滞在記:「ドクメンタ15」

連載:会場を構成する──経験的思考のプラクティス(その4)

桂川大+山川陸
建築討論
32 min readAug 26, 2022

--

今回は5年に一度ドイツのカッセルで開催されている芸術祭ドクメンタ15(documenta15)の滞在記を公開する。1955年の開催以降、現代美術の祭典として世界的に注目されるドクメンタ(documenta)だが、今回は初めて非西洋圏かつコレクティブであるインドネシアのルアンルパ(ruangurupa)がキュレーターに選出されたことで、開催以前から話題を呼んだ。

ruangrupaの活動は、日本国内での発表はあいちトリエンナーレ2016における「ルル学校」が代表的だが、作品を展示するという形式ではなく、活動が展開していると言った方が正しいだろう。彼らだけでなく、来場者や地域住民など様々な人や物が活動に巻き込まれていき、新しい状況がそこへ立ち上がる。これまでのドクメンタとまったく異なることが起きるのは間違いなかった。参加アーティストもグローバルサウスと呼ばれる、アジア、中東、アフリカといった非欧米圏からのコレクティブが大半を占めている。

彼ら彼女らの活動がカッセルという都市で、またいわゆる美術館でどのように展開するのか。一見、自然体で有機的に起きているように見える活動も、それをローカルから他の都市へ移し、集める、という時点で計画的な観点を持たざるをえない。第二回・第三回で分析してきた展覧会と大きく異なる内容ではあるものの、より複雑な状況の中で会場構成の観点はどのように機能するのかを考えてみたい。

また今回は、第二回・第三回と異なり、事後的な分析により私たち自身の経験を記述し共有することを重視するため、日々移り変わる私たちの観察や出来事について、その時系列を表現する「日記」形式としている。

章は日付ごとに分かれており、おおむね一日につき一エリアを見てまわっている。桂川のテキストは日々移り変わる即物的な観察からドクメンタ15をダイジェストするものとなっている。山川のテキストは、各日の移動も踏まえて、なるべく全会場の経験を時系列に再現している。分量も膨大になるためリード文のみを掲載し、本文はリンクで別掲載している。

滞在期間中になんとか全会場を周ることはできたが、滞在アーティストとのコミュニケーションもまた「ドクメンタ15」の重要な要素であり、公式・非公式を問わず参加できなかった催しは多数ある。全体像を捉えて分析するということがそもそも困難であることは断りつつ、この経験の共有は本連載のこれまでとこれからに新たな発見をもたらしてくれるはずだ。

(桂川大+山川陸)

~7/23(前提)

桂川 「ドイツと芸術祭 1939年〜」
ドイツのカッセルに入る前に予定を前倒しして、デッサウのバウハウスで一晩を過ごし、その後ベルリンに滞在した。滞在の目的は、David Chipperfield Architectsによる一連の改修PJの内覧とベルリンビエンナーレのためだった。ドイツの北部は冬の長く暗い時期をやり過ごすかのように、短い初夏の陽気に包まれその風景に身体が放り込まれる。適度な乾燥や湿潤によって陽気の中心にあるのは広場や河川、道路沿いのダイニングだった。和辻哲郎の「牧場」の例えにふさわしく自然を使いこなし、都市は人々が過ごす会場と化している。道路から水面までの高さに対して建物までの深さが長くとられ、柱廊が張り巡らされることで河川に沿って歩くことを促されているようだった。

ドイツと芸術祭についての関係は深い。戦前の退廃した芸術からの復興を意図して、ドクメンタをはじめ多くの運動が開かれた。第二次世界大戦開戦前後の危機迫る経験の記述に魅入られ、1939年に谷口吉郎がドイツ大使館建設のためにドイツをはじめ西洋での滞在中に記した「せせらぎ日記」を携えた。書中の「ドイツ芸術祭」を読み進めると当時のドイツ芸術はアンティセメティズムの様相を呈していること、ベルリンやミュンヘンでのナチス政権やヒトラー、シュペアとの対面や緊迫についてはっきりと書かれている。

ナチスドイツの芸術政策は党の統制のもとに、ドイツ精神の高揚とナチス様式の樹立を目的として、強力な活動が推進されている。….音楽ばかりでなく、文学や美術に於ても同様であり、人種はもとより、作風にも….ゲルマン精神を害するものは一切排除される。
(谷口吉郎:せせらぎ日記 中央公論美術出版 pp. 258–265 1980. 1)

