ファミリーカメラのおばちゃん(6)

キムラマサヤ
にじだより
Published in
6 min readJan 30, 2020

前回からの続き

目次
・新たな試み
・おばちゃんの存在
・サードプレイス論との比較
・おばちゃん論について
・おわりに

新たな試み

12月からまとめに入るにあたって、一度振り返ると1つの疑問と1つの思惑が生まれた。
前者は、私はおばちゃんについて語らないのかという疑問だ。私にも語りたいことがあるし、語った方がこのプロジェクトが面白くなりそうな予感がしたため、語ることにした。インタビュアーは同研究室のメンバーにお願いした。研究室で実施し、同じくGoProで撮影した。時間は1時間ほどにした。ビデオをもとに振り返り、Mediumにアップロードした。
また、後者はおばちゃんが私について語るというものだ。おばちゃんはおばちゃん自身について語ってくれないので、他の誰かのことに関しての語りからおばちゃんを理解しようと試みた。また、おばちゃんが私について語ることで、調査されることに対しての困惑や苦労が窺えると思った。こちらも同研究室のメンバーにインタビュアーをお願いした。実際にファミリーカメラまで来てもらい、おばちゃんと3人で談笑した後で、インタビューのことを説明し、1時間ほど私の代わりにインタビューをしてくれた。これまでのインタビュー同様、GoProで様子を撮影し、Mediumにアップロードした。
どちらの内容も『ファミリーカメラ』に収録される。

おばちゃんの存在

まとめの時期ももう終盤なので、ここでおばちゃんの存在についてまとめたい。

サードプレイス論との比較
このプロジェクトを開始した当初、ファミリーカメラはいわゆるサードプレイスなのではないかと考えていた。しかし、振り返りをすると、確かにおばちゃんは一部要素を持ち合わせてはいるが、サードプレイスとして語るのはもったいないと思うようになった。
一般にサードプレイス論で語られる〈顔役〉という概念に関しては、おばちゃんもあてはまるように思う。これはかつての投稿でも書いたことだ。おばちゃんと知り合うことで、まちに対するアクセシビリティが上がる。様々な人の紹介をされ、出会いが増える。私もインタビュイーの一部の方々とは、インタビュー以前におばちゃんからの紹介で出会っている。
その一方で、ファミリーカメラに行けば必ず誰か知り合いがいるというものではない。むしろ、まちの人はおばちゃんを取り合っているような状態である。おばちゃんと仲良くなると、出会いは増えるが、ファミリーカメラに行くのはその知り合いがいるからではなく、おばちゃん個人に会いに行きたいからである。そのことに関しては、インタビュイーである小坂さんは次のように語っていた。

お店の広さもあれくらいちょうどいいしね。あれで広かったらね、もっと相手しなくちゃいけないしね。一対一でできるからいいんじゃないかなっていうのはあるしね。やっぱりその人も自分の気持ちを出せるしね。

ファミリーカメラとおばちゃんにおいては、お客さんと一対一であることが重要なのだ。
これはサードプレイス論の大きな要素を持ち合わせていないことを意味している。つまりファミリーカメラをサードプレイスとして語るというよりは、むしろおばちゃんの独自性や特徴について語った方がいいと言える。

おばちゃん論
1年間のフィールドワークの末、おばちゃんは3つの社会的な役割を有していると私は思う。
1つが上記「サードプレイス論との比較 」の章でも述べているが、〈顔役〉である。
2つ目が〈まちのセラピスト〉だ。フィールドワークを繰り返したこと、インタビューをしたことによって、多くのお客さんやまちの人々がおばちゃんに対し悩みや愚痴を述べていることを再確認することができた。例えば、インタビューをした部谷さんは次のように述べている。

ファミリーマートの子でも、例えばちょっと家庭が複雑で、病んでるってわけじゃないけど、ちょっと聞いて欲しいような、彼女とか同世代の子とかには言えない、でも自分のお母さんのようなおばちゃんになら全てが言える人がいるんだよ、この下に〈以下略〉

こういったエピソードは枚挙にいとまがない。
おばちゃんは「お客様に気持ちよく帰ってもらいたい」という想いがあるために、聞き役に徹し、お客さんの悩みや愚痴を受け止める。〈まちのセラピスト〉となっているのだ。まちの人々やお客さんは、無責任に何も考えることなく、自分のことを語れるのだ。家族でも、友人でも、職場の同僚でもない、おばちゃんに。
3つ目が相互扶助である。お客さんは業務外のことをおばちゃんに求めることも多い。おばちゃんはそれに対し、懸命に応えようとする。その一方で、おばちゃんが自分にできないことであったり、わからないことがあったりすると、お客さんはその役目を買って出る。例えば、インタビューをした大﨑くんは出会って3ヶ月ほどで店の看板のデザインをしている。その一方で、大﨑くんも自らが制作したイスをファミリーカメラに置かせてもらって、座った人からのフィードバックをもらえるようお願いしている。お互いに困ったとき・助けてもらいたいとき・協力してもらいたいときにお願いできる関係になっているのだ。
以上の3つのポイントを兼ね備えている存在というのは、既出の概念がないように思う。この存在を言い表すには〈おばちゃん〉としか言いようがないのではないか。そう、結論付けたい。〈おばちゃん〉という存在は重要なまちの資産である。

おわりに

展覧会がもうすぐ目の前だ。おばちゃんへの感謝の気持ちをもって、後悔のないように。

次号へ続く…

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