それより小さな存在や出来事、つまり人間の姿やミサイルによる天井の穴は、解像度のグリッドの網目をすり抜けてしまい検出されない。「人間の姿を排除」することは「プライバシーの保護になると同時に、人体への暴力や犯罪行為までもをカモフラージュする」(p.30)。当然、衛星写真本来の能力を使えば、より高詳細な記録が可能であり、犯罪側、つまり国家はより高詳細な画像を使うことができる。この「解像度の違いは権力の不均衡」を示す指標にもなっており、FAはこの非対称な条件下で、つまり「検出可能性の閾値」に隠された暴力と向き合うことになる。

Fig. 3 身体サイズと衛星写真の解像度の関係を示した図(出典:Waizman 2017, 26)

導入部の最後の章「建築の記憶(The Architectural Memory)」は、ミサイルが着弾した現場にいた生存者の記憶を引き出すため、破壊された建築のデジタル模型を一種の記憶術として用いた事例が紹介されている。

フォレンジック・アーキテクチャーとは何か──第一部

第一部ではFAが①建築をどう位置付けているのか、②なぜフォレンジックなのか、そしてFAの活動形式である③カウンター・フォレンジックという手法と、彼らが重視する④建築の感性的性質について論じられている。これらによって具体的な事例だけでは見えてこないFAの理論的背景を理解することができる。

「フォレンジック」と「アーキテクチャー」は、いずれも確立された学問体系を指す。しかし、両者が一緒になることで、互いの意味が変化し、異なる実践の様式が生まれる。(p.4)

①建築の位置付け
建物を設計し、建設するという従来の建築家像を覆す存在であるFAだが、彼らにとって建築とはいかなるものとして考えられているのだろうか。第一部の始まりには、紛争地域での前衛的な活動とは程遠い、主に保険分野で活動する「建築的事実を法的問題に適用する」フォレンジック・アーキテクトの存在が紹介される。「窓、壁、屋根の不具合、床の問題、バリアフリー問題、建築デザインの誤りといった建築的欠陥の原因や由来を調べる」という役割は、訴訟文化の中で保険の役割が増すことで、近年重要になってきた。

「大気と建物との相互作用の記録が建物の外壁に堆積した埃や煤の層として残される。その微細な層は、工業化、輸送、規制の歴史の痕跡である大気中の二酸化炭素、鉛、有害物質の濃度変化に関する情報を含み、都市の大気に関する研究のための考古学的資源になり得る」。(p.52)

このように「建物は静的な存在ではなく、絶えず動的な変化を遂げ」、「建物を構成するさまざまな材料は、環境の力に応じて常に動き、調整される」という「アクター・ネットワーク・セオリー(ANT)」的な考えのもとで、建築はより主体的な存在として位置付けられる。

建築は独自の建築的感覚を持ち、自らのうちにその歴史を記録する。(p.55)

第一章「衝突する調査官(CONFLICT SURVEYORS)」において、エヤルたちは保険紛争の現場から武力紛争の現場へとFAを拡張させる。現在の戦争行為のほとんどは都市で行われており、それゆえに建築や都市環境はその戦闘の痕跡を記録し、暴力の再現のための媒体となりえるからだ。

建物は振動や衝撃を記録する。植物は光合成によってその上の軍用車両の動きを記録し、大気センサーは戦車の進入や難民の脱出に伴って増加する交通量を検知する。人々は自分の周りの出来事を携帯電話のカメラで記録し、画像、音声、動画をアップロードする。(p.58)

当然それら一つひとつはそれ自体で証拠として使えないが、FAはそれらの証拠を「構造物、インフラ、物体、環境、行為者、事件などの間の一連の関係を結び、構成」させ、建築の空間を「証拠の集合体」へと仕立て上げる(p.58)。このように建築は調査対象であり、同時に証拠を立ち上げ、可視化するための調査方法にもなる。

Fig. 4 同じ時間に撮影された複数の映像を組み合わせ、事件の全体像を再構築する事例(出典:Waizman 2017, 203)

②なぜフォレンジックなのか
第二章ではフォレンジックという言葉について、語源であるラテン語の「Forencis」 — — これは「フォーラムに関わる」という意味を持つ — — にまで遡り考察している。ローマ時代のフォーラムは、裁判や調停の場でもあり、しかし経済や流通、政治なども扱われる多元的領域だった。興味深いことに、そこには人だけでなく、物質や抽象的な存在までもが擬人法によって声を与えられ参加したという。そのためフォーラムでの擬人法は、(まさに現代の科学捜査が法廷で行うように)「死者を呼び起こし」、(FAが取り組むような)「都市や国家に声を与える」技術として考えられていた。現在ではフォレンジックから公共的、政治的要素が失われてしまっているが、FAは本来的な意味に立ち返り、公共の主張を明確にする(市民的)実践として、そして「構築された世界に由来する証拠を用いて政治的主張を明確にする手段」としてこの言葉を捉え直す(p.65)。

