2.1.2 「デジタルレジデント」という集団

オホーツク島
12 min readFeb 1, 2017

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しかし筆者は、高橋らが指す1983年以降生まれのデジタルネイティブ、橋元らが指す76世代、86世代のデジタルネイティブと、筆者を含む1990年前後生まれの世代、さらに橋元らが「ネオ・デジタルネイティブ」と呼ぶ96世代とでは若干の、しかし明確な差があると考えている。

日本における1990年前後生まれの世代の多くは、家庭環境によって差こそあれど、それ以前の世代に比べると一般家庭にインターネット環境が普及した頃の世代であり、幼少期のある頃からインターネットに開かれた交流の場が存在し、日常的にインターネットに関する話題をオフラインでも行うことができた人々が一定数いる。

総務省の調査によると、日本において世帯あたりのインターネットの普及率が爆発的な伸びを示したのは2000年〜2002年にかけてであり(図7)、1990年生まれにとって小学校高学年にあたる。また筆者が2017年1月に友人を中心に行ったアンケートにおいても、インターネットへの接触については2000年ごろ、継続的な利用開始については2003年ごろがピークとなっており(図8)、総務省の調査と実感値がほぼ一致している。そう考えると、1990年前後生まれの世代において、小学生のうちに多くの人は何らかの形でインターネットに触れる機会があり、中学生になる頃には、同級生の多くの家庭に少なくとも1台のPCとインターネット環境があり、高学年になるとインターネットし放題の携帯電話を持つ人も少なくなかった。前の世代には不可能だった、帰宅してからも学校の友人や見知らぬ人とチャットをしたり、ウェブサイトを共有したりすることなどが可能になっていた。文部科学省(2009)は、中学生を「青年前期」として、思春期に入り、自らの生き方を模索し始める時期であるとしており、1990年前後生まれ世代の多くが、この時期にインターネットを活用して、日常では見ることのできないたくさんの世界に自由に触れることができ、それを身近な友人たちと共有することもできた、日本において最初の世代であると考えられる。

図7:世帯あたりのインターネット普及率 (総務省 平成27年度情報通信白書をもとに筆者が作成)
図8 インターネット接触・利用に関するアンケート(筆者が友人を中心に行ったアンケートをもとに筆者が作成)

例えば、小学校高学年〜中学生時代には「無料メールアドレス」「無料レンタルサーバー」などを始め、「簡易ウェブページ制作サイト」「掲示板サイト」「チャットサイト」といったプラットフォームが生まれ始め、「テキストサイト」「おもしろフラッシュ倉庫」などのある程度整備されたインターネットカルチャーも普及し、見ず知らずの人と交流したり、インターネットで見たものをオフラインで共有したりすることが既に可能であった。また中学生から高校生の頃には、Google検索が一般的になり、YouTubeで動画を見ることが当たり前になった。社会においてはインターネットを介したゲーム、コミュニケーション等にのめり込むあまり家から出なくなり、社会活動から遠ざかる「ニート(注:「ニート」という言葉が流行したのは2004年(90年生まれは中学1年生))」「ひきこもり」「ゲーム廃人(注:「ネトゲ廃人」は2010年の流行語大賞にノミネートされたが、実際は2000年代前半から日本や韓国などアジア諸国を中心にオンラインゲームの中毒性について度々話題になっていた)」といった言葉が流行した。そして高校生〜大学生以降の時期には、mixiやモバゲー、twitterやfacebookといったSNSが流行し、デバイスもフィーチャーフォンからスマートフォンに移行することにより、さらなる環境変化に置かれることになる。

76世代、86世代はIT起業家が多い面などが取り沙汰されることによって「デジタルネイティブ」と言われるが、こうした幼少期・少年期のカルチャー接触に関する記述はあまり見られない。なお1978年生まれのIT起業家である家入一真(2015)は、「ぼくにとってのインターネットとは、10代半ばの引きこもりのさなかに光を与えてくれた大きな存在」と述べたり、20歳のときに自らの創作物をインターネットに公開した際の反響の大きさに驚いたことを挙げていたりなど、インターネットに触れることなく幼少期を過ごし、ある程度の年齢になってから現れたインターネットに出会い、初めて可能になったコミュニケーション、およびその手段にのめりこんだことがわかる。

