意味論的転回 #5
P94〜P134をまとめました
混乱とユーザビリティー
意味は予期したとおりにならない場合もあり得る。
- コンピュータの意図しないフリーズ
- 間違った方向へ曲がってしまう
- はさみで手を切ってしまう
機能停止
上記のような機能停止状態に陥るのは、私たちを一部分とするインターフェースの有意味性である。
次のときに生じる:
- 完治されたこととは矛盾するようなことを意味と行為が私たちに期待させるとき
- 予期された感覚と現実に持つ感覚とが著しくかけ離れているとき
日常言語に含まれる機能停止を表す表現:
- 誤操作
- 不正確さ
- ミス
- 誤用
- 注意力散漫
- ジレンマ
- 行き詰まり
意味の喪失から回復するためには、休止して、私たちが向かい合っている人工物ないし対象についての概念を再構築する必要がある。
- 人間は「実際に」存在するものの姿を知る術を持たない
- 人間は自分の理解に、すなわち利用できる感覚が確証してくれると期待される、自分なりの実在の構成に頼るよう定められている。
- 混乱が生じた時こそ、実在が姿をあらわす唯一の瞬間。
なぜどうして間違ったのかは明らかにしてくれない。私たちの行為に関してのみ、私たちの考えが不適切であるということを明らかにしてくれる。
混乱が生じることにたいする二種類の説明
- 人間の考えとそれに基づく行為
- 誤操作
- 不正確さ
- ミス
- 誤用
- 注意力散漫
- ジレンマ
- 行き詰まり
2. ユーザーが思っているような仕方で役に立たなかった人工物
- ご作動
- 装置の不具合
- 材質の不良
- 摩擦
- 完全性の欠如
- デザインの不備
- 両義性
- 誤解の生じやすさ
- 仕上げの悪さ
- 不運
- 偶然
- エントロピー
外在的な原因のせいにすることはユーザーが進んで学習したくないということの現れ。しかし、学習を拒み、ユーザーのミスが致命的なものである場合こそ、デザイナーはユーザーが困る状態に陥らないようにする制約を見つけ出さなければならない。
混乱に関する3つの要点と1つの提言
- ミスは決して意図的なものではない
- 混乱の原因はいつも事後にみつかる
- 混乱がよく起こるならそれを解消する好機である。
人工物はすべて次のようにデザインされるべきである。
- 混乱がユーザーを弱らせるのは最小限
- 混乱は適切な援助によって回復可能ないし修正可能。
- 混乱は、学習と技能習得のための絶好の機会である。
デザイナーは混乱が生じるのを防ぐために、ユーザーがインタフェースにもたらす意味を予期する必要がある。また最低限、これらの意味が生じさせる行為を、人工物が実際に補助できるようにする必要がある。
予期されない帰結を持つ行為を生じさせる意味は、混乱を誘発する可能性がある。
例:ドア、ミサイル
ユーザーフレンドリーであること
一定時間内におかす間違いの数が少ないという問題にとどまらず、混乱に対処できるという信頼感があることである。この信頼感をデザインが支えることができる。
人工物とインタフェースの有意味性についての論点
以下の点についてこれまで繰り返し述べられてきた。
- 人間は物理的刺激に反応することはできず、そのような刺激が意味することに反応することができる
- 人間と人工物や人間によって構成された世界との間に生じるインタフェースがどのように展開するかということにおいてこのような意味が重要な役割を果たしている
道具的存在者から事物的存在者へ
混乱を経験することを通してのみ、「道具」としての人工物、「目的を達成するための」ものにわたしたちは注意を払うようになる。
- 関わりに問題のないこと: 信頼
- 人工物の構成とアフォーダンスに注意を向けること: 探求
- 認識: あるものが何であるのか、そのものはどんなことに使うことができるのか、ということを正しく見定めること。
- 探求: あるものに対してどのように向き合ったら良いのか、そのものはどのような働きをするのか、特定の効果を得るためにはどんなことをすればよいのかを、理解すること。
- 信頼: あるものをとても自然に扱う結果、その仕様がもたらす帰結を感知することに注意が向けられること。
ほとんどすべての人工物が持つ使用のサイクル
認識: ユーザーが人工物に注意を向けるのを始める: 探していたものあるいは遭遇したものを認識する。認識は人工物の種類ないしカテゴリーを決定することを伴う。認識する能力は、類似の人工物を過去において経験したことによって決まる。
