お母ちゃんが自分で家具を作れるデジタルツール!? テクノロジーの役割は発想の具現化に尽きる

#BuildingTech 7/7

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2018年11月に開催された第2回「LivingTech カンファレンス」。『POST2020』をテーマに掲げ、2020年から5年後の社会を考えるトークセッションが展開されました。人口減少、少子高齢化、過剰供給……。社会課題について交わされた13セッションの中から、「デジタル時代のものづくり」と題して行われたセッション(全7回)の7回目をお届けします。

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登壇者情報

  • 秋吉 浩気氏:VUILD 代表取締役CEO
  • 藤村 祐爾氏:オートデスク Fusion 360 エヴァンジェリスト
  • 齋藤 精一氏:Rhizomatiks Creative Director / Technical Director
  • 野城 智也氏:東京大学生産技術研究所 教授 /モデレータ

懐古主義ではなく、ものづくりの本質をしるべし

齋藤 あと10分ぐらいなので、最後にもう1個です。

僕はもう1個デザイナーの役割として、もしくはものを作るプラットフォームを作る人の役割として、新旧、古いのと今出たてという全部を知っている必要があります。

最近すごく多いのが、新しいことを知っているのですが古いことがわからないことです。

例えばキーヤ(編注:映像編集でキーイング処理を行うためのソフトウエア)やCNC(編注:生産工程における加工工程をコンピュータを利用して数値制御する方法で、従来のNC工作機械より自動化のレベルを進めたもの)ことはわかっているが、そもそも林業の仕組みなんて知らない人も多いではないですか。

そうするとビジネスもできないし、ものも作れない感じになっているので、結構デザイナーで多いのが、今のトレンドはわかっているがその歴史をわかっていない(人です)。僕も含めてまだ勉強が足りないです

そこはちゃんとやっていかないと全体のバランスが取れないです。

野城 私たちが学生時代に槇文彦さん(編注:建築家。79–89年 東京大学教授を歴任。)に習ったときに、当時は手書きですが「講評を真面目にするかどうか決めている基準があります」ということをニコニコ笑いながらドキッとすることをおっしゃったのが、「トイレの大きさです」ということです。

つまり3年生、4年生の学生だと、トイレの大きさを間違えるわけです。それで「リアリスティックであるかがわかる」とおっしゃったのですが、デジタルでもそういうことが起き得ます。

いわゆるスケール感が、本当のスケールと実際の世界のスケールを外すとか、いろいろと齋藤さんがおっしゃるようなマテリアリティとデジタルのスキルを結びつけていかないと、そこがウィークポイントになっていく可能性があります。

秋吉 僕の今の立ち位置としては、2010年以降のデジタルアーキテクトの人たちはわりと形も作っているものの、単に「コンピュテーショナルなものを作りました」という見せ方の人が多かったのです。

既存の建築産業・不動産もしくはデザイン領域と、そことの温度感に乖離があったのです。

僕は今、建築学会の学会誌の編集委員もやっていて、そこで何をしているかというと、工業化時代にどういうことがあったか、木材はどのように使われてきたのかというところを、丁寧に今のデジタル文脈と紐づけています。そうしてあげないと、単純に仲間が増えないなと思っています。

そこの部分をどうやって整理するのかという意味で、やはりそれこそ槇文彦さんがやられていたようなインダストリアル・ヴァナキュラー(編注:工業化による新しい土着性の創出という意味。 工業化された風土を前提として、新しい土着性を表現しようとする試み。ヴァナキュラー=土着性)と言われていたような、大量生産な工業製品が具現化していったときに、そこで現れる新しい風土性というか地域性がどうなるかという話です。

もう1度デジタルによって地域生産に落ちてきて、もう1回昔までのヴァナキュラーな民家と接続し得るのではないかという単純な技術論ではないのです。

文化や歴史と本当にディティールでどうやって接ぐのか、どうやって締め付けるのか、どうやって繊維を切り刻むのかというところも含めてやらないと、相手をしているのは林業の人や大工さんなので、結局信用されないのです。

やはりそこをやらないとこのブレイクスルーは絶対起きないので、そこはかなりやっています。

テクノロジーには新規創出だけでなく、復元の価値がある

野城 東京電機大学の小笠原さんがアメリカのアーキテクチュアルファームの変化を調査されたときの話を聞かせて頂く機会がありました。

そこでおもしろかったのはデジタルファブリケーションでマグカップを作っているブルックリンのショップのインテリアと、その前に彼らが行ってきたクーパー・ユニオン(編注:アメリカでは最も入学することが難しい芸術学部を持つ大学の一つ。ブルックリンと同じくニューヨークにある)の昔ながらに手で制作しているマグカップがインテリアとして非常に似ているのです。

いずれにしてもマテリアルを大事にしていることが共通しています。

ただある意味では、そういう空間に象徴されるような手仕事を大事にして、それから建築を組み立てていこうという気持ちが和がれていて、それからデジタルが降ってきてパワーアップしている感じがしたのです。

齋藤 最近それで思っているのが、実はデザイン的に見てみると、僕はデザイナーって言ってもデザイナーではないのかもしれないですが、実は1960年代に完成されているデザインがたくさんあって、それなのにまだグチャグチャやっているのが結構多いのです。

それをズバンと提案すると、いろいろハレーションが起きるのです。

車会社さんに「車は1969年に完成していると思うので、丸っこいデザインにするのはもうやめよう」というのを提案すると「確かに」ってデザイナーは言うのですが、事業部は「何を言っているのか」という感じになるのです。

もしかしたら、僕が最近言って自分で実践しているのですが、今のテクノロジーはもちろん新しいものを作るためにもあるのですが、今まであったものを修理するためにあるかもしれないということを言うのです。