夜の10時を過ぎても、ベルリン大聖堂前の噴水広場Lustgartenでは、庭を囲んでいる敷石を足でたたきながら、路上バンドがビートルズの名曲を数々演奏し、緑々しい芝生ではピクニックをして、合唱し楽しく踊っている。当時の熱狂と重ねながら自分の身体もその波に飲まれ揺れ動いている。

山川
フランクフルト空港から乗った地下鉄を降りて、特急の止まるターミナルへと上がっていく。階段の途中から、ガラス天井と鉄骨のフレームが見え始める。上がりきると、ドイツ語のざわめきが空間に満ちている。フランクフルト中央駅の天井は高すぎて、ほとんど外にいるような感覚に近い。自転車を押す人やスーツケースを引く人、家族連れで大勢で座り込む人、ときおり足下のおぼつかない泥酔した人も見かける。

時刻は朝8時前、朝日がガラス天井越しに差し込んできて、どこか聖堂めいてもいる。しかしその力強さは、中にいる利用者や周囲の市民を畏怖させるためにあるわけではない。この何年か、東南アジアの都市を巡っていた僕にとっては、建設当初から今にいたるまで自分たち自身のために作られ、使われている公共空間というものが新鮮だった。

ところで、カッセルへ行く前に、どうしても見ておきたい展覧会があった。Forensic Architecture/Forensisが中心となった展覧会「Opening “Three Doors”」である。結果としてこの展覧会の経験が、この一週間のドクメンタ15の経験における大事な補助線になっている。僕の日記はここから始めたい。

7/23(前半)の全文はこちら

7/23

桂川 「WH22 ── どこからが会場か──」
ベルリンから移動して3時間半。カッセルに到着して陸さんと落ち合う。チェックインを終えて陸さんが滞在するアーティストのレジデンスへ伺った。ロードサイドに密集した建物を抜けた中庭はバーになっており、すでに21時を過ぎても人々がビールを交わし賑やかだ。その中庭を抜けるとレジデンスとかなり緑々しく茂ったガーデンがあり、唐突にキャプションが現れる。

fig.D-01:WH22の中庭

最初の会場は都市のヴォイドのような空き地の一角に現れた。制作しているアーティストNhà Sàn Collectiveはミュージアムでもフォーマルなインスタレーションを発表しているが一方でこのレジデンスに期間中ほぼ常駐し、期間中も現地在住のベトナム人と協働して作品を制作しパフォーマンスを突発的に起こしているコレクティブだ。

事前に今回の芸術祭の主旨を頭に入れていても、いきなりこの状況に投入されると建築や都市に関わる者として困惑してしまう。どこからが会場なのか、その経験としてカッセルという都市の中ですでに何年も土で根を張っていたかのような作品としての庭が配置されている。見渡すとすでに閉館しているが中庭を取り囲む建築物全体も作品が配置された会場(WH22)だった。レジデンスから現地で動く加藤こうじさんと対面し、揺れ動くドクメンタの状況と共に現地の状況、今後のヒアリングについてなど、明日からの周り方や予定を中庭に元々あるオープンバーで話しながら今日は解散した。

山川
滞在先となるWH22はカッセル中央駅のすぐ近くだ。ruruhausから駅に向かっては、ゆるやかな坂と階段を登ることになる。振り返ると、先ほどの美術館と広場が見下ろせる。どうやらその先には川があるようで、さらに向こうには緩やかに続く緑の丘が見える。坂にはカフェやバーが並び、くつろぐ人が大勢いる。座り込んで過ごす人もいる。明日からここを下って各会場へ向かうことを想像して、気持ち良さそうだなと思った。

7/23(後半)の全文はこちら

7/24

山川
朝、ベンチに腰掛けて歯を磨いたりなどしていると、WH22の展示を見に来た人々が通りすぎていく。ぼーっとしていると、ドイツ人の年配の女性に「文字ばっかりで全部読み切れないから、あなたここのアーティストだったら説明してくれないかしら」と話しかけられた。「僕は泊まらせてもらっているだけだから、中にいるアーティストに聞いてみます」と、キッチンにいたTanhに声をかけてみた。すると「僕たちが伝えたいことは全部書いてある。それをまだ読んでいないのなら、まず読んでくださいって伝えてほしい」と言われた。連日こうした声かけはあるんだろうし、まだ朝だし、それくらい素っ気ないものなのかもなと思い、女性に言われたことをそのまま伝えた。「今回のドクメンタは、どこに行っても文字ばっかり。不親切よね。Anyway, have a nice day.」
やり取りになんとなく釈然としないまま、まずは僕も展示を見ないとな、と思った。

