まだ建っていない —特集:建築のイメージ/言葉によせて
073│2024.05–07│特集:建築のイメージ/言葉
特集:建築のイメージ/言葉
まだ建っていない
優しい相槌
父「ちょっとした設計の変更だよ。それほど大きな変更でもないからね」
子「でも、せっかく作ったんだろ」
父「このベランダだがね、ほんの体裁でついているだけで狭すぎる。君なんかここで走り回ったり、庭を見下ろしたりしたいんじゃないかね」
子「うん、それはそうだけどー。」
父「やっぱりこれは、思い切って直そうよ」
父「家全体としても、この方が形がいいじゃないか」
子「うん、ほんとだね」
黒澤明の映画「どですかでん」に出てくる廃車に住むホームレスの父と子のやり取り。戦後まもない日本。都市郊外の街の貧しい地域に住む人々の一風変わった生活が、分断されつつも緩やかにつながりつつ同時並行的に描かれる。父は、いつも子どもに語りかけながら、自分たちが住む理想の邸宅を夢想する。父の独りよがりのような夢見ばなし、子は言葉少なげに妄想に付き合い相槌をうつ。
イメージ/言葉
2022年、アメリカの人工知能開発企業OpenAI社は、それまでエンジニアの間だけで扱われていた同社開発の言語モデル「Generative Pre-trained Transformer(GPT)」に対話というインターフェースを与えた人工知能チャットボット「ChatGPT」をリリース、瞬く間に世間の注目を集め生成AIの利用を広く一般化した。この「建築討論」の読者にも、ChatGPTを触ったことがある人は少なくないだろう。指示を入力すると、あたかも人間のように応答を返してくれるこの仕組みは、情報収集や何かを知る行為そのものの構造を変えつつあり、論文、小説、レポート、エッセイなど、あらゆるテキストの執筆行為における創造性のあり方にも根本的な変革をもたらしている。また、テキストだけでなく、ユーザーが文字入力によって簡単な指示を与えると、その指示に基づいて画像を作成する画像生成AIは、あらゆる視覚芸術に飛躍的な進歩をもたらしている。と同時に、作者とは何か、作品とは何か、といった人間の創造行為自体を問い直しているとも言える。
建築領域においても、今日の加速度的な技術的進化に並走して、個人、組織問わず、今、まさに現在進行形でテキスト生成、画像生成のさまざまな試みが行われていることだろう。この文章も無論、GPTなしには書かれていない。執筆の脇をそれて「1+1=2ですが、リンゴ+鉄塔=?」と聞くと、優しい計算機は「リンゴ+鉄塔という表現は、数学的な答えではなく、創造的または比喩的な問いかけです。この種の問いは、異なる要素を組み合わせることで何か新しいものを生み出すというアイデアを象徴しています。」と言う。そして、そのあとに続けるいくつかの解釈の例も、またその言葉を使って画像生成してみたりする。今はまだ些細なイメージと言葉の戯れを繰り返すが、そのうち、要件に応じた図面の生成、3Dモデルの生成、BIMモデルの生成、積算、法規チェックなど実務的なことも、すべて生成AIでこなせるようになるだろう。
建築家は、イメージと言葉を取り扱ってきた。物理的な建物がまだ現実世界に姿を表す前は、その立ち姿を的確に計画するために未来を論理的に予見するように言葉で表現し図面やスケッチによって描き出してきた。建築家は、まだ建っていない物、まだ存在していない物とその時間の大半を過ごす。生成AIの出現は、このプロセスをさらに深化させるのかもしれない。テキスト執筆のウィンドウ脇に開かれた生成AIは、「例えば、建築家がクライアントと初期のデザインコンセプトについて話し合う際、AIはリアルタイムでそのアイデアを視覚化し、異なるデザインオプションを提示することができるようになる。また、材料や構造の選択についても、AIは膨大なデータベースを参照し、最適な選択肢を提供する。これにより、建築家はより効率的かつ創造的にプロジェクトを進行させることができる。」と言っている。ありがとうとおもう。
まだ建っていない
「建築を、建物自体だけじゃなくて、その周りを取り巻いているものも含めて建築と捉えたい。それは言葉だったりイメージなどによって表現される。そして、その周りを取り巻いているもの自体の方が建築にとっては重要だったりする」これは生成AIではなく、建築討論編集長の本橋仁さんが一緒にこの特集を考えているときに言っていた言葉だ。その通りだとおもう。建築家は、まだ建っていない建築と時を過ごし、建ってからも建物の様子に向き合いつつも、それ自体がなんであるのか、その周りで何が起きているのかをあらゆる言葉や図式などで形容しながら建物とは何かを考える。