探求: 人工物が示すある面にユーザーが順応する: その人工物とのインタフェースでそれは何ができるか、またそれがどのように保持されるか、あるいは扱われるか、それはどのようなアフォーダンスを提供するか……。デザイナーは情報にとむインタフェースと、それらを探求することの楽しみの両方を可能にするのが望ましい。
信頼: ユーザーは人工物を扱う自身をつよめていくにしたがって、彼らはますますそれに頼るようになり、その人工物を使うことによって彼らができること、つまり肝心なことに注意を払うようになる。
- 混乱が生じると、ユーザーの注意は探求へと向け直されて、何がまずかったのか、インターフェースは実際にはどのように働いているのかを理解しようとする。
- インタフェースの経験は、ユーザーの心に、未来において認識し使用する際に利用できるような痕跡を残す
人間中心的な観点からは、人工物を使用する能力(ユーザビリティー)は、本質的に、どんなに小さなものであれ混乱を生じさせないという持続的な信頼を意味している。
完全な信頼状態をフローと呼ぶ。
使いにくい人工物とは、そのインターフェースに頻繁に注意を向けさせることを要求する。
ISOにおけるユーザビリティの定義とそれに対するクリッペンドルフの考え
- ✓ 個々のユーザーに言及していること
- × 外在的な特定の目的を含み、人間中心性を正当に評価していない
- ニールセンは「学習可能性」(関与)を付け加えている
- 人間工学的伝統は、行動主義的方向づけで制度依存的。人間中心的ではない。
認識
認識の動機づけは必要性または関心によって。所々のカテゴリーが形成する概念体系を持っていることに基づく。
認識は人工物の位置、カテゴリーに関わる。どのように働くか(=探求)ということには関わらない。
カテゴリー
https://medium.com/uxkyoto-study/4-fda2e4477a99
探求
探究はユーザーに人工物の取り扱い方の理解とそれを使って何をすればよいのか、そして何をしてはならないのかということを提供する。
探究は認知と行為に支配される。
ユーザーが持つ概念についてのモデル(UCM)
それを見るものに対して、ある人工物がどのように働き得るか、それを用いて何をいつすればよいのか、そして、何らかの行為の後にどんなことが期待されるのか、ということを語ると仮定されている、諸々の運用概念が形成するネットワーク。
- ここの人工物が何であるかを認識するため、すでに慣れ親しんでいる人工物の理念系に頼る。
- 人工物の諸々の使用に際して何を意味するのか確かめるために、同じく単純化され骨格となる諸概念が形成している体系に頼っている。
UCMはユーザーが実行でき、また学習できることについて、デザイナーが構成したもの。
- UCMは理想化されたユーザーただ一人の認識についてのモデルではありえない。
- UCMはユーザーの共同体に見られる多様性を十分に再現する必要がある。
- UCMはユーザーが主張することと進んで主張すること、および、観察者が構成できることを再現することができるだけ。
- 他者の認知に関して言えば、その帰結を見ることによって観察できるだけ。
図3.3
UCMの例: 地図、電気、温度調節
UCMは発見的構成物
- 人口物を探求しているときにユーザーが発する疑問と、専門家が彼らに与える指示を元に構成することもできる
- 現在デザインが進行中の人工物に似ている一群のものをユーザーはどのように扱っているのかを観察することによって構築することもできる
- 観察された行動からUCMを構築するコンピュータ
UCMは、感覚、意味、行為を運用可能にする。UCMは、ユーザーとなり得る人々の共同体がデザイナーによるデザインとどのようなインタフェースを持ち得るかということを、デザイナーが説明するのを助ける。
ハイデガーの洞察の示唆
混乱が生じることによって私たちは立ち止まり、その混乱を回避するような他のアプローチを考える
- UCMはユーザーにとっての実在について構成されたもの。UCMは何事も予測しない。UCMによってデザイナーは人々がどんなことをすることができるか、そして望まれた感覚を生み出すために人々はどのように行為する可能性があるかを説明することができる。
- UCMは反応ないし特殊な指示というより道具箱である。普通のユーザーは、ある一つの経験の領野で働いた概念を別の領野に応用することによって多くの異なる人工物、特に新しい人工物を扱う能力を持つ。
- UCMは学習によって変化する。UCMはデザイナーが構成するものであるということが、UCMの更新可能性、成長能力、効率増大を説明する。
