分類することの危険性

ます
MATH-Room
Published in
3 min readMay 31, 2018

前回、アクション型とリアクション型という分類をしましたが、今回の文章は、そのすぐ後に書いています。
一つのことを書いているうちに、それに対する反論が、頭の中に浮かんできてしまうんですね。これは、僕の思考の特徴のようです。
あれほど、どちらのタイプでしょう、みたいな話しをしていたのに、そういう風に分類することはいかがなものか、という内容です。

いろいろなものを分類することには、頭の中を整理し、物事を捉えやすくする、という役割があります。

あの人は~~な人だから、こういう風にしておかなきゃ

この問題は~~のパターンだから、そのやり方はダメだよ

自分は~~が好きなので、他のものはいりません

などのように、日常生活においても、この「分類」という作業は、頻繁に行われています。これによって、色々なものが単純化されて、考えやすくなるわけです。

しかし、単純化するということは、それによって失われる部分がある、ということです。

あの人は神経質な人だから、騒がないようにしなきゃ
性格から考えた、そういう対応は、多くの場合は有効でしょう。
けれど、よく観察してみると、今日のその人は、いつもよりも楽しそうです。もしかしたら、とても良いことがあって、みんなと一緒に盛り上がりたいのかもしれません。そんな日だってありますよね。

この問題は先週やったのと同じだから、その通りにやりなさい
受験勉強ではありがちです。まずは言われたとおりにできるようになってほしい、そう思うのは当然です。
ただ、別のやり方でも、それが解答に繋がることもあるでしょう。頭ごなしに責めるのではなく、その方法も認めたうえで、なぜ授業で教えた解法が良いのか、それを伝えてあげましょう。

自分はサッカーは好きだけど、野球は全く興味ないなぁ
趣味の話題では多いと思います。好きなものというのは、一回決めてしまえば、他の選択肢を消すことができ、選ぶ手間が省けるので、とても楽なんですね。
僕は、この傾向が強めです(スポーツは割と何でも好きですが、食事とか音楽とか、すごく偏ってます)。

このように、分類することは、単純化することであり、一本化することです。その結果として、思考停止状態に陥ってしまう危険性があります。
好きな食べ物とかなら害は小さい(健康くらい)のですが、仕事や人間関係においては、こういった状況になっていないか、時には見直してみた方が良いでしょう。

分類することが悪いのではありません(良い・悪いの分類をしているわけではない)。それによって、いろいろな物事に対する観察や思考を怠ってしまうことが問題なのです。
いつも通りの言葉になってしまいますが、考え続けることが大切です。

--

--

ます
MATH-Room

日頃考えていることを適当に書いていきます。少しでも、何か考えるきっかけにしてもらえれば幸いです。