言葉や図式を用いて建物を形容しあらゆる人とコミュニケーションする行為は、建築家がその建物の本質を深く理解し、さらにそれを社会的・文化的な文脈の中で位置づけるために不可欠な手段である。このプロセスは、建築が単なる物理的な構造物ではなく、より広範な意味を持つことを意味する。このように、建築は本質的に想像の産物であり、その想像が現実の制約の中で形を成すといえる。
一方で、中には形をなさず想像が想像のまま終わることもある。また、そもそも形をなすことを目的としない、現実の制約を受けないところにある建築の想像も存在する。
つまり、イメージや言葉によって建築を想像するその行為そのものが建築行為の多くを占めているとすると、現実には存在しないけどイメージや言葉としてのみ社会的・文化的な文脈の中で存在する建築たちもまた当然のように建築といえる。そんな「まだ建っていない」ともいえる建築たちは、アンビルトやペーパーアーキテクチャー、エクスペリメンタルアーキテクチャーなど、様々な言葉で語られてきた。現実と想像の境界領域にあるこれらは、実際には建設されないものの、建築のもうひとつの存在形態として認識され建築の概念や批評の歴史を形づくって来た。18世紀のG.B.ピラネージによる幻想的な巨大牢獄を描いたエッチング作品の「牢獄」シリーズ、C.N.ルドゥーの社会的・倫理的な理想を反映した都市計画「理想都市」、70年代のアーキグラムらによるテクノロジーと建築を融合させた新たな建築・都市像、フランク・ゲーリーやザハ・ハディドといったデコンストラクティビズムと呼ばれる建築概念を解体する試み。現実の制約に縛られない想像力を痛烈に示すこれらは、建築に新たな視点を提供し続けている。
2000年以後は、それまで建てられなかったものが建てられるようになった時代といえる。デジタル技術の進展による3Dモデルを用いた設計方法の発展、デジタル設計図から数値的な処理で物を加工するCNCをはじめとした生産技術の一般化。そして、社会全体の情報化と並行して進んだ中東や中国での建設ラッシュは、それまでアンビルドと称されていた建築を現実化する機会を与えた。通常の水平垂直ではない斜めや曲線を多用した複雑な形状は、コンピューターで精緻に設計され、一つ一つの部材は数値的な制御で生産され、それまで人間の手ではできなかった建築の姿をこの世界に組み上げていった。
しかし、このように建築の生産性が飛躍的に進歩する一方で、情報技術の進展は新たな課題にも直面しているのではなないだろうか。情報を活用した生産技術の社会実装プロセスがひろく共有知化され加速・伝搬する中で、建築文化における言葉や概念、批評性はまだ十分にその速度について来れていないように思われる。また、情報技術を介したフラットなコミュニケーションが可能になる一方で、価値観の分節が進み、新たな「建たなさ」を生み出していると考える(※1)。技術が進歩し建築の可能性が広がった反面、情報の偏在や価値観の断絶が物理的な建築の実現を妨げる新たな要因として顕在化していると判断する。交錯する風景の中で、立ちはだかる見えない壁をかいくぐるように、明るい未来を描くことが、果たして建築家の言葉であり、作り出すべきイメージであろうか。
対話と身体
本特集は、建築におけるアンビルトの歴史を前提としながら、生成AIが一般化しつつある今現在において、本特集が、建築のイメージと言葉について考える道具立ての一つとなることを意図して企画している。建築が単なる物理的存在に留まらず、社会的・文化的メッセージを伝える手段としての役割も果たしていることを、現代においてどのように考えることができるか。旧来の価値観に加え、現代私たちの目の前に直面している社会的・文化的な課題について、建築にまつわるイメージと言葉からアプローチすることは可能なのか。
以上のことを考える上で、本特集では、藤倉麻子さん(アーティスト)、大村高広さん(建築家)、九段理江さん(小説家)、山梨知彦さん(建築家)の4名のインタビューをおこなう。また、インタビュアーも同4名にお願いし、2組に分けて聞き手と語り手を交換する対談要素も含んだインタビューにする。