一方で家入(2016)は、家入自身を含むインターネットに救われてきた世代と、「20歳のインターン生」である1995年頃の生まれが持つ、インターネットはハサミのように当たり前にある存在、という感覚との間に大きなギャップがある、ということも自らの体験を通して述べている。つまり1990年前後生まれの世代の一部にとって、そしてそれ以降の生まれの世代の多くにとってインターネット上のコミュニティとは、これまで言われてきたような「現実のコミュニティの延長としてのインターネット」といった捉え方、そして「オンライン・コミュニティ」「オフライン・コミュニティ」といった区別ではなく、オンラインとオフラインが同じ地平にあり、それぞれ関係し合うコミュニティとしてフラットに捉えられているものである。いわゆる86世代以前にとってインターネットが「現れたもの」であり、インターネットを介したコミュニケーションが「可能になったもの」であるのに対し、我々1990年前後生まれの一部の集団にとって、インターネットとは当たり前に「あったもの」であり、インターネットを介したコミュニケーションとそうでないコミュニケーションに心理的な区別は全くないのである。

これは前述したC世代の捉え方が非常に良く合致しているが、言語障壁により英語圏のカルチャーが流入しにくかったこと、その延長で2ちゃんねるやmixiなどの繁栄によりtwitterやfacebookの普及がアメリカなどに比べて遅かったことを踏まえると、海外で捉えられている集団ともまた少し異なるものと考えられる。また物心ついたころから当たり前にインターネットが存在しており、幼少期からSNSやスマホに触れてきた前述の96世代と比べると、1990年前後生まれの世代はまだ幼少期のどこかの段階でインターネットが日常生活に入ってきたものであり、おぼろげながらインターネットが日常的に存在しなかった頃や、インターネットが日常に入ってきたことによる変化、インターネットによって可能になったコミュニケーションの記憶も存在している。そういった点で、インターネットという環境に関する考え方、利用の仕方はこの世代間でもまた異なってくるものと考えられる。

以上を踏まえ、日本における1990年前後生まれで、幼少期からインターネットメディア、インターネットカルチャー(単なる「デジタル環境」とは異なる、ある程度環境が整い多様性も生まれているもの)に触れてきたこの集団は、日本における他の世代、そして海外の同世代を指す集団とも、全く別ではないが少し異質なものであると考える。

また、こうした世代と1.1.4で述べたクリエイティブ・クラス、そして1.1.5で述べた限界費用ゼロ社会との関連について考える。

1990年前後生まれは、一般にクリエイティブ・クラスに所属する割合が比較的高いと考えられる。ミレニアル世代の特徴として挙げられたり、日本でも2010年代の若者論として挙げられるように、経済成長よりもライフスタイルを重視する価値観、社会のためになることよりも身近な幸せを大切にする価値観、そしてインターネットと現実のコミュニティが等しい距離にあることにより、強い絆と弱い絆をうまく形成する能力など、1.1.4で挙げたようなクリエイティブ・クラスの特徴に当てはまりやすいのではないかと考えられる。

また1990年前後生まれの一部の集団は、リフキンによって指摘されるよりも前から、限界費用ゼロ社会の恩恵を一身に受け、協働型コモンズともとれる相互扶助に近いコミュニティを形成してきた。筆者が中学生〜高校生の頃には、WinMXやWinnyなどのファイル共有ソフトが流行し、技術的には音楽ファイルや映像ファイルをはじめ、データファイルや各種ソフトウェアに至るまで、ほぼあらゆるデータが手に入る状態にあった。そうしたソフトウェアが使用できる環境にあるこの世代は、グレーゾーンの恩恵を受けた者は少なくなかった。また同時に、ラップトップPCの性能向上や通信インフラの進歩、創作物を媒介としたプラットフォームの誕生、そしてSNSの発展などの要因が絡み、あらゆる人があらゆる環境で創作活動を行い、発信し、交流し、共有することできるようになった。キュレーターの上妻世海(2015)は、2010年代に起こっているインターネットを介した創作物共有の革命について、高速通信の一般化、CPUの性能向上、画像・音楽・動画を媒介にコミュニケーションを加速させるプラットフォームの誕生、国内外問わず繋がれる告知用のツールとしてのSNSといった要因を挙げ、これらがコミュニケーションの形式の変化、そしてインターネットの希望であった「横断性」を強めてきたと述べている。