ドクメンタ15の会場は大きく4つに分けられている。カッセル中央駅から美術館Fridericianum一帯までを含む黄色エリア(西側)、フルト川向こうの元工場地帯の紫色エリア(東側)、フルト川沿いと川に食い込む公園一帯を含む緑色エリア(中央~南側)、住宅地に寄った赤色エリア(北側)だ。初日はドクメンタ1から主会場であるFridericianumを含む黄色エリアから巡ることにした。

7/24の全文はこちら

桂川 「態度が空間に並べられること」
カッセルに到着し陸さんと矢口くん(長身、ワイルド、留学中)と合流して昼からドクメンタの観察を行う。4つのエリアのうち、最初は黄色のカッセルの中心部でありこれまでのドクメンタでも使われてきたFriedricianum、Documenta Hallなどメインの会場に加え、昨日訪れたWH22やホテル、地下通路、駅前の広場、ショーウィンドーなどパブリックなスペースが多く対象となっている。

カッセルの中央駅広場を抜けて河へ向かって緩い傾斜で降りていく斜路が自然と身体を広場の方へ向かわせる。まず最初に目にする会場となるruruhausの内装、什器の設えの完成度に驚かされる。ブックショップやレセプション、カフェ、テラスが配置され壁にはドクメンタのコンセプトダイアグラムが描かれ、2Fへ上がるとギャラリーがあり、アートセンターを想起させる。

fig. D-02:ruruhaus内部の様子

実際にルアンルパをはじめ、メインのチームは現地に2年ほど前から滞在して現地スタッフと共にプラクティスの場として醸成してきた。ギャラリーには展示ケースがいくつか置かれ、階段状の舞台があり、壁面にはドローイングや展示物がマスキングテープで貼られている。ドクメンタで最初にみるだろう展示は誰でもない誰かの制作となる。キャプションは素地のフラットバーにマグネット留めされた方法をとっている。キャプションはクラフト紙に印刷され、言語によって色が2色。さらにLumbung GalleryのHPに作品紹介が集約され、QRコードからスマホで読み、キャプション周りに人が滞留することを避けて鑑賞することができる。ただ、その機能的な意図とは違う、更新されやすいPJがキャプションにも表現されているようにも感じられた。八戸市美術館にも同じ方式の部屋があるが、この方式は全会場を通じて統一されることになる。

fig. D-03:フラットバー、クラフト紙、マグネットによる更新可能なキャプション

Friedricianumのグランドフロアにはルアンルパのコンセプト「lumbung」を投影するキュレーター、参加作家、プロダクションチームのlumbung memberによって制作された Gud skulとRURUKids、オープンスペースが配置されている。RURUkids内のplayroomはGraziera Kunschによって子供たちと親が共に学べる“public daycare”となることを意図し、ハンガリーの教育理論・実践家であるエミ・ピクラーの教育的なアプローチからinter localチームと共に空間を構成している。他の制作物とは異なり100日以後もどこかのスペースに転用することを想定しているのか、端正に作り込まれており、子供たちが経験するアートスペースとしてしっかり練られている。

fig. D-04:RURU KIDSの遊具。エミ・ピクラーの自発性を促す児童のための内装計画になっている。

Gud Skulのスペースはビールケースやウレタンシート、木箱、ラッシングベルト、ソファや学習イス、テーブルなど提供されたマテリアルによって什器や壁がつくられ配置され、エコロジーのシステムを体現する構成になっている。オープンスペースには学校イスのフレームを転用して制作したリラックスチェアやボウルを組み上げた簡易な噴水が加えて設置されている、リラックスできる空間だ。Gud Skulのなかで、壁に無造作に描かれたドローイングに目がとまる。家もしくは小屋のようなスペースにsleep,live,workが描かれていた。

fig.D-05:GUD SKULのマテリアルとダイアグラム

なぜかその場でみた時にしっくりきてしまったが(納得してしまっている自分を疑いながら)、ruruhausと連関した場所になっていたからではないか。グランドフロア(GF)は確かに、子供たちが暮らし、鑑賞者が横になり、ワークスペースになっている。