まず、一人目となる藤倉麻子さんは、主に3DCGの映像作品とその映像に関連する物理的なインスタレーションを制作するアーティストである。都市における高速道路をはじめとしたインフラストラクチャーと有機的な植物や自然環境が織りなす極彩色の風景を特徴とする。インタビュアーは二人目の大村高広さんに担当いただく。大村高広さんは、建築設計とともに批評・研究などの理論的な活動を展開されている。また、藤倉さんと大村さんは、お二人でアーティスト+建築家の制作ユニットを組んでおり都市や郊外、あるいは後背地での建築の今日的な必然性を、芸術作品の制作を通して検討している。大村さんのインタビュアーは藤倉さんにお願いする。お二人の作品では、人間と非人間の対話や、虚構と現実の交錯がテーマとなっており、本特集において、まさしくイメージと言葉の話を展開いただくにおいて適切だと判断した。しかしながら、筆者が特にこの企画においてお二人にお声がけした最大の理由は、お二人がパートナーとして今現在お二人で子育てをされているというところにあるという事を、ここで書いておきたい。藤倉さんと大村さんは、妊娠・出産・育児の過程で、当然のようにそれまでのアーティストとしての制作が出来なくなったという。そして、何ができるだろうと考えた末、少なくとも二人で対話はできるだろうと結論に達したという。その中で生まれた作品について交わされる親密な言葉、物理的・身体的な制約から生まれる新たな表現の模索、生きる事そのものから来るイメージにこそ、現在、概念や批評性を展開するにおいて必要不可欠だと考えた。
次に、三人目として九段理江さんのインタビューを行う。九段さんは、小説『東京都同情塔』で2024年に芥川賞を受賞されたことで知られる。この作品では、女性建築家を主人公とし、生成AIやSNSを主要なモチーフとしている。また、アンビルトとなったザハ・ハディドの新国立競技場が存在する東京を物語の舞台としており、今日の建築の議論にとって重要な視点を提供している。インタビュアーは四人目の山梨知彦さんにお願いする。山梨知彦さんは、日本の組織設計事務所である日建設計のチーフデザインオフィサーを務める建築家である。非常に多くの建築物の設計を手がける意匠設計のプロフェッショナルであるとともに、日本の建築業界において設計におけるデジタル活用を最も早くから牽引されてきた存在であり、あまり知られていないが、東京藝術大学建築学科では人工知能を活用した学部卒業制作プロジェクト(※2)を提出された経歴をもつ。また、ザハ・ハディドの新国立競技場では日本側のローカルアーキテクトを務め、あらゆる葛藤の中で、様々な挑戦を行おうとしていた中心人物の一人でもある(※3)。お二人のインタビューを通して、今日におけるアンビルトとはなんなのか、そしてそこから見える今私たち社会を取り巻く状況とはなんなのかを透かしてみることができるのではないかと考えたい。
10年近く前、山梨さんは筋肉の硬直と振るえによる運動障害をもたらす難病、パーキンソン病を発病された。それ以後、設計や執筆など手を動かす作業が困難になったという。身体的な困難さの中でも、最近の生成AIの隆盛に真っ向から並走し、精力的に執筆活動を通じて建築意匠設計と生成AIをつなげる取り組みを展開されている。また、九段理江さんはこれまでのインタビューにおいても文体と身体との関係性を指摘しており、『東京都同情塔』の建築描写にも身体的な表現が多く見られる。このように、本特集は、先に藤倉さんと大村さんについても同様、イメージ/言葉を射程としつつも、その背後にある人間の身体が中心的なテーマとなることを企図している。思い通りなるようでならないもの、言葉やイメージのように制約から逃れるものではなく、むしろ私たちが常に直接的につきあっている制約。情報技術や生産技術が発展し、より建築が自由になっている(ように見える)今、私たちがもつべきイメージと言葉、人間の想像力を精緻に見つめるために。
※
- 砂山太一;不可能性の所在,2019,web版美術手帖, https://bijutsutecho.com/magazine/review/19762
- 五十嵐 太郎 (編集), 市川 紘司 (編集); 卒業設計で考えたこと。そしていま〈3〉, 2019, 彰国社
- 五十嵐太郎 × 山梨知彦 × 東浩紀; いまこそ語ろう、ザハ・ハディド, 2021, シラス, https://genron-cafe.jp/event/20210514/