制約
- 人工物の想像可能な使用法の範囲は、その人工物が持つ意味の範囲である。
- 人工物のもつ意味が比較的無害ならばユーザビリティーが制約を受ける必要はない。
- 危険な使い方は妨げ、そのような使い方を困難にさせる方法を考えなければならない。
デザイナーが制御できるような可能な意味に対する実際的な制約
- 自然法則
- 物理的制約
- ユーザーを選別する制約
- 無効化できる制約
- 不必要な制約
アフォーダンス
ジェームズ・J・ギブソンが生態学的理論として知られる知覚理論の一部として造った。
環境が持つアフォーダンスとは、その環境が動物に提供すること、よいものであれよくないものであれ、その環境が供給するないしは備えていることである…。
- 人間は物体を知覚するのではなく、ユーザビリティを知覚する。
- →日常的に見られる物体は、アフォーダンスという観点から知覚され、概念化されている。
生態学者がニッチと呼び、ある種の生活を支える環境条件として定義したものは、アフォーダンスが形成する体系に他ならず、現象的な世界ないしは主観的な世界と混同されてはならないと考えたから生態学的と呼んだ。
- アフォーダンスに焦点をあわせることが、デカルト的な主観と客観という二元論を克服するための方法であった
- デカルト的な二元論: 知覚は客観的事実の主観的表象である→通俗的である。
- 記号論に対する見方の根本にもある。(記号論は、物理的に明らかな記号という乗り物と記号が伝える事柄との関係を扱う学問)
アフォーダンスを含むギブソンの知覚理論は、知覚を物理化することもなく、外界を心理学化することもない。人間中心的である。
人工物が持つ意味
- アフォーダンスと可能な使用の知覚
- ユーザビリティーの覚知
これらは使用において人工物が持つ意味と等しい。
- 予期された感覚をもたらすことに成功した行為は、事実それ自体により環境によってアフォードされている。
- アフォーダンスは現在の感覚−意味−行為−予期された感覚という循環と外界との知覚における適合という単位。
歩道、ノブ、バット
ユーザーの共同体によく見られるアフォーダンスを意識すること、定常的に感覚、意味、および行為がそれぞれの後に続いて現れる仕方を認めること、インタフェースを云う意味なものに保つようなアフォーダンスを物質面で支援する方法を見つけることがデザイナーに必要とされること。
いくつかのアフォーダンス
- ユーザビリティーの直接的知覚: 環境の諸特性が持つ信頼できる意味を知覚すること。
- 成立したアフォーダンス: 意味を問題なく成立させること。アフォーダンスは環境の特性が特定の行動に対して提供する定常的な支援である。
- 構成されたアフォーダンス: ユーザーによるアフォーダンスからUCMへの発展。
意味論的転回により、アフォーダンスは、インタフェースを構成するものの中で最も信頼できる構成単位とみなされている。アフォーダンスという語の使用は普通の言葉のように、比較的標準的である。
換喩表現
ある部分がそれの属する全体の代わりをするとき、その部分のことである。
- 霞ヶ関
- 認知において理念型はカテゴリーの代わりとなる。
- 換喩表現がアフォーダンスへと導いたり、その構成や機能や期待できる支持を理解できるようにしてくれたりするものであるときは、換喩表現はその人工物の目立つ部分、あるいは鍵となる特性である。
- 換喩表現はユーザーへの情報ともなる。
- 換喩表現は感覚と意味との関係の根本にある。換喩的に意味を喚起する感覚によって目に見えるもの以上のことを知覚する。
- 換喩表現は人間中心的な記号理論の基盤となる。記号学者が主張するように何かを再現前化させることによってではなく、より広い経験の複合体の一部分とみなされることによって、記号は換喩表現であるといえる。
デザイナーは、ありふれた換喩表現をメタファーとして用いることによって、人工物の探究を支えることができる:
例: ゴミ箱アイコン
換喩表現のメタファー的使用
メタファーと換喩表現はおそらく、人工物がユーザーに対して意味するようになることを理解するための最も重要な概念モデルである。
- メタファーと換喩という二種類の比喩が描写する認知の理機動性を認めること
- ユーザーが人工物を自然に探求できるようにすること
換喩表現とメタファーが必要なとき
メタファー: 新しい人工物もしくは概念化するのが難しい人工物のインタフェースを容易なものにする
換喩表現: 探究の効率を良くする(部分と全体は同一の概念領域に属するので新しさを生み出すことはほとんどない)