学生たちのプロジェクトの成果物に触れる時季が来た。いつのころからか、年の暮れに初稿をもらって、年末年始に目をとおすのが習慣になった。赤ペンを片手に、それぞれの思考の流れを辿る。プロジェクトをすすめるのは一人ひとりの役目だが、それは独りで完成させることではないと考えている。教員や友人たちに感想やアドバイスを求め、それをふまえて再考する。この往還的な流れの価値に気づくことができれば、コミュニケーションをとおして自分の思考が整理されてゆく。…
季節がだんだんと変わっている。上着を着なくても外に出られること、手袋をはめなくても自転車に乗れること、父がリビングのドアを開けっぱなしにしていても気にならなくなったこと、床暖房をつけなくても床に座っていられること、蛇口の水を思い切り赤い方に捻る必要がなくなったこと…。少しずつ、私の生活の隙間にも春風が舞い込んできて、心ごとあたたかさに包まれる。季節が変わっていくことに、私はなぜだかものすごく安心するのだ。
人間の生は、刻一刻と避けられない死に向かって進んでいくが、その中にも多くの円環は潜んでいる。何があっても時間は過ぎていくのだと思えば、どうしても焦燥感を感じずにはいられないけれど、何…
思えば秋学期はひたすら振り返っていた。聞き取りの場を「現場」とするならば、9月以降はずっとその現場のふり返りだった。録音データを聞き直すのも、当時の感覚を思い出すのも、全部ふり返りだった。
現場の刺激から離れて、その場を見つめるのは時にくすぐったい。1年前の聞き取りのデータはあまりにも自分の聞き方が下手で聞いていられなかった。食い気味で質問していたり、相手の言葉が出るのを待たずに自分の言葉にすり替えてしまうなど、反省点を上げたらキリがない。昔書いた文章を読み返すときのむず痒さとも近い。
一昨年の冬、300文字の原稿用紙をあつらえた。あれこれとオンラインで扱うことが増えてきて、画面を眺めてばかりの暮らしに閉口気味だった。もともと万年筆で書くのは好きだったこともあって、手書きの時間をつくるのには原稿用紙がよいと考えた。
『ただいまを言いたくて』は、次年度の「卒プロ」に向けてスタートする、ちいさなメディアである。こうして刊行を決めたのだから、もう続けるしかない。月刊というペースは、思っている以上に忙しいのだが、もう遅い。学生たちが前向きなのだから、ぼくも、つき合う覚悟を決めた。
毎年、「卒プロ」に取り組む4年生には、日常的に進捗をまとめて公開するように勧めている。これまでにも、4年生の活動がウェブマガジンのような形で定期的に公開されていた年があった。進捗が共有されていると、日々のコミュニケーションが豊かになる。
ひとまず、最終号である。まずは、『ただいまを言いたくて』を毎月刊行できたことを喜びたい。長かったようなあっという間のような、それでも「卒プロ」のはじまりを契機に刊行がスタートしたので、1年ほど続いたことになる。…
たまに、まちなかで学生に出くわすことがある。ぼくがまったく気づかないまま学生とすれ違っていて、後になって「先生、このあいだ公園通りを歩いていましたよね」などと声をかけられたことがある。その場でお互いに気づけば、「あ、」となって、ちょっとぎこちない挨拶をしただろう。それほど大げさに騒ぐほどのことではないし、もちろん、見られて困ることをしているわけでもない。「なぜこんな所にいるの」という視線さえ感じるが、「こんな所」もなにも、誰だって近所を歩くくらいのことは日常生活にあふれているのだ。おそらく、キャンパスで会うことが「あたりまえ」になりすぎていて、まちで見かけるなどとは思っていなかったからだろう。…
長い付き合いの友人の推薦文を書くことになった。自分が所属しているゼミへ彼を推薦するための文章だ。私とほか2人の友人が彼の推薦文を書いた。
彼は、高校生からの付き合いで、もう5年ほどの仲になる。遠くに出かけたこともあったし、お互いたくさんの友達を紹介しあった。苦楽を共にしている自信があるから、推薦文を書くことは難しくなかった。彼らしいエピソードを交えながら、するすると彼の良いところを書き連ねた。彼をよく知っているし、推薦するべきという強い意志があったからか、かなりすんなりとかけた。タイピングする手が止まらなかったことに正直、驚いた。
『ただいまを言いたくて』は、毎月、同じテーマ(タイトル)のもとで4名が文章を綴り、ぼくが1か月遅れでふり返る形ですすんでいる。「出会う」にはじまって、「みとめる」「みる」「近づく」「いる」「触れる」と続いた。一連のキーワードは、1年間かけて調査をすすめていく過程(より具体的には「卒プロ」を仕上げてゆく過程)を想定しながらえらんだものだ。もちろん、このようにシンプルに段階的にすすむものではない。順序もこのとおりの理解でよいのか、考えるほどにわからなくなる。…
このメディウムを月に一回書き続けるという行為はなんだか不思議だった。読んでくれる人がたくさんいるわけではないけれど、お互いのコメントが盛り上がったり、たまに感想を言ってくれる人がいたりと、うっすらと誰かと繋がって何かが動く音が小さく聞こえた。始めたあの日から今日までのお題は決まっていて、「出会い」から「別れ」まで、引かれたレールの上で場当たり的に文章を書いてきた。毎月次のテーマはうっすらと意識はしているものの、創刊当初に決められた綺麗な流れに沿って自分の今を描き出すことは難しく、締め切り当日に書きなぐる形で今日まで続けてきたように思う。だからこそ、自分にとって「別れ」というテーマはなんだか大それたものに感じてしまう。始めた時に感じた壮…