改めて、EDPから何を得たのか考えてみました

2016年度EDP受講生、東京工業大学工学院機械系の阿多です。僕は今、留学でサンフランシスコにほど近い大学にいます。ここはいつも良い天気で過ごしやすく、身も心もすっかり洗われました。優秀な学生たちに良い刺激をもらいながら日々過ごしています。

この文章を書くきっかけは、EDP で大変お世話になった坂本先生がまもなく1年間のサバティカルに出発される事でした。僕の大切なEDPメイト達が8月某日の夕方に大岡山のいつもの居酒屋に集まり、坂本先生の壮行会を行いました。僕は朝4時に起きて、LINE 電話で坂本先生に「お元気で」と伝え、すっかりご機嫌なEDPメイト達と「あの1年は最高だった」などと語り合いました。電話を切った後に改めてEDPの事についてあれこれ思いを巡らせて、「あぁ、僕は曖昧さと踊る中毒者なんだな」と思いつきましたので、その事を書きたいと思います。

今日は僕の人生を変えた日、2017年2月11日から914日目(!)です。あの日は前日から夜を徹して発表に向けて作業をして、発表ギリギリまで練習をして、全チームの発表が終わった後、目を赤くした齊藤先生と握手したことをつい先日のことの様に思い出します。あの日の出来事は僕にとって大きな成功体験でした。

しかしEDPでの1年をよーーーく思い出すと、その殆どは苦しみ踠いていた時間でした。グループのメンバーと言い合いになったり、良いアイデアが思い浮かばずに途方にくれたり、EDPの課題提出と学会の予稿の締め切りが被って睡眠時間を削ったりと、人生の中でもキツさで言えば上位にランクインする1年だったと思います。

しかし、それでもEDPに参加した1年は確かに「最高」でした。今となってはキツかった事はほとんど忘れていています。Mediumの記事を読み直して「そういえば中間発表の時は途方にくれてたな」と今思い出したくらいです。ではなぜ最高だったのかと言うと、最終発表というゴールテープを2016年EDPメイト全員で切って、そして各々が新たな挑戦に向かってスタートしていった瞬間を体験したからです。今日から914日前のあの日、それまで味わった苦労が最高の経験に変換されたのです。

あの種の喜びをもう一度味わいたいと心の奥で常に思っています。曖昧さと踊ることは今でも怖いですし、かっこ悪い事の方が多いです。が、自分の安全地帯を越えた挑戦をして、その先にある経験によって得られる喜びを知ってしまった僕は既に「曖昧さと踊る中毒」者なのです。これが今日考える、僕がEDPから得た事だと思います。

914日前の様子

恐らく、EDPで得た経験と僕のこれからの経験と相まって、「EDP から何を学んだのか」については考えが変わってくると思います。また思い立ちましたら記事にしたいと思います。

最後に、今は社会で活躍している2016年度曖昧さと踊る中毒の皆さん、今年の10月に同窓会をしようと奥出君と話をしています。9月頭あたりで告知すると思いますので今や遅しと連絡を待ち構えていただき、連絡が届き次第すかさず「参加」をポチっていただければ幸いです。EDP Alumni Slackをよーく見ていてください。

--

--