私は本授業にて中心的に行った取り組みは、最終制作のための議論である。最終制作ではStableDiffusionのような自動画像生成が日常化された未来の世界を妄想し、その世界で発生しうるデータセットプラットフォーム「ANBIRI」のwebサイト制作、および記憶の曖昧さを問うフォトアルバムの制作を行った。制作を進めていく中で私はチームメンバーと議論し構想を練る段階に比較的多く携わった。私が本取り組みにおいて気づいた点は大きく分けて2点ある。…
【AI技術によって人の創作活動を模倣する意義/危険性】
・高速性と人間を補助する役割を持つ
AI技術による創作活動は、人間が手を使うよりも圧倒的に高速でありながら、生身の人間と異なり求められた結果に対して忠実である。したがって、例えば膨大なデータを効率的に分析してそれらを処理することで創作する分野において、AIはより完璧に近い「模倣」が可能だと言える。また、AIによる人間の創作活動の模倣・再現によって人間が、人間にしか出来ないことが何なのか、または人間にできない(不得意である)こと…
まず、AI画像生成技術によって生成されたイメージは、芸術たり得るのかどうか、検討したい。AIはある意味で、人間のおこなっている行為を模倣している、と言えるだろう。そもそも、芸術と模倣は深い関係にある。古代ギリシアにおいては、模倣=ミメーシスこそが芸術であるとされ、自然を模倣する、という行為の中に芸術が見出された。こういった芸術の本質を、自然の模倣にみるのが、西欧の古典的な芸術理論である「自然模倣説」(https://kotobank.jp/word/自然模倣説-1542269)である。その中でも、「(1)感覚的・現象的な外的自然の忠実な模倣、(2)選別され理想化された自然の模倣」の2種類に分類さ…
⑴AI技術によって人の創作活動を模倣する意義/危険性
①人間の創造性の再認識
私は、AI技術によって人の創作活動を模倣する意義の一つは人間の創造性の再認識であると考える。AIによって模倣されたアウトプットにはどこか違和感というものを感じずにはいられない。それは、生まれる前から持っている直感的認識に反することを人間が無意識に察知しているからであるように思う。人間による創作活動には、作家が今まで見たものや聞いたもの、感じたものが全て統合され、反映される。そのため人間のアウトプットには一人の人間が作ることでしかできない一貫性が…
はじめに
メディアアート実践の最終課題としてグループで作品制作を行った。ここでは制作を行う上で考えていたことや実際に自分がやったことを文章化しながら、AIと人のコラボレーションについて言及したい。
まずは、今回用いた画像生成AIである Stable Diffusion (以下SD)についてわかっていることを整理し、私の中での印象について述べる。
この記事は、2022年秋学期に慶應義塾大学SFCにて開講された講義「メディアアート実践」の中間課題を兼ねたものである。
ここでは今日活況を呈しているAI技術の芸術への応用、その際の意義、危険性などに関して論じていく。
AIと芸術に関する議論を進めるにあたって、まず初めに私なりの表現・メディアに対する考えを共有する。
そもそも芸術表現とは、作家・メディウムによって行われ、鑑賞者・環境によって受容される。その際には、作家の体験や人間性が作家性となり、メディウムのメディウムスペシフィシティと共に、ある種のバイアスとなって作品に表出する。また、それを受容する鑑賞者のバックグラウンドや環境的特徴も…
・概要・アファンタジアとは・アファンタジアを救う発明・ぼやけてしまった人間の能力・AI画像生成が引き起こしうる未来について・参考
Stable Diffusionを用いていくつか画像を生成してみたので、まずはご覧いただきたい。
• AI技術によって人の創作活動を模倣する意義/危険性
客観的に観た芸術鑑賞の点からすると意味はないのかとも思う。勿論、AIが人間の創作活動を模倣することで人が”創作”という営みに対して再度考えさせられるきっかけにはなる。しかし、例えば作者が伏せられた状態で芸術を鑑賞した時、鑑賞者はこれはAIが作成したものだと気がつくだろうか。少なくともこの授業を履修する前の私は気が付かずに「この絵にはどんな背景があるのだろう。」と絵を前に想像を膨らませていたかもしれない。