ファミリーカメラのおばちゃん(2)

キムラマサヤ
にじだより
Published in
5 min readMay 31, 2019

前回からの続き

目次

  • 研究方法
  • 問題意識
  • 経過報告と気づき
  • これから

研究方法

2ヶ月前の創刊号と大きくは変わっていない。フィールドワークで私がファミリーカメラに行っている間のみ、GoProを置かせてもらっている。大体時間は2時間が多い。私はフィールドワーク中、気になったことはA6のメモ帳にメモを取っている。基本的にその日の内に、メモしたことを中心にフィールドノートを記入している。忘れたことや、漏れがないか確認するためGoProの映像も見返す。その時、GoProの映像にMacのタグ機能で、タグ付けをすることで、見返しやすくかつ管理しやすくしている。フィールドノートは、研究会内のブログ・日記サイトの“ジャーナル”に記載している。フォーマットや字数制限はなく、気になったことをそのまま書いている。そのフィールドノートを用いて、振り返りなどをしている。
2時間という時間は、ハンドリングしやすい時間の長さであるように思う。フィールドワークを始めた当初は考えていなかったが、今ではこの時間がちょうどいいように感じる。これ以上長くなると、ビデオを見返したり管理したりするのがキャパシティオーバーになる。また、文章を書くにしても書ききれないほどの情報量になる。さらに、長く居続けるとお店自体に悪影響を与える気がしている。というのも、中に仲良く話している人がいると、外からお客さんが入り辛いのだ。少なからずこれまで躊躇して「すみません…今、大丈夫ですか…?」というお客さんが何度か訪れたことがある。続けることにも重点を置き、これくらいの時間で足繁く通うことを重視することにした。

問題意識

研究方法は大きく変わらなかったものの、問題意識はより一層クリアになった。前回までは、ファミリーカメラのおばちゃんが気になっていることは確かだが、私はそこから何を知りたいのか、何を “意見”として持っているのかが不明瞭であった。前回から今回までの間で、発表や相談を繰り返し、自分なりのテーマを抽出することができた。それは「まちの話し相手」である。ファミリーカメラのおばちゃんは、業務外のことを求めに訪れるお客さんに対して真摯にそして誠実に応える。自然とその役割を担っていたのである。そのことに関して、おばちゃんはおそらくそう思っていない(言われればそう思うかもしれないが)し、言及することはない。私がフィールドワークを繰り返し、振り返りをする中で抽出することができたテーマである。ファミリーカメラに訪れる多くのお客さんは、業務外のことを目的におばちゃんに会いに来る。無責任に自分のことを相談し、悩みをおばちゃんに打ち明けるのだ。
さて、それをテーマとして掲げている訳だが、注意点として説明しておきたいのは、そうなった原因を発見しようとか、まちづくりに活かそうとかは皆目考えていないということだ。おばちゃんから発見した「まちの話し相手」というテーマが興味の源泉であり、丁寧に観察した後に見えてくる気づきを期待しているのだ。

経過報告と気づき

フィールドワークを繰り返すうちに、おばちゃんが私に愚痴をこぼすのが多いことに気づいた。おそらくこれは客として訪れていた2年間と変わっていない。ただフィールドとしてファミリーカメラを選び、自らがその場に対して意識的になったことで初めて気がついた。フィールドワーク中におばちゃんから話を聞くに、おばちゃんはお客さんからの悩みを聞く側に徹する(そうなってしまう)ので、その鬱憤を解消するのが難しいらしい。それに拍車をかけているのは、おばちゃんは人を“イジる”ことで気晴らしがしている(例えば古くからの友人に対して「ハゲ」と言ったり)ことだ。お客さんを“イジる”ことはできないので、“イジる”ことができたり、愚痴をこぼせたりするのは数人なのだ。そして私もいつの間にかその対象となっていたようだ。
それによって研究が進んでいるように思う。つまり自分なりの参与観察の仕方・フィールドへのアクセス・メンバーシップを手に入れているように思えるのだ。例えば私が愚痴をこぼしてもらえないような一般のお客さんとしての存在であれば、そもそもこのプロジェクトは始められなかっただろうし、始められても「まちの話し相手」を確認することはできなかっただろう。おばちゃんの中で、私が愚痴をこぼせる相手として存在することで、いかにおばちゃんが柿生という小さな町で、人々の悩みを聞き、セラピスト的な役割を無意識に担っているのかがよく分かる。

これから

卒業プロジェクトをここまで進めてきて、「まちの話し相手」と抽出することまではできたように思う。これからはまず、果たしてこのテーマがしっかりと言い得ているのか。つまり「まちの話し相手」という説明が正しいのか。もっといい説明があるのではないか。フィールドワークを繰り返し進めていく中で、考えていきたい。またそのテーマからの気づきや意味、価値がどういったところにあるのかも議論の余地がある。

次号に続く…

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