章の並びは前後するが第五章と第六章の「科学捜査への転回(The Forensic Turn)」「証言の時代(The Era of Witness)」は、科学捜査が、証言という証拠の形態に変わって法廷や捜査に欠かせない存在へと発展していく経緯が語られる。

法学の歴史では、物的証拠と目撃者の証言は常に異なる形で絡み合ってきた。人権運動においては生存者の証言は特別な位置を占めてきた。(p.80)

60年代以降、人権運動においては証言が重視されるようになっていく。「証言は暴力の歴史を再構築するための認識的価値だけでなく、倫理的・政治的な力を持つと見なされ…視覚文化やドキュメンタリーの実践に決定的な美的・政治的影響を及ぼしてきた」(p.80)。1980年代になると、第二次世界大戦前後のジェノサイドに関する証拠を求めて各地で集団墓地の掘り起こしが進み、骨を用いた被害者特定が進められた。この「物的証拠の証明力に対する文化的・法学的認識」の高まりを、エヤルは「科学捜査への転回」と呼ぶ。犯罪者の立場や心理ではなく、「物、痕跡、オブジェクトが導く物語」が証拠となることの影響は、「今では科学捜査を扱うテレビドラマからオブジェクト指向存在論のような哲学的動向に至るまで、広く見受けられる」(p.78)。

Fig. 5 墓地から掘り出された頭蓋骨と写真を重ね合わせることで人物を特定する科学捜査の事例(出典:Waizman 2017, 95)

③カウンター・フォレンジック
一般的に科学捜査としてのフォレンジックは、国家や警察が市民や難民による犯罪を調査するために用いられる。しかしFAはこの関係を逆転させ、自らの実践を国家の「証拠生産の手段を奪う」カウンター・フォレンジック(Counter Forensic)として位置付ける。その目的は「国家機関(時には企業も)を監視し、彼らの主張と、戦争における情報のほぼ独占に可能な限り挑戦し、国家が行う政治的暴力を明らかにする」(p.64)ことだ。

しかしその証拠を提出する先の法廷は、実のところ「特定の政治的現実の産物であり、その中に位置し、それぞれが異なるプロトコルに従って運営される場」(p.69)なのである。そのため「証拠が提示される場の政治性」を理解することが重要だとエヤルは指摘している。さらに「人権や国際人道法の法学的・規範的フレーム」についても、それらを無批判に採用することにエヤルは警鐘を鳴らす。なぜなら「既存の社会的、政治的、法的枠組みの中から権利を擁護する」ことは「現状を強化する」ことになりかねないどころか、「これらの法は、軍事弁護士によって解釈され、再利用されることで、軍隊が暴力を計画し、行使する手段にもなりかねない」(pp.69–70)からだ。

実際、法律を戦争の武器として利用する法的・軍事的技術の組み合わせによって、軍事行動の新たなフロンティアが開拓されている。現代の戦争は、単に法律や規制の原則によって抑制され正当化されるというよりも、むしろ、それらによって強化され、力を与えられている面が多々あるのである。(p.70)

「戦場における国家暴力と、法律に組み込まれた国家暴力の両方を同時に対象とする」(p.73)実践形式こそがカウンター・フォレンジックなのだと言えるだろう。

そして第四章「関与する客観性(Engaged Objectivity)」では、「調査対象との関係において中立的な立場をとることを前提に理解される専門性」に疑問を投げかけ、むしろFAとそれに連なる専門家の多くが「政治的なコミットメントを動機として、自発的に活動」する人々であることが示される — — 当然、政府側の専門家が政治的に中立であることはない。

④建築の感性的性質
FAがアートや建築の分野で行ってきた展示は世界的に高く評価されてきた。それらは暴力への理解を促すだけでなく、美しい映像や身体的なインスタレーションによって、見る人の感性に訴えかけ、遠くに存在する他者(暴力の被害者)への想像力を喚起させる。第七章「フォレンジック・エステティクス(Forensic Aesthetics)」は、こうした美学的、あるいは感性的なものにたいするFAの考えがまとめられている。ここで重要なのは「美的感覚を捜査資料として利用する」という視点だろう。①でも述べたように、建築は一種のセンサー、そして「形式的な変容が周囲のさまざまな力を記録する、美的な感応体」(p.95)としてみなすことができる。建築が周囲からの影響を感知し、自らを変容させるという感性的な力を持つからこそ、物質は都市環境における暴力の証拠たりうるのだ。

Fig. 6 導入部で語られたミサイル攻撃の現場をフィジカルに再現した展示風景(出典:Waizman 2017, 44)

また、ともすると美学や表現は「単純で客観的に与えられた真実という法的概念と相反する」と考えられている。しかし現在の国際刑事裁判所では、「スクリーンにうつされた画像、文書、映像が証拠として提示される」ため、「法廷での身振りや語り口、画像の拡大、実演などのパフォーマンスのテクニックなどの美的な実践が、真実を提示するために欠かせないものになっている」とエヤルは主張する(p.96)。