僕は最近車は板金まで全部自分でやるのです。本当ですよ、写真を見せたいぐらいです。

板金から家具の修理から、もう1回ホゾを切ってというミリングまでやってというのをやるのですが、奇しくも昨日僕の車のエンジンを最初にかけるモーターが壊れまして、これを調べたところだいぶ奥にあるので「これはやめよう」「これは僕では修理ができない」となったのです。

ですが手に届くもの、例えば壁を塗装しよう・電気を変えよう・何かをインテリアとしてつけよう・棚を作ってみよう、もしくは壊れたもののホゾがなかったらもう1回採寸して、簡単にスキャンしてそれを出力して、ジョイントを作ってみようということもできるではないですか。

もしかしたらそれは古いこともわかっていないと、たぶん今来てる技術もわかっていないと、その発想は出てこないと思います。何かそれで考えていらっしゃることはありますか。

ものづくり復興には、壊れたら直せるというマインドチェンジが必要

野城 皆さん、あと5分だというので、考えていらっしゃることをお願いします。

藤村 僕は変な話ですが、デジタルのツールでいろいろなことができると思うのです。

例えば京都の伝統工芸の職人の技を、デジタルツールで保存しておくことが今行われているのですが、いつも僕がプレゼンをさせて頂くと話に出るのが、うちのお母ちゃんですが、「どうやったらうちのお母ちゃんが、例えばデジタルツールを使って自分で家具を作ろうと思うかな?」ということです。

これは僕の中で「うわ、ないな」と思うことのひとつなのです。

それが「これだったらうちのお母ちゃんでもやるな」と思わせるのは、たぶん何かきっかけや仕掛けがすごく必要で、それをある意味プロフィットも考えた上で組んでくれることが今はまだ起こせていないと思います。

要は消費者として教示されるまま、自分が作る、自分が変える、自分がやるとわざわざ思っていないのです。

貧しかったらみんなが自分でやるしかないので、これは日本が豊かだからかもしれないのです。そこら辺も少し日本が豊かだからこそのチャレンジが最近見える感じはしています。

できれば自分でやったほうが全部身につくのでいいのですが、中々皆さん一言で言うと「時間がない。忙しい」というのが口癖になっている世の中の気がします。

それをうまくデジタルツールを使えば、解決するきっかけを与える方向に持っていけるのではと思っています。

野城 それにちょっと加えると、物語になっていくのです。

休みの日にデジタルで作ったことがInstagramか何かで流れて、そこで作った行為そのものがまた物語になっていくとますます。

齋藤 そうですね。でもいつも言うのですが、例えば何千万もする高級車よりも、例えば自分の娘が作った折り紙の折り鶴のほうがすごく価値が高いわけではないですか。

こういうことはそこら中に本当は転がっているはずで、それをできるだけわかりやすく体験できるUXを伴った機械がもっとあるといいなとは思います。

野城 秋吉さん、お願いします。

秋吉 デジタルは自分もやっていてそうなのですが、やはりデジタルは基本的には手法なので、手段です。

だからそれが目的化しないようにするためには、やはりなぜそれをやるのかということが大事です。

僕はもともと、ファブラボ界隈に居たのですが。どちらかと言うと、いまだにちょっとギークエコノミーというか、エンジニアが「今俺はこれを作りたいんだ」と個人の想いだけでやる人が多いので、そうではないところに飛び火するために、個人を超えた目的の構築を大事にしていて、素材生産者や主婦のような人たちもかなり今一緒にやっています。

それもやはり伝え方としては、デジタル刺繍ミシン、もしくはミシンの延長として布を選んで衣服を作っているのとほとんど同じことなのです。そういう話をしていくと、結構スッと入って使ってくれることがあります。

その辺の大枠をどうやって作ってあげられるのかという、やはり右側のカルチャーやコンテクストのわかっている人たちがスッと言えることが大事だなと思っています。

その先にネクストステップがあくまでデジタルでズバンと行けるので、そのズバンと行く前の一歩目をどうやって作るのかは結構大事だなと思います。

野城 齋藤さん、タオルが投げられるまでお願いします。

齋藤 わかりました。思ったのが、お2人おっしゃる通りでその通りなのですが、ひとつはやはりマインドチェンジをしないといけなくて。

いろいろなところがそうですが例えば公園も「公園でボール遊びをしてはいけない」と教わってきましたが、実は運営がちゃんとしていればボール遊びをしても大丈夫だったりするではないですか。

ものは1ヶ所が壊れたら捨てるのではなくて、1ヶ所が壊れても実は直せるかもしれないという発想にシフトしていくことが絶対的に大事です。

おっしゃっているように、3Dプリンターを導入しても結局使われないというのは作りたいものがないのです。その作りたいものを作ってあげる教育、今はSTEMやSTEAM(編注:Science, Technology, Engineering, Art, Mathmaticsの頭文字を並べた造語)と言われています。

その手法ではなくて目的を「これがあったら僕の生活はすごく豊かになるのに」「これが落ちているから直せたらいいのに」といった、僕はバイクも家具も直しているのですが、こういうちょっとした発想で実はいろいろなものが復活したり、自分なりのデザインができて先ほどおっしゃったように自分なりのカスタムができてもっと愛着が湧くことができるともっといいのです。

強い光のところをちゃんとデザインできるような教育なのか、僕たちはクセをつけないといけないのです。

野城 ありがとうございます。

ちょっと発散してしまいましたが、発散というのは論点がたくさん出たということだともいえます。それぞれ今日出てきたネタや大事なことについて、ご縁がございましたら今日お越しになった皆さんと一緒にやっていきたいと思います。

本当に今日はありがとうございました。

(終わり)

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