1F以降もワンルームの中でくつろぐ(=連関系)什器によってぬるっと各作品が繋がっていく。芸術祭の場合、通常の展覧会とは異なり何十もの作家が参加しておりその全ての作品を鑑賞することは鑑賞者へ非常に負荷がかかり、鑑賞においても空間よりも時間が支配してしまう。その鑑賞の負荷を減らすことも連関系の会場計画がなされる一要因だろう。

1FにあがるとROMA MOMAの作品のスペースから2手に動線が分かれる。左手に進むとアフリカを拠点に置くコレクティブが過去の作品やパブリケーションを配置したスペースがある。ARACのスペースは象徴する黒板や大きなテーブル、舞台装置などラーニングエリアが設けられ、鑑賞者は何やらスタッフがブレストしている様子を什器に座ってみている。座る行為が参加の風景をつくっているようにもみえる。

fig.D-06:どうみるのかによって配置される什器の性格も様々。

一度戻り、右手へ行くと次は3つのアーカイブスペースが一つの空間に集約され、資料を中心とした展示の空間に入る。その中でARCHIVES DES LUTTES DES FEMMES EN ALGÉRIEはこれまで表に出されなかったアルジェリアでのフェミニズムに関わる女性中心の運動を取り上げ、時系列な写真や文書の記録をデジタルアーカイブ化し伝える活動をしている。資料や動画など記録を鑑賞する場とする上で、開口部を塞ぎ暗さを確保しつつプロジェクションを投影する壁を制作したり、床にも投影するなど少ない空間での鑑賞の細かな構成が垣間見える。1作家=1空間の場所は「部屋」化しているといっていいほど設えられている。例えばチュニジアで活動するデザイナー集団EL WARCHAの部屋ではGFの什器と同じ地域の隣人たちと制作した作品やパーツ、アイディアノートが所狭しと並び、その制作過程を映すカラオケ風につくられたアーカイブ映像が展示され、ストックヤードのような場所となっている。(*1)

fig.D-07/08:開口部と作品の関係、EL WARCHAの展示スペース

その後に訪れたGrimmwelt KasselやMuseum fur Sepuikralkulturが位置するエリアのミュージアムやスペースでは、作品がフォーマルに配置され、いきなり先ほどの熱狂とはほど遠い場所に来てしまったように思わされてしまう。これはどのようにキュレーションされたのか、と陸さん、矢口くんと首を傾げながら周る場面も多かった。

・作家による過去の作品のみが配置されている空間

・市民と協働で制作した作品や状況、その記録(EL WACHAなど)

これだけワークショップを多くみた後であるが故に、かえって乖離したように見えてしまうことを考えるとき、構造的にみてしまわないようその意図を探りながら後半はパブリックスペースを中心に鑑賞していた。そのつっかえについて夜に皆で話しながらこれはぜひヒアリングしようということになったのだ。WH22は回りきれず、後日に持ち越しとなった。

全文はこちら→【桂川】滞在記:「ドクメンタ15」

7/25

桂川 「ダンボールから土へ」
カッセルでの滞在場所はドクメンタの会場から徒歩25分のアパートの一室を借りていた。オーナーはいつも朝になると一本の煙草とコーヒー、バナナをダイニングテーブルに置いてくれる。広く取られたテラスもダイニングの間口分広く取られ、木々から漏れた西日が入る造りになっていた。ベルリンで体験した短い夏を外で過ごす楽しみに重きを置く場所ならではの考えだろう。
その日はかなりの猛暑だったが紫のエリアを歩いて一周する計画で周り始めた。このエリアは過去のドクメンタでもあまり対象とされてこなかった工場地帯を広く使い会場としていることを聞いていたため、とても楽しみにしていたエリアでもある。