第八章「イメージ・コンプレックス(Image Complex)」は、ある事件に関して生成されたいくつもの写真や映像の時間軸を同期し、仮想空間上に組み直すことで、空間的環境において証拠を組み立てる手法について述べられている。第九章「Pattern」では「異なるスケール、異なる期間、異なる速度で展開される」暴力を理解するためには、「時間と空間の中で繰り返される事件のパターン」を把握することが重要であることと述べられている(p.114)。そして第十章「Field Causality」では長期に渡って引き起こされる暴力、例えば「生命を維持する環境やインフラの破壊から生じる間接的な死亡」などは、航空写真や植物の生育状況のデータから環境の長期的な変容のパターンを見つけ出し、因果関係を理解しなければならないということが記されている(p.118)。

ミクロな物質の細部(破片や映像)から、政治的・社会的プロセス(政治闘争の歴史)の長い糸(行為者と実践、構造と技術の接合)を引き出し、それらが属している世界と再び結びつける(p.6)

Fig. 7 過去の事件の発生箇所や時間などをマッピングし、俯瞰的な暴力のパーターンを描き出す(出典:Waizman 2017, 117)

自律する建築的調査の批評性──第二部+第三部

第二部「Counterforensics in Palestine」はパレスチナにおけるカウンター・フォレンジックの諸実践を例に挙げ、FAが政治的な困難に出会い、国家による暴力の否定 — — その最たるものが、イスラエル建国時にパレスチナの人々を追い出したという事実の否定 — — に、いかに立ち向かってきたかが示されている。ここでは建築は暴力の現場であり、またパレスチナの人々を不当に立ち退かせる開発や建設行為として利用される緩慢な人権侵害の道具になってしまっている。家族を失い途方に暮れる遺族や住む家を失った人々と、不都合な真実を「否定」することで、犠牲者の死をもないがしろにする国家による過剰な暴力。この「否定」が続く限り暴力は継続する。だからこそ、FAは法や制度そのものが恣意的に変更されるような困難な状況の中で、建築や都市に刻まれた「否定の構造を記録することが、唯一可能な対応策」だと信じて行動を続けている。

最後の第三部「Ground Truths」は、イスラエル政府によって迫害され、住む場所を追われたネゲブ砂漠のべドウィン人たちの苦難の歴史に焦点を当てる。長期的な自然環境の変化と紛争、それに伴う暴力の関係を可視化することは、個々の事件における物質的証拠やイメージ・証言を理解するための「土台(Ground)」を形成する。一般的に警察の捜査は事件が起こった「一瞬」の分析に限定しようとする — — それによって事件が一人の警察官個人の問題に還元されてしまう。しかしエヤルはこの一瞬を空間的・時間的に押し広げ、政治的・歴史的文脈の中で事件を把握することの重要性を指摘する。

本書は最後までパレスチナでの事例に関した文章が続き、著者によるまとめや第三者による解説が存在しない。ともすると見ず知らずのイスラエルの砂漠に唐突に放り出されたような読後感を味わうことになるかもしれない。ただ、その唐突感は、本書に書かれていることが、今もまだ彼の地にあって継続中だということを、示しているようにも感じられる。

このように後半は、日本人からすると馴染みの薄いパレスチナでの具体例を通して議論が展開するため、ややとっつきにくさを覚える。しかし建築がいかに暴力の中で作用するかを知ることは、顕在化してはいないが身の回りに存在するミクロ/マクロな暴力へと、建築が加担してしまう危険を回避し、FAのようなオルタナティブなアクションへとつながる契機をになりはしないだろうか。調査や検証というプロセスが「つくること」に従属せず、それ自体が批評的な実践として成立すること、そこにも建築にしかできない世界への新たなコミットメントがあることをFAは教えてくれる。■

★Further Reading
felicity D. Scott “Outlow Territories : Environments of Insecurity / Architecture of Counterinsurgency”, Zone Books, 2016
第二次世界大戦以降の世界の中で、建築と政治、そして環境政策が地球規模でどのように絡み合いながら存在してきたかを示す一冊。著者はコロンビア大学大学院教授フェリシー・D・スコット、出版社は『フォレンジック・アーキテクチャー』と同じZoon Books。とくに1970年代前後に生まれた「地球戦宇宙号」に見られるような地球全体というレトリック、NGOや財団のようなグローバル資本によるポスト主権的領域の拡大が、地球環境の統治や第三世界の人々の管理と結びつく中で、建築の果たした役割や位置付けを解き明かす。

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川勝 真一
建築討論

1983年生まれ。2008年京都工芸繊維大学大学院修士課程修了。2008年に建築的領域の可能性をリサーチするインディペンデントプロジェクト RAD(Research for Architectural Domain)を設立。