またこの世代に限った話ではないが、日本ならではの考え方として、1.2.1で述べた川喜田二郎(1993)の「創造とは問題解決である」という考えを今一度取り上げておきたい。こうした創作へのハードルが一気に下がったこの集団にとっての創造とは、単純に趣味趣向による創造も少なくないだろうが、我々の周囲に根源的に存在している「友だちが欲しい」「暇をなんとかしたい」といったごく身近で小さな問題を解決しようとする取り組みの結果、生まれるものでもあるとも考えられる。例えば北海道の片隅で生まれ育った筆者は、大雪で学校が休みになった中学1年生のある日、何もやることがない状態をなんとかしたいと考え、親に黙ってWindows98の入ったPCを使い、HTMLを触り始めた。研究の一環で取材を行った北海道オホーツク海側地域出身の1993年生まれのトラックメイカーは、近所に遊ぶ場所がなかったり共通の趣味を持てる友人が少なかったことが自身を音楽制作に向かわせたと語っており、また実感値としてトラックメイカーの知人の中にも北海道出身者が明らかに多いとも話している。

このように、1990年前後生まれの世代とクリエイティブ・クラス、そして限界費用ゼロ社会とは深く関わり合っており、こうした前提なしにはこの世代について述べることができず、彼らを中心とする現在のクリエイティブ・コミュニティについても説明することができないと筆者は考える。

以上をもとに、日本における1990年前後生まれの世代の人たちに見られる特徴についてまとめる。

リアルとネットが同じ地平にあり、氾濫する情報から取捨選択を行い、必要なものを自らの生活に取り入れることのできるこの世代は、自分たちの問題は自分たちで検索して自分たちで解決する、自分たちが欲しいものはあちこちから取ってきて組み合わせて自分たちでつくる、という行為をごく自然に行うことができ、そのことに喜びや楽しみを見出す人々であると考えられる。またこの世代は、生まれてから一度も「経済成長」を体験しておらず、生きるためのコストも下がり続けているため、1.1で述べたように「社会の役に立つことをしてお金を稼ぐ」という価値観よりも「自分や友人たちのためになることをして日々を楽しむ」という価値観が先行している。

このように、1990年前後生まれの世代の人たちは、76世代や86世代といった「デジタルネイティブ」とも、96世代といった「ネオ・デジタルネイティブ」とも違い、インターネット上の人間関係と現実の人間関係を区別なく扱うことができ、経済成長を目的としない、共通の趣味に集って問題解決=創造をぶつけ合っている、前述の協働型コモンズともいえる開かれたクリエイティブ・コミュニティを無数に形成している。

よって、この集団をデジタルネイティブと区別するため、単に幼少期からデジタル環境に触れてきただけでなく、インターネット上のコミュニティが常に現実のコミュニティと等しい距離にあり、インターネット上の場を生活の軸にすることさえできた、という意味を込め、本研究ではこの集団を指して「デジタルレジデント」と呼ぶ(図9)。

図9 日本・世界におけるインターネットに関連した世代論の整理(参考資料等をもとに筆者が作成)

オンラインとオフラインの垣根がないにも関わらず「デジタルレジデント」というデジタルに限定するかのような言葉を使う理由は、そもそも「デジタルネイティブ」という言葉が使われ続けるように、デジタルレジデントより前の世代にとって「オンラインとオフラインの垣根がない」という考え方が非常に理解しがたいものであるためである。そのためここではあえて「デジタル」に寄った表現を用いて「デジタルレジデント」という呼称を用いている。

そして本研究においては、前述のミンツバーグの主張に則り、企業や行政とバランスをとることのできるような「第三の柱」、つまり市民による集団を形成していく。そのための軸として、フロリダの論やリフキンの論に立脚した、デジタルレジデントを中心としたインターネット上のクリエイティブ・コミュニティを取り上げていく。

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