生きるための仕事が必要なくなったとき、人は何に時間を使うのか?

#WorkAsLife 2/6

--

2018年11月に開催された第2回「LivingTech カンファレンス」。『POST2020』をテーマに掲げ、2020年から5年後の社会を考えるトークセッションが展開されました。人口減少、少子高齢化、過剰供給……。社会課題について交わされた13セッションの中から、「Work As Life」と題して行われたセッション(全6回)の2回目をお届けします。

第1回から読む

登壇者情報

  • 山口 周:コーン・フェリー・ヘイグループ パートナー , 一橋大学 経営管理研究科非常勤講師
  • 柳澤 大輔:面白法人カヤック 代表取締役CEO
  • 林 宏昌:リデザインワーク 代表取締役社長
  • 石川 善樹:Campus for H 共同創業者
  • 武井 浩三:ダイヤモンドメディア 代表取締役 /モデレータ

現代には、4つの“しごと”がある

石川 ちょっと別な話して良いですか。

仕事って何だろうということを柳澤さんの話を聞いていて思ったのですけど、これは駄洒落のような、言葉遊びのような話ですけど、“しごと”って僕、4つあると思っているのですね。

コトに仕えるという意味の仕事。私のことという意味での私事。志のことと書いて志事。そして、死ぬという死事。

人生には4つの“しごと”があるとしたときに、これって結構重要だと思うのですけど、一昔前まではコトに仕えたり、私事であったり、志事というのは、自分の職場で全部満足できていたと思うのです。

でも今の時代は、コトに仕えるという意味での仕事はしているけれども、私事や志事が会社で充足できないから、Work As Lifeなんじゃないかなという投げ込みです(笑)。

柳澤 スイッチ入ってきましたね。

武井 山口さん、いかがですか。

100年前のケインズが予言した、Work As Life時代の到来

山口 仕事、働くですけど、皆さんご存知だと思いますが、20世紀の初頭にケインズって経済学者がいたんです。

彼は1930年に、世界恐慌の真っ只中に講演をやっていて、孫の世代つまり僕らのことなのですが、「孫の世代の経済的可能性」という講演をやっていて。どういうことを言っているかというと、「今から100年後には1日3時間しか働かなくていい社会が来るだろう」と言っているんです。

当たり前の話なのですが、生産性がどんどん上がっていって、世の中に必要な物が満たされるための労働投入量が減っていけば、今の労働量の半分で十分ニーズは満たされるという予言をしているのです。

その予言は外れたという評価を経済学者の人たちはしているのですけど、僕はちょっと待ってと思っています。

ケインズはその講演で何を言っているかというと、3時間になるのは当たり前の話なので、それを前提にしていろいろなことを言っているのですけど、何を言っているかというと、大きな社会問題が起こると言っています。

それは何かと言うと、暇に耐えられない人が出てくると言っています。

ケインズの言っていることは、行間を本当に噛むようにして読んでいくと、結論は行間に書いてあるのです。

それは、論理的に言ったら3時間になるだろう。ただおそらくならないだろう。なぜなら人は、余った時間に耐えられずに、世の中に必要ない余計な仕事をやってしまうだろう、という結論なのです。

世の中にとって意味のない仕事からはやりがいが感じられないので、意味のない仕事に携わる大勢の人が、仕事を通じて心を病むことになるだろうということを含みをもって言っているのです。

僕はだから、この予言はむしろ当たったと言ったほうがいいと思っていて。

世の中に必要なものがもう満たされた状態で、しかもそれを更新していく。無理に捨てさせるとかしないで普通に更新していくことをやるんだったら、おそらくケインズの言ったとおり、今はもう1日3時間とか2時間とか働けば十分維持できるはずの社会において、6時間とか7時間の余った時間は遊ぶのか。でもそうすると、結局は遊びが仕事になるはずなのです。

昔は、例えば貴族って狩とかをやるわけですけど、狩人って仕事でやっていた。あるいはガーデニングって遊びでやっているけれども、昔はそういう畑を耕すって仕事だった。

だから、さっきの柳澤さんが言っているのと近いポイントなのだけれど、おそらく世の中に必要なニーズは基本的にもう2時間とか3時間で満たされるとなったときに、遊びと仕事が融合していくことで世の中にどう関わっていくかがむちゃくちゃ大きいテーマになってきて。

そこがちゃんと作れない人は心を病んじゃうんだと思うのです。

宮本常一『忘れられた日本人』に残る、昭和日本の ◯◯ as Life

石川 また投げ込んで良いですか。

100年前のケインズという話でピーンと思い出したのが、100年前の日本人にとって生きることとは何であったのかというのをすごく端的に示している本で。

民俗学者の宮本常一さんの『忘れられた日本人』という本があって、これは百数十年前の日本人の、普通の人たちの普通の暮らしを丹念に記述している本なのです。

例えば田植えのときに女たちは何を話しているのかとか。すごく面白いのですね。例えば農家の人は、娘を売るときどんな気持ちなのかとか。

柳澤 100年前に書かれたのですか。

石川 いえ、書かれたのはもうちょっと後で、昭和の中旬頃に書かれている本です。そのころ生きているおじいちゃんとかお婆ちゃんに話を聞いているんです。

例えば農家の人がどうして娘を売っちゃうのかというと、本当は売りたくないのです。でも食う物がなくてひもじい思いをしているのを目の前で見るのが何よりも辛い。

だったら売ってでもご飯食べさせてもらったほうが良いという、そういう苦渋の決断であるという話など、そういうのがいっぱいあるのですけれど、読んでもらったら面白いのですが、基本的には夜這いの話が中心なんです。

みんなの関心事は、夜這うことなんです。「夜這う As Life」なんです。生きることは夜這うこと(笑)。

田植えの最中も、とにかく女たちで夜這いの話をし、男たちは急いで飯を食って、山を越えて夜這いに行くわけです。

だから昔の人って、働いてヘトヘトかというイメージがあったのですけれど違うんです。頭の中は夜這いでいっぱい(笑)。

武井 すごいのを投げ込んできましたね(笑)。

石川 「夜這う As Life」から「Work As Life」へ。100年経つといろいろありますねという。

武井 じゃあ、そういったところで、次の問いに強制的に移りたいと思います(笑)。

石川 ちょっと昼からする話じゃなかったかもしれないですね、これは(笑)。

柳澤 いや、良かったです。

石川 ただ、『忘れられた日本人』という本を読んで頂きたい。

--

--