Hubner arealに向かうと、疲れが出ていたので休もうとしているとスピーカーから「アジアンマーケットやってるよ、おいでよ!、ぜひ!」とフランクなアナウンスが流れ、賑やかに歌を歌い始めている。会場に入ると、元工場の前にある駐車場だったスペースにビールケースやレンガブロック、木材、ビニールシートで組まれた仮設のショップや木チップが敷かれ、プランターやテントで囲まれた休憩所によって広場と化している。広場の先にはレジデンスがあり白い壁の中心には「new rural agenda」のサインが目に入る。サインの周辺にはグラフィティや垂れ幕が掲げられている。このマーケットは地域通貨と交換するシステムでアジアの飲食を経験できる。元工場の空間に入り、広場から続くインフォメーションや地元の住民と制作したフェアトレードのショップを抜けて展示空間に入ると、L字型の大きな空間に作品が配置される。この展示空間ではパレットやビールケース、レンガブロックのような日用品と組み合わさるようにruralなマテリアルが入り込む作品で構成されている。例えば、インドネシアにある東南アジア最大の屋根瓦生産地域でレジデンスやアートスペースを運営するJATIWANGI ART FACTORY(JAF)は粘土から土着な文化や芸術、アイデンティティを捉え直す活動そのものを展示するため、Jatiwangiの粘土、レンガで全体が構成されている。JAFの空間が象徴するように、マテリアルに着目するとレディメイドとルーラルメイドが入り混じりながら空間がつくられていくことを改めて認識する。
・ダンボール……= hard industrial material (ready made)
・土……= raw earth material (rural made)
今回の芸術祭の一つのコアであるEcologyやそれを体現するekosistemとも関係があるだろう。ただ、どこまでが作品か分からなくなるほど、什器や壁、床の設えと溶け、作品と対比させない存在感がある。藤森照信は物質としての存在感について「赤派/白派」という言葉を言い当てているが、ものの存在感は漂白されずかなり強くみえる。

次に向かったSt. Kunigundisはすでに使われなくなった教会を会場にしており、会場全体がフランスのボルドーで活動しGHETTO BIENNALEを主催するATIS REZISTANSによって構成される、向かう前から注目していた場所だ。住宅街の一角にある敷地内の外構には食用の土でつくられたケーキが振る舞われるリヤカー、黒々とした鉄のレディメイドがコラージュされた人形、焼かれた木製の塀のような物など、物々しい雰囲気が漂う。隅にひっそりと既存のイエス像が置かれている。正面に回り、エントランスを入ると前室に小さな礼拝スペースがあり、薬のタブレットがディスプレイされたアイロニックな彫刻が配置されている。ステンドグラスからの柔らかい光をよしとしない、人工的な緑のライトに照らされている。先に進むと中心に外部と同じく黒々しい人形が置かれた、アーチ状の構造壁が美しい礼拝堂に入る。自然光のみで十分な光が入り、壁が剥離しモルタルが現れてしまった礼拝堂は聖的な性質が剥がれ落ちて素の状態に戻っていくような、作品の性質も相まった意図となって目に入ってくる。アッパーライトで照らされている修復された壁画はその意図を冗長させる。

fig. D-09:使われなくなった教会を会場にしたSt. Kunigundis

山川
明後日一時帰国するChristianeに感想を聞いてみると、「どの展示を見ても、これは俺もやったな、この感じ知ってる、これならこういうこともできるなって。初めて見るのに、とてもよく知っているように思えたし、すごい嬉しかった」と言っている。ローカルと密接に取り組んできたことが、一方では世界のほかの場所の誰かにも重要な同時代の問題であるということ。実践の数々がひとつの都市に集まり、ひとつらなりに見られることのダイナミックさを、この晩改めて感じた。共にしているのは空間ではなく、時間だろう。同時代にそれぞれが行っていたことが、実は共時的である、ということがこのドクメンタの重要な提示ではないかと思う。

結局歌いながらお皿を洗ったりなんだりしているうち、夜も2時頃になってしまった。バーすらも閉まり、WH22のゲートも完全に閉まっている。なんとか中から開けてもらい帰宅。日暮れが遅いと、こんなにも夜更かしをしやすい。

7/25の全文はこちら

7/26

桂川 「場所と場合のメンテナンス」
3日目は、午前からRUANGRUPAのキュレーターであるIswantoとアシスタントキュレーターの今村さんの話を聞くことができた。今村さんからのコレクティブとは何か? についての印象深いエピソードがある。あるレクチャーに参加した際、「最初のスライドで、半分に割られたスイカのイラストが現れて、“このスイカをあなたは誰とシェアしますか?”」の問いが投げかけられたとき、この問いを共有している場がコレクティブなんだ、と気付かされたという。また1日目に感じた違和感についても問いかけてみた。ERICK BELTRÁNの場合、彼はMuseum fur Sepuikralkulturで哲学的なテキストやイメージを分析し知のダイアグラムを構築、配置した作品を発表しているが、期間中はLunbumg Pressでひたすら刊行物を朝9時から刷り続け、夜は併設するキッチンで夜中まで料理やお酒を振る舞っているという、想像し難い作家の場合が確認できた。

