現実を揺さぶる事から、面白い事が生まれる。
そう思って、実現するというミッションへ邁進した今回の北アルプス国際芸術祭。その記録として、撤収までの期間を「探す、繋げる、創る、お披露目、終わる」という5つのフェー…
「はじまりの庭」は北アルプス国際芸術祭の駅前インフォメーションセンターに展開された、この芸術祭の入り口になる作品だ。JR信濃大町駅にたどり着いた人は、まずこの庭に来て、芸術祭の周遊方法を考えながら、上空…
北アルプス国際芸術祭が始まって、1ヶ月が過ぎました。天気にも恵まれて、ありがたい事にたくさんの人達が訪れてくれていています。準備段階、制作段階とは全く違うフェーズに入り、どこか浮き足立っていましたが、開幕前日になった軽度のぎっくり腰が回復するにつれて、すこしづつ地に足がついてきました。
2016年8月末、瀬戸内海に行ってきた。名古屋から深夜バスに乗って、早朝の高松。台風10号のきれっぱしみたいな雨雲が香川に引っかかって大雨だけど、昼からは晴れ予報。この強風に雲が飛ばされて、瀬戸内の青い空と海が待ってる想うと、うれしくなる。
瀬戸内2日目の朝、でかいバックパックを背負ってこえび隊の爽やかな朝礼を見学した後、瀬戸内芸術祭の始まりの地、直島へ向かった。その後に小豆島へ渡ったので3つの美術館しか行けなかったのだけど、正直なんとも言えない気分が残っている。直島の、あの違和感はなんだったんだろう。
最近、アートへの認識が変化し続けてる。抽象的思考と具体的感覚が行き来しながら、少しづつ踏み分け道へ入り込んだ自覚がある。
6年前の僕は、アートをこういう風に言っていた。
‐芸術とは無意識である。
世界は無意識で構成されている。世界は自分自身であり、それ以上でも以下でもない。全ての醜い事象はだれのせいにもできない自分の問題であり、全ての美しい事象もしかりである。それは無意識という内部の未知が管理する世界の真理であり、それを読み解く事が芸術の意義だ。
2014年に「信濃大町 食とアートの廻廊 2014」の開催後、次回はちゃんと自分が納得できる芸術祭にしようと決心し、地域について、未来について書いた文章です。
アート:芸術は、自らの想像を表現する態度だと思う。それは美術館に額装してある作品の事ではなく、世界の全てに対して、孤独に挑むふるまい。それが何の役に立つのか?なにを想像し創造するのか?そもそも人間にはなぜ想像力があるのか?そういう問いを繰り返しながら、突破していく。自らの精神…