fig. D-10:Erickらしき作家が作業している様子

後にRUANGRUPAのトーク中に聞いた“maintanance the way……”という言葉がふさわしく、場合も含めたプロジェクトのメンテナンスが練られていたのだろう。陸さん、こうじさんとご飯を食べながら振り返っていた時、イーフー・トゥアンが論じる経験する空間 -場所(*2)の関係に対し、時間 -場合の関係を仮定すると、この目まぐるしい状況が整理されないか。我々はドクメンタでの時間- 場合をいかに経験できるのかについて、現地で考えなければならなかった。

fig.D-11, 12 :我々はこの迂回路もしくは矢印をどう経験できるのだろうか。
左/ドクメンタ15:Hand Book, p.30
右/イーフー・トゥアン:空間の経験, p.322, 図21

場所と場合が結びつき経験されるためのエコシステムを定着させる整備(=maintanance)が会場の計画や構成に寄与していたように思う。

その後、緑のエリア(Fulda)の会場を回った。Fuldaは河川の名前であり、カッセル中心部と工場地帯の間を通り2つのエリアをつなぐフォーマルな大庭園やその周辺の緑地を主に会場としている。Fuldaは一貫して場所と素材が結びつき、鑑賞者へダイレクトに問いかけてくる。例えば、LA INTERMUNDIAL HOLOBIENTEの会場は堆肥や風化した木が敷かれた庭園の奥地にある。その場所や自然循環と呼応させることを意図し、素材を主題としたアクティビティのスペースだ。キャビンで牽引するリヤカーを使ったワークスペースと木々が描かれた幕が正面に貼られた会場となっている。

fig.D-13:LA INTERMUNDIAL HOLOBIENTEによるスペース

(他の考察は下記のリンクから)
全文はこちら→【桂川】滞在記:「ドクメンタ15」

山川
再び庭園の中央を目指していく。異国の植物を育て鑑賞する温室であったOrangerieの前庭はとにかく広い。夕暮れ(といってもかなり明るい)の中、芝生でくつろぐ人たちが大勢いる。
欧米諸国から「資源」として輸出された廃棄衣類をブロックにして作られたTne Nest Collectiveのパビリオンでは、この「資源」問題についてのドキュメント映像が流れている。ドクメンタ15では二次利用の材料で会場構成を基本的に行っている(仮設の展示壁などは別だが)。地域から集められた主に工業製品からなる材料は、ブロック的に積みあげたり並べることで空間をつくる。材料を譲り受けるというプレ段階だけでなく、ドクメンタ15の終了後にそれらの材料が、またカッセルを取り巻く資源循環へ戻っていくことに意義がある、とIswantoはインタビュー時に語っていた。その中で、この「資源」でつくられたパビリオンは、建前としての資源循環の問題を考えさせる。今回、Orangerieの内部は使われず、ここまで歩いて来た庭園内および前庭だけにパビリオン型で展示が行われている。

7/26の全文はこちら

7/28

山川
まずはフルト川の河岸の屋外展示を観る。川面にBlack Quantum Futurismの円形の大きな立体作品が浮かんでいる。川の向こうには、レンガ造りの丸い建物にTaring Padiの壁画がかかっている。円形の建物Rondellの、レンガのゴツゴツした表面と彼らの絵の強い筆致が響き合う。こうやって街中など色々な場所に掲げられてきたことが想像できる。この様子を見て矢口さんが、大地の芸術祭みたいですね……と言っていたが、まさに地域芸術祭の源流は歴代のドクメンタにもある。日常の風景に浸食するが干渉まではしない、という物言わぬ(ように見える)作品のあり方は、今回のドクメンタでは少し異様かもしれない。屋外に物があるこうした展示は、実はかなり少ない。どの展示もパビリオンなり小屋なり、屋内を作ることから始まっているからだ。

橋の上にはNhà Sàn Collectiveの作品があるはずだったが、どれだけ探しても見つからない。Rondellの入口にいるスタッフに聞いてみたが、みんな私に聞くけど分からないの…と言われる。作品がないか見回していると、橋脚にwhere is the art…の落書き。これはFridericianumにもポスターがあった。この落書きも、公式なのだろうか。

7/28の全文はこちら

桂川 「カッセルから少し離れて」
7月27日から2日間、カッセルから離れドイツ西側のエッセン、ケルンを車で巡る。長期滞在する今村さん、矢口くんに聞くと、ドイツに来てまず驚くのがドイツ人のクラフトマンシップだったという。アパートにはキッチンさえついておらず、DIYで設置するというのだ。それもあって今回のドクメンタでのワークショップとも相性が良くマテリアルにも現れていたのだろう。28日の夕方頃に戻り、夜までもう少し展示をみて回ることにした。メインに鑑賞した会場は元工場を改修した4層のHafenstraBeである。竹と単管パイプ、プランター、木材で組まれたスロープを上がる。スロープの左右には、日本からの参加作家であるCINEMA CARAVANによるメッシュで覆われた木組のサウナと木瓦が貼られたスペースやビビットな什器が工場内から露出し、植栽ベースが配置され外部に休憩スペースをつくっている。スロープを登り中に入ると、内部の壁が何度も白が塗られ、剥離しては塗り直されていることが分かる。これまでも展示空間として使われてきたのだろう。Friedricianumでも展示されていたバナーの作品やカーペット、ビールびんや鉄のようなマテリアルを使った作品が暗幕で包まれた空間に展示されている。進むと自然光の明るい空間に出る、対比的な空間の構成となる。ここでも垂れ幕やカーペット、鏡や羽毛などで壁や床をハックした空間をつくっている。ハイサイドの自然光が入る開放的な空間には天井から吊られたピンクのフレームに作品がかけられる。大きなベンチも同じ農業用の単管パイプらしき華奢なフレームでつくられている調律がとれた空間。2Fへ進むと、白い柱間が続くワンルームが現れる。中国のCAO MINGHAO & CHEN JIANJUNによる土地の文化や儀礼を読み解きながら水資源のエコシステムを集落に実装する作家の制作記録が展示される。3Fも同じく白い柱間が続くワンルームに対し、工業用のビニールカーテンが吊られ、マッチョに鉄で組まれたフレームにパネルが貼られ、配置されている。4Fはタイミングが悪くラボスペースのみの鑑賞になった。

fig.D-14:HafenstraBeの会場

7/29

山川
改めて『東京リール』を見に行く。長い時間はとれないが、改めてキャプションを読み込み、映像をしばらく見る。Gloria Kinoでも一本ずつに分けて上映がされていたらしい。ここの設えも、簡易ではあるものの、ある意味一番映画館らしい空間になっている。自ずと、自分の身体が覚えている「鑑賞する」というモードに変わっていく。

このフィルムじたいが示す事態の難しさの一方で、日本語話者としては、ここで日本語のナレーションが流れ続けていることに落ち着かなさも感じていた。このフィルムをsubersive filmへ提供したのはドキュメンタリーの制作に関わった一人、イスラエルで当時テロ行為にもかかわった日本赤軍のメンバーだ。アジア各地も巻き込んだ先の戦争より最近であるにも関わらず、よりいっそう当事者性の薄い出来事だ。ここで自分が何も引き受けられないことに居心地の悪さを感じるし、しかしここから考えずにいつ考えるのだろう、とも思う。

7/29の全文はこちら

桂川
昨日までで、一度全てのエリアを急いで周ったので時間的な問題で見落としていた会場や再度鑑賞すべき会場を再度訪問する。まず改めて陸さんが滞在していたWH22の会場を経験した。何かの倉庫だったのか上階を支えるアーチの構造が続き、敷石、石積みの壁で囲まれた洞窟のような場所に紙媒体やビデオが流れ、ソファやテーブルが置かれたブラウジングスペースになっている。WH22の場所自体、ワインセラーだった空間を会場としてはこれまで使っていなかった空間だと考慮すると、かなり手を入れて空間として成立させているように思う。一度中庭へ出て、次の入り口から階段を上がると遺構としてのマテリアルやオブジェクトが展示された空間に入る。地下へ降りていくと、塩ビカーテンやイス、テーブル、照明や各作品に至るまで赤と青で統一され、ジェンダーに関するPJを展開するPARTY OFFICE B2B FADESCHAのバーやリビングを兼ねたマルチファンクションな空間がある。床や壁の仕上げを含め、かなり端正に改修がなされ、未確認だが構造体をみると壁を抜いている部分もあるようにみえる。その後、改めてWH22のガーデンを鑑賞して、Friedricianumに向かう。

7/30

桂川 「racismと向き合い続ける」
滞在の最終日、カッセルからフランクフルト空港へ向かう前にPCR検査を受け、FKVで開催されているForensic Architecture(以降、FA)による「Three Doors」展に立ち寄った。現在、ロシア・ウクライナ戦線の被害や真実を明らかにするため衛生やネットの情報から考察を続ける「デジタルネイティブ」の活動が広がり、よく目にするようになった(*3)。このようなデジタルアーカイブだけでなく、建築的な側面からforensic(=科学的捜査)によって真実を明らかにしてきた。これまで日本国内でも中村らによるレビューや記事があり、活動の諸相はおおよそつかむことが出来ていた。

Eyal Weizman “Forensic Architecture VIOLENCE AT THE THRESHOLD OF DETECTABILITY”
(中村健太郎評「建築が証言するとき──実践する人権をめざして」建築討論 Nov.1.2018)

本展は人種差別的な暴力(rasist violence)について被害者家族、関係者による団体「Initiative 19. Februar Hanau」が犯罪の真実を明らかにするためFAと協働し共に調査をしたプロセスが展示される。フランクフルトの郊外で起きたracistの加害者による悲惨な連続殺人事件を題材に、3つの側面:Doorからあらゆる空間的なシミュレーションを駆使して分析、考察した内容や観察、取材、記録を展示している。
(詳しい考察はリンクより)

fig.D-15:展示の様子。ホールから2つ目の展示室をみる。

ドイツと芸術、ドクメンタで今回扱っている作品のテーマ、アンティセミティズムの問題について直に接したあとにオンタイムにこの事件が起きているという事実と、語られる激しい被害と加害の現実を経験した時、2つは地続きにある問題だと認識した。FAの代表であるEyal WeizmanがLondon Reviewの中で発表したドクメンタの状況について、さらには谷口が戦中の日記で書いているように、ドイツ(だけでなく日本も含めて)の芸術だけでなく未だに言論の権利を奪われ、rasismに縛られている現在にどう向き合うのか、ということを反芻しながらFKV近くの教会前にある広場の賑やかなテラスで涼み、今回の滞在について振り返っている。

Instead they have used the controversy as an opportunity to tell Palestinians and critical Jewish Israelis, as well as artists from the global south, that they have no right to speak out. ( Eyel Weizman:In Kassel London Review of Books Vol. 44 №15 · 4 August 2022)
https://www.lrb.co.uk/the-paper/v44/n15/eyal-weizman/in-kassel

全文はこちら→【桂川】滞在記:「ドクメンタ15」

-

*1 このアーカイブ映像を鑑賞した際、筆者にとってとてもエモーショナルな瞬間となり、ドクメンタの雰囲気や制作の過程の様子を知る上でもとても良い記録で、つい口ずさんでしまうカラオケ動画だった。

https://youtu.be/bqXe2D7Mdv8

また、この「カラオケ」はジャカルタでのGudskulでもworkshopとして使われている題材の一つだ。過去には以下のような実践が行われている。

「CURATORIAL PITCH KARAOKE」:https://shared-campus.com/themes/cultures-histories-futures/curatorial-workshop/curating-on-the-move-situated-knowledges/workop-02/

*2 トゥアンによる「空間の経験」は、場所について人間が空間でする経験(居心地、愛着など)を元にして生まれる場所論としての印象が強いが、人間が経験する時間についても本書内の章を割いて論じている。

*3 ロシア・ウクライナ戦線の軍用基地や武器庫の位置、爆撃の情報など、The Intel Crabのような民間の団体もしくは個人ベースで分析しSNSで発信し続けている。

桂川大+山川陸 連載「会場を構成する──経験的思考のプラクティス」
・その1 経験と構成
・その2 分析:「ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ」
・その3 分析:「ミロ展──日本を夢みて」

--

--

桂川大+山川陸
建築討論

かつらがわ・だい(左)/STUDIO大主宰。1990年生まれ。2016年 名古屋工業大学大学院博士前期課程修了。2019年- 同大学院博士後期課程在籍。| やまかわ・りく(右)/一級建築士事務所山川陸設計代表。1990年生まれ。2013年 東京藝術大学美術学部建築科卒業。